レンズ越しの君へ   作:怖いか?令和の時代のゆゆゆ二次が……

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 土曜日でも保育園は開いている。

 

 というのも、土曜日でも仕事のあるご家庭が多いからである。

 

 おお、これがブラック社会日本か。

 月月火水木金金とかいう狂った曜日を考案した思想は、こんな時代になっても脈々と根付いているらしい。

 

 高度なストレス労働社会。

 疲れを癒すためにも、眼鏡の普及が急務である。

 

 眼鏡からはマイナスイオンが出ている。俺調べ。

 

 つまり。

 

「ねーねー! このおっきなカメラなにー?」

 

「なー、にーちゃーん」

 

「すっげー! テレビでしかみたことなーい!」

 

「なー! にーちゃんってばー!」

 

「このぱそこん何に使うのー?」

 

「な────!!!」

 

「やめろカメラ揺らすな掴むなああ! PCいじったらダメだってさっきから服引っ張ってるやつはなんだ!? カメラ動かしたい!? ちょっとだけだぞこの野郎! ああもう順番! 順番だから! ってかなんだこのパワフルさ!? これが若さかー!」

 

 眼鏡! 

 

 早く!! 

 

 俺のストレスも癒してくれ!!! 

 

 讃州中学の近くにある保育園。

 そこが、今回の勇者部出張公演の会場だった。

 

 依頼内容は、土曜保育に来ている子どもたち向けの交通安全人形劇。

 事前に保育園側とは撮影範囲や公開可否の確認も済ませている。

 園児たちの顔は公開用映像には映さず、記録用と公開用で素材を分ける。

 音響機材も最低限。

 カメラも大仰になりすぎない構成。

 

 完璧な段取りだ。

 完璧な段取りだったはずだ。

 

 なのに現実は、機材を設置しようとした瞬間に子どもたちの波に飲まれていた。

 

 話が違う。

 いや、話は違わない。

 子どもが多いとは聞いていた。

 聞いていたが、数というのは見るのと聞くのとではまるで意味が違う。

 

 小さき者たちの群れ。

 尽きぬ好奇心。

 無限の体力。

 躊躇のない接近。

 そして、人の服の裾を掴む握力。

 

 あれ? 

 もしかして保育園って、自然界で言うところのサバンナか? 

 

「あんたも若すぎるぐらいでしょ、十五歳」

 

 映像機材が珍しいのか、怒涛の如く押し寄せる子どもの津波に押し負けていると、風がこちらへ歩いてきた。

 

 今日の風は、動きやすい服装にエプロン姿だった。

 保育園という場所に合わせているのだろう。

 明るい色のエプロンが、妙に似合っている。

 

 惜しい。

 ここに柔らかめのブラウンフレーム眼鏡があれば、保育士風お姉さん属性が完成していた。

 

 世界はいつも、あと一歩のところで真理に届かない。

 

「風! ちょうど良かった! 眼鏡かけてくれ! 俺の癒しのために! ……ああ待ってごめんごめん助けてくれ!」

 

「言う順番がおかしいのよ」

 

「助けてください眼鏡をかけてください!」

 

「だから混ぜるな」

 

 風はため息をつきながら、俺の膝によじ登ろうとしていた園児をひょいと抱き上げた。

 

「はいはい、機材は後で見せてもらおうねー。今はこっちで待ってようか」

 

「えー!」

 

「おっきいカメラみたーい!」

 

「見るのはいいけど、触るのは順番。約束できる子ー?」

 

「はーい!」

 

 返事だけは立派だった。

 なお、三秒後には別の子が三脚の足を握っていた。

 

 無秩序がすぎる! 

 

「随分と子どもに懐かれてるわねえ、オト」

 

「機材が珍しいんだろうな! あっ待てだから順番だって! やめろ俺の膝に同時に座ろうとするな三人は無理だ!! 風! 結城さんどこ!? 結城さん子どもの相手得意だと思うんだけど!」

 

「友奈ならあっちで全身子どもに纏わりつかれてるわよ」

 

「ジャングルジムか何かか?」

 

 風が指差した先。

 

 そこには、子どもたちに囲まれた結城さんがいた。

 

「友奈おねーちゃん、だっこー!」

 

「つぎわたしー!」

 

「ねーねー、ゆうしゃなのー?」

 

「あはは、順番だよー! みんな危ないから、ちゃんと順番ねー!」

 

 右腕に一人。

 左手を握る子が一人。

 背中側から抱きつこうとしている子が一人。

 足元でぴょんぴょん跳ねている子が二人。

 

 なにあれ。

 人間ツリー? 

