ハスティナープラ王宮の朝は早い。夜明けの光が地平線ににじむ前に厨房の窯に火が入り、女中たちは一日の準備に取り掛かる。太陽が完全に上るまでは、王宮内で動いている人間はほとんどが下働きの者たちだ。しかし広大な敷地の片隅にある厩では、異なる身分の白金髪の青年が干し草の束を運んでいた。
「おはようカルナ。今日も早いな」
「父よ、十分惰眠を貪ったか」(おはようございます。お父さんはまだ寝ていてもいいのですよ)
「何度も言っているが、もう厩の手伝いはしなくていいのだぞ」
「いらん口を利く暇があれば働け」(私がしたくてやっていることなので気にしないでください。早く餌やりを終えて朝食を食べましょう)
「ふふ、そうだな」
カルナは国王ドリタラーシュトラの養子、つまりクル王国の王子だが、王族の仲間入りをした後も戦に出ていない時は最初の養父母である御者アディラタと妻ラーダーのもとを訪れて仕事の手伝いをしていた。クル王国が統一国家となってからは暇になったのか毎朝晩やってきているのだ。日中は国王や王太子に付き従い、武力が必要とされれば活躍するものの、他にすべきことがないのか心配になるほど厩に通っていた。
山のように積んだ干草の束を抱えて歩くカルナの隣に束をひとつ持ったアディラタが並ぶ。透けるような白さの息子に対し、父はよく日焼けした褐色の肌だ。カルナの人間離れした容姿は、最近になって発覚した彼の実父を想えば当然のことであった。
太陽神スーリヤの子。
これがカルナの新しい肩書きである。さらに王弟パーンドゥの妻クンティーの長男であり、パーンダヴァの上三人の兄というおまけ付き。この複雑な血縁関係を知ったドゥリーヨダナが「わし様の可愛い弟は渡さんが~?」とビーマに
戦士階級の生まれでありながら、
「どうした、父よ」
「なんでもないよ、カルナ」
昇りかけの朝日に煌めく頭から草のかけらを払ってやる。三十路を過ぎた息子にするには些か柔らかすぎる触れ方だったが、カルナが空色の瞳を細めて喜ぶものだから、アディラタはささくれだらけの指先でその髪を梳いてやったのだった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
「気分が優れないので明日まで休ませていただきます」
「まあ、クンティー様、せっかくカルナ殿がいらっしゃるのに」
「放っておきなさい、マードリー」
ハスティナープラからの使者がカルナだと聞くなり部屋を出ていった母のあんまりな態度に、パーンダヴァの長兄次兄そして三男は顔を見合わせた。彼らの父パーンドゥは形良い眉を下げてため息をつき、五人の息子たちと少し離れた場所に座る第二夫人へと言った。
「こうなるかもしれないと思っていた。兄上にお願いしてカルナを寄越してもらったが……悪い方の予想通りになったな」
「父上、カルナの歓待は我らにお任せください。同じ母をもつ兄なのです。これまで以上に親睦を深めたいと思います」
気落ちしている父にユディシュティラが力強く申し出る。
「いきなり態度変えるのは変だろ。これまで通りでいいんじゃねえか? なあ、アルジュナ」
「ええ、カルナは我が好敵手。それ以上でもそれ以下でもありません」
口々にいう上の兄たちに続き、マードリーが産んだ双子も「お任せください」と微笑んだ。
「スーリヤ神の御子なら私たちの叔父」
「必ずやより親しい関係を築いてみせましょう」
ナクラとサハデーヴァはスーリヤ神の息子・アシュヴィン双神の子である。カルナとは叔父甥の間柄で、ほど良い距離感から兄たちほど複雑な気持ちを抱いていなかった。もともと年が十も離れており、戦場で共に戦ったぐらいしか接点がないのだ。新たな関係を築くにはうってつけであった。
かくしてパーンダヴァ五兄弟はカルナの接待を請け負い、それぞれの役割で彼を迎えたのだが。
「ようこそいらっしゃいました、カルナ」
「下手な作り笑いはよせ、ユディシュティラ」(笑顔が硬いですね。具合が悪いのなら私の相手などしないで休んでください)
