アインツベルンの翁が差し出してきた小さな黒鉄の欠片を目にした時、それが何なのか全くわからなかった。魔力をほとんど感じない、ただの古い金属片だ。しかしユーブスタクハイトの鬼気迫る視線から、それが最上級のアーティファクトであることを察した。
「これは?」
「盲目覇王の大剣の欠片だ。これがあれば、たとえ覇王本人が呼ばれずともクル王国由縁の大英雄を召喚できよう」
英雄と聞いて腹の奥から苦みが広がる。幸い、衛宮切嗣の死んだ魚のような目と覇気がない顔立ちは内心を窺わせることなく、彼は無感動にその金属片を受け取った。
それが今日の昼間の出来事。
今、ホムンクルスの妻をともない英霊召喚を行なったばかりの男は、人類史きっての大英雄を召喚するということがどういうことなのか、その身を持って思い知らされていた。目の前でバチバチと光が弾け、巨大な人の形をした何かが現れようとしている。まだパスが完全に繋がっていないというのに、凄まじい勢いで魔力が吸い上げられる。このままでは干からびると危惧した瞬間、ふっと負担が軽くなった。現界したサーヴァントの方が手心を加えてくれたと悟り、また腹の奥が気持ち悪くなる。
「クル国王ドリタラーシュトラ。セイバーのクラスにて現界した。よろしく頼む」
雷が轟くような低音。それを発したサーヴァントは、人の形をした岩山のような男であった。恐ろしく大きな筋肉質な肉体に黒い民族衣装を纏い、片手に無骨な長剣を携えている。短い黒髪に浅黒い肌。パーツは端正であるのに、あまりの厳つさで台無しになっている顔。白みがかった茶色の瞳は焦点が合わず、切嗣たちには向いていない。
外見だけでも大英雄だが、その存在感の強さにアイリスフィールが腰を抜かしてへたり込む。生物としての格の違いに竦んでしまったのだ。切嗣だって両膝が笑うのを必死に隠している。落ち窪んだような瞳で目の前の暴力の体現を見上げるしかできなかった。
「うぬが俺のマスターか」
それは問いかけではなく確認だった。金縛りが解けたように自由になった喉で、どうにか答える。
「そうだ。僕は衛宮切嗣。聖杯を勝ち取るために協力しろ、セイバー」
「よかろう」
盲目覇王はそれだけ言って興味を失ったのか、切嗣からアイリスフィールへと顔を向けた。依然として視線は合わないが、伝説どおりの千里眼で周りを把握しているのだろう。
「この娘は」
「僕の妻、アイリスフィールだ。彼女のこともマスターだと思って必ず守れ」
「……妻を戦場に伴うつもりか」
そういえばこの男は人類史きっての愛妻家だったな、と切嗣は内心ため息をついた。ドリタラーシュトラが生きた古代インドでは女性が戦場に立つなどあり得ないことだった。それが愛する妻なら尚更だ。どう説明したものか、と面倒臭さを持て余していると、どうにか立ち上がったアイリスフィールが震える声で言った。
「私は何があっても切嗣と一緒に戦うと決めているわ。これでもアインツベルンの魔術師なの、足手纏いにはなりません」
「マスター、俺が優先すべきはうぬか、この娘か」
「絶対に死ぬ状況なら、僕を。それ以外はアイリスフィールを守れ」
「承知した」
それからの数日間、盲目覇王は伝説に違わぬ寡黙さで、ほとんどの時間を切嗣が用意した資料とともに過ごした。資料を読み込んでいない時間は、大きな樫の木の椅子に窮屈そうに腰掛け、宙を見つめる。一度、アイリスフィールが何をしているのかと問うたとき、セイバーは僅かに口角を上げてみせた。
「敵を見ている。なかなかの顔ぶれであるぞ」
千里眼で遥か遠くの間桐邸と遠坂邸を探り、ロード・エルメロイの動向を追い、さらに冬木市の隅から隅まで観察した男は、人喰い虎のような笑みを浮かべていた。
「喜べ、娘よ。このドリタラーシュトラがうぬの夫に勝利をもたらそう」
* * *
初めての飛行機を満喫して羽田空港に降り立ったアイリスフィールは、霊体化したセイバーに見守られながら電車に乗り、自力で冬木へと足を踏み入れた。
「よろしくね、セイバー」
「こちらこそよろしくお願いします、アイリスフィール。貴方のような美しい方をエスコートさせていただけるなんて、私は幸せ者だ」
「まあ、お上手!」
冬木の駅から出た彼女は一人ではなかった。冬の妖精のような美女が伴っているのは、凛としたネイビーのスーツの上にロングコートを纏い、首に鮮やかな青のマフラーを巻いた長身の青年だ。緩く波打つ濡れ羽色の髪と薄褐色の肌。インド系英国人と思しき彼が少し通りを歩くだけで、老若男女誰もが振り返り、あまりの美しさにため息をつく。街中を探しても、これ以上目立つ人物はいないだろう。
