レンズ越しの君へ 作:怖いか?令和の時代のゆゆゆ二次が……
作戦会議とは言ったものの、やること自体はそこまで複雑ではない。
交通安全を、子どもたちに楽しく覚えてもらう。
そのために、人形を使って、分かりやすく、飽きさせず、怖がらせすぎず、けれど大事なところはちゃんと伝える。
言葉にすれば簡単だ。
だが、子ども向けというのは、実はかなり難しい。
難しい言葉は通じない。
長い説明は飽きられる。
怖がらせすぎると泣く。
かといって、ふわっとさせすぎると肝心の交通安全が頭に残らない。
つまり、必要なのは高度な情報設計である。
眼鏡と同じだ。
似合う眼鏡を選ぶ時、顔の形、髪型、雰囲気、用途、本人の性格、その日の服装まで総合的に見なければならない。
ただ度が合えばいいというものではない。
ただフレームが可愛ければいいというものでもない。
眼鏡とは情報の調和であり、魂の──
「オト、戻ってきなさい」
「はい」
危ない。
また思考が眼鏡の深淵に潜るところだった。
「で、交通安全人形劇の台本だけど」
風はノートを開き、すでに書き込んでいた大まかな流れを俺たちに見せた。
さすがと言うべきか、動きが早い。
そこには、簡単な配役と場面構成が箇条書きにされていた。
森の中にある小さな町。
そこに住む動物たちが、初めて大きな道路を渡る。
信号を見て、横断歩道を渡って、左右確認をする。
最後はみんなで安全に公園へ行って終わり。
なるほど。
思ったよりちゃんとしている。
「意外と真っ当だな」
「なんで毎回意外そうなのよ」
「さっきまでうどんで交通事故を防ぎかけてたから」
「あれはもうやらないってば」
「今、少しだけ未練のある言い方だったぞ」
「ないわよ。……ちょっとしか」
「あるじゃねえか」
「まあ、とにかく。今回は子どもたちにも参加してもらえる形にしたいのよね。ただ座って見てるだけだと、途中で飽きちゃう子もいるだろうし」
「参加型か。いいと思う。交通安全なら、右見て左見て、もう一回右、みたいな掛け声を入れられるし」
「そうそう。そこで、最後に短い歌を入れようと思って」
「歌?」
俺が聞き返すと、風は頷いた。
「歌を入れたら子どもたちの反応が良いらしくてね。交通安全の歌とかどうかしら。手拍子しながら覚えられるようなやつ」
「なるほど。記憶に残すにはいいな」
リズムがあるものは覚えやすい。
言葉だけで説明するより、歌にして反復した方が子どもには入りやすい。
動画としても見栄えがする。
「歌詞は?」
「まだ仮だけど」
風が少しだけ照れくさそうにノートをこちらへ向ける。
そこには、丸っこい字でこう書かれていた。
右を見て、左を見て、もう一度右を見て。
赤なら止まろう、青なら進もう。
手を上げて、ゆっくり渡ろう。
みんなで守ろう、交通安全。
「……普通に良いな」
「でしょ?」
風が得意げに笑う。
普通に良い。
茶化すところがないぐらい普通に良い。
困る。
風が真面目に良い仕事をすると、俺のツッコミ先が減る。
いや、減っていいんだが。
「でも、これ誰が歌うんだ?」
俺がそう尋ねた瞬間、風の視線が樹ちゃんへ向いた。
「そこは、樹にお願いしようと思ってるわ」
「わ、私?」
樹ちゃんがびくっと肩を揺らす。
「だって樹、歌うの好きでしょ。それに、上手いし」
「う、上手くないよ……!」
「上手いわよ。アタシは知ってるもの」
「俺も知ってるぞ」
「オトくんまで!?」
樹ちゃんが、今度は俺の方を見て目を丸くした。
「いや、そりゃ知ってるだろ。昔からたまに鼻歌歌ってたし。家の手伝いしてる時とか、風の帰り待ってる時とか」
「き、聞こえてたの!?」
「聞こえてた。普通に上手かったよ」
「わあああ……!」
樹ちゃんは顔を真っ赤にして、両手で頬を押さえた。
風が隣で、うんうんと満足げに頷いている。
「ほらね。樹は一人で歌ってる時は本当に上手いのよ」
「一人でって強調しないでぇ……」
「人前だと緊張して壊滅するじゃない」
「お姉ちゃん!?」
「いや、壊滅は言いすぎだろ」
一応フォローしとくか。
樹ちゃんがぱっと顔を明るくしてこちらを見た。
「オトくん……!」
「大惨事くらいだ」
「フォローじゃなかった!」