 

 結城さんはそんな状態でも、困ったように笑いながら全員に目を配っていた。

 

 強い。

 子ども相手にあの自然体。

 あれは才能だ。

 

「結城さんの体幹どうなってんだよ。勇者部じゃなくて遊具部だろ」

 

「友奈はああいうの得意だからねえ」

 

「得意で済むのかあれ」

 

「慣れもあるんじゃない?」

 

「何に慣れたら人間ジャングルジムを笑顔でこなせるんだよ」

 

 そう言いながら、俺は何とか三脚を安定した位置に置き直す。

 

 危ない危ない。

 このままでは、開演前に俺のカメラが園児たちの社会性育成教材になるところだった。

 

「先輩、そちらの設置は終わりそうですか?」

 

 落ち着いた声がした。

 

 東郷である。

 

 車椅子の膝の上には、小道具用の箱。

 その横には、今回使う人形たちが綺麗に並べられていた。

 

 うさぎ。

 たぬき。

 いぬ。

 信号機。

 横断歩道の小さな模型。

 

 きっちり整列している。

 妙に統率が取れている。

 東郷が管理すると、人形劇の小道具ですら部隊編成のように見えるのはなぜだろう。

 

 俺の状態を見て察したのだろう、東郷は小さくため息をついた。

 

「事前に接触範囲を明確にした方がいいですね」

 

 東郷は小道具箱から、手作りの小さな札を取り出した。

 

『ここからさきは、きかいさんのおうちです』

 

 可愛い文字。

 可愛いイラスト。

 小さなカメラの絵。

 

 子どもでも理解しやすいように作られている。

 なるほど。

 

「用意がいいな」

 

「子どもたちに分かりやすい表示は大切ですから」

 

「助かる。あと、さっきから俺のPCを狙ってるあの子の目がハンターなんだけど」

 

「では、私が見ておきます」

 

「頼もしすぎる」

 

 東郷が静かに車椅子を動かし、PCの近くに陣取る。

 

 その姿を見て、先ほどまで俺のノートパソコンに興味津々だった男の子がぴたりと止まった。

 

「……さわっちゃだめ?」

 

「ええ。これは今日の劇に必要な大切な機材なの」

 

「こわれる?」

 

「そうね。乱暴に触ると壊れてしまうかもしれないわ」

 

「そっかー」

 

「でも、見るのは大丈夫。あとで先輩に少しだけ見せてもらいましょうね」

 

「うん!」

 

 東郷が微笑むと、男の子は素直に頷いた。

 

 すげえ。

 なんだこの制圧力。

 俺がさっきから叫んでも止まらなかった突撃が、一瞬で秩序を取り戻したぞ。

 

「東郷先生……」

 

「先輩の教育には時間がかかりそうですね」

 

「もしかして幼児と同じカテゴリーに俺いる!?」

 

「自覚があるのは良いことです」

 

「ねぇよそんな自覚!」

 

 そうこうしている間にも、保育園の先生たちが子どもたちを少しずつ集めてくれていた。

 

「みんなー、もうすぐ勇者部のお姉さんたちの人形劇が始まりますよー。お部屋の前に集まってくださーい」

 

「はーい!」

 

「ゆうしゃぶー!」

 

「にんぎょうげきー!」

 

 子どもたちの声が、部屋いっぱいに跳ねる。

 

 明るい。

 やかましい。

 でも、嫌なやかましさではない。

 

 元気というのは、近くで浴びると疲れるが、少し離れて見れば眩しいもんだ。

 

 保育園の遊戯室は、すでに人形劇用に簡単な舞台が作られていた。

 低い机に布をかけ、その後ろに小さな幕。

 子どもたちは床に座って見られるよう、柔らかいマットが敷かれている。

 

 俺は部屋の隅に音響用の小さなスピーカーを置き、パソコンと接続した。

 マイクのチェック。

 BGMの音量。

 手拍子用の軽い音。

 効果音。

 録音レベル。

 

 派手な設備ではないが、今回にはこれで十分だ。

 

 むしろ、過剰にしない方がいい。

 主役は勇者部と人形劇。

 そして、子どもたちだ。

 

 裏方が前に出すぎる必要はない。

 

 眼鏡と同じである。

 魅力を支えるために存在し、しかし目立ちすぎてはいけない。

 いや、眼鏡は目立ってもいい。

 むしろ目立つべきだ。

 訂正する。

 眼鏡は主役でも脇役でも世界を救う。

 

「オト」

 

「はい」

 

 風に呼ばれた。

 最近、俺の思考が眼鏡に逸れるたびに呼び戻されている気がする。

 もしかして風には眼鏡思想検知能力があるのか? 

