一分でわかる古代インド:盲目覇王ドリタラーシュトラ その5
ここまでドリタラーシュトラの経歴や家族愛について語ってきたが、やはり王を語るにあたって最も鮮やかなのは戦争のエピソードだろう。彼が関わった二百二十四の戦争。今回はその中から、第一次大遠征の初戦、盲目覇王の初陣をピックアップして紹介する。
王位継承に続いてガーンダーリーと婚儀を結び、平和な統治を始めると思われたドリタラーシュトラは、妻が妊娠してしばらくすると伯父ビーシュマに開戦の意向を伝えた。戦支度の期間は極短く、クル族ゆかりの戦士のみからなる歩兵及び戦車隊は総数一万人。後の遠征や大合戦に比べると大変小規模な編成であった。
隠者の呪いを受け森で暮らすようになっていた王弟パーンドゥは不参加。もう一人の弟ヴィドゥラは国王不在時の国の代表として王都に残った。ドリタラーシュトラは全軍の先頭に立ち、その恐ろしい気迫と戦意でもって兵たちを鼓舞したという。
かくして王都ハスティナ―プラを出立したクル王国軍は、ドリタラーシュトラ率いる百名ほどの精鋭部隊が先陣を切るかたちで隣国クリンダに攻め込んだ。クル国はインド北部に位置しており、北にはクリンダ国、ウシナラ国、さらに先はヒマラヤ山脈が壁のようにそびえたつ。ドリタラーシュトラは手始めの征服先として、山に阻まれて逃げ道がない二国を選んだのだ。
クリンダ国への通達はクル王国軍襲来の一日前に行われた。これは当時の常識では考えられない無配慮な行為であったが、奇襲や夜襲はアダルマである、裏を返せばそれ以外はアダルマではないという屁理屈によってまかり通った。ビーシュマをはじめ長老たちが攻撃を遅らせるよう進言した時、若き王が返した言葉がこちらである。
「そう言って、嵐や地震は止まってくれるのか?」
自らを災害になぞらえたドリタラーシュトラ。古代インドの全てを戦火にくべた盲目覇王は、敵国から悪魔の化身やカリ・ユガの前触れ、災害の体現者と呼ばれた。しかし初めにそう呼んだのは、彼自身であったのだ。
このやり取りの直後、ドリタラーシュトラは精鋭部隊とともにクリンダ国の国境を越えた。かろうじて王都から開戦の情報伝達が間に合った町や村から戦士たちが迎え撃ったが、瞬く間に全滅させられ、精鋭部隊の後からやってきた本隊は一度も戦う必要がなかったという。
クリンダ国は小国ながら熟練の戦士が多いことで知られ、クル王国軍と対峙した戦士たちは勇猛かつ強靭であった。しかし人外の膂力をもつドリタラーシュトラの前では木っ端に過ぎなかった。ある戦士は名乗り終えた瞬間に首をもぎ取られ、また別の戦士は真っ向から槍に貫かれた。盲目覇王の前ではいかなる鎧も意味をなさず、鎧ごと斬られた者ばかりであった。初陣のはずのドリタラーシュトラの活躍はすさまじく、クリンダ側の戦死者約八千人の半数が彼の手にかかったとする説があるほどだ。これは後世による誇張表現とはいえ、当時最強の戦士であったことは疑いようがない。
ドリタラーシュトラがクリンダ国王都を落としたのはハスティナープラ出立の二日後のことであった。最後まで抵抗したクリンダ国王の首を掲げ雄たけびを上げた若き王は、返り血で全身が赤く染まっていた。
一分でわかる古代インド:盲目覇王ドリタラーシュトラ その6
クリンダ国を二日間で蹂躙し王都を落としたドリタラーシュトラの次のターゲットは、徳高きシビ王の子孫が統治するウシナラ国であった。シビは鷹に追われる鳩を助けるために、自らの肉を切り取って与えようとした心優しき王として知られる。その名声を大切にして発展してきたウシナラ国の現国王もまた、先祖に似た心持の人物であった。
隣国クリンダの惨劇を耳にしたウシナラ王は、クル王国の宣戦布告を受けるなり、自ら王宮を出て遠征軍のもとを訪れた。この時、ウシナラ王は年老いた御者のみを連れ立っていたという。国王同士による会談の申し入れを、ドリタラーシュトラは受け入れた。
ウシナラ王はあくまで対話による解決を望んだ。これは心優しき王が弱かったのでも、自軍の力を信じていなかったわけでもなく、かつてシビ王を祝福したインドラ神が啓示を与えたが故であった。
盲目覇王の伝説において、神々が直接介入する場面はほとんどない。この他の神話では過剰なほど呪いや祝福を与えていることから、一部の神学者や歴史学者は神々がドリタラーシュトラに関わることを良しとしなかったのではないかと論じている。ドリタラーシュトラは弟パーンドゥのように呪いに見舞われることなく、甥であり授かりの英雄と呼ばれたアルジュナのように祝福を受けることもなかった。半神でも魔物でもない、人間の大英雄。それがドリタラーシュトラである。
