一分でわかる古代インド:盲目覇王ドリタラーシュトラ その33
第七次大遠征の唯一の攻略対象国ランカーはインド最南端から少しの距離に浮かぶ島国である。現代ではスリランカと呼ばれる美しき島。マハーバーラタにおいては、羅刹の王族が人間を支配する特異な国であった。
鎖国していたカルナータ同様、こちらは島国特有の選民思考を持ち、しかし支配階級の羅刹が国民を虐げることなく共存を果たした海洋国家。ランカーの長い歴史の中で外敵による侵略を許したのは、コサラ王ラーマが風神ヴァーユの子・ハヌマーンと共に妻シータを奪還しにきた一度のみであったという。
シータを攫った魔王ラーヴァナの後にランカー王となった善なる羅刹ヴィビーシャナの子孫による統治はすでに三千年に及んでいた。このためランカーでは羅刹が王であることに疑問を持つものはおらず、社会の停滞をそれと気づかぬほどの平穏が続いていた。
クル王国の宰相ヴィドゥラから盲目覇王に降るよう通達する文書が届いた時、ランカー王は大笑いしながら、それを肴に美酒を啜ったとされる。彼は当然、インド本土における盲目覇王の進撃を知っていた。そのうえでヴィシュヌの化身でも神の子でもない盲いた人間が己を脅かすとは思っていなかったのだ。
南インドの温暖な冬が過ぎ、春が芽吹き始めた頃。クル王国軍は大陸の最南端に陣を敷き、ランカー島に渡航すべく船団の用意に入った。巨大な島を目視できるとはいえ、ラーマ王が渡ったという珊瑚礁と小島の橋立は五万の軍勢が渡れるようなものではなく、泳いで渡るには距離がありすぎた。一部の英雄は泳いでも問題なかっただろうというのは詮なきことである。
陣を敷いたその日、ドリタラーシュトラは浜辺に立ち、第三の目をランカー国に向けた。
「陛下、何か見えるのですか?」
「アシュヴァッターマン」
覇王は本陣に詰める戦士の中で最年少のアシュヴァッターマンに特に目をかけていた。それは息子たちの武芸の師であるドローナへの配慮であったかもしれないし、アシュヴァッターマン本人の類まれな才能への期待であったかもしれない。この時も、彼は年若いバラモンだけを伴っていた。
「明日、ランカーから使者が来る。同盟締結の招待を携えてな」
「そんなことまでわかるのですか!? 陛下は本当に未来を見つめておられるのですね!」
このようにアシュヴァッターマンは盲目覇王に大変憧れており、原文では「瞳に炎の煌めきを宿して王を見つめた」などの詩的な表現が多用されている。現代風に喩えるとキラキラした目をしていたのだろう。
「同盟を締結したら、戦わないのですよね」
「そうなるな」
「……少し残念です。陛下とともに戦場を駆けてみたかったので」
流石に不謹慎だと自覚したのか、アシュヴァッターマンが黙り込む。ドリタラーシュトラはいまだランカー島を見つめたまま、微かに口角を上げた。
「喜べ、うぬの願いは叶う」
この言葉は波音に紛れたのか、これ以降の会話は記されていない。翌朝、千里眼が見通したとおりランカー国から一隻の船が海を渡ってきたのだった。
一分でわかる古代インド:盲目覇王ドリタラーシュトラ その34
ランカー国の使者は物腰穏やかな若い羅刹であった。第二王子だと名乗った彼は、有事以外でお互い関与しない同盟であれば受け入れるというランカー王の意向を伝えにきたという。また、この申し出を受けるのであれば、誠意の証としてドリタラーシュトラと側近数名のみが島にわたり、正式な文書に署名することを求めた。これにはクル王家の上層陣が即座に反発したため、二日間の検討期間が設けられることになった。
「ランカ―の連中め、ふざけおって!」
「そうなのか」
「あのなぁ、カルナ、羅刹どもは父上に要望を突きつけ、それが受け入れられる前提でことを運んでいるのだぞ。我らを下に見た態度に腹が立つ! 用向きが同盟の申し入れでなければ、即開戦しておるわ!」
「陛下はどうされると思う? 旦那」
