話の主軸が盲目覇王じゃないので、お題からややずれています。
ランカー領主ヴィカルナが三年ぶりにハスティナ―プラ王宮にやってきた時、偶然にもインドラプラスタ領主ユディシュティラと鉢合わせた。二人は従兄弟同士で幼馴染の間柄である。目が合った彼らは、まず年下のヴィカルナから挨拶の口火を切った。
「これはユディシュティラ殿、大変ご無沙汰しております。お変わりありませんか? インドラプラスタは今年豊作に恵まれたと聞き及んでおります。これもパーンダヴァの皆様の善政の賜物でございますね」
「ヴィカルナは相変わらずだね。君も元気そうで何よりだ」
ユディシュティラがにこやかに応じると、ヴィカルナも彼の代名詞ともいえる『善人の笑み』を浮かべた。百王子とパーンダヴァといえば王太子ドゥリーヨダナとビーマの張り合いが有名だが、ダルマ神の子と百王子の良心の関係も複雑であった。
まだ子供だったころ、ユディシュティラが王太子スヨーダナ(後のドゥリーヨダナ)の悪性を指摘したことがあった。すぐに父と伯父達によって認識を矯正され、王は清濁併せ吞む必要があるのだと厳しく教えられたが、それとは異なる目線からユディシュティラに物申したのがヴィカルナだったのだ。
『貴方も貴方の敵からすれば悪です。真なる善悪は己の中に見出すもの。他者に断じられるものではありません』
礼儀正しく良識的で、善き人であろうとしながら兄弟と寸分違わない悪であるヴィカルナ。伯父王と同じ黒灰色の魂をもつ彼のことが、ユディシュティラは不思議であった。お互い領主になり、ヴィカルナがランカーという問題が多い地をそつなく統治するようになってからも、それは変わらなかった。
悪の本質を持ちながら善であろうとする歪な従兄弟。同じく悪でありながら、その在り方が眩し過ぎて魅せられてしまう伯父。実に対照的な親子である。
「ユディシュティラ殿は王のもとにいかれるのですか?」
「魔物の駆除が一段落ついたので、そのご報告にね。君は?」
「ランカー領の定期報告に参りました。新たに妻を娶りましたので、両陛下へのご挨拶も兼ねております。そうだ、ユディシュティラ殿にもご紹介しましょう。こちらにおいで」
「はい、ヴィカルナ様」
静かな返答とともに近づいてきたのは小柄な少女だ。年は十代半ばぐらいだろう。まっすぐな黒髪を肩の上で切りそろえた奇抜な髪形で、ランカーの民族衣装が良く似合っている。伏し目がちな彼女は尖った耳と赤い目、大きく裂けた口をもつ羅刹女であった。
ユディシュティラの弟ビーマの第一夫人は羅刹である。彼女で見慣れていなければ、少しは驚いたかもしれない。
「旧ランカー王家の姫かい?」
「はい。市井で不自由な生活をしていたため保護いたしました。陛下のお許しを得て三月前に妻に迎えたのです」
「なるほど。それは素晴らしい
夫人と短い挨拶をかわした後、三人は宰相ヴィドゥラ配下の高官に連れられ謁見の間へと向かった。統一国家クルの領主たちの間に序列はないが、やはり国王の子であるヴィカルナが先に通された。
従兄弟とその夫人が謁見の間へと消え、待合用の小部屋にはユディシュティラ一人だけだ。遠くで使用人たちの声や庭の鳥たちのさえずりが聞こえる。なんということはない日常の気配。三度の大遠征に参加したユディシュティラにとって、伯父ドリタラーシュトラが二百を超える戦の果てにもたらした平和は得難いものであり、複雑な気持ちで噛み締めるものでもあった。
盲目覇王ドリタラーシュトラ。クル王国を世界の覇者にした偉大なる王。ダルマに則った大義名分をもたず圧倒的な武力で他国すべてを平らげた、人の姿をした厄災。神々が使わしたカリ・ユガの先ぶれ。世界最強の戦士。第三の目を宿した者。
伯父のことを考える度、叙事詩に語られるような肩書きばかりが浮かぶ。大英雄に相応しくないものもあるが、ユディシュティラは気にしないようにしている。ドリタラーシュトラは呪いに屈しそうになった父パーンドゥを救ってくれた恩人であり、パーンダヴァ五兄弟に目をかけくれる家族だ。何より王として、戦士として、家長としてあまりに大きな背中に焦がれてやまない。それは盲目覇王に付き従ったすべての戦士に共通する畏敬の念であった。
「この私が悪しき者に憧れるなんて」
はじめて伯父を認識したとき、ユディシュティラは彼こそが己が倒すべき巨悪だと思った。分厚い胸板の奥に恐ろしい輝きを放つ黒灰色の魂があったからだ。物心がつくにつれ、可愛がってくれる伯父が敵であるはずがないと理解したが、彼が悪であることは変わらなかった。
「いけない、善悪に振り回されてしまっている」
ユディシュティラは正義神の子である。生まれた時から物事の善悪を見抜く力をもち、
もし家族として見なされず、まして敵対していたらと考えると背筋が冷たくなる。
「もしそうだったならパーンダヴァは……」
恐ろしい想像が膨らむ前にヴィカルナたちが廊下に出てきたため、ユディシュティラは目礼で彼らを見送り、入れ替わりで謁見の間へと足を踏み入れたのだった。
