仮面ライダー隠牙   作:モタボチ

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産声の上がる日

暗闇の中で赤ん坊の泣き声が響き続けている。

 

耳をつんざかんばかりのそれに耳を塞ぎたいのだが、

 

さっきから手の感覚がない。

 

それどころか、立っているのか横になっているのかも分からず、

 

鼓膜と意識だけが闇の中に放り出されているようですらある。

 

いや、喉の感覚もあるようだ。いがらっぽさを感じる。

 

その痛みが泣き声の大きさに比例して増しているような気がしてきた。

 

そう感じたのと、一際大きく泣き声が響いたのと同時に、

 

それに気が付いた。

 

赤ん坊の泣き声は、

 

自分から出ていた。

 

第壱話 産声の上がる日

 

「・・・・・・・・・ッ!」

汗だくになりながら天野純弥(あまの じゅんや)は飛び起きた。息が上がり、喉がヒリヒリしているように感じて喉元を押さえる。

ひとしきり呼吸を整えたあと、今度は額を押さえる。

「入学式当日から縁起悪すぎだろ・・・・・・・・・」

念願叶い、医者への第一歩を踏み出す記念すべき日だというのに、なぜこんなホラ――染みた夢を見なければならないのか。

思い切り毒づきたい気分だが、そんな時間はない。よほど深く寝入っていたようで、遅刻と行かないまでも、起床予定時刻をかなり過ぎていた。鏡に映る、夢のせいか少し血色の悪い眉が太めの顔と、ボサボサになりやすいツンツンとした髪を始めとして急いで準備を整え、通学のために借りたアパ――トを出る。

 もしかしたら本当に寝ながら叫んでいて、住人から変な目で見られたり、苦情が来ないかかなり恐る恐るだったが、幸い何もなかった。やはり夢は夢だったようだ。

パンを咥えながらという、手垢がつき過ぎてネタにされるレベルのベタな恰好で先を急ぐ。ついでにそのまま運命の出会いでも起こればいいのだが、生憎そんなものはない。

ないので、次に起こったこともまたベタだが、別に後々に影響する出来事ではない。

女の子が不良に絡まれている声が聞こえる。

角を二つほど曲がった先から。今行くと確実に遅刻ギリギリになるくらい離れた距離から。

純弥は〝少しばかり〟他人より耳が良いので、この距離からでも聴き取ることが出来る。そしてそのぐらい離れた距離なのだから、目の前で起こっていることではないのだから、見捨てたって誰に咎められることでもないだろう。普通なら。

だが、〝少しばかり〟他人と違っている純弥は、考える間もなくそこへ向かった。

 

案の定、不良が三人で女の子を取り囲んでいた。

「やめろよ。その子嫌がってるじゃないか」

なんてカッコイイことは恥ずかしくて言えないので、黙って女の子と不良の間に割り込み、女の子の肩を押して暗に逃げろと言う。意味を解した女の子は走り去っていった。

不良が、あんだテメェとお決まりのすごみ方をしながら殴りかかってきたので、すかさず躱した。

いつもだと、不良達が満足して帰っていくまで、見事にボコボコにされ、叩きのめされる〝フリ〟をし続けるのだが、今日は入学式のための大事なスーツだ。汚すわけにはいかない。なので、

避ける。いなす。受け流す。

〝諸事情により〟、こちらから手は出せないので、ひたすら躱し続ける。

そして、女の子がもう追いかけられる心配のない時間を稼いだと判断すると、踵を返して逃げ出した。

早いこと巻きたいので、塀やフェンスなど障害物の多い道を選んでいるのだが、不良達の方もなんか異様に身体能力が高く、見事に飛び越えながら執拗に追いかけてくる。このままでは埒が明かないので、かなり目立つことになるが、ある方法をとることにした。

走り続けていると視線の先に用水路の柵が見えてきた。近くに橋はなく、普通なら行き止まりである。そこへ向かって、純弥は鞄を脇に抱え、さらにードを上げた。

そして柵まで一、二m手前まで近づくと、ジャンプし、柵に足を掛け、そこにさらに力を込めて、踏み込み、

跳んだ。

用水路の向こう岸まで。

ガン、と金属音を立てながら柵に足をつき、鞄を落とさないように気を付けながらしがみ付き、そのまま乗り越える。

振り返って向こう岸を見ると、不良達は唖然としていた。狙い通り、驚きのあまり追いかける気力を無くしてくれたようだ。そして周囲に他に人影も見当たらない。目立つ羽目にもならなくて済みそうだ。

ふっ、とひと息付き、何気なく腕時計を見やると、

二分後に来るバスに乗らなければ遅刻が確定する時刻だった。

先程以上の全力疾走を余儀なくされた。

 

 