 

「音、いけそう?」

 

「ああ。樹ちゃんのマイクだけ少し感度上げてる。周りの声も拾いすぎない程度にしてるけど、歌の時だけ軽く補正入れる」

 

「補正?」

 

「声を前に出す感じ。無理に大きくするんじゃなくて、埋もれないようにする」

 

「へえ……そんなことできるんだ」

 

「できる範囲でな。まあ、過信は禁物だけど」

 

 風は舞台の方をちらりと見た。

 

 その視線の先に、樹ちゃんがいる。

 

 樹ちゃんは、うさぎの人形を両手で抱えていた。

 今日の交通安全人形劇で、主に歌を担当する役。

 黄色い帽子を被ったうさぎの人形は、樹ちゃんの腕の中で少し緊張しているようにも見えた。

 

 いや、緊張しているのは人形ではない。

 

 樹ちゃんだ。

 

 顔色が悪いわけではない。

 震えているわけでもない。

 けれど、いつもより少しだけ口数が少ない。

 

 人形の耳を指でそっと整えたり、歌詞を書いた紙を見直したり、何度か小さく息を吸ったりしている。

 

 風がその姿を見て、ほんの少し眉を下げた。

 

「……樹、大丈夫かしら」

 

「大丈夫だろ」

 

 俺は即答した。

 

 風がこちらを見る。

 

「根拠は?」

 

「緊張してるだけだから」

 

「それは根拠になるの?」

 

「なる。緊張してるってことは、ちゃんとやりたいって思ってるってことだろ。だったら大丈夫だ」

 

 自分で言ってから、少し雑だったかと思う。

 けれど、風はそれを聞いて、小さく笑った。

 

「……そうね」

 

「それに、失敗しても俺が編集で誤魔化す」

 

「台無しよ」

 

「安心感あるだろ?」

 

「ないわよ、馬鹿ね」

 

 風は軽く俺の肩を叩いた。

 

 痛えな。

 励ましの力加減じゃねーんだよ。

 

「まあ、でも。ありがと」

 

「何が?」

 

「なんでもないわよ」

 

 風はそう言って、樹ちゃんの方へ歩いていった。

 姉として声をかけに行くのだろう。

 俺はその背中を見送ってから、もう一度音響画面に目を落とす。

 

 録音レベルは問題なし。

 BGMも問題なし。

 カメラの画角も、園児たちの顔が映らない範囲で舞台を押さえている。

 公開用素材としても使える。

 

 よし。

 

「岬先輩!」

 

 結城さんの声に顔を上げる。

 

 さっきまで子どもたちに囲まれていた結城さんが、ようやく解放されたらしい。

 髪が少し乱れている。

 服の裾も引っ張られたのか、若干よれている。

 

「お疲れ、結城さん。ジャングルジム業務は終わったか?」

 

「ジャングルジムじゃないですよ!?」

 

「似たような状態だったぞ」

 

「あはは……みんな元気いっぱいだったね」

 

「結城さんもたいがい元気だけどな」

 

「そうかな?」

 

 自覚ないのかよ。

 太陽は自分が明るいことに気づかないらしい。

 

「でも、子どもたち楽しみにしてくれてるみたいです」

 

 結城さんは嬉しそうに舞台の方を見た。

 

「だから、ちゃんと楽しい劇にしたいなって」

 

「そうだな」

 

「交通安全も、ちゃんと覚えてもらいたいし」

 

「結城さんらしいな」

 

「えへへ」

 

 やがて、保育園の先生がこちらへやって来た。

 

「勇者部のみなさん、そろそろ始められそうです。子どもたちも集まっていますので」

 

「はい!」

 

 風が部長らしく返事をし、舞台袖に集まった勇者部の面々を見渡した。

 まあ舞台袖っていっても布被せた机の裏側だけどね。

 

「それじゃ、みんな。最終確認よ」

 

 結城さんは元気いっぱい。

 東郷は小道具箱を確認。

 風は台本を片手に全体を見ている。

 樹ちゃんはうさぎの人形を抱えて、少しだけ背筋を伸ばした。

 

 俺はパソコンの前から、マイクのミュートを外す。

 

「音響、準備できてる」

 

「小道具、問題ありません」

 

「人形も大丈夫です」

 

「友奈、いつでも行けます!」

 

「よし」

 

 風が頷く。

 その声は明るく、頼もしい。

 

「勇者部出張公演、始めるわよ」

 

 幕の向こうから、子どもたちの声が聞こえる。

 

「まだー?」

 

「ゆうしゃぶー!」

 

「うさぎさんいるー?」

 

 樹ちゃんの指が、人形を少しだけ握り直した。

 

 俺は音響画面を見ながら、ゆっくりとBGMの再生ボタンに指を置く。

 

 交通安全人形劇、開幕だ。

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