吉良吉影は初星学園で目立たず生きたい   作:あのはの

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2026/8/3 追記

少し変更しました


1章 出会い
平穏は砕けない


 逃げなければならない。

 

それだけが、吉良吉影の中で揺るがない事実だった。

空気が裂けるような衝撃が、背後で弾ける。

ここまで追い詰められるのは、想定外だった。

 

 東方仗助。

 空条承太郎。

 

どちらも、本来なら関わるべきではない人間だ。

だが現実は、彼らがそこにいるという一点だけで、吉良の平穏を完全に破壊していた。

 

「……まったく」

 

吐き出した言葉は、ひどく冷静だった。

恐怖がないわけではない。

だが、恐怖に支配されて取り乱すほど、彼は愚かではない。

 

戦うべきではない。

勝つ必要もない。

生き延びること。

それだけが、目的だ。

 

キラークイーンが、背後に立つ。

その姿は、どこまでも静かで、どこまでも無機質だった。

 

ここまで来て、なお考えてしまう。

──なぜ、自分がこんな目に遭わなければならない? 

 

吉良吉影は、ただ静かに暮らしたかっただけだ。

誰かの人生を奪うことでしか満たされない衝動を抱えながらも、それを悟られないよう、細心の注意を払い、社会に溶け込んできた。

 

 それなのに。

 

「……運が悪かった、と言うべきか」

 

承太郎の視線が、突き刺さる。

あの男の目は、最初からこちらを“理解している”目だ。

 

ここに「逃げ場」はない。

 

だが──「切り札」はある。

 

最後の手段に意識を向ける。

誰かの秘密を抱かせ、追う者を遠ざけるための能力。自分の平穏を守るためだけに用意された、あまりにも身勝手な安全装置。

 

 バイツァ・ダスト。

 

この能力は、戦うためのものではない。

ましてや、勝利を掴むためのものでもない。

ただ、すべてを「なかったこと」にするための力だ。

自分の平穏を守るためだけに存在する、究極の逃避。

 

「いいや! 「限界」だッ! 押すねッ!」

 

視界が、歪む。

爆発音が、世界そのものを裏返すように鳴り響いた。

──そして。

 

 

次に目を開けたとき、最初にあったのは白い天井だった。

 

鼻を刺す消毒液の匂い。

一定の間隔で鳴る電子音。

半分だけ閉じたカーテンの向こうで、誰かが静かに歩く気配。

 

病室だ。

 

「……」

 

わたしは上体を起こしかけて、止まった。

 

手が違う。

 

指は細く、手の甲にはまだ若さが残っている。川尻浩作の手でもない。生まれ育った頃の、自分の手でもない。

 

左手の爪を確認する。

伸びてはいない。

 

それだけで、胸の奥にあった苛立ちが、わずかに遠のいた。

 

ベッド脇の棚には、見覚えのない学生証と端末が置かれていた。学生証に印字された校章の下には、初星学園の文字。そのさらに下に、所属だけが端的に記されている。

 

プロデューサー科。

 

「……初星学園」

 

東京都天川市にある、アイドルを育てる学園。

騒がしい場所だという印象しかなかった。テレビの特集で何度か見た程度だが、静かな暮らしを望む人間が近づく場所ではない。

 

吉良吉影は、こういう事態に慣れている。

想定外が起きたときほど、冷静に状況を受け入れる性質だった。

 

人の気配が途切れたのを確かめてから、わたしは右手を持ち上げた。

キラークイーン。

 

「……使えるのか」

 

能力まで失っていたなら、話はさらに厄介だった。

 

「キラークイーンは出すことが出来る…バイツァ・ダストではない、別の「能力」が発現したのか?……」

 

キラークイーンを消す。

 

「まずは、状況を把握することだ」

 

端末の画面を点ける。日付を確認し、わたしは眉をひそめた。

 

杜王町で最後に見た日と、大きく隔たってはいない。

 

未来へ飛ばされたわけではない。

杜王町も、初星学園も、同じ日本にある。同じ時代を流れている。

 

これは、罰ではない。

平穏な生活を送るには、悪くない環境かもしれない。

 

医師の説明によれば、軽い事故で意識を失っていた学生が、奇跡的に目を覚ましたらしい。

名前も、戸籍も、この身体のものが用意されている。

 

つまり──

ここでは、川尻浩作ですらない。

完全な別人。

 

「フ……フハハ……フハハハハハハ!」

「やはり「運命」は私に味方をしていた」

 

それは、吉良にとって、ある意味で理想的だった。

 

 ◆

 

数日後。

 

初星学園の校門を前にして、わたしは足を止めた。

 

朝の校内は、想像どおり騒がしい。笑い声。歌声。レッスンへ急ぐ足音。どれもが自分を見ているわけではないのに、音が多いだけで疲れる。

 

だが、プロデューサー科の校舎へ入ると、空気は少し変わった。

 

予定表。

レッスン記録。

審査の基準。

アイドルごとの成績と、今後の育成計画。

 

感情ではなく、数字と手順で結果を組み立てるための場所だった。

 

「……悪くない」

 

わたしに課された条件も、単純だった。

 

アイドルを一人担当し、プロデュースの成果を出すこと。

何もしなければ、課程を修了できない。

 

つまり、目立たずに卒業するためにも、誰か一人は選ばなければならない。

 

問題は、誰を選ぶかだ。

 

頂点を狙う人間は危険だ。

注目を集める。敵も味方も増える。勝った後でさえ、次の勝負を求められる。

 

反対に、あまりに結果を出せない人間も困る。

担当の無能さは、そのままプロデューサーの無能として記録に残る。

 

必要なのは、伸ばせるが、暴走しない人間。

優秀だが、主役になりすぎない人間。

 

資料をめくる手が、ある名前の前で止まった。

 

 藤田ことね。

 

レッスン評価は中の下ほど。

生活記録には、アルバイトによる睡眠不足の可能性。

講師コメントには、基礎が整えば伸びる、とある。

 

「……」

 

まだ、選んだわけではない。

ただ、その名だけが、他の数字より長く目に残った。

 

自分は、静かに生きる。

そのためなら、3位でいい。

常に、3位。

誰にも恨まれず、誰にも狙われず、

それでいて、無能だとは思われない位置。

 

 

初星学園の空は、やけに澄んでいた。

 

──平穏は、まだ壊れていない。

 

 

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