「・・・・・・・・・ターゲット確認。予定時刻通り式場へ向かう模様。・・・・・・・・・・・・了解。こちらも予定通り、ヒトマルマルマルに状況を開始する」

時を少し遡り、純弥が起床してから、いや、ずっとずっと、それ以前から、純弥の姿を監視しながら何者かと通信を行っている影があった。

 

同時に、その通信を傍受している男の姿も。

男は途端に血相を変え、右足が悪いのか杖を突きながら、だが片腕しか使えないとは思えない力強さで車庫からバイクを引き出す。

その様子に朝の挨拶に来た少女が気付いた。

「おじさん、おは・・・・・・・・・ちょっとどうしたの、そのバイク!?」

「ああ、おはよう明日香ちゃん。おじさんちょっと急用できちゃって」

「急用って、純弥の入学式は・・・・・・・・・いやそれ以上に、足悪いのにバイクって乗って良いの!?法律よく知らないけど!」

「ごめん、急ぎなんだ!大学生活楽しんでね、じゃ!」

「ちょ、ちょっとおじさん!」

 

 

「やあ、天野君、おは・・・・・・・・・どうしたの、なんかやつれてない?」

「・・・・・・・・・ちょっ、と。あって・・・・・・・・・ね」

あのあと無事バスに間に合い、入学式会場に到着でき、ついでに引き続き猛ードで身嗜みを整えてきた純弥に、予備校での友達の、眼鏡をかけた木村彰人が話しかけてきた。

「それより、オレ、特にスーツ、変じゃない?」

「いや、別に大丈夫だと思うけど・・・・・・・・・」

「良かった・・・・・・・・・ストレッチ素材で本当に良かった・・・・・・・・・」

最低限の動きだったとはいえ、不良の猛攻を躱し続け、二、三㎞に及ぶ全力疾走を敢行してしまい、スーツに皺が出来てしまっていたらどうしようかと思っていた。

「・・・・・・・・・しかし、本当に、いよいよなんだな」

「うん。合格発表の日でもあまり実感なかったんだけど、こうしてスーツに身を固めて会場に立つと、ああ、夢への一歩を踏み出したんだな、って感じるよ」

純弥が漏らした感想に、木村が答える。〝色々あって〟幼馴染と悪友の二人以外の友達の出来辛かった純弥と、初めて夢を共有してくれたのが木村だ。

木村は過去に交通事故で怪我をした際、親身になって自分を心配してくれる姿や、真剣な表情で治療を行う姿に心を打たれ、医者を志したという。そのため、夢に掛ける情熱は人一倍強い。

そんな友達と共に同じ校門をくぐることが出来た感慨も一塩である。

その後は雑談を交わしながら式の開始を待ち、式が始まると他の新入生が基本的に怠そうにしている中、二人だけでウキウキしている以外は、普通の時間が過ぎていった。

過ぎていた。

 

 

学長の祝辞が中盤を迎えた時だった。

突然、会場の照明が一斉に消えた。しかも窓から差し込んでくるはずの日差しもなぜか届いてこず、薄暗さをより濃くしていた。

学長が異変の原因を調べるよう他の教員に指示を出していたが、違和感を覚えたのか、首筋を押さえる。それから一瞬のことだった。

学長が、破裂した。

比喩ではなく、突つかれた水風船のように、弾けたのだ。赤黒い血液を辺りにまき散らして。

突然の、異様な事態に、新入生達はもちろん、学長の血液を正面から浴びた教員でさえ、反応をすることが出来ない。

だが事態は容赦なく続行される。

教員の一人が同じように弾けた。

そしてまた一人、もう一人、次々と。

困惑を深めながらも、原因が分からない為まだ動くことが出来ない新入生達に止めを刺すように、とうとうはっきりとした事態が襲い掛かった。

最前列にいた新入生の一人に、圧し掛かってきた。

体長一mほどの巨大な蜘蛛が。

蜘蛛は彼がもがく間もなく首筋に牙を突き立て、貪り始めた。

眼前で無残な死を見せ付けられ、ついに状況を理解した新入生達は、我先に出口へ殺到し始めた。

純弥も大いに戸惑いながらも、必死に平静を保ち後に続こうとした。

「天野くううん!」

後ろから、木村の叫び声が聞こえ、振り返ると、木村の足が大蜘蛛の吐き出した糸に絡め捕られ、引き寄せられていくところだった。

飛び込むように木村の手を掴み、引っ張るが、大蜘蛛の力は強く、二人分の体重でも引き摺られてしまう。

「悪い、木村。苦しいと思うけど、一瞬我慢してくれ!」

純弥は木村の背に乗ると膝立ちで体重を掛けて重しをしながら、左手で大蜘蛛の糸を掴んだ。

そして気合と共に思いっ切り力を込めて糸を引っ張り、大蜘蛛を引き寄せて、

「ッらあ!」

右手で殴り飛ばした。

大蜘蛛は悲鳴と思われる音を発しながら吹っ飛んでいき、ついでに糸も千切れた。

純弥は木村に詫びながら助け起こすと、出口に向かった。

 

