一分でわかる古代インド:盲目覇王ドリタラーシュトラ その17(拡張版)
第五次大遠征は順調に進んだ。ダルサラ国を落とした後、クル王国軍は南西に進軍し、クンティーの養父クンティ・ボーヤ王(彼女はスラセーナ国から養女に出されたとされている)の降伏を受け入れた。さらに西方でアヌパ族が、西南ではウシナラ王の親族が統治するナヴァラーストラ国が下った。すでにインド北半分の覇者となったクル王国の下につくことを良しとする国は確実に増えていた。
想定よりも早いペースの進軍に軍全体が浮ついていたのかもしれない。ドリタラーシュトラは降伏した国における略奪行為を非常に厳しく禁じており、これまでの遠征において目立った問題が起きたことはなかった。しかしこの第五次大遠征では、戦士四名が近くの農村を襲い、若い女性を陵辱の末殺害するという事件が発覚。戒律を破った者達は盲目覇王自らの手で凄惨な死を迎えた。
見せしめとして一晩晒されたバラバラ死体を前に、百王子とパーンダヴァの三王子は眉を顰めたという。後に人悪の英雄と呼ばれ弟達とともにあらゆるアダルマすれすれの行為を行ったドゥリーヨダナでさえ、この時はまだ十五歳であったのだ。愛情深い父の姿ばかり見てきた息子にはショッキングな出来事だったことだろう。
この悪い意味で気が引き締まる出来事が、第五次大遠征におけるクル王国軍の命運をわけたとする学者がいる。勝つことに慣れ過ぎていたところに冷や水を浴びせられ、戦士たちはお互いや周りを気にするようになった。これがカリンガ・アンドラ連合軍の奇襲に耐えうる緊張感を生んだという説である。
カリンガは今回の遠征で想定されていない敵であり、南東インド一の大国であった。隣国アンドラとの連合軍は総勢二十五万人。地域の部族や集落をも対象とした大規模な徴兵により、歩兵が戦場を埋め尽くす大軍であったという。総大将はカリンガ王シュルターユ。広大な国土に綿織物の産業を広め、強大な富を国民に還元することで豊かな文化を育んだ名君であった。
マハーバーラタでは、カリンガ・アンドラ軍による深夜の奇襲は明確なアダルマだとされている。月光をたよりに灯りを使わずクル王国軍を囲んだ連合軍は、馬が嘶かないよう轡を嵌め、鎧の隙間に特産品の綿を詰めるなどして夜営地に忍び寄った。これはシュルターユが葛藤の末打ち出した、盲目覇王ドリタラーシュトラの寝首を掻く作戦であった。
雲一つない、半月が照らす夜。連合軍の先鋒がクル王国軍に接触するまで、あと数十歩という、その時ーー
「皆の者、起きよ!! 夜襲である!!」
雷鳴のような低音が闇夜に轟いた。盲目覇王ドリタラーシュトラの一喝であった。
夜営地はアリの巣をつついたように一気に松明が灯され、クル王国の戦士たちが起きだし武装をはじめる。いち早くテントを飛び出した者たちは、目視できる距離にいる敵軍に驚愕の声をあげた。
奇襲が防がれどよめく連合軍。予期せぬ敵と戦うことになったクル王国軍。双方はかくして開戦した。
大混戦の中、戦車と軍馬、食料が置かれた一角は近くで寝泊まりする兵がまばらであったため、真っ先に敵の侵入を許してしまっていた。簡易の厩で軍馬と寝泊りしていた御者アディラタ。彼は敵の接近に気づくと、王の戦車を守るべく短剣を手に取った。他の御者たちも戦士さながらの覚悟で敵を待ち構えていた。彼らも盲目覇王に心酔するクル王国軍の一員であったのだ。
剣や槍を持つ敵兵に御者たちは必死に抵抗する。しかし力の差は歴然であり、彼らは次々と倒れていった。ついに最後の一人となったアディラタは心の中で神々に助けを願った。
ご存知のとおりマハーバーラタに神々はほとんど登場しない。であれば、絶体絶命のアディラタを救った矢と棍棒の一撃は、人間の縁が引き寄せたものだったのだろう。
「父よ! 無様な姿を晒さず隠れていろ!」
「夜襲を仕掛けただけでなく、戦士でない者達を真っ先に襲うとは。驚くべきアダルマだ! いい子ちゃんのユディシュティラだったらショックで卒倒しておるわ!」
