【January 9 / Night】
その日は夕方から凍えるような雨が降った。
酷い天気なうえに、衛宮家に立ち寄るには時間が遅すぎる。所用で下校が遅れた間桐桜はため息をこぼし、ローファーの中に染み込むんでくる冷たさを我慢しながら足を早めた。近道するために入った小径は水捌けが悪い。しかも街灯が少ないせいで、真っ暗な茂みの奥から何か飛び出してきそうな雰囲気があった。
住宅街へと続く小径を半分ほど進むと、途中にある小さな広場に人影が見えた。二人だろうか。近づくほど巨大な輪郭がはっきりしてきた男性一人と、彼の横に座り込んだもう一人。もしや体調不良だろうかと気にかかり、二人がよく見えるようになった距離で足を止める。桜が立っている方に声をかけようとしたその時、相手から彼女に歩み寄ってきた。
(ものすごく大きい……!)
雨に打たれてずぶ濡れの男は、まるで巌のようであった。おおよそ2メートルを超える身長に、筋肉が盛り上がった分厚い体。民族衣装らしき黒い長衣とサルエル風のパンツを身につけ、布靴を履いている。高価そうな衣服が水を吸って体にベッタリと張り付いていた。彫りが深い日本人離れした顔立ちをしたその男は、桜が体調不良だと思ったもう一人の頭を大きな手で鷲掴んで引きずっていた。
「よもや魔術師が通りかかるとは、俺の運も捨てたものではないな」
割れそうな低い声。初対面の相手に魔術師だと言い当てられ、一瞬頭が真っ白になる。
「娘、俺と取引をせぬか」
男の顔は猛獣が獲物を観察しているような穏やかな無表情だ。白茶色の瞳は焦点が合わずやや上向いているというのに、まるで凝視されているような居心地の悪さがあった。今すぐ逃げてしまいたい。心底そう思うのに、両足は泥濘んだ地面に張り付いたように動かなかった。
「あ、ぅ……」
怖い。間桐家に養子に入った時から徹底的に虐げられてきたせいで、桜は恐ろしいものに敏感だ。目の前の男は、蟲蔵よりも祖父よりも、彼女のまだ短い人生で経験した何よりも恐ろしい何かである。これまでの忌まわしい経験がなければ、腰が抜けるか粗相をしていたかもしれない。
ガクガクと全身を震わせる少女に、男はさらに声をかけてきた。
「そう恐れずとも何もせん。俺と対等の取引をせぬかと聞いておるのだ」
「と、取引って、何のことですか?」
聳え立つ山のような存在感に気圧され、喉がひりつく。目が合わないのに注がれる視線。見ないでほしいとはとても口に出せず、桜は必死で目線を下げた。そして、偶然それを目にしてしまった。
巨人に引きずられている男の上向いた手の甲。そこに刻まれている赤い紋章は、ほんの数日前に祖父・間桐臓硯に教えられた聖杯戦争の概要、その時見せられた文献にあったものだった。
令呪。
それは聖杯戦争のマスター役の魔術師に刻まれる参戦権の証であり、サーヴァントと呼ばれる英霊を使い魔として従えるための絶対命令権でもある。あの生きているのかもわからない男の手に令呪がある、ということは。
「サーヴァント……?」
思わず声に出してしまった途端、桜の右手に痛みが走った。
「……あ、痛いっ」
反射的に手放した傘がコロコロと転がっていく。大粒の雨であっという間に冷えていく体とは反対に、右手の甲が焼けるように熱い。そこに浮かびあがった三枚の花弁のような紋様は令呪に他ならなかった。何も兆しなどなく、次回の聖杯戦争はずっと先のはずなのに、今この瞬間、間桐桜はマスターになったのだ。
「ほう、コレに共鳴したか。パスを保つため生かしておいたが、世の中何が役に立つかわからぬな」
黒衣のサーヴァントが掴んでいたもう一人を手放し、桜へと手を伸ばす。逞しい指先が令呪が宿ったばかりの甲に触れるなり、そこがさらに熱を持った気がした。
「娘、このセイバーと契約せよ。さすれば俺が必ずや、うぬに聖杯をもたらそう」
これが間桐桜と剣の英霊たる大英雄との出会い。彼女の運命の分岐点。すなわち第五次聖杯戦争の幕開けであった。
【January 18 / Morning】
衛宮家に珍しく来客があったのは、年明けの慌ただしさを忘れかけた休日の朝のことだった。たまたま藤村大河も間桐桜も来ておらず、庭先で洗濯物を干していた衛宮士郎は呼び鈴の音を聞くなり玄関へと向かった。
「はい、どちら様ですか?」
日本人らしく警戒も何もなく引き戸を開ける。玄関の前に立っていたのは、白人の小学生ぐらいの女の子と大柄でやや色黒な外国人の男の二人組。彼らは士郎と目があってポカンとした顔をしたが、女の子の方がすぐさま可愛い眉を釣り上げて口を開いた。