会場のロビーでは新入生達がなぜか立ち往生していた。

ちなみに純弥の身長は一六三㎝と低めのため、様子を見る為に背伸びをする必要があった。

ガラス扉がびっしりと白い幕のようなもので覆われていた。それもどうやら、先程間近で見たから分かるが、あれも蜘蛛の糸らしい。

先程から停電しているとはいえ異様に薄暗いのも、あれが日光を遮っているからか。つまりあれが会場全体に張り巡らされているというのか。

一向に収まる気配がないまま混迷を深めていく事態に顔をしかめた時、誰かが上げた悲鳴に従って後ろを振り向くと、次なる異変がそこに立っていた。

 

それは、二本足で立ち、二本腕があるので、人型ではあった。

だが明らかに、ニンゲンではなかった。

全身は黒みがかった茶色で、手足は異様に細長く、間節には虫のような節が見られ、体中が細かい毛で覆われていた。それら身体的特徴以上に特徴的なのが、その顔だった。

般若と蜘蛛を掛け合わせたような、と表現すればいいのだろうか。

裂けた口に食いしばった歯、人間に近い骨格と、輪郭は伝統的な般若を思わせるが、顔全体は体と同じ毛に覆われ、目は白目の見当たらない真っ黒な単眼であり、口からは蜘蛛の牙が、普通の般若なら角がある個所からは触角が生え、牙と共に蠢いている。

これまで以上の異様の出現に新入生達の怯えが頂点に達しているとき、言葉を発した者がいた。

「私の要求はひとつだ」

例の般若蜘蛛人間だった。異様な口の形状とは裏腹な明瞭な発声だった。

「そこにいる天野純弥をこちらに渡せ」

いきなり名指しされ戸惑うも、反抗したら周りの人達がどうなるか分からない。いや、既に何人もどうにかされているのだ。相手は命を奪うことに何の躊躇もない。皆が無事で済む可能性が少しでもある限り、従うしかない。両手を上げながら、ゆっくりと般若蜘蛛に向かって歩き始めた。

「天野君・・・・・・・・・」

木村が心配そうに声を掛けてくるが、こちらも緊張しているので引き攣った笑みを返してやることしかできない。そうしてさほど時間もかからず、般若蜘蛛の前に辿り着いた。

「素直に従ってくれて感謝する」

言葉はどうでも、まったく謝意の感じられない平坦な声で、般若蜘蛛がそう言ってくる。

「・・・・・・・・・オレに、どうしろっていうんだ」

鼓動が速まっていくのを感じながら、上目で般若蜘蛛を睨み、問う。

「君自身は何もしなくて良い。ただ――――」

このとき、般若蜘蛛以外は誰も気付いていなかったが、一般的な小さなサイズの蜘蛛が、新入生達の首元に張り付いていた。

先程学長や教員達にも、同じ蜘蛛が、張り付いていた。

「ただ少し、君に絶望をしてもらいたい」

言葉と同時に、新入生達の首元に、蜘蛛が牙を突き立てた。

ぎゃ、という、押し潰したような音が聞こえたと思った瞬間、ばしゃりと大量の生暖かい液体が、背後から降りかかってきた。

何が起きたのか。液体が、血液が、前髪から滴り落ちて床に点を打っていく毎に理解していき、はっ、はっ、はっ、と呼吸が浅く、速くなっていく。

「第一状況終了。続いての指示を求む」

コツン、と踵に当たるものがあった。見てみると、大量の血でぬめった床を滑ってきた、木村彰人の、眼鏡だった。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ、ぁあ・・・あ」

「・・・・・・・・・・・・了解。目標の確保を続行しつつ、戦闘準備を開始する。天野純弥、いましばし付き合ってもら――――」

「ぁぁぁあぁああああああァァあああアアアアぁぁァアアアッ!!」

なりふり構わず般若蜘蛛に飛び掛かり、所構わず殴りつけた。

「なんで、なんでだよッ!皆は関係ないだろ!?オレに用があったんだろ!?だったらオレだけ狙ってろよッ!?皆を巻き込んでんじゃねえよおッ!!」

「その通り。君が第一目標だ。そして目標に精神的打撃を与えろと通達されている。故に実行した。絶望をしてもらいたいと予告したはずだが」

さきほどから殴り続けているにもかかわらず、般若蜘蛛はそう平然として返答してくる。そもそも最初に飛び掛かった時に油断からか一歩後退っただけで、それ以降はどんなにどこを殴りつけようとも、身動ぎひとつさせられず、自分の拳に痛みが返ってくるだけだ。

