目覚ましが鳴る前に、ぱちっと目が覚めた。
「……ん?」
天井を見上げて、首を傾げる。その瞬間、ぴったりのタイミングで目覚ましが鳴り始めた。
「え、うそ。時間完璧じゃない?」
思わず笑って、アラームを止める。起き上がってみて、すぐ分かった。
身体が軽い。布団から引き剥がされる感じがない。
「いつも通り寝ただけなのにな〜」
顔を洗いながら、鼻歌まじりに呟く。特別なことは何もしていない。
言われた通りに寝て、言われた通りに起きただけ。
◆
朝ごはんを食べていると、スマホが震えた。プロデューサーからのメッセージだ。
『おはようございます』
『昨日はありがとうございました』
「……朝から丁寧すぎじゃない?」
ちょっと笑いながら、続きを読む。
『今日から生活調整を始めましょう』
『まず、アルバイトの件です』
背筋が少し伸びる。
『すべてを一度に辞めてもらう必要はありません』
『代替案を用意しています』
「代替案……?」
聞き慣れない単語に、首を傾げる。
『プロデュース契約が付いたアイドルは、学園の無利子奨学金制度を利用できます』
『条件は、成績とレッスン評価の一定水準維持です』
知ってる言葉なのに、なんだか新鮮だった。自分とは別世界の話だと思ってたから。
『また、寮の管理業務補助は、学園から補助金が出ます』
『拘束時間は短く、睡眠時間を確保できます』
「すごい……」
思わず画面に向かって言ってしまう。否定も、不安も、なぜか浮かばなかった。
そもそも。こんな選択肢があるなんて、考えたことなかった。
「そっかぁ……」
息を吐いて、肩の力が抜ける。
今までのあたしは、バイトを増やすか、気合で乗り切るか。その二択しか見えてなかった。
『奨学金や補助金は無償ではありません』
『制度として用意されているものです』
『条件を満たせなければ、停止されます』
『今日、放課後に詳細を説明します』
『ご検討ください』
考えるより先に、指が動く。
『はい! お願いします!』
スマホを置く。
学園からの無利子奨学金。ずっと空想の中にあったものが、少しずつ現実として輪郭を持ち始める。
「よっしゃ〜〜〜〜!! 夢じゃないよね!?」
「っていうか一晩でこんなに調べてくれたの!?」
「もしかして、プロデューサーあたしのコト、ちょ〜〜大好きなのかも????」
「あたしもプロデューサーのこと大好きで〜〜〜〜〜す♡♡」
「うおおおお!!! ここから大逆転!! 成り上がるぞ〜〜!!!!」
ーー
「ことねっち、朝から一人でちょー叫んでる……」
「清夏ちゃん清夏ちゃん!! ビッグニュースだよ!! マルクを主役にしたスピンオフ作品がアニメ化するんだよ!!」
「マルク? ……スピンオフ……?」
「シルヴェスタだよ! 清夏ちゃんにも見せてあげたでしょ!」
「うんうんソウダネ〜」
「うぅ……きっとことねちゃんもアニメ化が決定したことを喜んでるんだよぉ……」
「違うと思うケド……」
◆
登校中、空を見上げて歩く。
「あたし、なんでも一人でやらなきゃって思いすぎてたのかも」
誰かに頼る、じゃなくて。用意されてるものを使う。それだけの話だった。
午前のレッスンも、調子がいい。身体がちゃんと動くし、息も乱れにくい。
「藤田、見違えるように飲み込みが早くなったな。今日教えたステップも、もうお手本みたいだ」
「本当ですか!?」
「綺麗なステップだった。二組の連中にも見せてやりたいくらいだ」
余裕ができたことで、他人の言葉を自分の中に落とし込みやすくなっているのが分かる。
◆
昼休み。弁当を広げながら、スマホでシフト表を確認する。
「バイトの時間を減らす……かぁ」
不思議と、怖さはない。ただ、慣れてなかっただけだ。
今までは、空いてる時間=働く時間、だったから。
「まさか、バイトを減らす時が来るとはナー」
小さく笑って、バイト先にメッセージを送る。
『来週からのシフト、調整お願いできますか』
送信。
「よしっ!」
胸の奥が、すっと軽くなる。
◆
放課後、寮の管理室で麻央先輩から寮の管理業務補助の説明を受ける。
「ことね、寮の管理補助の仕事を引き受けてくれてありがとう」
「いえいえ〜麻央先輩のお手伝い、させていただきます♪」
「やってもらいたい内容は、食材・消耗品の買い出し、郵便物の受け取り……」
「あとは、門限を守らない子を捕まえたりかな」
「う゛っ゛」
「まさか、ことねがお説教する側になるなんてね」
「その件は、本当にッ! 申し訳ございませんでしたぁぁ!!!」
業務は、思ったよりずっと地味で、静かで、きっちり時間通り。時計を見て、思わず声が出た。
「え、もう終わり?」
外は、まだ明るい。帰り道、夕焼けを見上げながら歩く。
「この時間に部屋に帰ってるの……ちょっと新鮮」
言われた通りにした。それだけで、毎日が少しずつ整っていく。
「プロデューサー、スゴすぎ……」
その言葉は素直で。確かな実感を伴っていた。
◆
数週間後。
生活が、すっかり“整って”いた。
起床時間は時間。朝食は抜かない。寝る前に軽いストレッチ。夜は無理をしない。どれも、言われた通りにしているだけ。
それなのに。
「藤田、ミスが減ってるな」
「集中力が続いてますね」
トレーナーから、そんな言葉をもらう回数が増えた。
「ありがとうございます!」
自然に、笑顔で返せる。前みたいに気合いで押し切る感じじゃない。ちゃんと『余裕』がある。
(……あたし、今かなりいい感じじゃない?)
