朝は、わりと早いほうだと思う。
目覚ましが鳴る前に起きられた日は、「今日は勝ち」って気分になるし、鳴ってから慌てて止めた日は、「あーもう最悪」ってなる。
今日は、前者。
(よしよし、いいスタート)
キッチンでフライパンを温めながら、昨日の夜に下ごしらえしておいたおかずを並べる。卵焼き、ウインナー、ほうれん草のおひたし。
派手じゃないけど、慣れた手つきでお弁当箱に詰めていく。
(外で買うより、やっぱ自分で作ったほうが安いしな〜)
初星学園の学費は、正直、重い。軽い気持ちで来たわけじゃないし、分かってたことだけど──現実としての数字は、いつ見てもため息が出る。
(だからこそ、ここで失敗するわけにはいかないんだけど)
制服に着替えて、鏡の前で一度だけ立ち止まる。髪よし、顔よし。
うん、今日も世界一可愛い。
「……よし」
自分で自分を納得させてから、家を出た。
◆
初星学園の朝は、賑やかだ。アイドル科の生徒は特に、声が大きい。元気。自己主張が激しい。
「ことねー! 今日の課題、やばくなかった?」
昇降口で声をかけてきたのは、同じクラスの子。友達、と言っていいと思う。少なくとも、孤立はしていない。
「やばかった! 普通に!」
「だよね!? あの振り付け、テンポ早すぎでしょ」
「先生、絶対私たちの体力過信してるって!」
軽口を叩きながら教室に向かう。こういう会話は嫌いじゃない。むしろ、好きなほうだ。
(……でも)
頭の片隅で、別の声がする。
(ちゃんと、ついていけてる?)
ダンス。
歌。
表現力。
全部「平均以上」じゃ、ダメな世界だ。
◆
昼休み。
校庭の端にあるベンチに腰を下ろして、お弁当箱を開く。
「相変わらず、ちゃんとしてるよね、ことねのお弁当」
「でしょ。これが大人の余裕ってやつ」
「一人だけ生活力高すぎなんだって」
笑いながら、箸を動かす。
「ねえ、今日のダンス課題どうだった?」
「え?」
一瞬だけ、言葉に詰まった。
「……まあまあ、かな! ちゃんと最後まで踊れたし!」
「いや、途中で止められてたでしょ」
「ちょ、それ言わない約束!」
ツッコミが飛ぶ。
図星。
(止められたのは事実)
テンポが合わなくて、呼吸が乱れて、集中が切れた。
「でもさ、表情は一番良かったって言われてたよね」
「そこ! そこが私の強みだから!」
胸を張って言うけど、心の中は少し複雑だ。
(“表情はいい”って、それ以外が足りないって意味だし)
「次の課題、レポートもあるらしいよ」
「うわ……」
箸が止まる。
(レッスンに、課題に、オーディション)
(全部ちゃんとやらないと、置いていかれる)
「ことね、バイトもあるんでしょ? 大丈夫?」
「……まァ〜ね〜」
一瞬だけ、本音が喉まで出かかった。
(全然大丈夫じゃない)
でも、それは言わない。
「やるしかないじゃん。ここまで来たんだし」
笑ってそう言う。それは周りのためでもあり、自分に言い聞かせるためでもあった。
(私、ちゃんとアイドルやれてるのかな)
そんな考えが、ふっと浮かんだ、その時。
──視線を感じた。
◆
視線の先。
校舎の影に、見慣れない人が立っていた。
スーツ姿。
この学園では、少し浮いている。
(……プロデューサー科?)
ただ、妙に落ち着いている。視線が、騒がしくない。
じっと、こちらを観察しているような──そんな感じ。
(誰だろ)
気になっていると、その人は静かにこちらへ歩いてきた。
友達が先に気づく。
「あ、ことね。知り合い?」
「え? いや、知らな……」
その人は、私の前で立ち止まった。
「藤田ことね君、だね」
「……はい?」
名前を呼ばれて、思わず背筋が伸びる。
(なに? スカウト? それとも注意?)
相手は、淡々とした声で言った。
「突然で悪いが、少し話をさせてほしい」
「え、あの……」
一拍置いてから、その人は続ける。
「君を──プロデュースしたい」
一瞬、頭が真っ白になった。
「……は?」
心臓が、どくんと鳴る。
(プロデュース? 私を?)
目立たない。落ち着いた。
でも、妙に断定的な言い方。
その人の目は、私を値踏みするようで──
それでいて、確信を持っているようにも見えた。
「話だけでいい。時間は取らせない」
そう言われて、なぜか。
(……断れない気がした)
胸の奥が、ざわつく。
これは、ただの日常じゃない。そんな予感だけが、はっきりしていた。