本気を出せば、今朝の不良達も一瞬で叩きのめせた身体能力も、先程大蜘蛛を殴り飛ばした膂力も、なんの役にも立っていなかった。

「そんなことを言ってんじゃ・・・・・・・・・っ!」

逆に自分は、相手に腕を払われただけで吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。

「すまないが、少し大人しくしていてほしい。あとフタマルで第二目標が現着する。無為な争いをしている時間はない」

「・・・・・・・・・無為、だと・・・・・・・・・?」

皆、未来への夢があった。その夢を決めた人生を歩んできていた。もしそれがなく、本人は退屈だと感じていたとしても、そんな人生なりに謳歌する権利があるはずだった。

そんな皆を、一人一人の見分けのつかない、血と肉のジャムに変えておきながら、無為だと。

――――許せない。このバケモノは許しておけない。

叩きつけられた痛みを無視し、壁に手を突きながら立ち上がろうとする。

絶対に、許さない。絶対、絶対に、

殺――――

そう、純弥の中で何かが弾けそうになった時、

蜘蛛糸に覆われたガラス戸をぶち破り、一台のバイクが爆音を立てて飛び込んできた。

弾けかけた何かが引っ込み、驚愕と共に闖入者を見上げる。

バイクの主は杖を突きながら降車すると、ヘルメットを脱ぎ純弥へ振り向いた。

「ごめんな、純弥。ほんとに、本当に遅くなっちまって」

「父さん!?」

そう、自らの〝義理の〟父、天野作晃(さくあき)だった。

 

 

「・・・・・・・・・随分と好き放題やってくれたようだな。おい?」

周囲を、大量の血肉を見回し、作晃は般若蜘蛛を睨みつけた。

「第二目標到着。予定通り第二状況を開始する」

そんな作晃の睥睨も気にも留めず、般若蜘蛛はどこかと通信を続行するだけだ。

「・・・・・・・・・純弥、下がってろ。片は俺が付けてやる」

作晃はそう言うと懐から何かを取り出した。

巻物だった。

時代劇で見るようなものより短い、五百㎖の缶飲料程の長さの、群青の装丁がなされた巻物だった。

作晃がそれに気を込めるかのように握りしめ、腰に当てると、それは起きた。

結ばれていた紐が解け、巻物が作晃の腰に巻きつくように回転して開かれていく。さらに巻物に書かれていたと思しき筆文字が、回転の遠心力でばら撒かれるように飛び出していき、作晃の周囲を取り巻くようにゆっくり回転し始める。

それらの工程が一瞬で行われた後、開き切った巻物が金属質のベルトに変わり、作晃の腰に装着された。背を向けている為、純弥からは見えなかったが、ベルトの中央には巻物の装丁と同じ群青の、発電所のタービンを思わせる回転翼が埋め込まれていた。

周囲の筆文字の回転が三周を数える間、般若蜘蛛と睨み合った後作晃は、意を決するように、唸るようにその言葉を発した。

「・・・・・・・・・変身っ」

その瞬間、バックルの回転翼が猛回転を始め、同時に周囲の筆文字も墨汁に戻るかのように空間に溶け出すと、バックルの回転に合わせるように渦を巻き、黒い竜巻状の煙幕のようになり、作晃の姿を覆い隠した。

黒と言っても暗黒のような禍々しい印象はなく、硯で磨った墨のような、清廉さすら感じさせる〝玄〟だ。

そんな玄い竜巻の中で、ぼんやりとした人影となった作晃の体の上に、なにかが形作られていく。そう思われた瞬間、バックル中央、胸部、肘膝、両眼、そして純弥の見つめる背中から、真っ黒な煙幕を貫くほど眩く青い光と、なにかの咆哮のような音が放たれ、それと同時に竜巻の中の作晃は力を込め、

「・・・・・・・・・ふッ!!」

短く気合の息を吐き、左手を振り払うと、その動きに合わせて煙幕が霧散し、姿が露わになった。

 

それは、特殊部隊のコンバットスーツのようであり、同時にその黒い装束と各部の意匠が、どことなく忍者のようでもあった。

帷子を思わせるトライウェ――ブの上半身、忍者袴をデザイン化したような下半身。その上から、光の反射で茶色にも灰色にも見えるケブラー素材状の装甲が、腕足、胴体、身体の各所に薄いさらし状のパーツと合わせて装備されており(不自由な右足の方には必要ないのか、装甲がなくさらし状のパーツがむき出しになっていた)、先程光り輝いていたのと同じ箇所に青い装飾が施されていた。

