フィギュアを作りたい。
自分の手で、自分の好きを人型に閉じ込めたい。
お小遣いは使い切っていたし、ツテなんてものもない。
それでも、話を聞ける場所となると……そこしか、思い浮かばなかった。
五条人形店
数年前。
俺がまだ小学生の頃、社会科見学で訪れた場所だ。
当時は、正直なところ雛人形と聞いてもあまり興味はなかった。
教科書に載っている伝統工芸の一つ。
その程度の認識で、ただ先生に言われるまま列に並び、説明を聞いていただけだった。
だが、機械生産ではなく、人の手で作っていた事は覚えている。
1体1体を人の手で、大量の人形を作っているのだ。
あの工房なら、もしかしたら。
そんな淡い期待を胸に、俺は放課後の道を歩いていた。
通学用に貰っていたICカードを使い、岩槻まで電車に揺られる。
地図を見ながら足を動かしているとあっという間に到着した。
何も考えないうちに、衝動的に古めかしいチャイムを鳴らす。
「おや?」
中から顔を出したのは、白髪混じりの小柄なおじいさんだった。
胸の奥で、少しだけ不安が膨らむ。
見学をお願いする?
それとも話を聞かせてください、と正直に言うべきか。
そもそも、中学生が突然訪ねてきて相手にされるのか。
冷静に考えれば、無謀もいいところだ。
「あっ、えっと。ここって、五条……」
「ええ、うちは五条ですが……」
言葉に詰まる俺を見て、おじいさんは首を傾げる。
ここまで来て、何も言わずに帰るのはさすがに情けない。
突然来て、できるかどうか分からないが。
見学させて貰えませんか。その言葉が喉まで出かかってて。
「もしかして若菜の友達かい?」
「え、あ……」
否定しようと口を開いた、その一瞬の隙を逃さず。
「そうかそうか!」
「へっ?」
俺の言葉は、完全に上書きされた。
「いやぁ、若菜が友達を呼ぶなんて初めてだな」
「い、いえ、あの、俺は……」
「人形ばっかりいじってるからなぁ。友達なんていないもんだと思ってたんだが」
ははは、と朗らかに笑う。
悪意がないからこそ、余計にその笑顔が、妙に胸に刺さった。
「学校でも、ちゃんと話せる相手がいるのか、ずっと心配でねぇ」
そんな人の良いおじいさんに、俺は完全に言い出せなくなっていた。
その、若菜ちゃんとやらとは知り合いですらない、なんて。
「ほら、若菜の部屋は階段上がって左だ。上がっていきなさい」
「えっ、えっと……」
そう言って、当然のように家の中へ通される。
そして訂正する前に、奥に引っ込んでしまった。
玄関を上がった時点で、違いますとは言い出せなかった。
見学を頼むつもりだった俺は、いつの間にか友達として家に上がり込んでいる。
ど、どうしよう……
少し逡巡して、結局足をあげた。
二階へ続く階段を上るたび、軋む音がやけに大きく聞こえた。
本当に上がってきてしまった、という実感が、今さらになって重くのしかかる。
階段を上がって、左側の襖。
ノックしようと襖に手を伸ばし、しかし考え直してその隣の柱をノックする?
