『101年目のハウスクリーニング 〜AIがゴミと呼んだ魔法の再定義〜』 作:こんにちは
よろしくお願いいたします。
西暦2025年。魔法は「物理法則の拡張」として再定義され、国家魔導計算基盤――通称『LAPLACE(ラプラス)』が全てを支配する時代となっていた。
人類が魔法を観測し始めてから100年。そして、その全てをAIが管理するようになってから20年。
今日は学園最後の日。卒業後のランクを決定づける「最終適正検査」の日だ。
生徒たちはLAPLACEに直結した測定器の前に並び、身体スキャンと実技演習を順次行っている。
「次、佐藤彼方」
名前を呼ばれ、俺は無機質な測定器の前に立った。
スキャンが走り、数秒後に合成音声が判定を告げる。
『測定完了。佐藤彼方。魔力出力値:5。……推奨ジョブ:調理師、または清掃員。社会的貢献ランク:Gに設定。……続いて実技演習を行ってください』
ドッと会場が沸く。出力5。それは一般人が無意識に漏らすノイズと同等だ。
俺は教師から渡された演習用のターゲット(的)に向き合い、適当に指先から火を灯した。マッチの火のような、弱々しい明かり。
「あはは! 実技もあれかよ。ガス代の節約にはなりそうだな」
野次を無視して、俺は会場の隅へ移動した。
(……危ない。今のスキャン、一瞬だけ俺の毛細血管の『熱振動』を拾いかけた。あえて実技で出力を抑えなきゃ、数値を『50,000』まで持っていかれるところだった)
俺にとって、魔法は才能(スペック)じゃない。
ラプラスが参照している「過去100年の統計」の外側にある、普遍的な物理法則のハッキングだ。
腹が減った。俺は鞄から150円のカップ麺を取り出した。
給湯室は、これから実技に挑むエリート様たちの順番待ちで埋まっている。
「……まぁ、これも実習だ」
俺はカップに水道水を注ぎ、そこに左手の人差し指を浸した。
周囲では、エリート候補生たちが次々と実技に挑んでいる。
「見ろ、俺の火炎放射(フレイムスロウ)を!」
派手な火柱が上がる。エネルギー散逸の極みだ。
俺は指先から、極限まで『整流』された魔力を放つ。
狙うのは、水分子の水素結合。その回転運動の周波数に、俺の魔力の振動を完全同期させる。
(第一段階、分子の励起開始。第二段階、気泡の発生を抑えるための圧力調整。第三段階、熱源を内部から外側へ――)
「……よし、三分」
指を抜くと、カップの中では完璧な98度の熱湯が踊っていた。
俺がやっているのは、分子レベルの超精密操作。だが、周囲からは「指を突っ込んで水を温めた変な奴」にしか見えない。
「次、九条凛! 実技演習を開始せよ!」
校庭の中央に、一人の少女が立った。九条凛。
彼女の身体スキャン値は、LAPLACEの測定限界を突破する「Sランク」。
彼女が杖を構えた瞬間、空気が震えた。だが、俺の目には、彼女の杖の先から漏れ出る魔力が、あまりに不安定に揺れているのが見えた。
(……あ、あれはマズい。位相が完全に反転してる。あのまま放てば、エネルギーが逃げ場を失って――)
「――氷結せよ(アイシクル・エイジ)!!」
彼女が叫んだ瞬間、世界が凍りついた。
演習用の的を穿つはずの冷気の槍は、制御を失った爆流となり、全方位を飲み込む津波と化した。
「ひっ、暴走したぞ!」
「逃げろ! 凍らされる!」
パニックになる生徒たち。だが、俺は麺を啜るのをやめて箸を置いた。
「……困る。今、食べ頃なんだ」
俺は左手で空を切った。
狙うのは、こちらに迫りくる絶対零度の冷気の『特異点』――連鎖反応の基点だ。
「事象結合の界面活性――要は、お掃除(クリーン)だ」
指をパチンと鳴らした瞬間、俺の周囲数メートルに展開していた『調律』が、冷気の津波を真っ向から受け止めた。
普通なら、俺一人が助かっても背後の会場は氷漬けだ。
だが、俺が狙ったのは冷気の遮断ではない。この暴走を支える「魔力の表面張力(エネルギーの繋がり)」そのものの切断だ。
ドミノ倒しの一枚を指で押さえるように、俺が干渉した一点を境に、猛威を振るっていた冷気の連鎖が物理的に破綻した。
ゴオオッ! と耳を劈くような音が響くが、それは魔力が水蒸気へと強制的に「相転移」した音だ。
わずか数秒。
俺の周囲を通り抜け、会場を飲み込むはずだった冷気の壁は、俺の頭上を越える頃には、ただの「少し肌寒い霧」に変わって霧散していた。
嵐が止んだ。校舎に傷一つ付いていない光景に、生徒たちが呆然と立ち尽くす。
九条凛は、自身の杖を握りしめたまま、震える肩でこちらを振り返った。
「……あなた」
彼女がふらふらと歩み寄ってくる。
「今、何をしたの? 私の魔力が、外側から解(ほど)かれた。あんなに精密に、優しく……まるで、絡まった糸を一本ずつ抜くみたいに」
俺はゴミを袋にまとめながら、事務的に答えた。
「あぁ、あれですか。九条さんの魔力、表面張力が強すぎたんですよ。だから少しだけ界面活性を促して、空気中に馴染ませただけです。……いわゆる、換気ですね」
「かん、き……?」
「ええ。掃除の基本ですよ。空気が淀んだら、窓を開ける。それだけのことです」
絶句する彼女を置いて、俺は校門へと向かった。
背後では「九条さん! 素晴らしい緊急制御だった!」と教師たちが絶賛している。
LAPLACEのログには今の事象が「九条凛による自己抑制」として記録されただろう。俺の『掃除』なんて、データの上では存在しないも同然だ。
帰り道。俺は商店街の電光掲示板を見上げた。
そこには『LAPLACEによる最新の魔導天気予報』が流れている。
世間はAIの数値を絶対視している。だが、掲示板の下、排水溝の蓋から漏れ出す不気味な魔力の揺らぎを見て、俺は小さく溜息をついた。
(AIの予測は、あくまで過去100年のデータの統計だ。でも、あそこの魔力の波長……明らかに不気味な『発酵』が始まってる。20年前に放置されたデータの澱みが、変異してるな)
それは、LAPLACEの計算外にある『世界のシミ』だ。
俺にとっては、換気扇の油汚れを見るのと同じくらい、放っておけない不快な事象だった。
「……まぁ、帰り道だし。ついでに『掃除』していくか」
俺は杖の代わりに、鞄から使い込まれた多機能マジックハンドを取り出した。
世界が汚れているなら、それを磨き上げるのが魔導オタクの矜持というものだ。
夕闇が迫る中、俺はAIが「安全」と断じた路地裏へと足を踏み入れた。
そこでは、歪な形に膨れ上がった魔力の澱みが、誰にも気づかれずに胎動を始めていた。