中でも特徴的なのが胴体と頭部で、腹部のものは屋根瓦を思わせる湾曲した形状をしており、胸部の装甲は一際大きい青い意匠と鈍色のものが、二つ巴を描くように組み合わされて構成されており、首元では、黒いマフラ――を靡かせていた。

そして頭部は、身体各所と同じ黒い装甲の中に青く大きな双眸を備えた仮面のようであった。側頭部からはブレード状の装甲板が伸びており、その間に挟まれるように額から後頭部にかけて青い装飾が施され、額からは日本刀を思わせる薄く鋭い角が生えていた。そのラインが、どこか髭を生やした龍を思わせる。

そんな現代風忍者に姿を変えた作晃を、純弥は背中から驚愕と共に見つめ、般若蜘蛛はやはり何の感慨もなく見据える。

 

瞬間、作晃はほとんど予備動作も見せずに、杖を突いている身とは思えない程俊敏に、般若蜘蛛に接近した。

「ぬっ!?」

あれほど冷淡さを崩さなかった般若蜘蛛が、初めて焦りの声を上げた。

それに一切構わず杖の持ち手で殴りつけ、さらにその勢いを利用した左回し蹴りを浴びせ、たまらず吹き飛んだ般若蜘蛛に追い縋る。

それから後は、最初に声を上げた以上の反応を許さぬまま、左足と杖だけで巧みに重心を操り、作晃は一方的な攻撃を続けた。

持ち手を起点に杖をトンファーのように振り回し、体の至る所を連続して打ち据え、その間を縫うように左手足による突き、払い、蹴りを矢継ぎ早に交える、目にも留まらぬ高速の連撃だった。

やがて攻撃を一呼吸置き、般若蜘蛛がたたらを踏んだ瞬間、作晃は再び杖の持ち手で顔面を殴りつけた。

その衝撃についに力尽きたのか、般若蜘蛛の両腕がだらんと垂れ下がると、作晃は持ち手を顔面に押し付けたまま、気合を込めるように再び

ふッ!と短く息を吐いた。

瞬間、大砲が火を噴いたかのような音が、いや実際に、杖の起点から青い焔が爆ぜ、杖の柄をパイルバンカーのように撃ち出し、そのまま般若蜘蛛の顔面を貫いた。

顔面に風穴を開けたまま、般若蜘蛛は後ろにバタンと倒れた。

その光景を、無事、般若蜘蛛が討伐されたのを純弥は見届けた。

それにも拘らず、純弥の内心は違和感に支配されていた。

父の強さにではない。そもそも父は、持ち前の身体能力でゴリ押しするだけだった自分に、今朝の体捌きのような技術を教え込んだ師でもあるのだ。しかもそれは、杖を突くようなあの足になってからのことである。そんな人が、恐らくパワードスーツの類であろうあの恰好をすれば、あのような動きが出来ても不思議ではない。

ではなにが引っ掛かっているのか。

数刻の思考の後、純弥は思い至った。

般若蜘蛛はさっき、父が到着する時間を正確に予測していた。第二目標であるとも。そして『予定通り』とも。

あの冷静沈着な態度の般若蜘蛛が、他者の行動タイミングを正確に計算に入れた上での計画を遂行することが出来る者が、しかし予め交戦対象として想定していた相手の実力を見誤って、あっさり返り討ちにあった?

直感が、それは違うと訴えてくる。

この敗北も計算の内だとすれば。

戦いがまだ、終わっていないとすれば。

「父さ――――ッ」

 

「流石だ。天野作晃。不随を抱えた身でのその戦闘力、驚嘆に値する。だが――――」

声が響いたと同時、倒れていた般若蜘蛛の死骸が無数の子蜘蛛へ分裂し、作晃に一斉に飛び掛かってきた。

「だが、やはり、実戦を離れて日が長いようだ。忍の戦いを忘れている。もっと周囲の気に注意を払うべきだった」

杖の柄がバキンと音を立てて半ばから折れた。群がった子蜘蛛の毒によって溶かされたのだ。支えを失い、作晃はくずおれた。

「父さん!」

「最終状況、開始」

純弥の背後で声が聞こえ、振り向くと、本物の般若蜘蛛が、手首から刀のように鋭い鉤爪を伸長させ、腕を振りかぶっていた。

作晃は残った手足に力を込め、懸命に体を押し出すようにして純弥目掛けて跳び、肩を掴んで押し飛ばした。

 

