生徒会室は、整っていた。
書類は角を揃え、ペンは置くべき場所に戻されている。
——整っているのに、胸の奥だけが整わない。
「……今、何と言ったの?」
星南は報告に来た生徒を見た。
相手があくびをしながら、繰り返す。
「はい。藤田ことねさんに……担当のプロデューサーがついたと」
「まりちゃんが、少し嬉しそうに語っていました……」
隣から大きく椅子を引く音がする。
「あっ!!! そういえばお姉ちゃんも言ってた!!!」
「友達にプロデューサーが着いたんだーって!!」
星南は指先で机の端を一度だけ叩いた。
それで、心を落ち着かせる。
「そう」
声は静かだ。けれど、言葉の速度が少しだけ速い。
「分かったわ」
扉が閉まる。
静寂が戻った瞬間、星南は息をひとつ吐いた。
「……どうして、わたしだけが知らないのかしら」
答えを持つ者はひとり。祖父だ。
◆
学園長室の前で、ノックを二回。
返事を待って扉を開ける。
「ごきげんよう、おじいさま」
「おお、星南か。どうしたんじゃ、そんな顔をして」
十王邦夫は、机の向こうで書類をめくっていた。
目尻に皺を寄せて笑う、その余裕が——今は少しだけ腹立たしい。
「ひとつ、確認させてください」
丁寧に言う。丁寧だからこそ、逃げ道は塞げる。
「藤田ことねに、学生プロデューサーがついた。……そうね?」
「ほほう、耳が早いのう」
「耳が早いのではなく、当然の報告が遅いのよ」
「私がことねの事を気にかけていることは知っていたわよね。何故教えなかったの?」
おじいさまは「いやいや」と手を振る。
「初陣公演で、この一ヶ月公演を良くするために、忙しそうだったじゃろう?」
「……『忙しそう』だったから?」
「そうじゃ。忙しそうだったからじゃ」
同じ言葉を、平気で繰り返す。悪びれない。だからこそ、たちが悪い。
星南の口元が、わずかに引き締まった。
「おじいさま。わたしは生徒会長よ」
「うむ」
「確かに初陣公演は、新入生が初めて上級生のライブを見る大切な機会」
「東京、愛知、大阪……一ヶ月の間に様々な場所で公演を行う。もちろん準備が忙しいわ」
「でも、忙しいかどうかは、報告を省略する理由にならないわ」
静かに断定する。ここまでは落ち着けている。
——だが。
「藤田ことねは」
その名を出した瞬間、熱が混じる。声が僅かに大きくなり、言葉が早まる。
「あの子は、大きな潜在能力を秘めているの。わたしはそう見ている。だから『今』が大事なのよ。担当がついたのなら、なおさら——」
言い切る直前で止めた。『わたしのモノ』という衝動が、喉元まで来ている。ここでは言わない。言うべきではない。
代わりに、息を整え、言葉を選ぶ。
「……見落としたくないのよ。あの子の転機を」
おじいさまが、ほほほ、と笑った。
「相変わらず熱心じゃのう。ほうれ、忙しそうじゃ」
「……学園長」
呼び方が変わる。それだけで、空気が硬くなる。
「プロデューサーの名前は?」
「それを知ってどうするんじゃ……?」
「ことねのプロデューサーの名前を教えてくださらない? 学園長」
「じゃから、それを知って——」
「質問を質問で返さないで頂戴!!!!」
「わたしが『名前』を聞いているのよッ!!!」
「ひ、ひぇ〜〜〜!!」
~~
「別に個人の生徒にプロデューサーが着いたことを、報告する必要は無いはずじゃろうに……」
「次からは省略しないで。わたしの予定を狂わせた責任、取ってくださいね?」
邦夫は肩をすくめて、苦笑した。
「すまんすまん。だがまあ、結果が出ておるなら良いではないか」
「ことねくんも、プロデューサーも。順調じゃろう?」
星南は、扉の前で足を止める。
振り返って、目だけで笑った。
「ええ。順調みたいね」
だからこそ。
わたしがそこにいないのは、おかしい。
◆
廊下に出た瞬間、星南の歩幅が半歩だけ速くなる。
呼吸を整える。声が弾む前に、箱にしまう。
「……会いに行くわ」
わたしが彼女を導く。そう言い聞かせるほど、胸の奥が熱を増す。
ふと、廊下の掲示板が目に入った。定期公演『初』。中間審査、最終審査。成績上位者が、舞台で“初”を歌う。
星南は、その紙面を一度だけ見て、視線を外す。
その名前を、心の中で呼んだ。
——ことね。
まだ確定ではない。わたしの星は落ちない。落とさせない。
微笑む。穏やかに。
必ず見極めてみせる。
「ごきげんよう。……近いうちに、ね」