ともあれ、王たちの会談は穏やかなまま終わった。ドリタラーシュトラはウシナラの属国化を受入れ、過剰な課税や便宜の強要をしないことを確約した。ウシナラは盲目覇王に降伏した最初の国家であった。
あっと言う間に二国を落としたドリタラーシュトラは、西北の小国パラタンガナへと進軍しこれを征服。続いてドゥルパダ王が統治するパンチャーラ国に迫り、瞬く間に王都を包囲した。通常ならパンチャーラはクリンダに助けを求めただろうが、隣国はすでに攻め落とされており、ドゥルパダ王は苦渋の決断を迫られたのだった。
このドゥルパダという人物は、ドリタラーシュトラ同様王位についたばかりの若き王であった。彼は少し前までさる聖仙のもとで教育を受けており、のちにドゥリーヨダナ達の武芸の師となるドローナの無二の友でもあった。身近にドローナという強者がいたドゥルパダ王は、ドリタラーシュトラの強さを正しく理解してしまい、大いに悩むことになったのだ。
しかし悩める王に強い言葉をかけるものがいた。彼の娘にして息子、両性具有のシカンディニーあるいはシカンディンだ。伝説ではシカンディンはかつてドリタラーシュトラの伯父ビーシュマが意図せず不幸にした女性アンバーの転生体であった。ビーシュマに復讐を誓った彼女は、苦行の末、ビーシュマの「女性の前では武器を手放す」という誓いを逆手に取る形で、男であり女でもある戦士に生まれ変わったのだ。シカンディンは前世の仇への恨みを募らせながら父王に詰め寄った。
「私は神々の祝福によりクル族最強の戦士を打ち倒すことができる。その戦士との一騎打ちで勝敗を決してほしい」
シカンディンの中ではビーシュマこそがクル王族最強の戦士であった。しかしその称号はすでにドリタラーシュトラのものであり、一騎打ちの場に現れたクル国王の姿に、幼い戦士は敗北を悟った。すでに一騎打ちの申し出は受けいれられ、この時点での降伏は戦士の恥。シカンディンの命運は尽きていたのだ。
幼い少女の姿をしたシカンディン。巌のような肉体を誇るドリタラーシュトラ。二人が武器を構えて対峙する様子は異様だっただろう。結果は火を見るよりも明らか。ドリタラーシュトラは一刀のもとにシカンディンを殺害した。立会人として見守っていたビーシュマは、静かに涙を流したという。
とあるカルデアにて
人理保障機関カルデアに「ヤバインド代表」と囁かれる大英雄がやってきたのは、世界が漂白されてしばらくたった頃だった。
巌のような巨体。短く刈られた黒髪に小麦色の肌、白みがかった茶色の瞳。整っているものの精悍すぎて恐ろしい強面。はち切れそうな黒いシャワルニと布をたっぷり使った同色のドウティを纏った男は、筋肉が隆起した太い腕を組んだポーズで現れた。深海魚の様な瞳が恐ろしかったことを覚えている。
盲目覇王ドリタラーシュトラ。
先にカルデアに召喚されていた人悪の英雄ドゥリーヨダナの父であり、施しの英雄カルナの三人目の「父」であり、風神の子ビーマと授かりの英雄アルジュナの伯父という大英雄家族といって差し支えない一族の長である。父王がやってきた時のドゥリーヨダナの喜びようは凄まじく、連日纏わりついていた。その様子をカルナは微笑ましげに、ビーマとアルジュナが忌々しげに見つめていた。後者二人はドゥリーヨダナが尊敬する伯父を独り占めするのが許せなかっただけだと後で発覚したわけだが、人類最後のマスター藤丸はヤバインドの内戦でカルデアが滅びるのではと割と本気で危惧していた。
ドリタラーシュトラたちクル王族の英雄は、マハーバーラタという古代インドの戦争史に登場する主要人物だ。ドリタラーシュトラはその主役である。クル王国が覇を唱えて古代インドを統一するまでの長大な物語は、他のインドの伝説とは異なり、神々がほとんど出てこない人間の戦争の記録であった。
「覇王さまはどうしてインド統一しようって思ったんだろう」
「それはマハーバーラタで明確にされていない。様々な説があるけど、折角だから本人に聞いてみるかい?」
「センシティブな内容ではないでしょうか」
「面白いことを話しておるな。父上が何故統一戦争をしたか? わし様もとーっても興味があるぞ!」
食堂で昼食のビリヤニを口に運びつつ藤丸が疑問を口にする。珍しく同席しているダ・ヴィンチが離れた席で一族に囲まれている巨漢を横目で示して応じると、マシュがチャイ片手に眉を下げた。そこに後ろを通りがかったドゥリーヨダナが割り込んで、一同はマスターの食事が終わるのを待って奥のテーブルに向かうことにした。