「創作において正確な表現は大事だ」
「今は大事じゃないよぉ!」
まあ、冗談はともかく。
樹ちゃんが歌うのを好きなのは知っていた。
誰かに聞かせるためじゃなく、家事の合間とか、帰り道とか、ふと気が緩んだ時に零れるような歌。
ああいう時の樹ちゃんの声は、綺麗だ。
大きく張る声じゃない。
誰かを圧倒する声でもない。
けれど、近くにいる人間の耳にすっと入ってくる。
これはもう才能の領域だ。もし樹ちゃんが配信活動をすれば声一本で人気配信者になれるぐらいの。
だから問題は、歌えるかどうかじゃない。
人前で、あの声が出るかどうか。
ならまあ、方針も決まってくる。
「でも、樹ちゃん一人で歌わせる形にはしない方がいいな」
「え?」
「園児たちと一緒に歌うパートにする。樹ちゃんが最初の一節を歌って、すぐ結城さんが『みんなも一緒に!』って入る。そうすれば、視線が樹ちゃん一人に集まりすぎない」
「なるほどね」
風が顎に手を当てる。
「それに、歌い出しで詰まっても戻れるように、伴奏はループできる形にする。入り損ねたらもう一回。声が小さければマイクで拾う。間が空いたら俺が効果音で誤魔化す」
「そ、それなら……出来るかも……?」
「ねえ東郷さん、効果音ってそんなに万能なの?」
「強力な素材であるとは思うけれど……あれは盲信ね、友奈ちゃん」
おいそこうるさいぞ。
効果音の力を舐めるなよ。
「安心できないよぉ……」
ほらみろ、樹ちゃんがまた不安そうになってるじゃないか。
歌うのが嫌なわけじゃない。
むしろ、好きだからこそ怖いのだろう。
好きなものを誰かに見せるのは、案外勇気がいる。
俺には分かる。
……まあ、俺の場合は眼鏡への愛を世界に向けて発信することに恐怖など微塵もないが。
なぜなら俺は眼鏡に関しては常に正義だからである。
ただ、音見咲として声を出す時の、あの変な緊張は少し分かる。
画面の向こうの誰かに、自分の声が届く。
届いてしまう。
それは嬉しくて、少し怖い。
「まあ大丈夫だ。そもそも、今回の目的は、樹ちゃんの歌を披露することじゃない。園児たちに交通安全を覚えてもらうことだろ」
「う、うん」
「だったら、樹ちゃんは歌を完成させなくていい。最初の一歩だけだ」
「最初の、一歩?」
「そう。樹ちゃんが『右を見て』って歌う。そしたら結城さんが『みんなも一緒に!』って入る。園児たちが『みぎー!』って返す。そこで成功だ」
「でも、もし私が途中で止まったら……」
「その時は、園児たちに聞く」
「聞く?」
「『次はどっちを見るんだっけ?』って。そうしたら子どもたちが答える。右ー、左ー、もう一回右ーってな」
「……それで、いいの?」
「いいさ。歌の発表会ってわけじゃないしな」
そして、そうであるのならば。
「だから、失敗はない」
「……失敗は、ない?」
「ない。歌えたら成功。止まっても、子どもたちが参加するから成功。声が小さくてもマイクで拾う。入り損ねたら伴奏をもう一周する。……失敗はないんだ」
だから、そんなに気負わなくてもいいんだぜ。
「とにかく、樹ちゃん一人で舞台を背負う形にはしない。みんなの、勇者部の人形劇だしな」
「……みんなで」
「そう。だから樹ちゃんがやるのは発表じゃない。合図だ」
「合図……」
「子どもたちに、ここから歌うよって教える係。最初の歌い出しだけ頼むよ」
風が小さく頷いた。
「いいじゃない。それなら樹もやりやすいでしょ」
「……うん」
樹ちゃんはまだ少し不安そうだった。
けれど、さっきよりは顔が上がっていた。
「それなら、やってみたいかも」
「よし!」
結城さんがぱあっと笑った。
「じゃあ私、すぐに『みんなも一緒に!』って入るね!」
「頼む。結城さんはそれだけで子どもたちのテンションを引っ張れるからな」
「任せてください!」
それに、と結城さんは樹ちゃんを見て、
「私も樹ちゃんの歌、好きだよ!」
「ゆ、友奈さんまで……!」
「ほんとだよ! 優しくて、聞いてるとほっとする感じがする!」
「友奈ちゃんの言う通りよ、樹ちゃん」
東郷も静かに頷いていた。
「樹ちゃんの声には、安心感があります。交通安全を伝えるには、とても良いと思うわ」
「東郷先輩……」
