※精神疾患などがある方は読むのをお控えください。

※これは僕の自己満足であり、他者を攻撃する意図は全くございません。

※タグのユートピア実験は、実際には実験過程に様々な問題があり、人間社会に落とし込むことはできないとされていますが、今回はネットで流通しているユートピア25の『噂』を元にしております。

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僕の自己満足です。精神疾患などがある方は読むのをお控えください。


一人だけの楽園

殺風景な、ボロアパートの一室の中。一人の男が目を覚ました。名前は、吉田 鼠。どうでもいい、誰にも気にされない男の名前。鼠自身も、それを望んでいる。

 

「……うっ、げえっ」

 

 ベッドの上で、鼠がえずく。原因は、トラウマと昔からのストレス。何も食べていない鼠は、吐くことすらできずにえずく。嘔吐感が消えて、起き上がった。

 

「……」

 

 鼠は机の上を見た。いつも通り、白い箱が置かれている。中を見ると、いつも通りに薬と食料が入っていた。食料のパッケージには、何も書かれていない。中を開けると、そこにはパンのようなものが入っていた。鼠はそれに齧り付く。

 

「……」

 

 何の味もしない。味覚障害ではなく、本当に味がないのだ。これはパンのようなものであって、パンではない栄養食。それを齧り終わった鼠は、薬を飲むために蛇口に歩いていき、それを捻る。コップにそれを汲んで、薬を一気に飲み干した。胃薬と、精神安定剤と……鼠すら、もう何を飲んでいるのかわかっていない。理解する気力すらも、なかった。

 

「……ッ!!」

 

 そこで、外から音がしてきた。誰かの足音だ。ここはアパートなのだから、他の住民も存在している。しばらくして、足音が消えた。部屋の中に戻ったのか、買い物にでも行ったのか。部屋の鼠には、わからない。

 

「う、うっ……」

 

 鼠は部屋の隅で、怯えている。激しく冷や汗を流しながら、震えている。それ以外にできることなどない。しばらくして鼠は、その箱を畳んでゴミ袋に入れる。今日は可燃ゴミの日だったことを思い出して、鼠はゴミ袋を扉の前に置く。すると次の日には、何故か消えているのだ。

 

「……」

 

 この国には、特定条件を満たした鼠のような者へ、最低限の生活保障を行う精度がある。無味の食料と、最低限の環境を与える。最新のAIと物質転送装置によって、関わりは必要ない。ゴミ出しも箱の供給も、自動で転送されて行われる。

 

「……」

 

 鼠に喜びはない。ただ生きている、それだけの存在だ。トラウマに苦しんで、今日も生きている。死ぬことすらできずに、ただベッドの上にいるだけ。それを良いか悪いか判断できる心すら、鼠は失っている。苦しいから、痛いから、何も考えない。それが鼠の生存戦略だ。

 

「……」

 

 小さなテレビのリモコンが、机の上に置かれている。長い間電源がつけられていないのか、リモコンは埃を被っていた。排泄と着替えを済ませて、何もすることのない鼠は、もう一度眠ろうとした。

 

「……」

 

 だが、眠れない。それもそのはず、鼠はさっき24時間寝たばかりなのだ。今度は眠れなくなっていることに、鼠はストレスで気持ち悪くなる。スマホに手を伸ばして、手に取った。遮光カーテンで暗い部屋の中に、明るいブルーライトが灯る。

 

「……」

 

 動画サイトを開いて、適当な動画を見る。面白くないので、他の動画を見る。何を見ても面白くない鼠は、それを繰り返す。鼠の傷は、社会復帰不可能な程に深かった。一体何時間経っただろうか、夜になるとまた箱が置かれていた。食べて、薬を飲んで……排泄を済ませて、寝る。ただただ、それの繰り返し。

 

「……うえぇぇっ」

 

 さっき食べたものを、吐き出す。びちゃり、と冷たい床が吐瀉物に塗れた。涙を流しても、苦痛が収まるわけではない。ありもしない恐怖に怯えて、縮こまる。何もできない鼠の、精一杯の防衛本能。加害者がここにいれば、きっと鼠を怒鳴りつけるか、笑って攻撃していただろう。

 

「……」

 

 不快な匂いを放つ吐瀉物を、彼は精一杯拭き取る。もう、これにも慣れたもの。鼠は収まらない吐き気と苦痛の中、掃除をしてから眠った。

 

「……」

 