「そりゃあ受け入れるだろう。父上は相手が同盟したいというのなら、話ぐらい聞いてやるだろうし、その条件が許容範囲であればその場で署名されるはずだ。ぐぬぬ、それが一番良いとわかっていてもムカつくわ!」
地団駄を踏みそうな不機嫌なドゥリーヨダナ、よくわかっていなさそうなカルナ、少し残念がっているアシュヴァッターマン。三者三様の会話からは、ドゥリーヨダナの人悪の英雄ではなく王太子としての一面が伺える。特に彼のファンにはマハーバーラタ中盤の御前試合あたりの人物描写と比べてみてほしい。愛すべき悪ガキのちょっとした成長が感じられるはずである。
クル王家内での論議の結果、ドリタラーシュトラと彼が選んだ十名が島へと渡ることになった。そのメンバーにはドゥリーヨダナ、カルナ、アシュヴァッターマンも含まれており、他にはパーンダヴァの社交担当ナクラと長老数名が名を連ねた。公式な訪問団として王族貴族バラモンだけで固めたのだとされている。
クル王国の訪問団は、王の装いで威風堂々とした丸腰のドリタラーシュトラ、その護衛を任じられたカルナとアシュヴァッターマンが通常の武装、他の面々は外交用の正装に護身用の剣や短剣を装備してランカー側の船に乗り込んだ。羅刹の王子は終始微笑みを浮かべていたという。
ランカー王国で一行はそれなりの歓待を受け、白亜の王宮へと案内された。王宮内は羅刹ばかりであったが物々しくはなく、歓迎の宴の用意があることと、調印式は翌朝であることが伝えられる。寡黙なドリタラーシュトラの代わりにナクラがニコニコと受け答えする様子は、まるで現代の外交を見ているようで興味深い。
その夜の宴では麗しい娘たちが演奏に合わせて舞い踊り、香り高い色とりどりの料理が振る舞われた。特に肉料理はスパイスをたっぷり使った豪華なものであった。ランカー国王による仰々しい挨拶が終わり、食事をどうぞと勧められたところで、王に並んで上座に座したドリタラーシュトラは美しく盛り付けられた料理の数々に盲いた目を細め、こう言ったという。
「我らに人を喰う風習はない。また、うぬらに喰われる心づもりもない」
その低い声に会場は静まり返った。肉料理の皿を確認したナクラが小さな手をつまみあげ、無表情で周りに見せる。同時に、長老の一人が口に運ぼうしていた匙の中に女性特有の部位らしきものを認めて放り投げ、すでに肉を口に含んでしまっていた一人は青い顔で盛大に吐き出した。
羅刹の王はその様子に大声で笑ったという。周りの王族貴族も同様であった。
ヤクシャと同じく羅刹の主食は人肉である。人と共存してきたランカーの王族たちが常に人喰いをしていたかどうかは様々な説があるが、この宴で振る舞われた肉はすべて大陸側から攫ってきた人間を調理したものであったとされている。さらにクル王国の一行を毒牙にかけるべく食事に大量の薬物が混入されていた。第三の目をもつ王が真実を見通していなければ、彼らは薬で眠らされ喰われるところであったのだ。
「盲人が美味い美味いと食うのを期待していたのにバレてしまうとは、残念だ! つまらん、つまらんなぁ。酒の肴にもならんお客人にはお引き取り願おうか!」
同盟を望むと見せかけての騙し討ち。正式な外交においての偽り、毒物混入、極めつけにタブー中のタブーである人肉食。ギリシア神話における愚王タルタロスと神々の晩餐を彷彿とさせる、マハーバーラタ最悪のアダルマであった。この事態に眉ひとつ動かさない盲目覇王と殺気立つ訪問団の面々。羅刹の王は一触即発の宴の会場をゆるりと見回しーー
柏手のように一つ手を叩いた。
ランカ―国では遥か昔、ヴィシュヌ神の化身ラーマにより魔王ラーヴァナが倒され、ラーマの協力者であった善なる羅刹ヴィビーシャナが王位についた。この時、ヴィビーシャナはヴィシュヌ神からある恩恵を与えられたとされている。招かれざる相手を一度だけ島外に追い出すことができるという恩恵。それはヴィビーシャナから彼の子孫へと脈々と受け継がれていたのだった。