弓を構えたカルナが瞳で射殺さんばかりにカリンガ兵を睨む。アディラタにかけた言葉のポピュラーな訳は「父上が傷ついた姿を見るのは胸が痛みます。安全なところに隠れていてください」である。そしてアディラタの前では、薄紫の髪に甘い顔立ちの王太子ドゥリーヨダナが棍棒を構えて笑っていた。施しの英雄と人悪の英雄、今はまだ歪な義兄弟である二人の初めての共闘であった。
一分でわかる古代インド:盲目覇王ドリタラーシュトラ その18
カリンガ・アンドラ連合軍による夜襲は失敗に終わった。盲目覇王の一喝で飛び起きたクル王国軍はすぐさま迎撃体制に入り、二倍以上の戦力差をものともせずに押し返したのだ。ここでも百王子とパーンダヴァの王子達が大いに活躍し、ドゥリーヨダナとビーマなどはどちらがより多くの敵を倒すかを競っていたという。
もう一人大きな活躍を見せたのがカルナであった。クル王国軍で唯一大きな犠牲を出した御者達のもとに真っ先に駆けつけた彼は、養父アディラタを助けた後、その場の敵兵を皆殺しにし、さらにその先にいた数千人に襲いかかった。陽炎のような殺気を纏う姿は、燃え盛る幽鬼と称されるに相応しいものだったという。騎乗する目的で厩にやってきたドゥリーヨダナら百王子もいたとはいえ、カルナは恐るべき戦果を挙げたのであった。
なお、この時ドゥリーヨダナがアディラタを守ったことから、カルナは年下の義兄に深い恩義を感じるようになる。いきなり王家に迎えられたカルナとの歪な兄弟関係は、ここから急激に改善して変貌していくのだ。
深まった兄弟愛はさておき、多くの御者を失ったクル王国軍はある種の危機にあった。当時の王族貴族の戦士はほとんどが戦車に乗って移動していたのだ。そして御者はスータ階級が務めるものであり、ほぼクシャトリヤで編成された王国軍で代わりに御者になれるものはいなかった。これにはドリタラーシュトラも頭を悩ませ、一旦同盟国に戻って人材を補充することを検討していた。
これに待ったをかけたのはドゥリーヨダナとカルナである。夜襲後に急激に距離が近くなった二人はドリタラーシュトラが長老達と詰めている天幕を訪れ、とんでもない提案をしたのだ。
すなわちカルナに師事した百王子が即席のなんちゃって御者として戦車を動かし、しかし本物の御者ではないため戦車の主にも王子として接するというもの。あくまで王子のまま、好き好んで操縦だけするという提案であった。
後に人悪の英雄という二つ名で呼ばれるドゥリーヨダナは、若き日の父王以上に屁理屈や論点をすり変えるといった悪知恵が働く男であった。彼の提案は長い物議をかもし、長老たちは総じて白髪が増えたとか。最終的には、真っ先に賛成した盲目覇王にパーンドゥとビーシュマが根負けし、ドゥリーヨダナの案は受け入れられた。
第五次大遠征の後半において百王子は遊撃部隊ではなく、なんちゃって御者として味方の戦士達を恐怖に陥れた。マハーバーラタに語られる彼らの運転技術はアクション映画のカーチェイスさながらである。興味がある方には是非、邦訳版マハーバーラタ中巻第二十章を読んで欲しい。百王子次兄ドゥフシャーサナが操る戦車で大変な目にあう老英雄ビーシュマの姿は、気の毒であると同時にとてもチャーミングだということをここに記す。
夜襲を返り討ちにしたクル王国軍は予定外の南東への進軍を行い、カリンガ及びアンドラの本国を落とした。シュルターユ王がすでに討ち取られた後にも関わらず最後まで抵抗した両国の末路は悲惨なものであったという。
とある転生者のモノローグ
俺にとって大遠征の準備というのは、戦士を集めることや物資を手配することではない。そういうのは全部ヴィドゥラと彼の部下達がやってくれる。武芸の腕を磨くことでも、武器の手入れをすることでもない。俺は生まれながら強すぎて鍛錬を必要としないのだ。この肉体は常に最高の状態にあり、体を動かすことにおいて間違った判断が「できない」。うっかりとかドジったとか、そういう失敗とは無縁なのだ。では、戦争に向けて俺がすることは?