 次の日。鼠は今日も何もしない。箱を開けて、最低限食事をして、排泄をするだけ。髭も髪も伸び放題の、清潔感のかけらもない、獣のような容姿。集ってくる蝿に、昔の鼠なら怯えていただろう。しかし、もう虫に怯える余裕もなかった。軽く手で叩くなどはするが、そのくらいだ。

 

「……」

 

 部屋の中にはロープもない、包丁もない。それを買いに行く気力もない。つまり、自死することすらできないのだ。鼠はそれで良いのかを考える余裕もない。今日も鼠は、吐き気のする過去に苦しむ。

 

「……」

 

 家賃の支払いは、政府が代わりに行っている。公的な制度なので、当然だ。部屋から動くこともできないのなら、そうなって当たり前だろう。最も鼠は、何が起きているのかすら把握していないのだが。

 

「……」

 

 ここには、生きるための最低限がある。だが、他には何もない。楽しむ心は、既に壊れた。その状態で鼠は、ただ泣いて縮こまって許しを乞う。昔の記憶が、また蘇ってくる。

 

『息子さんは重大な病気です。これからも再発を繰り返すかと』

 

 最初の痛みは、貫く激痛。息がうまくできない、体中に何度も針が突き刺さる。何度も何度もそれは起きた。鼠の体が成人になるまで、その病気は治ることがなかった。

 

『あっ、手が滑ったわ、ごめんね~』

 

『お前なんざ死んで当然なんだよ!!』

 

『ママの弁当頼りのテメェに生きる資格はない!! わかっているのか!?』

 

 次の痛みは、鈍い痛み。腹部への殴打や、後ろからの不意打ち。学校では、ずっとそうだった。周りから大量の暴言が、雨風のように吹き付ける。障害のある鼠は、施設で訓練をしていたが、そこの人にも攻撃を受けた。誰一人として、助けてはくれなかった。

 

『どうしてこの程度の問題もできないんだ!? このバカアホが!!』

 

『この程度のこともできないなら、もう何もするな!!』

 

『あなたのことを思って言ってるのよ、どうしてわからないの!?』

 

 親ですら、それは同様だ。助けてくれないし、怒り続けている。鼠は勉強ができなかった。運動は医者から止められていたので、できなかった。鼠はどうしようもなく、無能であった。

 

「うぅ、おえっ……」

 

 思い出して、また嘔吐する。今回は激しくて、止められなかった。だが、それしかできない。その果てが、この状況だ。医者も国家も匙を投げたという事実は、机の上の箱に詰まっている。鼠がそれを理解しているのかは、定かではない。

 

「……」

 

 吐瀉物を拭き取って、栄養を補給する。薬を飲んで排泄したら、またベッドに入った。何もできない、だから何も求められない。当然の帰結だ。

 

「……」

 

 鼠は眠る。悪夢の中へ落ちていく。夢の中にも安息はない。鼠はそういう生物なのだ。誰も彼に手を差し伸べない、鼠もそれを望んでいない。

 

「……」

 

 今が朝なのか、夜なのかも判別できない。鼠にとっては、どうでもいいことだ。今日もやることは変わらない。食事、排泄、睡眠。それだけの、何もない毎日。鼠はそれでよかった。

 

「……」

 

 鼠はベッドに手を伸ばそうとして、気づいた。テレビがついている、音がしているのだ。恐怖が込み上げてきたが、そこで気がつく。箱の位置が少しズレていたということに。それは転送時の、単なる誤差。しかしその誤差で、箱から物資を取り出した時の弾みによって、テレビがついたのだ。

 

『それでは次のニュースです。○○共和国が、○○国に宣戦布告を……』

 

「……」

 

『なんでやねん、そうはならんやろ!?』

 

 鼠はテレビを切った。ニュースなど見ても仕方ない、だって誰にも興味を持たれていないのだから。お笑い番組も、昔なら少しは笑えていたかもしれない。でももう、笑うこともできなかった。ベッドに入って、また眠る。この世界から、一目散に逃げ出す。

 

「……」

 

 次の日も、そのまた次の日も。鼠は何にも気を配らず、ただ部屋の中にいる。配れる心は持っていない、そんなものはとうに失った。今日も鼠は小さい巣の中で、恐怖に縮こまっていた。

 

「……」

 

 鼠は人と関わらないことだけを望んでいる。それ以外の望みなど、鼠にはわからない。思い出そうとも思わなかった。記憶を探った先にあるのは、恐怖と苦痛だけだから。

 