「不用心だわ! なんですぐ開けちゃうの! 私たちが敵だったらもう死んでるんだから!」
プリプリと怒る女の子に呆気に取られる。初対面でよくわからない物騒なことを言われたのも、知らない外国人がやってきたのも、どちらも訳がわからない。困った士郎は、とりあえず普通に対応することにした。
「確かに不用心だった。注意してくれてありがとうな。ええと、うちに何か用があるのか?」
「あっ、そうだったわ」
冬の妖精のような銀髪に赤い瞳の女の子は、こほんと咳払いをして姿勢を正し、白いフレアスカートを摘んで貴族的な礼をした。まるで映画の一シーンのような完璧なカーテシーだ。
「初めまして、エミヤシロウ。私はイリヤスフィール・フォン・アインツベルン。衛宮切嗣の実の娘です。今日は貴方に会いに来たの」
「わし様はイリヤスフィールの護衛だ。仕事でついてきただけなので気にせんで良いぞ」
南アジア系に見える大男は名乗らず、人好きがする薄い笑みを浮かべただけだった。この男も高級そうなカシミアコートに洒落たデザインスーツ姿で、貴族のようなオーラがあるが、厚着越しでもわかるほど分厚く筋肉質な体をしている。
とはいえイリヤスフィールの挨拶のせいで、護衛のことなど意識から吹き飛んでいたのだが。
「切嗣の娘!? えっ、親父に子供いたのか!? ああ、ごめん、混乱してる。とりあえずあがってくれ。もう知ってるみたいだけど、俺は衛宮士郎。十年前に切嗣の養子になったんだ。会えて嬉しいよ、ええと、アインツベルンさん」
「イリヤでいいわよ、シロウ。ふふっ、私も嬉しい」
二人を屋敷へと招き入れ、仏壇がある和室へと案内する。切嗣の娘と聞いて自然とそうしてしまったが、障子を開く前に大事な確認事項に気がついた。
「イリヤ、切嗣がもういないことは」
「知ってるわ。ねえ、オブツダンにオセンコウをあげてもいい? 日本ではそうするんでしょ?」
「ああ、すごいな、そういう文化を調べてきたのか。日本語もすごく上手だ」
小さいのに偉いな、とは口に出さなかったが、イリヤスフィールには伝わったようで少し睨まれた。彼女のすぐ後ろを歩く護衛も噴き出していた。
客二人が仏壇と向かい合う短い間に士郎はお茶とお茶うけを用意し、三人は座卓を挟んで座った。西洋のお姫様のようなイリヤスフィールが座布団に正座したのに驚きつつ、いきなり現れた年が離れた妹にどう話しかけたものかと思案する。護衛の男は本当についてきただけといった様子で湯呑みに口をつけていた。
「改めてよろしくな、イリヤ。親父の家族なら俺の家族でもあるし、訪ねてきてくれて本当に嬉しく思う。情けない話、俺は切嗣が冬木に来る前のことを何も聞いてなくて、五年前あの人が死んだ時に連絡できなかったんだ。今更だけど、本当に申し訳ない」
「いいの。顔を上げて、シロウ。本当はね、ちょっと前まで結構恨んでたの。知らない子に切嗣を取られちゃったって。でも考え直すきっかけがあって、今は貴方と仲良くしたいって思ってる。二人っきりの姉弟だもん」
会ったばかりの家族の会話はぎごちなく始まり、しかしイリヤスフィールが実は士郎より年上で体質的な理由で姿が幼いのだと説明した後、「姉貴」と呼ばれた彼女の満更でもない笑みで緊張が解け、主に父親のダメなところの話で大いに盛り上がった。割と口下手な士郎だが、イリヤスフィールが好奇心旺盛に色々質問したおかげで話題に事欠くことはなかった。
「もうこんな時間か。イリヤ、昼飯食べるか? というかしばらく冬木にいるのか? 宿泊先とか、なんだったら家に泊まるか?」
「シロウったら、そんな気を使わなくていいのよ」
「別に気を使ってる訳じゃない。家族が遊びにきたんだから、家に泊めるのは当然だろ」
気がついたら時間が正午を回っていた。士郎が来客用の布団や今晩の献立のことを考えながら聞くと、小さな姉はくすくす笑った。
「色々用事があるからホテルの方が都合がいいの。でもお昼は是非いただきたいわ。シロウが作るご飯とっても楽しみ!」
「じゃあ二人の分も用意するな。ちょっと冷蔵庫見てくる。待っててくれ」
浮き立つ気持ちで台所へと向かう士郎。その背中をイリヤスフィールと護衛の男がじっと見つめていた。
【January 18 / Night】
冬木市郊外の森にひっそりと建つアインツベルン城に戻るなり、イリヤスフィールはホムンクルスのメイドに帽子とコートを預け、紅茶を頼んでからラウンジのソファに沈み込んだ。同じように上着を脱いだ自称・護衛の男も向かいの一人がけの椅子に座り長い足を組む。彼は悪い笑みを浮かべて正面の少女に問いかけた。