不可思議な力によってランカー島を追い出されたドリタラーシュトラ達は、気づけば大陸側の浜辺に立っていた。誰も欠けることなく、身に着けていた物も含めての転移であった。
「……っけんじゃねえぞ!!」
最初に怒声をあげたのはアシュヴァッターマンであった。護衛として覇王の近くにいた彼は、ランカ―国王が口にした侮辱をすべて聞いていた。カルナが肩をつかんで止めなければ、その場で無礼者の首を撥ねていただろう。若きバラモンは砂をめちゃくちゃに蹴り上げた後、水平線に浮かぶランカー島を睨みつけ、赤黒い怒気を発したという。
他の者たちの視線は、千里眼をランカー島に向けて沈黙しているドリタラーシュトラに向けられていた。美しい細工がされた金属の酒器を手にしたままこの場に飛ばされた男は、ややあって器を掲げ、傾けた。
海風に強い酒精の香りが混じる。盲目覇王は空になった酒器を右手に遊ばせ、幼い頃に鉄塊でしていたように、手のひらと指で潰して捏ねた。宝石で飾られていた器は、ランカー島を思わせる形に整えられ、そして大きな手に握りつぶされた。
「ドゥリーヨダナ、船の手配を急がせよ」
「承知いたしました」
「ナクラ、ビーマを連れてまいれ。風神ヴァーユに供物を捧げ、航海の追い風を乞うのだ」
「はい、伯父上」
「アシュヴァッターマン」
「はいっ」
「その怒りは戦場まで取っておけ。俺もそうする」
これ以上なく侮れられたドリタラーシュトラの内心は溶けた鉄のようであったとされる。それは時間と共に冷たく固まり、刃となってランカー国王の首元に添えられることになる。
マンナールの海戦からのランカー上陸戦。盲目覇王の唯一の海戦と泥沼と呼ばれた最長の戦いの幕が開けようとしていた。
とあるカルデアにて
人悪の英雄ドゥリーヨダナは子供のサーヴァントに大人気である。
さすが百一人兄妹の長男というべきか、彼はいい意味で年下に遠慮がなく同じ目線で触れ合うことができた。ゲームで子供相手に圧勝することにも、おいたをした子供を大人気ないほど叱る時も、シミュレータ内の花畑や砂浜で一緒に草まみれ砂まみれになって遊ぶ時も躊躇がない。普段は洒落たシャワルニ姿で髪の一筋までセットしている色男であるため、そのギャップにドキッとするものがいるほどであった。
悪い笑みが誰より似合う男は、馴染みのサーヴァントであるナーサリー・ライムとジャック・ザ・リッパーに誘われシミュレータの花畑にやってきていた。
「ドゥリーヨダナおじさま、とってもお上手ね!」
「んっふっふー、そうであろう? 見る目があるお前にこれをくれてやろう」
「ありがとう!」
「ナーサリーいいなぁ、おじさん、私にもちょうだい!」
「ちゃんと作ってやるから、ここに座って待っておれ」
「おじさん太腿ふっといね!」
「筋肉だ、筋肉」
キャイキャイ懐く女児二人を侍らせていても全くやましい空気がない。ナーサリー・ライムの頭に花冠を乗せてやったドゥリーヨダナは、垂れた紅紫の瞳を伏せて器用に葉と茎を編み、右膝に座らせたジャックが手元を覗き込むのを邪魔だ邪魔だと言いつつ好きにさせていた。
「ドゥリーヨダナ、ここにおったか」
「父上!」
低い声に呼ばれた男がジャックを膝から下ろそうとすると、同じ声がそれを制した。
「そのままでよい。花冠か、懐かしい」
「よく母上に作って差し上げました。ドゥフシャラーにもねだられて、千は作った気がします」
ドリタラーシュトラが息子の向かいに腰を下ろすと、すぐさまナーサリー・ライムがその隣にちんまりと座った。巌のような覇王と比べると小人のようだ。
「覇王さま、おじさまが作ってくださったの。可愛いでしょう?」
「うむ、よく似合っておる」
盲目である男は白茶色の瞳をさまよわせ、目的の光景を見つけて目を細めた。第三の目、いわゆる千里眼で少女の姿を確かめたのだ。嬉しそうにころころ笑ったナーサリー・ライムが「覇王さまには私が作ってあげる!」と花をいじり始める。ドリタラーシュトラは僅かに口元を緩ませた。