押し飛ばされて空中にいる間、純弥の優れた動体視力は、その瞬間を詳細に捉えていた。故に、理解した。してしまった。

本当なら、作晃は自分を突き飛ばしてからもすぐさま体勢を立て直し、回避行動が取れるはずだった。それだけの瞬発力を持っているはずだった。

だが、それは叶わず、床に倒れ込むしかなかった。

右足が使えないせいで。自分のせいで。

――――自分の、せいで、使えなくした、右足の、せいで。

それを最初から狙い澄ましていたのだろう。一切動揺を見せることなく、そのまま。

鉤爪は作晃の背中を刺し貫いた。

その瞬間を。

床に強かに背中を打ち付けた痛みを感じているはずの間も、純弥は見つめていた。

作晃の体がビクリ、と一瞬痙攣し、すぐに動かなくなる瞬間を、見つめ続けていた。

「状況、終了」

般若蜘蛛が宣言している中、倒れ伏した作晃のスーツが霧散し、同時に今日一日でさんざん見慣れた、血液が溢れ出してきた。

鉤爪にも毒が含まれていて、突き刺した作晃の肉体を溶かしたのだろう。

なぜか冷静にそう考えながら、純弥は四方に広がっていく血の行方を見つめ続ける。

やがて血は、先程からあった血溜まりに流れ着き、混じり合い、すぐに境が分からなくなり、先刻と同じように、木村ら新入生達と同じように。

血溜まりの面積の一部となった。

 

それを見た時。

この一時間もしないうちに。

友も。友になるかもしれなかった者達も。父も。

皆、みんな一緒くたに、床の付着物にされた。

そこまで考えた時。

 

――――――――ころす。

先程不発したモノが、

先程とは比べ物にならないくらい、

あっさり、ぷつりと。

先程とは比べ物にならないくらい、

強く、弾け飛んだ。

赤ん坊の泣き声が、聴こえた気がした。

 

 

「すべての状況を終了した。これより第一目標を伴い帰投・・・・・・・・・通信障害、だと?」

般若蜘蛛が行っている通信は一種のテレパシ〜のようなもので、表の社会には出回らない、特殊なエネルギー場を介して行われるため、不具合を起こす要因は無線と比べて圧倒的に少ない。そのため、障害が起こるとすれば、考えられる原因は自ずと限られてくる。

例えば、付近に通信の妨害を起こす程の強力なエネルギー場を発するモノが、突然出現した場合。

――――例えば、自分の真後ろに。

「!?」

ばっ、と後ろを振り向き、天野純弥の姿を確認する。先程から変わらず、こちらに背を向け、膝を突き項垂れている。

ならば、すぐさま捕縛行動に移るべきなのに、彼の足は、いや全身は、金縛りに遭ったかのように、その場から動くことが出来なかった。

ゆらり、と天野純弥が左腕を持ち上げた。

途端、強力な磁力で吸い寄せられたかのように、天野作晃の使っていた、ベルトから元に戻っていた巻物が向かっていき、左手に収まった。

変わらず緩慢な動きでそれを腰に当て、ベルトとしてセットすると、再び黒い竜巻が発生した。

標的が臨戦態勢を整えようとしている。それにも拘わらず、やはり動くことが出来ない。

竜巻の中で、黄金色の光――――心なしか、美しいはずのそれは、異様に禍々しく見えターを放ちながら、天野純弥はゆっくりと立ち上がり、立ち上がり切ったと同時、竜巻が霧散する。

背を向けているので判断しかねるが、装飾が黄金色である以外は、装備は天野作晃と大差ないように見受けられる。そう、自分が知る真の強者達に比べれば、先程始末して見せた天野作晃と脅威度はさほど変わらないはずだ。

だが、動けない。その背を見つめ続ける事しか許されない。

やがて、ゆっくり。ゆっくりと、天野純弥がこちらを振り向き始めた。

このとき彼は、歯をガチガチと噛み合わせながら、場違いなことを思い出していた。

ゆっくり。

遠い遠い、使命にこの身を捧げてから忘れ去っていた、幼き日の記憶だ。

振り向く。

こわい夢を見ていた、その最中の感覚。目を閉じても背けることは出来ず。足には力が入らず、逃げることも出来ない。はやく目が覚めることを願い、覚めたら真っ先に母にしがみ付き、慰めてもらうしかなかった、あの感覚。

横顔が見えてきた。

はっきり言えることは、あの頃と同じように、今、自分は一切の抵抗を許されないこと。あのころと違い、もう、自分をたすけてくれる母はいないこと。

振り向き切り、目が合った。

死人のように青白く、冷たい。

憎しみの感情すら塗り潰すほど、濃密な。

混じり気のない、純粋な殺意が、こちらを見つめていた。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「・・・・・・・・・はっ!?」