ひたすらアカシック何ちゃらで検索をかけ、擬似的に未来を見ることだ。
敵対予定の国々について勉強して、研究して、歴史も現状も丸裸にして、何百パターンも戦略を練る。特定の行動をとった場合の仮定の未来も見ることができるので、シミュレータがわりにして、あらゆる未来を覗き見るのだ。そのうえで千里眼で現実の敵の動きを隅々まで確認して、ようやく出立する。
俺は勝ち戦しかしない。子供達のため、一族の未来のために戦っているのに負けたら本末転倒どころじゃない。だから俺に負けは許されない。どんな手を使っても必ず勝つ。
それなりに用意周到を自負していた俺だけど、カリンガとアンドラとの戦いでは今生二度目の冷や汗をかいた。ちなみに一度目は性欲に負けたパーンドゥがマードリーさんのおっぱいに触ろうとしたのを間一髪で蹴り飛ばした時だったが、それはおいといて。あの夜襲は俺が見なかった未来の出来事だった。
俺が敵軍に気付けたのは、強い風と鋭い五感のおかげだった。近づいてくる大軍の重なり合う鼓動や息遣い。馬と鎧の匂い。それらのおかげで接敵直前で皆を起こすことができた。強靭な肺と喉から拡声器いらずの大声を出せたのも助かった。
俺は万能じゃない。夜襲で死んだ戦士と御者たちを弔いながら、俺はパチパチ弾ける炎の熱を感じていた。肉が焼ける臭いで鼻の奥が痛い。涙腺まで完璧にコントロールできる体じゃなかったら少し泣いていたかもしれなかった。
まあ、しんみりした気持ちも空気もドゥリーヨダナがトンチキな屁理屈の提案をしたことで吹っ飛んだんだが! さらになんちゃって御者になった息子達のハリウッド的な操縦技術を千里眼で見たら、悲しみとか微塵も残らなかったんだが!
俺の可愛い子供達はいつだって俺の支えだ。国で待っていてくれるガーンダーリーとドゥフシャラーもそうだ。家族が泣かないためなら、俺は屍の山を踏み超えてどこまでもいける。
子供たちといえば、夜襲の後にドゥリーヨダナとカルナがニコイチコンビになった。具体的には、カルナがカルガモの雛で、ドゥリーヨダナはその好意がまんざらでもなくて調子に乗りまくってる感じだ。二人は相性が良いみたいで、カルナの難解な言葉選びも百人の弟妹とパーフェクトコミュニケーションする我が子には丸わかり。カルナを養子にしてすぐはみんなギクシャクしてたから、仲良くなってとても嬉しい。
今、俺は唯一生き残った御者のアディラタを呼びつけ、うちの子がお宅の子と仲良しで嬉しいね!という趣旨の二人飲み会を開いている。外にいる兵達は次の戦いの打ち合わせだと思ってるだろうな。ごめんよ、今日は昼から飲みの気分なんだ。
「子供は素晴らしい」
「ええ、ええ本当に。カルナを拾ってから私と妻の人生は太陽に照らされているようです」
「そうか。俺も子ができて人生が変わったぞ」
「陛下もでございますか」
「……子らの未来に乾杯だ、アディラタ」
五度の大遠征で俺はインドの半分以上を手に入れた。子供達が成人したから、補佐をつけて各地の領主に任命できるようにもなった。とりあえず俺と息子達の代は安泰だろう。孫ぐらいまでは俺がどうにかしてやれるかな。その先のことは知らん。俺は子供達に未来を与えたいが、自分の手でそのさらに先の未来を掴んでほしいとも思っている。与えるばかりが親じゃないからな。
明日からまた進軍だ。南東に寄り道したから、一旦ヴィダルバ国を回り込んで西海岸の小国たちを落としてしまおう。そうして孤立したヴィダルバに降伏勧告だ。シミュレーションでは十回に七回は受け入れられた。もし駄目でも問題ない。
その時は、この盲目覇王ドリタラーシュトラが綺麗にたいらげてやるのだから。
後書き
生涯負けなしといっても苦戦や罠にかかったことがないわけじゃないというお話。
そして中の人は普通の兄ちゃんと見せかけて本質はしっかり覇王というお話でした。
第五次大遠征は次回で終わります。
コメント、ブクマ等大変嬉しいです!ありがとうございます!
【2026.2.28まで】 本シリーズについて、今後の更新の需要確認にご協力願います。ここにないネタの希望はメッセージ(コメント欄は不可)でアンケート〆まで受け付けます。パロ・Ifの分岐ルート・番外の続き等、何でもOKですが、レーティングはR15まで(R18は不可)、キャラ死亡はパロかIFのみでお願いします。 ★重要★あくまで需要の確認です。必ず書くとお約束できないことをご了承願います。
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