「だからこそ、歌詞の二番には国土交通の秩序維持について──」
「おーい東郷ー、入れないわよー」
「残念です」
残念がるな。
入るわけないだろ。
「んじゃ、簡単に構成と役割を確認するぞ」
俺はノートの横に、簡単にペンを走らせる。
「まず樹ちゃんが歌い出す。途中で結城さんが『みんなも一緒に!』って呼びかける。そこで園児たちに、右、左、もう一回右、を真似してもらう」
結城さんの掛け声は、それだけで子どもたちのテンションを引っ張れるからな。間違いなく適任だろう。
「えへへ、任せてください!」
「で、風は進行役だな。劇全体を回す役。多分、園児たちが予想外の反応をした時に対応できるのは風だ」
「まあ、そこは任せなさい。子どもたちのハート、がっちり掴んでみせるわ」
「東郷は……そうだな。人形の動きと、小道具管理かな。あと、結城さんのフォローを頼む」
「友奈ちゃんの?」
「ああ。結城さんは子どもに好かれるだろうから、たぶん本番前後で囲まれる。そこをフォローしてくれって意味」
「なるほど。友奈ちゃんを子どもたちの無秩序な接触から守る役目ですね。分かりました。友奈ちゃんの安全は私が守ります」
「守るのは交通安全な?」
まあもうそれでいいけども。
「で、俺は撮影、音響、効果音、編集。公開用素材は園児の顔が映らないように気をつける。保育園側に確認も取る。あと、歌の音源は簡単に作るか。手拍子と木琴っぽい音でいいだろ」
「木琴?」
「子ども向けっぽいだろ。あんまり派手にすると樹ちゃんの声が埋もれる」
「そこまで考えるんだ」
風が感心したように言う。
「音は盛ればいいってもんじゃない。眼鏡と同じだ」
「また始まった」
「主役の魅力を引き立てるために、フレームは出しゃばりすぎてはいけない。だが存在感がなければ輪郭を支えられない。つまり今回の音響は、樹ちゃんの声にとっての眼鏡であるべきなんだ」
「言ってることは分かるのに、眼鏡のせいで嫌だわ」
「なんだと眼鏡のどこが嫌なんだ! いいか、眼鏡とはな──」
風は無視した。
解せぬ。
「でも、そっか」
樹ちゃんが、少しだけ笑う。
「マイクとか、音楽とか……みんなが手伝ってくれるなら、ちょっと安心かも」
「ちょっとでいいさ」
俺は肩をすくめる。
「残りは本番の勢いでなんとかなる。子ども相手に完璧な台本通りなんか無理だろうし」
「まあね。前の人形劇の時も、途中でめちゃくちゃ話しかけられたし」
「えっ、そうだったんですか?」
結城さんが首を傾げる。
「友奈、あんた半分くらい全部返事してたじゃない」
「そうだったかな?」
「そうよ。人形劇の途中なのに『そのうさぎさんは何歳ですかー?』って聞かれて、『えーっと、五歳くらいかな!』って返してたでしょ」
「あっ、思い出した!」
「自由だな結城さん」
だが、それでいいのだろう。
子ども向けの場に必要なのは、完璧な進行より、楽しい空気だ。
多少崩れても、笑って戻れるなら問題ない。
むしろ、その方が勇者部らしい。
「じゃあ、台本は風。歌は樹ちゃん中心。結城さんは園児巻き込み担当。東郷は小道具と結城さんの安全保障。俺は裏方全部。こんな感じか」
「安全保障という表現、いいですね」
「食いつくな」
「よーし、それじゃ方針決定!」
風がノートをぱんと閉じて、全員を見渡した。
「今週中に台本と歌を仕上げて、土曜日に本番。勇者部出張公演、成功させるわよ!」
「おー!」
結城さんが元気よく拳を上げる。
樹ちゃんも少し遅れて、小さく手を上げた。
「が、頑張ります」
その声はまだ少し小さい。
けれど、さっきよりは前を向いていた。
「ところでオト」
「ん?」
「歌の伴奏、ちゃんと可愛くしてよね。保育園なんだから」
「任せろ。俺の中に眠る可愛いの引き出しを開ける時が来たようだな」
「どうせ眼鏡でしょーが」
「眼鏡は可愛いだけじゃないだろうが!!!」
そんなこんなで、勇者部の作戦会議は進んでいく。
交通安全。
人形劇。
子どもたち。
歌。
それらをどうにか一つの形にするために、俺たちはしばらくノートとパソコンを囲んで、ああでもないこうでもないと頭を悩ませた。
……ちなみに、俺が提案した「横断歩道を渡る眼鏡の妖精メガネン」は満場一致で却下された。
解せぬ。