「……」

 

 鼠はスマホの画面を見つめる。それだけで何もせず、一日が終わった。スマホの電池が切れるまで、鼠はそれを続けていた。

 

「……」

 

 鼠は今日も生きている。鳴かず、滑車も回さない鼠は、ここで生きている。自己嫌悪が、鼠の中で渦を巻く。これも、いつものことだ。鼠はまた嘔吐した。

 

「……」

 

 それから何年か経過した後。鼠は、今日も嘔吐した。それを拭いている最中に、気がつく。その中に、血が混じっているということに。

 

「……ごぁっ」

 

 びちゃり、と。今度は、赤が床を塗り潰した。鼠はそれを見て……何も思わなかった。鼠は死への恐怖よりも、誰かに会う恐怖のほうが強かったのだ。だから、病院に行くなど考えもしなかった。

 

「……」

 

 鼠は何もしないことを選んだ。このままいけば死ぬであろうことは、なんとなくわかった。だが鼠は、それでも何もしたくなかった。

 

「……」

 

 それから鼠は、吐瀉物の代わりに血を吐き出すようになった。食事も取れなくなり、どんどん痩せ細っていった。誰が見ても、危険な状態なのは明らかだ。しかし、鼠を助ける者はいなかった。AIは鼠に何もしない、病院に行くのは本人の自由意志だから。隣人もそれに気づかない、鼠に会ったことすらないから。

 

「……」

 

 貧血で鼠の視界が歪む。もう、箱を取りに行くことすらできない。積み上がった箱が、床にどさりと落ちた。それに気づく気力も、鼠にはもうなかった。

 

「……」

 

 床には吐いた血がそのままにされている。鼠は死の足音が聞こえていた。それでも鼠は恐怖すらしない。そのために外に出て、人に会う方が余程怖いからだ。仮に救急車を呼ぼうとしても、スマホの電池は切れたままだ。

 

「……」

 

 鼠は眠った。明日が来るかも分からない中で、暗闇の中に落ちていった。死が迫っている中ですら、他人と関わらないことを選択した。そして……その結果。

 

「」

 

 鼠に次の日は来なかった。鼠は冷たい、動かない肉の塊と化した。人との関わりを拒んだ者の、当然の末路だ。

 

『対象者の死亡を確認しました。支援を終了します』

 

 機械的な音声と共に、箱が来なくなる。それはAIの、合理的な宣告だった。しばらくすると救急が来て、鼠を運んでいく。親族から縁を切られている鼠は、身元引受人なしとして火葬されるだろう。資産を何も持っていない以上、いたとしても相続したいとは思わないだろうが。

 

「205室の人、死んだらしいぞ」

 

「えっ、あそこに人いたの!?」

 

「床が血塗れだったとか……怖いわねぇ」

 

 警察が入って少し調査をした後、そこは事故物件となってしまった。大家からすれば、たまったものではないだろう。

 

「ったく、お陰様で事故物件になっちまったよ。ああいう奴らを処分しないから、俺らが迷惑被ることになるんだ」

 

 大家が愚痴りながら、事務仕事を続ける。鼠は大家にも蔑まれていた。社会は無能には冷たい、それだけの話だ。

 

「では、骨は無縁塚に?」

 

「あぁ、身寄りはないようだからな」

 

「わかりました」

 

 火葬された鼠の骨は、無縁塚へと埋葬された。灰になっていて、骨はほとんど残っていなかった。誰かがそれを気にすることは、未来永劫ないだろう。鼠が天国に行けるように祈る者も、どこにもいなかった。

 

 話は変わるが、ある科学者の実験にて、ネズミを使った実験があった。そこでは天敵も食糧難もなく、ネズミが平穏に永遠に暮らして行けるように、全てが用意されていた。しかし、その楽園は紆余曲折を経て破滅した。

 

 そこで最後に生き残っていたのは、引きこもりのニートネズミだった。鼠と同じように人と関わらず、ネズミ達から相手にされず、ネズミ達がいない時に食事を摂る。そのネズミ達が病気や寿命でいなくなることで、この実験は失敗に終わってきたのだ。

 

 それと同じで、鼠は最後まで食料や薬を与えられていた。天敵と関わらなくていいように、徹底して外界と隔絶されていた。全て鼠の望み通り、一匹の鼠の楽園だ。そんな彼はまさしく……

 

 楽園(ユートピア)の鼠と、言えるだろう。


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