心の中で、ちょっとだけ胸を張る。
◆
レッスン終わり。レッスン室を出ながら汗を拭いていると、目の前から人が現れた。
「お疲れ様です。藤田さん」
「ぷっ、ぷろでゅーさー!?」
「レッスン、拝見しました。とても安定していますね」
「プロデューサーが褒めてくれるなんて最高です! もっと褒めてくださ〜い!!」
「それは何よりです。じゃあ次の段階へ進みましょう」
「次の段階……?」
「今週は自主練習の時間を減らしてください。疲労管理を優先します」
「え、せっかく練習時間取れるようになったのに、減らしちゃうんですか?」
一瞬だけ首を傾げる。今までは、時間があれば練習。遅れていた分、取り返す。それが当たり前だった。
「今の藤田さんは、積み上げるより崩さないことが重要です」
「……なるほど」
読み終えた瞬間、妙に納得してしまった。
(たしかに、最近は無理してないのに、ちゃんとできてるし)
「はい、この短期間で積み上げることが出来ているということですよ」
「も〜欲しい言葉をくれるんですからぁ〜、プロデューサぁ〜」
「あと、今月のオーディションの追加募集は見送ります」
「えっ」
おもわず、声が出た。
「今は経験を増やすより、評価を固める時期です」
「焦る必要はありません」
プロデューサーを見つめながら、少しだけ考える。
オーディション。ようやく掴めそうになっている成り上がりのチャンス。逃したくないもの。
でも──
(今まで、プロデューサーの言うこと、全部当たってるんだよね)
迷いは、すぐに薄れた。
「はい、分かりました!」
胸の奥が、ふっと軽くなる。
(……考えなくていいって、楽だな)
◆
その日のダンスレッスン後。
「ことね、最近……変わったわね」
咲季が、少し考えるようにして言った。
「変わった?」
「ええ。前みたいに、無理して前に出なくなったっていうか」
「え〜、それって成長じゃない?」
「そうかもしれないけど……」
咲季は一瞬だけ言葉を探してから、肩をすくめた。
「なんだか、落ち着きすぎてる気がするのよ」
「ん?? 落ち着いてるのは、いいことじゃん?」
「……まあ、そうね」
咲季は納得したような、してないような顔で、それ以上は言わなかった。
◆
歌のレッスン中、手毬がぽつりと呟く。
「歌だいぶマシになってきたんじゃない? 前までは聴くに耐えない歌だったから」
「褒めるならちゃんと褒めてくださ〜い」
「でもさ」
手毬は、少しだけ眉を寄せた。
「前より、守ってるような歌い方」
「守り?」
「失敗しない歌い方、って感じかな」
一瞬考えてから笑う。
「それ、褒め言葉じゃん?」
「……まあ」
手毬はそれ以上言わなかった。その表情に、わずかな引っかかりを覚えたけど──
(結果出てるしプロデューサーにも褒められてるから、いいよね)
どれもすぐに、気にならなくなる。
◆
夜。ベッドに横になり、スマホを置く。
今日も、言われた通りの一日だった。そして、何も問題は起きていない。むしろ、全部うまくいっている『平穏な生活』だった。
「……プロデューサーがいるなら」
小さく、独り言がこぼれる。
「……あたし、失敗しないな」
そう思えたことが、少し誇らしくて。そのまま、目を閉じた。
考える必要は、もうなかった。