番外「一分でわかる古代インド:夭折の王子アビマニュ」の続きです。
愛息子アビマニュの急死から半月。喪が明けて領主一族としての仕事に戻ったアルジュナは、表面上は淡々としていた。アビマニュを産んだ妻スバドラーは未だ嘆きの中にあり、息子を思い出すと号泣してしまうため部屋から出てこない。義理の娘であるウッターラは気丈に生まれたばかりのパリークシットの世話をしているが、朝は必ず目元が赤く腫れていた。悲しみに沈んだインドラプラスタ領主館にいることが耐えきれず、アルジュナはその日、領の見回りにやってきたアシュヴァッターマンら治安維持部隊の案内役をかって出たのだった。
「……調子はどうだよ」
「どうにか普通の生活に戻ってきていますよ。
「別にいいんじゃねぇか? 悲しけりゃ泣いて、腹が立ったら怒る、嬉しかったら笑う。あるがままが一番だぜ」
「バラモンの教えとして受け取っておきましょう」
「はあ、まったくテメェは」
アシュヴァッターマンとは武芸の師ドローナのもとで何年か肩を並べた仲だ。年が離れているため百王子や好敵手のカルナほどではないが、気安い言葉を交わす程度には親しい。こうして馬を並べていると、少しだけ本来の自分らしく話せている気がした。
アルジュナは恵まれた人生を歩んできた。実父は神々の王インドラ神。対外的にはクル国王弟パーンドゥの三男として生まれ、幼いうちはハスティナープラ近郊の森で暮らしていたが、伯父である国王ドリタラーシュトラの計らいでさほど不便はなかった。苦行をしていたのは父と母たちだけで、アルジュナたち子供は王宮からやってくる教師に読み書きや王族の振る舞いを教わるなどして育ったのだ。しばらくしてドリタラーシュトラが統一戦争の補佐としてパーンドゥに苦行の中断を提案し、一家は王宮近くの屋敷に住まうようになった。それからは百王子らと同じ教育を受け、ドローナから武芸を学び、成人以降は盲目覇王のもと大遠征に参加した。アルジュナはこの全てにおいて優秀であった。
父パーンドゥのような貴公子の立ち振る舞いに、半神らしくとびきり優れた文武の才。特に弓でアルジュナに敵うものは、あの成人の儀の御前試合まで現れなかった。ドローナのもとでカルナと激しく競い合うようになったのは、順調すぎたアルジュナの人生の良いスパイスであった。
そうして月日は過ぎ、アルジュナは四人の妻を迎え何人もの子に恵まれた。その中で、最愛の妻スバドラーとの間に生まれたアビマニュは、アルジュナ以上に全てが完璧であった。統一戦争が終わった後に生まれた息子が戦に出ることはなく、けれど彼は類まれな戦士の才を持っていた。さらには絶世の美男子である叔父ナクラに匹敵する見目麗しさ。好奇心旺盛でどんなことでも知りたがる利発さ。笑顔が似合う快活な性格まで備えたアビマニュは、アルジュナの誇りであり、クル王国の輝かしい未来の象徴だったのだ。それなのに。
自慢の息子は、十六歳になった日に死んだ。
「………………ッ」
手綱を握る手に力が入る。引き攣れた息に気づいたであろうアシュヴァッターマンは、聞かないフリで前を向いていた。
アビマニュの葬儀から今日まで、アルジュナの中には嵐のようなドス黒い感情が渦巻いている。子を失った悲しみが一番色濃いが、理不尽な運命に対する行き場のない憎悪が穢れた泥のように腹の中を焦がしていた。そして昨晩、その憎悪に困惑が投げ込まれた。
己の内側、神性を宿したオドを探れば、昨日まではなかった恐ろしい力があることがわかる。攻撃的な意思を持って呼び起こせば、それは兵器として顕現するのだろう。アルジュナはこのような奇跡を何と呼ぶかを知っていた。
神々からの授かり物。
ユディシュティラの物事の善悪を見極める力。ビーマの人並外れた膂力と風の加護。ナクラのこの世のものとは思えない美貌。サハデーヴァの一を聞いて百を知る知恵。そしてアルジュナ自身の、アビマニュを失うまでの異様なまでの幸運。これらは全て、パーンダヴァの実父である神々からの授かり物なのだ。
幸運を与えられたアルジュナと、神々が定めたアビマニュの寿命のバランスを取るために寄越された、欲しくもない神秘の宝。それが新しい授かり物の正体なのだろう。
「おい、アルジュナ」
「はい、何かありましたか?」
「何かあったかは俺の台詞だ。テメェ、何を抱えてやがる。テメェからシヴァ神の気配がするのと関係あんのか?」
アシュヴァッターマンの煌めく瞳に射抜かれ、語られた神の名前にゾッとする。アルジュナの父インドラよりも高位にある三大神の一柱。破壊と再生を司る神が、なぜ使う宛てもない神造兵装をよこしてきたのか。己にとってのアビマニュの価値と同等の宝として与えられたのかもしれない。そう思うと、臓腑を焦がす炎が一気に燃え盛った。
「そう、ですか。これはシヴァ神からの……」