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両親への目通りを終えたヴィカルナは、懐かしいハスティナープラ王宮の廊下を妻の歩幅に合わせながら歩いていた。巌のような父に大人しい妻が怯えないかと少し心配していたが、彼女は終始無表情を保っていた。
「昨日から随分緊張していたようですが、何も心配いらなかったでしょう?」
「はい、ヴィカルナ様」
「ランカー、どうか思っていることを話してください。肯定だけを返す必要はありません。折角二人で遠出したのだから、この機会に貴方のことをもっと知りたいのです」
「はい……」
ヴィカルナが治める美しい島の名を冠する羅刹女は、暗い赤の視線を落としたまま小さな声を発した。
「お義父様が噂で聞いた盲目覇王そのもので、少し怖かったです」
「父上の威容は初めて見るものには恐ろしげかもしれませんが、実際は家族思いの素晴らしい方です。何も怖がることはありません」
「そう、ですか」
歯切れが悪い妻に、ヴィカルナは「まだ仕方ない」と内心ため息をついた。ランカーは三千年の栄華を誇った祖国を攻め滅ぼされた側なのだ。しかも大半が殺された王家の出身である。彼女は父と兄たちを暗殺で失い、彼女の母は夫の弔いの炎でその身を焼いた。頼れる親族はおらず、幻術が下手なせいで民に紛れて暮らすこともできず、当時十を過ぎたばかりの彼女は途方に暮れたことだろう。領都に羅刹が潜んでいるという噂を聞いて捜索を命じたとき、まさか元王族が一人で最下級層民の生活をしているとは思ってもいなかった。
ヴィカルナは善き人の義務でランカーを保護し、さらなる善行として彼女を妻に迎えることにした。父王に婚姻の赦しを求めた時、母が代筆したであろう手紙には「その娘と真に向き合うことができるのなら、望むようにすればいい」と書かれていた。父の第三の目にどんな未来が見えていたのか、少し気になったのを覚えている。
「市井にはいまだ父上を悪様に言う者がいますが、敵対したらいかなる善人であっても悪く見えるものです」
「本当のお義父様を知れば恐ろしくないと?」
「ええ、義理の娘に怖がられていると知ったら意気消沈してしまうような優しい方なのです。そうだ、より親しみが持てるように面白い話をしてあげましょう」
素晴らしい父の話には事欠かない。百王子の中では異質な価値観を持つヴィカルナだが、両親の深い愛情を受けて育った自覚は兄妹共通だ。数年ぶりのハステイナープラ王宮でより鮮明になった記憶の中から、微笑ましいと感じるエピソードを選んで語ってやると、不安げな少女は大人しく聞いていた。
百一人の子が四つん這いで動き回るようになった頃、床でクッションを枕に休んでいたドリタラーシュトラの上に全員が乗り上げ、完全に埋まった男が小一時間誰にも見つからなかったこと。(王子王女らの授乳のため小山を崩した乳母たちが下敷きの国王を見つけた)
腕白な百王子が父の体を大木に見立てて我先にと
家族全員参加のかくれんぼで、千里眼で全員の居場所を把握していたくせに、どこだどこだとわざと近くを探してドキドキさせてきたこと。(ちなみにヴィカルナは母と一緒に茂みの後ろに隠れていた)
思春期になってややグレた一部の王子を夫婦揃って暖かく見守り、たまに度を過ぎると父が低い雷霆のような声で叱ったこと。(出来心で侍女をお手付きにしようとした八十二男への説教は長く厳しかった)
王子王女が次々と結婚した祝福されし二年間で国の財政が危ぶまれた際、カルナと精鋭部隊だけを連れた父がヒマラヤ山脈に入り、ジャコウや薬草、水晶に岩塩などを大量に持ち帰ったこと。(娘が三人いると破産すると言われているのに百一人の子の婚礼を盛大に祝ったのだからさもありなん)
ヴィカルナにとってはただの思い出話だが、ランカーからすれば祖国を滅ぼした厄災と重ならない現実味のない話ばかりであっただろう。王宮での滞在先となる夫の昔の私室にたどりつくまで、彼女は機嫌良さげなヴィカルナの斜め後ろで俯いていた。
百年先の未来でヴィカルナの第二夫人ランカーの孫にあたる領主が島の独立を宣言し、統一国家クルの長い平和は破られることになる。けれど今はまだ、世界は盲目覇王が望んだ箱庭の中であった。
後書き
アンケートから二つまとめて書いたものです。
シリーズが長くなってきたので脇役を掘り下げてみました。
古代インドのダルマ的な意味で超善人なユディシュティラと、真正悪属性ながら善人でありたい(表向きは成功してるけど実際は空回りしてる)ヴィカルナ。
ちなみに主人公とガーンダーリーはヴィカルナの在り方を暖かく見守ってます。
兄弟たちは同じ穴の狢だとわかった上で「本人がそれでいいならいいんじゃないかな」というスタンス。
家族の理解があるから微塵も苦悩してない超前向き系麻婆神父()のイメージです。
なお、ガワはわし様の短髪髭なし細身バージョンで常に真面目。
盲目覇王はあえて孫の代より先を見てないため、百年後以降の未来を知りません。
ランカーの名前はガンダーラ→ガーンダーリーと同じ方向で出身地から名付けました。
ビーマの妻ヒディンバーとは対照的な超ダウナー気弱系羅刹女です。
次回は掲示板ネタの予定。
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