結果というものは、騒がない。
わたしはそう信じて生きてきた。本当に正しい結果ほど、音もなく、目立たず、ただそこに在る。
端末に表示された藤田ことねのデータを、わたしは指先でなぞるように眺めていた。出席率。レッスン評価。講師コメント。
どれも、突出してはいない。だが、乱れもない。
「……理想的じゃあないか」
思わず、そう呟いていた。
成長曲線が急激な人間は危険だ。
周囲の視線を集め、嫉妬を呼び、やがて必ず摩擦を生む。
それはわたしの望む『平穏な生活』とは、決定的に相容れない。
藤田ことねは違う。
言われた通りに眠り、言われた通りに起き、言われた通りに動く。判断に迷わず、余計な疑問を抱かず、結果だけを積み上げる。
まるで──
よく手入れされた鉢植えのようだ。
「植物はいい……」
勝ち負けを考えない。目立とうとしない。ただ、与えられた環境の中で、静かに育つ。
それでいい。
それ以上を望む必要はない。
彼女は理解している。いや、正確には──理解し始めている。
自分で考えなくていいことの、心地よさを。
わたしは藤田ことねを、特別視しているわけではない。才能を見出したわけでも、夢を託したわけでもない。
ただ、管理可能だった。
それだけだ。
◆
夜十一時。
いつもと同じ時間に照明を落とし、同じ手順でストレッチを行う。ホットミルクは、少しぬるめ。
熱すぎると、神経が過敏になる。
完璧だ。
今日も、何一つ乱れていない。
それなのに──
「……」
無意識に、左手の爪を見ていた。
伸びが、早い。
わたしは自分の身体の変化を、誰よりも正確に把握している。この感覚を、間違えたことは一度もない。
「調子がいい……ということか」
こういう時は決まって、思考が澄む。雑音が消え、世界が単純な構造に戻る。
ふと、頭の奥に浮かぶ光景があった。
夜の住宅街。整然と並ぶ家々。
静まり返った交差点。
杜王町。
「……余計な人間が、いなければね」
感情は動かない。懐かしさでも、怒りでもない。
ただの事実確認だ。
あの町は、本来、わたしにとって理想的な場所"だった"。
だが、承太郎や仗助のような人間が現れたことで、すべてが狂った。
平穏を乱す存在は、必ず排除されるべきだ。それは善悪の問題ではない。構造の話だ。
「……まあ、今はいい」
今は、まだその段階ではない。
藤田ことねは、明日も言われた通りに動くだろう。学園は、何事もなく回る。わたしは、単位を取り、卒業する。
そして──
いずれ、正しい場所へ戻る。
植物は、植え替えの時期を間違えなければ枯れない。わたしは、それをよく知っている。
運は、こちらにある。
静かな生活は、すでに始まっているのだから。
◆
──杜王町。
夕暮れが街の角を鈍く染めるころ、あの路地の入口だけは、相変わらず「空白」のように残っていた。誰も立ち止まらない。見ようとしない。だが、見える者には見える。
そこに、彼女はいた。
「みんな」
杉本鈴美の声は、ひどく落ち着いていた。
「ひとつだけ、言っておくわ」
仗助が「なんスか」とでも言いそうな顔をする。承太郎は黙って、帽子のつばの影から視線だけを向けた。
その一歩後ろで、康一が息をのむ。
「「吉良吉影」の魂が……あの世へ行ったのを、わたしは確認していないの」
「えっ……」
康一の声は小さい。けれど、確かに震えた。
「鈴美さん……そ、それって……まだこの町に……?」
仗助の眉が跳ねる。
「は? いや……でも、あいつは──」
言いかけて、言葉が詰まった。救急車。あの音。あの結末。思い出せば思い出すほど、「終わった」はずなのだ。
鈴美は淡々と続ける。
「『死んだ』ことと、『行った』ことは、同じじゃないわ。ここには、行けなかった人の『魂』がたくさんいる。だから……分かるの。来るときは、気配があるのよ」
承太郎が短く息を吐く。
「……やれやれだぜ。確認できてねぇってだけか?」
「ええ。断言はしないわ」
鈴美はそこで、わずかに目を伏せた。
「……でも、胸が騒ぐの」
康一は首を振る。否定というより、終わったことにしたい動きだった。
「あいつは救急車に引かれて即死したんです。『杜王町』に裁かれたんですよ!」
「そうであってほしいわ」
鈴美は、柔らかく答えた。優しい否定でも肯定でもなく、ただ事実を置く言い方で。
承太郎が一歩だけ前へ出る。声は低い。
「もし終わってねぇなら、次は『逃がさねぇ』……それだけだ」
みんなは黙ってうなずいた。納得ではない。決意の形だけを、作った。
そのとき。
鈴美がふと空を見上げた。
雲ひとつない青が、夕焼けに溶けていく。穏やかな色だ。なのに、胸の奥だけがざわつく。
(……もし、行っていないのなら)
鈴美は言葉にしなかった。言葉にした瞬間、現実になってしまいそうだったから。
ただ、嫌な予感だけが残る。
──何かが、静かに根を張り始めている。