純弥の意識は唐突に真っ白なベッドの上に移動した。

知らない天井、と言いたいところだが、むしろドラマで見慣れた病院の天井が目に入る。

起き上がってみると、個室らしく、他に患者は見受けられない。

「やあ、目が覚めたようだね」

その代わり、丸椅子に座り、こちらに声を掛ける壮年の男がいた。

短く刈り上げた白髪が混じり灰色に見えるツンツンとした髪に、がっしりとした顎骨と太い眉が、一瞬厳つい印象を与えるが、漫画の糸目表現に見えるほど柔和な笑みと、好々爺然とした眦の小皺が、それを打ち消していた。

「自己紹介させてもらうと、僕の名は八首壮(やがみ そう)。壮絶の壮だよ。年を食うほど名前負けしてくるもんだから、少し親を恨んでしまうよ」

しかも、かなり気さくな人のようだ。

もっとも、それを知っても愛想笑いひとつ浮かべられない気分だったが。

「・・・・・・・・・オレは、どうなったんです」

正直、殆ど現実逃避のために聞いた。

自分は慌てるあまり事故に遭い、ここに搬送されて入学式には出られなかったと。

あの出来事は、夢だったのだと、そう言ってもらいたかった。

その意図を察したのだろう。八首は申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「すまないけど、君が期待するような答えはあげられない。君は確かに入学式に出席し、そこで夜叉の襲撃を受けた」

「夜叉?」

「君を襲った怪人のことさ」

確かに、あの般若面は夜叉というべきかもしれない。そう思い出すと、怒りが再燃し出し、布団を固く握り締めていた。

「そして僕は、その夜叉を討伐する組織からの使者だ――――付け加えると、君や君のお父さんが変身に使用した巻物を本来所有する組織でもある――――。君に、二つの選択肢を与える為に来た」

一呼吸置くと、八首は指を一つ立てた。

「ひとつ。記憶処理によって物理的に、すべてを忘れ、君本来の夢だった医者としての道を歩み出すこと。僕は正直、こちらをお勧めしたい。事前調査で、君がどれほど勉強を頑張ったかは知っている。その努力を、無為にするのは良くない。そしてもうひとつが――――」

「戦いますッ!!」

言葉を最後まで待たず、間髪入れず純弥は答えを返した。あるいは、

〝無為〟という言葉に反応したのかもしれない。

「あなた達は奴らと戦う組織で、多分本来、俺は問答無用で記憶を消されてるはずのところを、こうして説明を受けられて、選択肢を与えてくれるっていうんだから、つまりは俺をスカウトするつもりがあるってことでしょ!?」

「そ、そうだね。別に戦闘要員に限った話ではないんだけど。というか、戦闘員になれるかはまだ分からなくて・・・・・・・・・」

純弥の剣幕に押された八首の困り顔を見ても、純弥は止まることが出来なかった。

「だとしても戦います!あなた達の組織に参加して夜叉を、あのバケモノ共を、ブッ殺しますッ!!」

この目に焼付いた、ロビーを埋め尽くすあの血の池。それを呼び水として滾々と湧き上がる納まりの効かない憎しみに身を任せ、純弥は叫んだ。

それを聞くと八首は、さっきまでの慌て振りが嘘のように真顔となった。

「・・・・・・・・・夜叉というのは本来総称で、二つ種類がある。一つは普段我々が討伐対象としている夜獣という種類で、君も会場で目撃したような、動植物がそのまま変異巨大化したような姿をしているタイプだ。

そしてもう一つ。君が交戦した二足歩行、つまり人型の形態をしたものが本来夜叉と呼ばれる存在で、同時に元来、滅多に出現することのないはずの特殊な存在でもある」

そう、人に憑依して現界するという、特殊な、ね。という、八首の言葉を聞いたと同時、あれほど燃え滾っていた怒り憎しみ等々の感情が一瞬で鎮火し、代わりに、それらによって先程まで遮られていた、ある記憶が浮上し始めてきた。

「・・・・・・・・・・・・じゃあ。じゃあ、あの、人の型を、していたやつは」

「そう。蜘蛛の夜叉の力を身に着け怪人化しター元、人間だ」

途端、自分がこのベッドに横になるまでの、抜け落ちていた過程がフラッシュバックした。

 

指先を食い込ませ、

毟り取り、

割り裂き、

捩じ切り、

引き千切って。

やがて潰れたトマトと挽肉を混ぜ合わせたようなモノの山が出来上がると、後に残ったものがあった。

骨格。正確に言うと、肋骨と頭蓋骨だった。

それが節足動物の類であったのなら、持っていないはずのものだった。

その眼窩にひとつ、眼球が取り残されており、さっきまで蜘蛛の単眼だったはずのそれが、いつの間にか白目と虹彩を持った物になっている。そして、その開き切った瞳孔が、こっちを――――

 

