一分でわかる古代インド:盲目覇王ドリタラーシュトラ その27
ドリタラーシュトラとクリシュナの夢の中の邂逅からしばらくしてクル王国軍は再びプラティシュターナに迫った。パーンドゥ率いるクル族との三度の衝突とその後の小規模戦闘の連続で消耗したクンターラ軍だったが、ヴィシュヌ神の化身を本陣に迎えた彼らの士気は十分であった。対する遠征軍は、怒れる王から伝染した戦意が陽炎のように全軍から立ち昇っていたという。
ドリタラーシュトラは夢の出来事を誰にも伝えなかった。クル族が神々の関与によって二つに割れ、カウラヴァとパーンダヴァの大戦争が起きる可能性があったなど、進軍中に口にできる内容ではなかったのだろう。ここでは読者だけが彼の苦悩を思い計ることができるのだ。
インド神話において、神に対し人間が怒りを表すことはほとんどない。神に対抗できるのは聖仙やラーマーヤナに登場する羅刹インドラジットのような人外だけなのである。マハーバーラタに語られる盲目覇王の内心は、ヴィシュヌ神をはじめとする神々への怒りに溢れているが、それを口にしなかったのは愛する家族とクル王国のためであったのかもしれない。
プラテイシュターナ攻城戦。第六次大遠征が半年目に差し掛かった晩秋の朝、最後の戦いが始まった。
クンターラ軍十六万人に対しクル王国軍は十四万人。小高い丘に陣取り、カルナータの協力の名残である武器を装備したクンターラ軍の後方には、国王クリシュナの姿があった。第三の目で敵国王を見たドリタラーシュトラは人喰い虎のような笑みを浮かべたという。高い殺意がそこにあった。
「クル族よ、同盟国の戦士たちよ、これよりクンターラを落とす! 全軍前進!」
連日の雨でぬかるんだ地面はクル王国側にとって福音であった。轟音のような雄叫びとともに動き出した戦士たちが沈黙した罠を踏み荒らしながら駆けていく。その上に降り注いだ爆発する矢も、投擲された火薬の玉も、半分も起爆しなかった。当然いくばくかの被害はあったが、先陣を切る盲目覇王と精鋭部隊も、横から弧を描くように回り込んだ百王子たちも、直撃する前に前線に襲いかかっていた。
「兄弟たちよ、我らの力を見せてやるのだ!
「王よ、俺も出る。ご武運を!」
「うむ、励めよカルナ」
ドゥリーヨダナと百王子が敵の最前列を荒らして駆け抜けていく。続いてカルナも御者台を飛び降りて閃光のように敵将の首を狙いに行った。ドリタラーシュトラの巌のような巨躯が戦場に降り立つ。千里眼により一切の隙を持たない男は、至近距離のボウガンの矢さえ無骨な剣で弾き、驚くべき俊敏さで敵陣深くへと進撃した。
三十万人が血で血を洗う戦場で、一人の男が進んだ後に屍が連なって轍のように伸びていく。盲目覇王を一目見てそれとわからない者はおらず、行き交った全ての敵兵が彼を攻撃した。そのことごとくを返り討ち、雨と血とあらゆる肉片で足元を汚しながら進む先は、ただ一人のもとであった。
一分でわかる古代インド:盲目覇王ドリタラーシュトラ その28(拡張版)
第五次までの大遠征でクル王国軍が大きな被害を受けることはなかった。これは驚異的な戦歴であり、あのカリンガ・アンドラ軍による夜襲時さえ被害は二千人程度に抑えられたと言われている。それが第六次大遠征では決戦までに約三万人、両軍による総力戦となった決戦ではさらに二万人の戦死者が出た。マハーバーラタがクンターラ国王クリシュナをヴィシュヌ神の化身としたのは、この被害の大きさに理由をつけるためだったというのが有力な学説である。
戦争史としてかなり怪しいマハーバーラタ下巻であるが、創作だと割り切ってしまえばエンターテインメント性が高く、特にこの最終決戦は芸術や芸能の題材としてよく取り上げられている。例えば戦闘の中盤で近くで戦うことになった槍持つカルナと弓ひくアルジュナのアクロバティックな共闘。百王子を率いるドゥリーヨダナがユディシュティラの戦車を囲んでいた敵部隊を後ろから轢いたことをアダルマだと注意され、悪ガキのように舌を出した場面。老英雄ビーシュマがカルナータの女性技術者がいる部隊とぶつかった際に武器を手放してしまい、絶対絶命のところを十八歳のナクラとサハデーヴァに助けられる世代交代のメタファーのような展開。このようにネタの宝庫なのだ。
数ある見所の中で、16世紀以降の
もっとも、プラテイシュターナ攻城戦における一番の見どころは間違いなく盲目覇王とクリシュナの決闘である。