「アルジュナ? チッ、テメェら小休憩だ! 二人ずつ順に周囲の警戒にあたれ。他は何か腹に入れて休んでろ!」
虚な表情で黙り込んだアルジュナの尋常ではない様子に、アシュヴァッターマンは馬の歩みを止めて部下たちを振り返った。小規模な部隊は隊長の命に従い、それぞれ馬を降りて休憩に入る。バラモン最強の戦士は友人の手綱を奪い、二頭の馬を部隊からやや離れた場所へと誘導した。
「どうしたよ、はっきり言いやがれ」
「昨晩、シヴァ神から神秘の力を授かりました。まだ試していませんが、強力な兵器のようです」
「今更そんなもんを? いや、そうか、アビマニュの……クソッ!! 神々のお心は図れねぇが、酷な事をなさるっ」
常に怒っているアシュヴァッターマンが、さらに湧き上がったそれを指向性のない圧として発した。信仰を体現するバラモンである彼が神々にその感情を向けることはない。彼は精悍な顔にやるせなさを浮かべていた。
「アシュヴァッターマン、私は何かを授かりたいと思ったことなど一度もないんだ。まして息子の代わりに武器を授かるなど、このような……」
目の奥から込み上げる激情がボロボロと溢れ出す。アルジュナは俯いて顔を隠しながら、大きく肩を震わせた。年下の友の前でとんだ無様を晒してしまっている。けれどこの小休憩が終わるまでは、いつもの仮面を外してただ嘆いていたかった。
✳︎ ✳︎ ✳︎
クル王国治安維持部隊長アシュヴァッターマンは、目の前でボロボロ涙をこぼしている年上の友人にどう声をかけるか決めかねていた。アルジュナとはただの兄弟弟子の関係だが、彼は前主君の甥で現主君の従兄弟であり、親友カルナの好敵手であり、一度だけとはいえ大遠征で共に戦った戦友である。人一倍情が深いアシュヴァッターマンには、とてもこのまま放っておくことはできなかった。
「アルジュナ、提案がある」
「……何でしょう」
顔を上げないまま小さく返した男に、これが正しい対応であることを祈りながら言った。
「十日後にカルナータで何らかの動きがある。ロクでもねぇことを計画してるクソバカがいるって前王陛下が仰ってな、念入りにすり潰してやる予定だ。そん時テメェもついてこい」
「私が? それほど強大な敵がいるのですか?」
軍事の話を振られてアルジュナの意識が切り替わり、濡れた瞳が鋭さを宿した。悲しむ父から歴戦の戦士への変貌は一瞬だった。
「そうかもしれねぇ。少なくとも前王陛下が
アシュヴァッターマンは器用な男ではない。至高の戦士であり教養深いバラモンであるが、柔い心を持て余し怒りに囚われることになった未熟者である。しかし彼はそんな己を奮い立たせる目的を見出し、王国の平和を乱す全てとの戦いに生涯を捧げることを誓った男でもあった。だから己の誓いが友の救いにもなることを望み、吠えたのだ。
ぱち、と瞬いたアルジュナの眦から嘆きの名残が滑り落ちる。彼は恥じるようにそれを拭い、ひとつ深い息を吐きだした。
「よろしい、その時はご一緒しましょう」
まずは伯父上の許しを得なければ、と続けるアルジュナは窶れており、とても本調子には見えない。けれど先ほどまでの戦士らしからぬ鬱屈はなりを潜め、背筋がしゃんと伸びていた。アシュヴァッターマンは内心胸を撫で下ろして頷いた。
「おっしゃ! 前王陛下には授かり物の試し打ちだとお伝えすりゃ許可いただけるだろうよ」
「ええ、館に戻ったらすぐに文を認めます」
こいつはもう大丈夫だとは、とても思えない。しかしきっかけぐらいにはなるかと前向きに捉えることにして、部下たちに休憩終了の号令をかけた。再び乱れない隊列を組んだ男たちを引き連れ、アルジュナと馬を並べる。盗み見た端正な横顔はしっかり前を見据えていた。
カルナータ領での作戦決行は神造兵器による派手な破壊を伴うだろう。その後始末を想像したアシュヴァッターマンは、代官として同行予定のサハデーヴァに少しだけ申し訳なく思うのだった。
後書き
原典とは方向性が違う授かりの英雄なアルジュナと、治安維持部隊長として内乱の種をプチプチするアシュヴァッターマンでした。
アルジュナはずっと伯父の何をしても勝つやり口を見てきたから潔癖症が緩和され、黒が明確な人格として育ちませんでした。
パーンダヴァが王位を巡る勢力じゃないから周りの期待がそれなりでしかなく、黒の役を被せる相手のクリシュナがいなかったのも良かった。
でもアビマニュショックで盛大に凹みました(当たり前)
アシュヴァッターマンは平和を乱す輩を滅殺する仕事にすごくやりがいを感じてます。
二人はドローナ繋がりでただの兄弟弟子。一応、友人枠。
多分、この世界のエーカラヴィヤ(アルジュナ以上の弓手だったせいで右親指を失うことになった、少数民族出身の弓の大天才。ドローナ師ぇ……なエピソード)は精鋭部隊に組込まれてます。
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