「うヴっ!」

純弥は八首がス、と差し出した洗面器にぶち撒けた。さらに目に映る吐瀉物が、自分の仕出かしたことを連想させ、余計に吐いた。

「もっとも、今、元、と言ったように、あれほどの変異を遂げたものは、通常の法律はもちろん、我々特殊な組織も、人間モドキ、即ち、〝紛い者″と別称し、人間扱いはしていない。よって君が殺人罪に問われることもない」

八首が背中を擦りながらそう言ってくるが、ちっとも心は軽くならない。

それどころか、第一の提案を後押しする気遣いのつもりなのだろうが、純弥にとっては更に追い打ちを掛けられるようなことを話し出す。

「それと、今回出現した夜叉は、特殊な訓練を受けたこちら側の存在だったが、昨今出現する夜叉の多くは――――より強力な個体を製造するための性能実験と目されているが――――、捕えた一般市民をそのようにしたものが殆どなんだ。つまり、戦いを選択するということは、君が今感じている苦しみを、元凶に関わる者達とより、罪のない無理やり夜叉にされた人々との戦いを通して味わうことになる可能性の方が、遥かに高くなる。そしてそれは、いつ終わると保証のできるものでもない」

もはやどの道へ進んだら良いのか分からず途方に暮れ、再び虚ろな表情を浮かべた純弥に向かって、八首は立ち上がりながら言う。

「まあ、どの道を選ぶのだとしても、今君には、もっとやるべきことがあるんじゃないのかい?」

「・・・・・・・・・・・・え?」

「お父様のお見送りだよ」

 

 

「葬儀は三日後に執り行われる。その間、心と体を休めて、本当に戦いに参加したいのかどうか、もう少し、ゆっくり時間をかけて考えてほしい」

八首にそう言われたが、結局何の答えも出せないまま、葬儀の当日を迎えただけだった。

会場へ向かう途中、同じ式場だったらしく、木村彰人の葬列とすれ違った。木村の母親が夫に肩を支えられ、啜り泣いていた。

ちなみに、一連の事件は組織によって偽装され、会場内で有毒ガスが発生したことによる中毒死ということになっているらしい。だから、こうして用意された精巧な偽の遺体を用いて、普通に、葬儀が行われる。

小さく、しかし無視できないものが、胸の内を走った。

会場に着くと――――組織の工作員が喪主を務めてくれたらしい――――、テレビで見たままに普通に、棺の上の遺影を花や祭壇で囲んだ普通の、葬式場が設えられていた。

「純弥・・・・・・・・・」

後ろから肩に手を置かれた。

振り向くと、幼馴染と悪友が二人、魅上明日香(みかみ あすか)と多貴悠樹(たき ゆうき)が、心配そうに、同時に涙ぐみながら――――多貴は既に泣いている――――こちらを見つめていた。

「・・・・・・・・・・・・よう」

大学が分かれ、これ程早く、そしてこんな形で再会するとは思っていなかった数少ない友人との挨拶もそこそこに、葬儀が始まった。多くも少なくもない、普通の、参列者の数だった。

やがて献花のために初めて棺に近づくと、中に納められた作晃の偽の遺体が目に入った。

安らかな顔をしている。安らかに死んだことにされている。

父も、木村も、他の多くの人々も。本当はどれほど普通でない、惨い死に方をしたのか、誰にも知ってもらえないまま、偽りの死因と遺体を用意され、間違った悼みの情を手向けられ送られていく。

そして、これが初めてでも、最後でもないという。きっとこれまでも、ニュ――スで報道されるような大きなものから、新聞の三面に書かれるような小さなものまで、世に出た事件の中に、隠されてしまった悲劇が潜んでいたのもしれない。

そんな報われない犠牲を、出し続けている連中が、存在するのであれば。

ここにそれを知り、生き残っている己が、いるのであれば。

先程胸の内を走ったものが、明確に形を持ち、顔を上げると、遺影のカバ――ガラスに映った自分と目が合った。

絶対に葬式中にしてはならない吊り上った目付きで、こちらを睨みつけていた。

 

 

「どうやら、答えは決まったようだね」

式場を出ると、相変わらずの柔和な笑みを浮かべて、八首が純弥を出迎えた。

自分の選択など、本当は最初から変わっていなかった。突きつけられた現実に紛れもなく揺らぎはしたものの、やはり、この答え以外を選びたがっていない自分が、間違いなく存在した。

返答の代わりに、一度、強く、頷く。

「・・・・・・・・・分かった。ならば歓迎しよう!ようこそ天野純弥くん!我らが組織、現代の忍の衆・迅徒《ハヤト》へ!!」

両手を広げ、良く響く、式場には確実に大迷惑になる声量で口上を述べながら、八首は身振りと言葉の両方で純弥を迎えていた。

九八

 

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