一分でわかる古代インド:盲目覇王ドリタラーシュトラ その3
前述したとおり、ドリタラーシュトラと弟達との関係は良好であった。しかし兄弟の絆が試された出来事はいくつか存在する。パーンドゥが隠者を殺した償いのため森に隠遁したことの顛末や、御者の子カルナに王族との武芸対決を許したことによるヴィドゥラとの一幕は有名である。
しかし最も後世に語られ、盲目覇王の父性愛の証とされるエピソードは、百王子長兄スヨーダナ(後のドゥリーヨダナ)の生誕だろう。
ドリタラーシュトラの妻ガーンダーリーには百人の息子に恵まれるという予言があった。彼女は二年という長い妊娠期間の末、巨大な肉塊を産み落とし、聖仙ヴィサーヤの助言によりそれを百一の肉片に分けてギーで満たした壺の中で大切に育てた。ドリタラーシュトラも時間が許すかぎり壺が安置されている部屋を訪れ、一つずつに声をかけた。彼らは不可思議な生まれの子供達を確かに愛していたのである。
数ヶ月後、長男スヨーダナが壺から出てきた、その時。王宮で飼っている犬が一斉に鳴いた。
古代インドにおいて、肉食獣の鳴き声は凶兆だと信じられていた。スヨーダナ誕生時に犬の声が響き渡ったのは、のちに見られる彼の悪性の予兆であったのかもしれない。たとえそうでなかったとしても、信心深い長老たちと彼らの訴えを受けたヴィドゥラにとって由々しき事態であっただろう。
宰相ヴィドゥラは愛する兄と一族のためを思い、心を鬼にして忠言を行なった。その子は凶兆の申し子に違いない、捨ててしまうのがいいでしょう、と。そしてその結果、激怒した兄の一撃で歯の半分を失うことになった。
ドリタラーシュトラの攻撃を受けて生き残った者は、彼の伝説において三名のみである。そのうちの一人がヴィドゥラであった。
若き王はスヨーダナに関して誰の忠告も聞くことがなかった。次々と壺から出てきた弟妹達と分け隔てなく愛し、良き父として彼を導いた。後に百王子を率いて敵国に甚大な被害をもたらす人悪の英雄ドゥリーヨダナの生は、偉大な父王の愛情によって許されたのである。
一分でわかる古代インド:盲目覇王ドリタラーシュトラ その4
前回ドリタラーシュトラとヴィドゥラのエピソードを取り上げたからには、もう一人の弟パーンドゥについても触れるべきだろう。
貴公子パーンドゥは実に王族らしい青年であった。二人の美しい妻たちとの優雅な生活は、ガーンダーリーと仲睦まじくしながらも質実剛健な兄の暮らしぶりと対照的だったという。そんなパーンドゥの趣味は狩猟。特に得意とする弓を使った狩りを好んでいた。
ある日、パーンドゥは森で交尾中の鹿をみつけ、ちょっとした残虐さから牡鹿を射殺した。彼の不幸は、その牡鹿が隠者キンダマが変化した姿であったことだ。ちなみに雌鹿はキンダマの妻が変化した姿であった。なぜ隠者夫婦が鹿の姿でお楽しみだったのかだとか、夫の名前がおかしくないかといった指摘は尽きないが、このエピソードで重要なのは死にゆく隠者がパーンドゥにある呪いをかけたことだ。
すなわち、女性に触れたら死ぬ呪い。
恐ろしい呪いをかけられたパーンドゥは、すぐさま兄弟に相談した。兄ドリタラーシュトラは罪を償うため森での苦行を提案し、弟ヴィドゥラは兄嫁クンティーの噂を共有した。クンティーは少女時代に聖仙から「神を呼び出してその子を授かることができる」というマントラを教わっており、彼女の力を借りて神の子を養子にすればいいと助言されたパーンドゥは、妻達を伴って王宮近くの森に移り住んだのだった。
苦行のため王宮を出たとはいえ、すぐ近くに住まう兄弟同士、ドリタラーシュトラは戦の合間を縫ってパーンドゥのもとをよく訪れた。森で生まれた半神の甥達を可愛がり、か弱い義妹達が体を壊さないよう気を配っていたのは、彼の家族愛の表れであった。そして、その愛こそが、第三の目で弟の危機を察して駆けつけた兄王の痛烈な一撃に繋がった。
誘惑に屈してマードリーに触れる直前で蹴り上げられたパーンドゥは空高く舞い、落下した時には男性機能を失っていたという。彼こそが盲目覇王の攻撃を受けて生き残った三人のうちの二人目であった。
とある転生者のモノローグ
転生して王様になって周辺国に戦争を仕掛けるようになってもうすぐ二年。
二年の間にパーンドゥが馬鹿やらかして呪われて奥さん達と森で暮らすようになり、俺は俺でガーンダーリーの出産までに切りがいいところまで周辺国を落としておこうと戦争に精を出していた。
戦場で千里眼を使うという横着をしてガーンダーリーが肉塊を産んだのを見た時は、アカシック何ちゃらでネタバレしていたとはいえ不安に駆られ、目の前にいた敵国の王子を掴んで王/子にしてしまった。その後マッハで前進して相手側の王宮に攻め入り、国王のじーさんもじー/さんにして終戦した。ちなみに文字通りマッハだったので、置いてけぼりになったビーシュマ伯父上たちにめっちゃ物申された。
かくして帰還した俺の前には、いい匂いがする壺が百一個と出産したばかりなのにキラキラしている超美人な奥さん。聞いたら俺の遺伝子提供者のおっさんが不思議な力で回復させてくれたとのこと。心の中で「ありがとう父ちゃん」と言っておいた。
その後も戦争したりガーンダーリーとイチャイチャしたりしてたら時が過ぎ、ついに長男が生まれた。ちょうど俺だけが壺の様子を見ていた時に、手前の壺が割れて赤ちゃんが出てきたんだ。ギーでベタベタの息子は顔を真っ赤にして大泣きしていて。それさえはちゃめちゃに可愛くて、俺は脳内ネットワークの動画で予習しまくった抱っこを実践しながら、ガーンダーリーの元へと急いだのだった。
可愛い可愛いスヨーダナ。産湯で綺麗にされて王子様らしい豪華なおくるみに包まれた我が子と、その子を抱いて幸せな顔をしている愛しい妻。転生してよかったと心から思った。
それなのに、それなのにだ。
よりによってお前が水を刺すのか、ヴィドゥラ!