「おうマスター! よかったら隣座れよ」
「ありがと、ビーマ。今日のビリヤニ美味しかったよ」
「それは何よりだ」
「ダ・ヴィンチ、マシュ、オレはもう行く。かわりに座ると良い」
「私も午後から周回ですので、席をどうぞ」
「ありがとうございます、カルナさん、アルジュナさん」
「おや、カルナ、今日はドゥリーヨダナと別行動かい?」
「ああ、ガネーシャ神の部屋を掃除する」
「おいおいカールナー、あの食っちゃね神の世話などせんでよいではないか。アシュヴァッターマンも周回に行ってしまってつまらんぞー」
ドリタラーシュトラを囲んでわいわいと声が飛び交う。盲目の大英霊は顔が厳めしすぎて無表情なのか不機嫌なのかわかりずらいが、静かにマグカップに口をつけている。さっきマシュが飲んでいたものと同じビーマ特製のチャイだ。少女らが席につくと、覇王は低すぎて割れそうな声で藤丸に話しかけた。
「マスター、俺に用か?」
「はい、質問があってきました!」
「……答えよう」
実は藤丸はこの覇王と普通の会話をしたことがなかった。召喚時の挨拶と編成に入れた時の指示だしや相談。あとはドゥリーヨダナたちを交えての会話だが、ドリタラーシュトラは非常に言葉が少ないタイプでほとんど話していなかった。
「ありがとうございます! 覇王様はどうしてインドを統一しようと思ったんですか?」
「父上、わし様も知りたいです。最初の戦の時期的に、子ができたことに関係していると思っておりますが」
「伯父上は別に戦いが好きなわけじゃねーよな。血が高ぶったとか興が乗ったとか、そういうの一切見たことねえ。だから、何か明確な理由があると思ってたぜ」
マスターの問いに息子と甥が続く。ドリタラーシュトラは盲いた目をふと細め、少し考えているようだった。
「俺は戦を好んでおらん」
千里眼を持つという王はどこを見ているのだろう。藤丸がじっと聞いていると、雄々しい声がゆっくり言葉を紡いだ。
「子供らが生まれる少し前に未来を見た」
「それは、千里眼的な?」
「うむ。我が国が滅びる未来を見た。百人の息子が戦場に斃れ、多くの血族を失い、妻が子らの仇を呪っていた」
「お前くたばったのかよ、ドゥリーヨダナ。その戦場やべーな」
「ふんっ、わし様だけでなく貴様らもみーんなくたばったと思うが? 察するに父上はその未来を変えるべく遠征に踏み切ったのですか」
憎まれ口ばかり交わす同い年の従兄弟である二人の紫の瞳が覇王に向けられる。
「そうだ」
ドリタラーシュトラは淡々と答え、話は終わったとばかりチャイを飲む。その超然とした雰囲気に藤丸はほかに質問できず、ダ・ヴィンチとマシュとデザートを注文することで意識を切り替えた。
自国の未来のために他国すべてを呑み込んだ。寡黙な大英雄の決断が人類最後のマスターである己に重なるようで、マグカップを包む巨大な手と己の魔力不足の名残で黒ずんだ指先を無意識に比べたのだった。
後書き
今回出てきた国はマハーバーラタに登場する、ハスティナ―プラより北にある隣国です。
シカンディンはマハーバーラタ原典に出てくる、ビーシュマの死因になったアルジュナの御者。この話ではちびっこです。お父さんは子供が神に祝福された女→男だと知っていたので一騎打ちを許してしまいました。まさか最強違いとは…… 成り主は子供でも容赦しません。ちなみに妹のドラウパディーはまだ生まれてません。
ラストはどこかのカルデアでのお話。成り主はめちゃくちゃ口数が少ないし、秩序・悪らしく言いたくないことは黙っています。この世界のビーマとドゥリーヨダナは幼馴染で会うたびにバチバチしてる従兄弟同士。戦場で一緒になったら自然に共闘できる程度の信頼関係があります。成り主のクラスやカルナについてはまた別の機会に。
コメント、ブクマ等とても嬉しいです。ありがとうございます!
【2026.2.28まで】 本シリーズについて、今後の更新の需要確認にご協力願います。ここにないネタの希望はメッセージ(コメント欄は不可)でアンケート〆まで受け付けます。パロ・Ifの分岐ルート・番外の続き等、何でもOKですが、レーティングはR15まで(R18は不可)、キャラ死亡はパロかIFのみでお願いします。 ★重要★あくまで需要の確認です。必ず書くとお約束できないことをご了承願います。
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