単身で敵陣の真っ只中を突き進んだドリタラーシュトラ。千里眼によって的確にクリシュナがいる本陣を襲撃するに至った盲目覇王は、神の化身を守らんと挑んできた戦士たちを一刀で薙ぎ払い、その盲いた目でクリシュナを睨んだ。
「クリシュナ、うぬに死を与えにきた」
「ははっ、随分なご挨拶だ。まだ役目が終わっていないから、少し待っておくれよ」
孔雀の羽の王冠を被ったクリシュナは当代最強の戦士を前に朗らかに笑ったという。軍の本陣にいるというのに鎧も纏わず、その手に横笛だけを持った丸腰の姿。戦場にいるとはいえ、このような相手と戦うのはアダルマであったが、ドリタラーシュトラは構わず剛腕を奮った。
数多の戦士を即死させてきた覇王の一撃。それを、クリシュナは右手の人差し指だけで受け止めたとされる。これが神話的な表現であることは間違いないが、何かしらの方法で攻撃を防いだのだろう。
ここから続くドリタラーシュトラの猛攻は本陣を壊滅させ、嵐のように周りの敵兵をも巻き込んだ。雷鳴のような音を発しながら剣を、拳を、蹴りを繰り出す覇王。対する美貌の化身はひらひらと蝶のような動きで致死であるべき攻撃を手のひらや指先で止めていた。なお、この雷鳴のような音をソニックブームだとする説があるが、詩的な表現だというのが一般的な解釈である。
二人の王の死の舞踏は、周りの戦いがおおよそ終わるまで続いた。クンターラ軍は最後の一兵まで戦い果て、結果はクル王国軍の勝利であった。前述したとおり圧勝ではなく、二万人の戦死者の中にはクル王族の長老陣も数人含まれていた。
「ようやく終わったかー。お疲れ様、ドリタラーシュトラ! もういいよ」
「二度とその顔を見せるな!」
マハーバーラタ原文における王たちのやり取りはニュアンスが難しい。今回は遊び心をもって最新の邦訳である「アニメで見たい!二次元的マハーバーラタ」を引用したが、是非他の訳と比べてみてほしい。それぞれの翻訳者のクリシュナ像が窺えることだろう。
ドリタラーシュトラの最後の一撃は、敵の美しすぎる顔面への右ストレートであったとされている。不思議な力がなければ化身とて人間でしかない。クリシュナの頭部はその一撃で弾け飛び、続いた回し蹴りで胴体が分たれた。言うまでもなく、あの夢の再現であった。
クリシュナが倒れ王都を守る軍が全滅した直後、クンターラ王国は全面降伏を申し出た。盲目覇王がこれを受け入れ、血塗られた第六次大遠征は幕を閉じたのである。
とあるカルデアにて
カルデアの英霊であるカルナ、ビーマ、アルジュナの三名はそれぞれ異なる神を父にもつ異父兄弟である。マハーバーラタに語られるこの血縁関係を彼らが知ったのは、七回の大遠征を経て古代インド統一が成った後であった。
きっかけは、王の養子でありながら三十路になっても未婚のカルナに宰相ヴィドゥラが見合いを手配したことだった。相手はさる同盟国の第三王女。気が強く高い教養で知られた姫は、いつまでも名ばかりアンガ領主のカルナを支えるための人選であった。しかし見合いの席で、その姫は甘やかされた末姫の一面を見せてしまったのである。
「どこの馬の骨の血筋かもわからないスータに嫁ぎたくありません」
この爆弾発言に同盟国の王は青くなり、王妃は卒倒した。彼らの向かいにカルナの「親」として座っていたドリタラーシュトラとガーンダーリーは一瞬の沈黙の後、カルナを促して立ち上がり、見合いはその場で破談となった。
姫の発言は愚かな子供の戯言として処理され、クルの同盟国が一つ減ることはなかった。しかしかの国の王族に縁談話が来ることは二度となかったため、次代の王には百王子の七十三男が任命されたという。
それはさておき、カルナの嫁探しは難航した。王の養子なうえに大変な美形で、王国で五指に入る戦士であることや名ばかりとはいえアンガの領主であることなど、一見超優良物件なのだが、いかんせん元スータである。由緒ある王族ほど理由をつけて断り、それならと紹介されたクル族の令嬢はカルナの難解な言葉選びに泣き出してしまう。五人目の令嬢を泣かせた時点で、カルナ本人がドリタラーシュトラにもう見合いはいいと言い出すほどの難航ぶりであった。
困ったドリタラーシュトラはもう一人の弟パーンドゥとその妻二人に相談した。五人の息子に共通の嫁を取らせてしまうような弟夫婦に相談するほど悩んでいたのだ。