長兄は笑顔で撃沈し。
「最近料理に凝っててな、料理長に一品作らせてもらってんだ。今日の飯にお前が好きなもん作ってやるよ。何がいい?」
「食事はいらん。それに何を食べても同じだろう」(すぐにお暇するので食事は不要です。ビーマは素晴らしい料理の腕前なのでしょうね。何を作っても美味しいと思うので、いつか貴方のおすすめを食べたいです)
次兄は青筋を立てて心の中で素数を数え。
「久々に弓で競い合いませんか? 」
「相手になると思うのか」(貴方と競い合うと時間を忘れてしまうので、また別の機会にお願いします)
三男は弟二人に取り押さえられる羽目になり。
カルナは最近異父弟だと知ったばかりの男達の様子がおかしいことに首をかしげたが、引き攣った笑顔のユディシュティラに宰相からの文書を、苦笑いのパーンドゥに国王からの手紙を手渡して任務を果たしたのだった。
「世話になった」
「お待ちください、カルナ殿」
すぐさま王都に帰ろうとしたカルナをマードリーが呼び止める。
「クンティー様にもお会いになってください。親子だとわかってからまだ一度も顔を合わせておられないでしょう」
「必要ない。不名誉なことだからな」(私を産んだ方とは、彼女の名誉のために距離を置くことにしています)
「そんな……」
絶句する母の隣からサハデーヴァが進み出る。彼はその権能めいた知恵によってカルナの言わんとしていることが理解できていたが、耳から聞こえる言葉と脳が理解する意味のあまりの乖離に気が遠くなりそうだった。
「ここに他人の目はありません。貴方がクンティー母上をなんと呼ぼうと、二人で何を話そうと、誰の耳にも入りません。それでも会っていただけませんか?」
「王弟殿はそれでいいのか」
「もちろん構わない。お前がすでに兄上の子でなければこの家に迎えていただろうから、むしろ嬉しい」
隠者の呪いで女性に触れることができなくなったパーンドゥは、彼の妻達が神々の情けを得ることによって五人の半神の息子に恵まれた。だからクンティーが婚前に産んだ子であっても息子と呼ぶことに否やはなく、もしカルナが恵まれない生活をしていたなら即座に我が子として迎え入れていただろう。現実はそうならなかったが、パーンドゥの言葉は偽りないものだった。
「そうか」
カルナの瞳がふと揺れる。一瞬考え込んだ太陽神の子は、変わらない無表情をパーンドゥと彼の一家に向けた。
「会わせてもらえるか」
✳︎ ✳︎ ✳︎
クンティーの人生は山あり谷ありで、今の平穏で豊かな生活に落ち着くまでひどく時間がかかった。
最初の試練は、聖仙から教わったマントラでスーリヤ神を呼んでしまい、望まぬ子供を授けられたこと。どうにか公にならずに済み、ぐちゃぐちゃな気持ちで子供を川に流して終わった。その後、クル国の王弟パーンドゥに嫁いで順風満帆の人生になると思われたが、一年もしないうちに夫が隠者の呪いを受けてしまい、クンティーは再びマントラを使うことになった。三回異なる神に抱かれ、第二夫人のマードリーにまでマントラを使わせる羽目になり、そうして一家は五人の半神の息子を得たのだった。
ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナ。クンティーが産んだ息子たちは素晴らしい戦士に育った。これで義理の兄ドリタラーシュトラがただの盲人であったなら、奇怪な生まれ方をした百王子ではなくユディシュティラが王太子だったかもしれない。彼女にとって残念なことに、義兄は盲目覇王の二つ名をもつ最強の男であり、早い段階でドゥリーヨダナが王太子に確定してしまったが、それなら戦場で息子達が活躍すればいいだけだと気を取り直した。しかしここでも彼女の望みどおりにはならず、王の側にカルナという逸材が現れてしまった。
