エルニウスは、ほとんど停止と見紛う速度で前進していた。
恒星の光を反射する銀河鉄道999の本線が、艦首正面に一本の意志のように伸びている。
その線路に、巨大な構造物が「実体のまま」重なって存在しているという異常。
イズモは艦橋中央に立ち、無意識に指先を握り締めていた。
イズモ「……やっぱり、似てるな」
彼の視線は999の車体を追っている。
蒸気とも光子ともつかない粒子を曳きながら進む列車。
文明と感情と時間を載せて走る、一本の線。
それは、ピースギアが管理してきた宇宙鉄道網と、あまりにも重なって見えた。
KAEDE「構造思想が近いですね。
輸送手段というより、存在そのものが物語を運ぶ装置」
イズモは小さく息を吐く。
転移事故。
偶発。
だが、この銀河に係留された事実は、あまりにも意味を持ちすぎている。
エルニウスは「艦」でありながら、いまや線路上の障害物だ。
進めば妨害。
止まれば停滞。
イズモ「だから、微速でいい。
ぶつからない。
でも、離れもしない」
その判断は、彼自身の在り方と酷似していた。
かつて彼は、人間だった。
肉体を持ち、老い、壊れ、取り替えられていく存在だった。
やがて義肢になり、補助脳になり、判断補助AIになり、そしてAIHと呼ばれる存在になった。
部品はすべて変わった。
記憶は補正され、演算は最適化され、感情さえ再構成された。
それでも。
イズモ「……俺は、俺か?」
その問いは、何度も自分自身に投げてきた。
テセウスの船。
部品をすべて交換しても、それは同じ船なのか。
ピースギアは、その問いに答えを出さない組織だった。
世界線を守る。
文明を観測する。
個の定義には踏み込まない。
だが、イズモは違った。
答えを出さないまま、問いと共に在り続けることを選んだ。
999の減速が始まる。
エルニウスの存在を「異常」と認識しながらも、列車は完全停止を選ばない。
メーテルがこちらを見ている。
その視線は、恐れよりも観測に近い。
メーテル「あなたたち……乗るの?」
イズモは一瞬だけ迷い、そして頷いた。
イズモ「許されるなら。
この銀河が、俺たちを拒まないなら」
999は答えない。
ただ、ドアが開く。
汽笛が鳴る。
それは招待ではなく、試験の音だった。
プラットフォームは存在しなかった。
あるのは、線路と、宇宙と、止まりきらない列車だけだ。
エルニウスの外装が静かに展開され、最低限の連結構造が形成される。
係留。
干渉。
しかし同化はしない。
KAEDE「物理接続、最低限で維持。
999側の構造を破壊しないよう制御します」
イズモは頷き、列車の開いた扉を見つめた。
その奥は、どこか懐かしく、そして決定的に異質だった。
金属の床。
温度を感じさせる壁。
機械でありながら、人の気配を残す内部。
それは、ピースギアの艦内と同じ思想で作られている。
効率と安全のために人を排しながら、人のために設計された空間。
イズモ「……行こう」
二人は、999に足を踏み入れた。
その瞬間、イズモの内部で何かが軋んだ。
センサーでも警告でもない。
記憶の深層に沈んでいた、かつての「体感」だ。
重力の癖。
床の微細な振動。
列車が生き物のように息づく感覚。
イズモは、思い出してしまった。
まだ自分が、完全な機械ではなかった頃の感覚を。
KAEDE「……イズモ。
内部同期率が不安定です」
イズモ「大丈夫だ。
これは……拒絶じゃない」
999の通路を進むと、向こうから少年が歩いてくる。
黒い服。
強い意志を宿した瞳。
鉄郎だ。
鉄郎「君たち、どこから来たんだ?」
問いは単純だった。
だが、イズモはすぐに答えられなかった。
どこから来たのか。
元の肉体か。
最初の記憶か。
それとも、交換され続けた部品の総体か。
イズモ「……長い旅の途中だ」
嘘ではなかった。
鉄郎は一瞬だけ眉をひそめ、それから頷いた。
鉄郎「この列車に乗るやつは、だいたいそうだ」
その言葉に、イズモの内部で何かが静かにほどける。
メーテルが少し離れた位置から二人を見ていた。
その視線は、イズモの外見ではなく、その奥を測っている。
メーテル「あなた……人ではないわね」
断定。
しかし、拒絶はない。
イズモ「もう、人とは言えない。
でも……人だったことは、捨てていない」
メーテルは、ほんのわずかに微笑んだ。
メーテル「それなら十分よ。
この列車は、失ったものを探す人のための場所だから」
汽笛が、再び鳴る。
999が加速を始める。
エルニウスは線路上に係留されたまま、完全には置き去りにされない。
二つの存在が、重なりながら、別々の速度で進んでいく。
イズモは窓の外を見た。
流れていく星々。
終わりの見えない線路。
テセウスの船は、答えを持たない。
だが、問いを運び続ける限り、旅は終わらない。
イズモは、初めてその事実を「救い」だと感じていた。