「ふふん、できたぞ! ジャック、ありがたく受け取れーい」
「わあ、可愛い! ありがとう!」
紅白の花に薄緑の葉を交えた花冠を頭に乗せられた子供がぎゅっとドゥリーヨダナの太い首に抱きつき、上機嫌で友達のそばに行って腰を下ろす。どうやら彼女もドリタラーシュトラに花冠を作るようだった。
シミュレータが作ったまやかしとはいえ、古代インドの花畑は甘い香りが漂う楽園だ。生前のほとんどを王宮か戦場で過ごしたクル族の親子にとっていっそ新鮮であるほどに。ドゥリーヨダナはふと見慣れた薄紅の花を見つけ、ひとつ手折って太陽にかざした。それはまだ結婚したばかりの頃、幼い妻をからかって泣かせた後のご機嫌取りの花であった。
数年で美しい女に成長した妻を思うと、連想で双子の子供たちも脳裏に浮かぶ。妻バーヌマティーと双子のラクシュマン・クマラとラクシュマニー。共に過ごしたのは何千年も前だというのに、英霊となった今、妻の側で子らの成長を見守ったのが昨日のことのように感じた。
「英霊の身は儘ならぬな」
懐かしい思考に沈んでいたドゥリーヨダナは父王の言葉にぱちと瞬いた。目が合うことはないが、見られているとわかっていた。
「わし様の心が見えましたか」
「いや、
「いやいや、父上だからおわかりになるのでしょう」
気安いやり取りが途切れると、ドリタラーシュトラはまた千里眼を巡らせて言った。
「聖杯に願ってみてはどうか」
「そういう提案をされるあたり、父上も属性・悪ですな。ふっふっふ、わし様、次の限界突破が楽しみになりました」
ドゥリーヨダナは周回で重宝されており、すでに聖杯による強化を何回も受けている。マスターが次の聖杯の話をしていたのを思い出した彼は悪い笑みを浮かべた。盲目覇王はいつもの厳しい表情だが、実際はしたり顔だ。全く姿が似ていない親子であるが、今この時の雰囲気はそっくりだと目撃者である二人の少女は目を合わせて肩をすくめたのだった。
後書き
ランカー島はラーマヤーナでシータを攫った魔王の国なので、そこから色々繋げてみました。
ヴィシュヌ神の恩恵は捏造です。
発想は原典マハバでドゥフシャラーの夫だった男がクルクシェートラで使ったシヴァ神の恩恵から。
宴のくだりはグロくしないように気をつけましたが、やっぱりグロい。苦手な方は申し訳ありません。
カルデアでの一幕はよく見る子供に優しいわし様、覇王を添えて。
この後は聖杯をくすねた英雄親子による家族再会系トンチキイベントが発生するかも。
コメント、ブクマ等大変嬉しいです!ありがとうございます!
【2026.2.28まで】 本シリーズについて、今後の更新の需要確認にご協力願います。ここにないネタの希望はメッセージ(コメント欄は不可)でアンケート〆まで受け付けます。パロ・Ifの分岐ルート・番外の続き等、何でもOKですが、レーティングはR15まで(R18は不可)、キャラ死亡はパロかIFのみでお願いします。 ★重要★あくまで需要の確認です。必ず書くとお約束できないことをご了承願います。
-
長兄以外の百王子から見た父王
-
パーンダヴァの誰かから見た伯父王
-
敵国から見た盲目覇王
-
現パロの盲目覇王一家
-
第4次聖杯戦争の盲目覇王
-
第5次聖杯戦争の盲目覇王
-
オリジナル聖杯戦争の盲目覇王
-
百王子やパーンダヴァの子の話(孫世代)
-
ビーマとヒディンバーの話
-
FGOの実在イベントへの参加
-
マハバ三大美女に関する掲示板
-
人類史上最強に関する掲示板
-
治安維持部隊長アシュヴァッターマン
-
ビーシュマやドローナの掘り下げ
-
クンティーとカルナの話
-
パーンダヴァ長兄()カルナの話
-
授かりたくないアルジュナの話
-
ビーマの料理関係の話
-
戦場の殺伐としたエピソード