御者の子カルナ。スータの身分でありながら盲目覇王と共に先陣を切り、戦場で活躍するようになった下層民。さらに敵国の王を射殺したことで増長したのか、クンティーの自慢の息子たちの成人の儀に乱入し、アルジュナに挑戦した身の程知らずだ。幽鬼のような若者の耳に光る耳飾りに見覚えがある気がしたけれど、ドリタラーシュトラが彼を養子にしたことの衝撃で忘れてしまった。
さらに時が過ぎ、クル王国は世界の統一国家になった。長子ユディシュティラの領地インドラプラスタはそれなりに栄え、クンティーはやっと王族らしい優雅な生活に落ち着くことができた。息子の嫁に生意気な美女や恐ろしい羅刹がいるといった不満はあれど、日々笑顔で過ごせていたのだ。
それなのに、そんな彼女を嘲笑うかのように捨てた過去が追いついてきた。
きっかけはドリタラーシュトラがカルナの嫁探しの相談をしてきたことだった。義兄が口にした恐るべき事実。あの時、恐怖のあまり声が出てしまった自分が許せない。もし毅然とした無反応でいられたなら、今、真白い悪夢と対峙することなどなかったのだ。
夫がカルナを部屋まで連れてきた時、どうあっても会わないと断ればよかった。カルナが二人だけで話したいと言ったせいで、クンティーは冷や汗をかきながら彼と向かい合って座る羽目になっているのだ。
「クンティー殿」
あの日川に流した赤ん坊が、目の前にいる。どんな恨み言を言われるのか。もしかしたら殺されるかもしれないと背筋が冷えた。カルナの武勇の凄まじさはアルジュナから嫌というほど聞いているのだ。
凍りついたようなクンティーをよそに、カルナはじっと彼女を見つめてから、ゆっくりと頭を下げた。
「貴方に心からの感謝を。この恵まれた生を与えてくれた貴方を、今この時だけ母と呼ばせてほしい」
それは静かな、優しい声だった。顔を上げたカルナは少しだけ口角をあげており、恨みなど微塵も窺えない。
「オレはこの上なく幸福な男だ。三人の父と三人の母に恵まれただけでなく、最高の主君と友まで得た。母よ、貴方のおかげだ、本当にありがとう」
「何を、何を言っているのです」
クンティーが全身を震わせながら絞り出した言葉に、産んだ以外に関わりがない息子は首を傾げた。まるで言葉が通じていないような自然な仕草であった。
「母に感謝を伝えている」
「何を感謝するというの!? 私はお前を捨てたのですよ!」
澄んだ青の視線が恐ろしい。幼いクンティーをつまらなさそうに抱いた太陽神の瞳と同じ色が、穏やかな親愛を浮かべているのが不気味だ。思わず声が大きくなったが、カルナはまるで動じなかった。
「そうだな……そのとおりだ。だがオレはまったく気にしていないし、貴方も気にするな。オレが伝えたかったことはこれで全てだ」
かくして二人の最初で最後の会話は終了した。カルナはもう用事は済んだとばかりに一礼して席を立ち、クンティーに一瞥もせずに出ていった。残されたクンティーはしばらく呆然として、やがて口元を両手できつく覆い、込み上げた声を押し殺したのだった。
後書き
実の親バレした後のカルナのお話でした。
クンティーとの会話ではものすごく気を遣って伝えたいことを一言一句頭の中で半濁しながら喋ってました。
いつもこれができていれば……(遠い目)
家族との距離感はクンティー<パーンダヴァ<カウラヴァ<アディラタ夫妻でスーリヤは比べる対象から外れてます。
国王夫妻は親というより大恩人とその妻。
わし様は尊敬する義兄であり太陽のように眩しい上司兼親友。
アシュヴァッターマンは盲目覇王とわし様の強火同担仲間()。
パーンダヴァの中ではアルジュナが一番付き合いが深く、意外にもパーンドゥが一方的にカルナを気にしています(妻が産んだ神の息子という点ではパーンダヴァと変わらないため)
本作のクンティーはかなり問題がある性格ですが、ドラウパディーほどじゃありません。
原典でカルナを気にしていた描写が多々あるので、大幅な改悪は気が引けました;;
コメント、ブクマ等大変嬉しいです!ありがとうございます!
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