しまったと思ったのは、弟を殴り飛ばした後だった。それなりに大柄なヴィドゥラが石床にワンバウンドしてゴロゴロ転がる。一緒に俺に詰め寄っていた長老達が情けない悲鳴をあげている。うるさい。そんなことより俺の弟は生きてるか?
「ヴィドゥラ」
「グッ、うぅう……、兄上、その子は我が国を滅ぼすカリ・ユガの化身です! 不吉の子なのです!」
良かった、口血だらけだけど生きてる。一瞬の怒りで弟を殺すなんて嫌だからな。とはいえ、お前が言ってることは許せん。長老連中に頼まれたんだと思うけど、犬が鳴いたから赤ちゃんを捨てろとか、お前正気か!? 俺の息子だぞ! お前の甥っ子だぞ! あーくそっ腹が立つ。ビリビリ空気が揺れてるのは俺の怒気か。
「誰が何と言おうとスヨーダナは我が嫡男、この国の跡継ぎである」
「兄上っ」
ここまで言ってもわかんないのか。空気読めよ、お前賢いだろうが!
「もう黙れ。うぬが弟でなくば殺しているところだぞ」
こんなこと言わせるなよ。戦場じゃないんだぞ。自分ちで弟や親戚の爺さんらに死刑予告とか地獄かよ。悲しそうなヴィドゥラに俺の方が泣きたいわと思いながら、無言で背を向けた。
その後しばらく奥さんに甘えたりスヨーダナをあやしたり戦争したり、出陣以外は私室にこもりがちになった俺に、ヴィドゥラの方が根負けした。一人で部屋にやってきた弟は、右頬が紫に腫れ上がって歯が盛大に抜けた愉快な顔をしていた。
「兄上、前言を撤回致します。申し訳ございませんでした」
「ほう、何故手のひらを返した?」
「……たとえスヨーダナが凶兆の申し子であっても、兄上がおられる限り問題ないと気づいたのです」
うちの子はそんなんじゃないが、弟が脅威じゃないと判断したのなら願ったりだ。ガーンダーリーに膝枕してもらいながらスヨーダナを胸板に乗せている俺がもう怒っていないと伝わったのか、ヴィドゥラは深く礼をしてから去っていった。
「仲直りできてよかったですね、旦那様」
「喧嘩などしておらん」
「うふふ、そうでしたか」
スヨーダナに食まれて涎まみれになった手をおくるみで拭っている俺に、ガーンダーリーが暖かい声をかけてくれた。心配させたかな、ごめん。
「明日はまた出陣なさるのですか?」
「ヴィドゥラが落ち着いたので遠征に出る」
外敵と戦い、新しい領土や属国の統治に各派閥の力を割いて、内輪で争うどころじゃなくさせる。俺がしているのはそういうことだ。覇王と呼びたきゃ呼べばいい。子供が全員生まれるまでに向こう五国は落としておきたいな。
あー、遠征前にパーンドゥの様子を見ておこう。あいつが誘惑に負けるのはまだ先のはずだけど、マハーバーラタどおりに進むとは限らない。ユディシュティラは元気かな。そろそろビーマが生まれているのか。
ガーンダーリーの細い指先に撫でられてどんどん眠くなる。膝枕のままじゃ足が痺れちゃうよな。少しずらしてベッドに転がって、と。スヨーダナは奥さんにパスだ。ずっとおしゃぶりにされていた小指がふやけてる。鉄さえ捏ねる指先なのに、すごいな。
スヨーダナ、父さん明日からまた頑張って戦争するからな。母さんと元気に待っているんだぞ。
後書き
心の声をラ○ウそっくりさんが出していると思うと書いててちょっと吹きました。
今回は弟達とのエピソードと長男誕生まで。
次回は戦争中心です。
コメント、ブクマ等とても嬉しいです。ありがとうございます!
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