「? じいちゃん?」
返ってきたのは、思っていたよりも低い声だった。
一瞬、聞き間違いかと思ったが、次の瞬間、がらりと戸が開く。
「どうしたの?じいちゃ……え?」
そこに立っていたのは、作務衣を着こなした俺よりも背の高い男だった。
その姿はまさに見習い職人といった様子だ。
「……」
「……」
数秒、互いに固まる。
「えっと……若菜、さん?……ですか?」
「う、うん。そうだけど……」
作務衣の男の子、若菜は、明らかに困惑した表情で俺を見ていた。
「えっと、人形の見学に来たら友達って勘違いされて部屋に通されてそれで……」
「あっ、お客さんでしたか!すみません、うちのおじいちゃんが」
「いや否定できなかった俺が悪いから……えっと、五条人形店の人ですよね?」
「はい。うちは五条人形店ですけど」
「俺、フィギュア作りたくて……それで、参考になるかと思い雛人形の見学に」
「フィギュアですか……雛人形とは、だいぶ方向は違いますけど……」
若菜は少し考えるように視線を落としてから、続けた。
「服は布で作るのであまり参考にならないかもしれませんが、頭は……」
若菜は部屋へと戻り、とある物を持って帰ってきた。
それは、軸に刺さった雛人形の頭。
な、生首……ちょっと不気味だけど……
「こんな感じです」
「お〜すごい。これは印刷ですか?描いてるんですか?」
「描いてますよ。今仕上げの最中なんですが見ていきますか?」
「え!若菜さんが描いてるんですか!」
「まだまだ商品にはなりませんけどね。練習です。僕、
「凄い……是非見せて頂けませんか」
若菜は少しだけ戸惑ったように視線を泳がせ、それから静かに頷いた。
俺は若菜に続いて部屋へとお邪魔して襖を閉める。
「こっちはじいちゃんの描いた顔なんです。今はこれを手本にしていて……」
手にしていた人形の頭部を大切にペン立て?に立てかけ、代わりに別の頭を手に取る。
そちらの頭はまだ製作途中で、まだ半分しか描かれていなかった。
「へえ……」
製作途中の頭を持つ、若菜の手元を覗き込む。
片側の目と眉だけが完成しており、もう片方は下書きのまま、白い素地が残されていた。
完成している側だけを見れば、すでに十分すぎるほど表情がある。
しかし何が気に入らなかったのか、完成していたと思っていた側の瞳に筆を走らせる。
先の細い、それこそ毛が1本しかないのか?というほど細い筆で表情を描き足していく。
こんなに細かい事が、俺にもできるだろうか?
「お〜い若菜。お茶持って来たぞ……って、何やってんだ?」
「あっ、じいちゃん!今面相書きをしてて」
「面相書き?何もこんな時までしなくても」
「いや、じいちゃん、この人は人形作りの見学に……」
「実は!若菜くんの作業に興味あって見学させてもらってるんです!」
「お、おう。そうかい」
俺は咄嗟に若菜の言葉を遮る。
おじいちゃんは少し呆気にとられていたが、嬉しそうに笑う。
「良かったな若菜。お前の好きなもんわかってくれる友達が出来て」
そう言ってゆっくりして行きなとお盆に乗った湯呑みと小皿のお菓子を置いてくれた。
襖を閉じて、足音が遠ざかった頃。
「えっと、友達って……」
「夢を語り合ったんだからもう友達だろ」
あんなに嬉しそうなおじいちゃん悲しませるなよな。
それに、俺達は同じく人形作りを目指す同志。
俺は若菜に勝手に親近感を持っていた。
「友達ならタメ語でもいい?っていうか何歳?」
「えっ、11ですけど……」
「じゃあまだ小学生か、背高いな。年上かと思ってた。あ、俺は12の中学生ね」
思ったよりも年下だった。
けれど、さっきまで見ていた筆さばきと、真剣な横顔を思い返すと年齢じゃないんだなって感じがする。
「それよりも、小学生から将来の夢に向けて練習してるなんて凄いな。俺にもコツ教えてよ」
「えぇっ!俺なんてまだまだで……じいちゃんに聞いた方が……」
慌てて視線を逸らし、逃げ道を探すように言葉を濁す。
その反応が、謙遜ではなく本心からの言葉だと伝えていた。
本職から見たらそうかもしれない。
だが、俺から見たらプロにしか見えなかった。
「俺からしたら充分上手いって」
俺はただ、フィギュアが作りたいと思っただけ。
でも若菜は、夢に向かってもう歩き始めている。
その差が、少しだけ眩しかった。