「解せぬ。カルナの何が不満だというのか」
「兄上、いっそ美しいスータの娘らと交流させ、カルナが好いた者と一緒にさせては?」
「すでにアディラタに手配させたが、
しーんと沈黙が部屋に降り、ドリタラーシュトラが太い腕を組んで項垂れる。
「ここだけの話だが」
「「「はい、けっして他言いたしません」」」
「カルナは半神である。おそらく、父親はスーリヤ神」
「えっ」
夫から安全な距離をとって座っているクンティーから小さく声が上がった。どうしたのかとパーンドゥとマードリーが問うと、彼女は青白い顔で唇を噛んだ。
「クンティー殿、どうしたのだ」
盲目覇王の圧に耐えられるものは戦士でもそうはいない。白んだ瞳を向けられたクンティーは震えあがって声を絞り出した。
「実は……」
かくしてカルナの生誕の秘密が明らかになったわけだが、王弟の妻クンティーの名誉のため公にはせず、クル王家内にのみ共有することとなり、話は振り出しに戻ってしまった。カルナの嫁取りはこの先もドリタラーシュトラを悩ませるのだが、生前からカルデアでの召喚後に至るまで、この異父兄弟の関係は別の問題を引き起こしていた。
「ドゥリーヨダナ、いい加減オルタに弟攻撃すんのやめろ!」
「わし様はお前ら全員の偉大なる兄(概念)! 弟(概念)を弟と呼んで何が悪い!」
「
「わし様の弟でもある、というのが理解できんのか? これだから森育ちは! それになぁ、オルタはこの間、父上を「とうさま」と呼んだぞ。カルナと同じく父上の養子になったと言えよう!」
ふふん、と同じ目線の高さから器用に見下ろすドゥリーヨダナ。対するビーマはぐぬぬと眼光を強くしたが、ハッと何か思いついた顔で言い放った。
「オルタがテメェの弟(概念)だってんなら、カルナは俺らの兄上(本物)だ。そーゆーことでいいんだな?」
「何だとぅ!? カルナはわし様の大親友にして可愛い弟である。パーンダヴァには渡さーん!」
このように言い合うのは主にドゥリーヨダナとビーマだが、アルジュナが参戦する時もあれば、渦中のアルジュナ・オルタが目をぐるぐるさせて「些事、匙、スプーン?」と混乱することもあった。酷い時はカルナが混ざって「俺はどちらでもない」と言い放ち、ドゥリーヨダナは鎮静化するもビーマとアルジュナはショックで固まるということもあった。なお、彼の真意は「皆に兄弟と呼んでもらえて嬉しいですが、私自身は第一にアディラタとラーダーの息子だと思っているので、そんな風に争わないでください」であったりした。
今日も言い合った挙句シミュレーション室で決闘もどきを始めた人悪の英雄と風神の子に、マスターである藤丸は苦笑いを浮かべて隣に立つ巌のような男に話しかけた。
「覇王様的にはどうなんですか? 本当にオルタを養子にしちゃうつもりなんです?」
「ふっ、もとより全員、俺の愛する家族である」
「あー駄目だ、この人こういう人だった」
少し恨みがましい独り言をこぼした藤丸に、盲目覇王は低い笑い声を響かせた。ほぼ本気でぶつかり合う長男と甥を見守るその横顔は、厳しくともとても優しいものだった。
後書き
第六次大遠征が終わりました。残るは最南端の数カ国のみ。このシリーズもついに終盤です。
クリシュナは仕事が終わるまで無敵がかかっている状態でした。
クンターラ軍が全滅してノルマに到達したので、さっさと退場してもう出てきません。
カルデアでの話はどこかで出したいと思っていたカルナの母親バレに触れてみたり。
主人公は未婚の十代前半の子が赤ちゃんを育てられなかったことを理解してるけど、わざわざ白状させるように仕向けた程度にはカルナ贔屓です。
ついにアシュヴァッターマンを出せる……プロット上の登場予定キャラは彼でラストです。
コメント、ブクマ等大変嬉しいです!ありがとうございます!
【2026.2.28まで】 本シリーズについて、今後の更新の需要確認にご協力願います。ここにないネタの希望はメッセージ(コメント欄は不可)でアンケート〆まで受け付けます。パロ・Ifの分岐ルート・番外の続き等、何でもOKですが、レーティングはR15まで(R18は不可)、キャラ死亡はパロかIFのみでお願いします。 ★重要★あくまで需要の確認です。必ず書くとお約束できないことをご了承願います。
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