アイリスフィールと麗しいセイバーは仲睦まじい様子で一日中冬木の表通りを散策した。夕方にはすっかり町の噂になっており、カフェで休憩している時など、彼らを一目見ようとショップウィンドウの外に人だかりが出来たほどだ。しかしそれも日が落ちて人々が家路につく頃には落ち着いていた。
「そろそろ釣れているかしら」
「ええ、先ほどから誘う気配がしています。良い頃合いですし、向かいますか?」
「そうしましょう」
美しい男女から人々の視線が不自然に外れていく。アイリスフィールが簡単な魔術で認識を逸らしたのだ。そうして二人は港のドックエリアへと向かい、コンテナの合間のひらけた場所で会敵した。
「よくぞ来た。今日一日この街を練り歩いて過ごしたものの、どいつもこいつも穴熊を決め込む腰抜けばかり。俺の誘いに応じた猛者はお前だけだ」
闘気を立ち昇らせている美貌の戦士を前に、ロングコート姿のセイバーはそれまで己にかけていたあるスキルを解いた。途端、彼を視界に入れている全員が一斉に息を呑み、吸い寄せられるようにその姿に釘付けになる。もとより極めて美しい姿形が、美しさという概念まで放っているのだから然もありなん。
そして、その一瞬かつ絶対の隙こそがセイバーーーパーンダヴァ四男ナクラの狙いであった。
目の前のランサーらしきサーヴァントが弾かれたように上方の建物の屋上を仰ぎ見る。
「主!?」
絶望的な声を上げた戦士の前に、赤色を引いて落下してくる影。受け止めようと駆け出す男の背を、細身の剣が貫いた。真のセイバーの手で上半身を割られたケイネス・エルメロイ・アーチボルトは、アスファルトに衝突する前にすでに事切れていた。無慈悲な刃を手にしたナクラは冷ややかに敵へと吐き捨てる。
「温い。フィオナ騎士団の名が泣くぞ、ランサー」
「ガ、ハッ……無念だ。主よ、申し訳……」
霊核を砕かれ消えゆく槍兵をよそに上方でドーンという轟音が鳴り、今度はコンテナの裏の暗がりからギャッという悲鳴があがる。それは、ほんの数分の間に二人のマスターと二騎のサーヴァントが脱落した証であった。
「伯父上から撤退の連絡がありました。抱えます、アイリスフィール」
「わ、わかったわ」
「大丈夫ですか? ご婦人には刺激が強かったでしょうか」
剣を消してアイリスフィールを横抱きにしたナクラが、一転して柔らかな表情で問いかける。先ほどまでの魂を抜かれそうなオーラは鳴りを顰め、類い稀な美青年といった程度に戻っていた。
「大丈夫。少しびっくりしてしまっただけなの。セイバーは凄いのね」
彼女が言うセイバーが自分ではなく伯父を指していると理解して、ナクラは大きく頷いた。
「当然です。伯父上はどんな戦争でも手を抜かず、確実に勝利する手段を取る。さあ、厄介な輩が来る前に離れますよ」
「追ってこないかしら」
「伯父上が遠坂邸を強襲したのでアーチャーは呼び戻されました。ライダーもマスターへの攻撃を警戒して距離を取っている。心配無用です、レディ」
ドリタラーシュトラは切嗣を通じてアインツベルンに必要な魔力を都合させ、限定的に宝具を展開、優れた剣士であるナクラを替え玉として呼び出した。ナクラの現界に必要な魔力まで搾り取られている切嗣は、今頃ホテルでベッドの住人だろう。一応、サポートとして久宇舞弥が近くのビルの屋上に潜んでいるのだが、あっと言う間の暗殺劇に彼女の出る幕はなかった。それはいたる所に身を隠すアサシンの分体たちも同様で、彼らの死角からケイネスと間桐雁夜を速殺した盲目覇王の姿は捉えられていない。
第四次聖杯戦争の初日は、ランサーとバーサーカーの脱落と遠坂邸の半壊、令呪で呼び戻されたら敵はもうおらず、コケにされたアーチャーが怒り心頭になって終わったのだった。
後書き
第四次戦争ことFate/Zeroに手を出してしまいました。
今回短めですが、後2〜3話続きます。
盲目覇王に戦争させると、どんな形であれ敵側は可哀想だというお話です……
アカシックレコードへの接続が大きく制限されているので問題は山積みなのですが、今は誰も知らず。
次は主人公の一人称もあります。
ナレーション以外で初登場のナクラは絶世の美青年です。
マハーバーラタでは最も美しい男(クリシュナと並ぶと思われる)、サーヴァントになって美貌の概念スキルまでついてます。
普段は生前していたように、立ち振る舞いや表情、オーラをコントロールして普通の超美形に擬態してるというある種の怪物。
パーンダヴァの社交担当なので人当たりが良いのも特徴。
ちなみに主人公の宝具から一人だけ呼び出して動かすのは超燃費が悪いです。
コメント、ブクマ等大変嬉しいです!ありがとうございます!
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