「で、どうするのだ、マスター。弟を同盟者に引き込むか?」
「そのつもりだったけど、初歩的な魔術も使えないなんて想定外よ…… 聖杯戦争もサーヴァントも知らなさそうだし、私の令呪もファションだと思ったみたい。彼の手には兆しがあったけど、どうしよう、あんな子に戦争なんてさせられない」
子供のようにウーウーと唸って項垂れる少女は、魔術の大家アインツベルンの傑作ホルンクルスにして今回の聖杯戦争の小聖杯、さらには令呪を持つマスターである。彼女が連れている大柄な男こそが狂戦士のクラスで現界したサーヴァント。狂化の値が低すぎて普通に話すことができる稀有なバーサーカーであった。
「別に問題なかろう。あやつも大人の男、いざとなれば奮い立つであろう。聖杯戦争のあれこれはお前が教えてやればいいし、サーヴァントはわし様を媒体にクル国の英雄を呼べるのでは? おお、そうだ、それが良い! マスター、さすればこの戦い我らの勝利だ!」
「その言い方、嫌な感じがするからやめて。それに貴方の時代と違って日本の成人年齢は20歳。シロウはまだ子供なの! どうやったら巻き込まないで済むか、一緒に考えてよね」
ドゥリーヨダナ、とクラス名ではなく真名を口にしたイリヤスフィールに、男は口を閉じてピンクアメジストのような瞳を細めた。彼の正体は古代インドの統一国家クル王国の二代目国王、人悪の英雄ドゥリーヨダナ。人類史上最強と名高いクル王国軍の遊撃部隊長として戦場を駆けた猛者にして、クルに長い繁栄をもたらした偉人である。盲目覇王ドリタラーシュトラの召喚を期待していたアハト翁はドゥリーヨダナに落胆を隠さなかったが、イリヤスフィールはこの男を召喚して良かったと心から思っている。彼と出会わなければ、今日、弟と父の話をしたり仲良くオムライスを頬張ることはなかったのだから。
「それは無理というものだぞ、マスター」
「なんでよ」
「あの小僧はカルナやユディシュティラと同類と見た。一つの基準だけで生きている、死んでも治らんタイプの頑固者だ。その基準のためなら平然と命を投げ出すし、それ以外の生き方ができんのだ。父上ほどではないが人を見る目があるわし様が断言してやる。アレはお前がどれだけ守っても、ちょっとしたきっかけで聖杯戦争に関わるであろうよ」
それこそ姉を守るためとかな、と嫌なことを言う色男の顔めがけ、イリヤスフィールが固めのクッションを投げつける。それは軽く受け止められ、器用にソファの上の元の場所に投げ返された。
「どうしてシロウがマスターに選ばれちゃったのよ。もうっ、もう!!!」
「んっふっふ、牛の真似か? マスター」
「うるさーい!! まだ少し猶予があるから、何か良い方法を考えるわ。私はシロウのお姉ちゃんなんだからっ」
白い妖精のような少女は、荒ぶった口調とは裏腹に優雅な動作でメイドが用意したティーカップに口をつけた。拗ねて己のサーヴァントを無視している彼女は、百一人兄妹の長兄である男が微笑ましげにしていることを知らずにいたのだった。
後書き
アンケートで需要が確認できた盲目覇王in第五次聖杯戦争です。
一部サーヴァントが変更になっていて、覇王に覇王させすぎないために他のインド勢が出ます。
おそらく5話以上になる見込み。前作の第四次ほど酷いことにはならない、はず?(目逸らし)
主人公は原作メディアのマスターことアトラム・ガリアスタに召喚され、早々に物言わぬ魔力装置にした模様。
はたして桜とグッドコンビになれるかは今後に期待です。
なお、本シリーズのわし様は父の影響でとてもファミコンで割と子供好き。
実年齢はさておき幼いイリヤが歪んだ認識で弟(義理)を殺そうとしているのに待ったをかけました。
コメント、ブクマ等大変嬉しいです!ありがとうございます!
【2026.2.28まで】 本シリーズについて、今後の更新の需要確認にご協力願います。ここにないネタの希望はメッセージ(コメント欄は不可)でアンケート〆まで受け付けます。パロ・Ifの分岐ルート・番外の続き等、何でもOKですが、レーティングはR15まで(R18は不可)、キャラ死亡はパロかIFのみでお願いします。 ★重要★あくまで需要の確認です。必ず書くとお約束できないことをご了承願います。
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