純弥は立ち上がり、バイクに飛び乗った。
閑静な住宅地を抜け、公道に出ると、夜の街の喧騒が純弥を包みこみ、そのせいで純弥の心は苛立ちに支配された。
『今すぐ本部だ、純弥!全速力で、だが事故るなよお?』
キラの声色は、一見いつも通りだが、純弥の感情に寄り添うように、いつもより毒気が少ない。
「分かってる!」
純弥はアクセルを全開にした。猛烈なスピードで住宅街を抜け、大通りに出る。夜の道路を切り裂く重低音。
(俺が······ 俺が利用したからだ。俺があの時、彼女の優しさに付け込み、情報を引き出したから······!)
恵美理の言葉は、八首が求めた「違和感」そのものだった。あの情報が真流源忍党の計画の核心を突いたと確信した瞬間、純弥は任務の成功に安堵し、そして彼女を日常に帰そうとした。だが、その「安堵」こそが、敵が仕掛けた罠だった。
敵は、純弥が恵美理に接触することを予期していた。そして、彼が情報を得た後、必ず彼女を「安全な日常」に戻そうとすることまで読んでいた。敵の目的は、単なるアジトの特定を阻止することではなく、純弥の心を砕くこと。彼にとって最も大切な「日常」の象徴――初恋の人を、最も罪悪感を覚える瞬間に奪い去ることで、真醒者・隠牙の精神を制御不能な怒りと絶望で満たすためだ。
視界の端を流れる街の灯。すべてが、彼が守るべき「日常」の象徴だった。だが、今、その象徴が敵の手にある。この怒りを、燃料にするしかない。彼はハンドルを握りしめ、首都高速を、本部へと向かって突き進んだ。
(エミねぇ。待ってろ。俺が······ 俺が絶対助けに行く)
彼の背中には、初恋の人を奪われた絶望と、それを乗り越えなければならないという使命感が、鉄塊のように重くのしかかっていた。
第拾一話 はじまりが終わらせたもの
迅徒本部地下深く、八首の執務室は、純弥が帰還したことで一気に緊張感が高まった。
純弥は、荒い息のまま、ヘルメットを脱ぎ、執務室に入ってきた。彼の顔は憔悴し、怒りの炎が燻っている。御影、陸、維心、そして八首の視線が、一斉に彼に集まる。 明日香とタキも、廊下の影から心配そうに彼を見守っている。
「純弥君、よく戻った」
八首は静かに言った。
純弥は、御影のメインモニターに映し出された地図を見つめる。ターゲットは、湾岸に張り付くように存在する「鏑木グループ旧第三湾岸倉庫」のロゴ。
「情報通り、ターゲットは鏑木グループの旧第三湾岸倉庫に確定しました」御影が冷静に報告する。「夜間の警備パターンと、特定の周波数帯の霊子波を遮断する結界のパターンが完全に一致しています。儀式は明日、零時に行われます」
「儀式は零時」
維心が確認するように呟く。
「つまり、約8時間後」
純弥は口を開いた。彼の声は、怒りを抑えつけるために低く絞り出されている。
「八首さん。エミねぇ······ 鏑木恵美理さんは、人質として連れ去られました。敵の狙いは、俺の動揺を誘うことです」
八首は頷いた。
「君からの報告と、通信機に残された音声を解析した。敵幹部は、真醒者である君の『心の闇』を操るために、彼女を利用している。これまでの戦闘で、真流源忍党の頭領は、常に精神的な揺さぶりをかけてくる傾向にあった」
彼は壁に投影された倉庫の3Dデータにレーザーポインターを向けた。
「しかし、敵は我々にアジトを特定させた。これは、人質という圧倒的な優位性を得たことによる、彼らの慢心だ。儀式の中核となる場所は、おそらくこの倉庫の地下、あるいは最も奥まった隔離空間だ」
八首は、維心と御影に視線を向けた。
「純弥君。君は人質の解放と共に、敵幹部と交戦。その場に釘付けにすること。御影君は維心君とコンビを組み、儀式を物理的に阻止する。儀式の阻止が最優先だ。その上で、捕獲した幹部から吐かせた情報と合わせ、頭領を叩く」
維心と御影は一礼した。
「「承知しました」」
「陸君、明日香君、タキ君は、本部で後方支援。倉庫の外部警備、周辺の霊子ノイズのパターンを徹底的に監視。特に、敵の離脱用パスコードの流出ルートを最優先で特定せよ」
陸が答える。
「了解!全力を尽くします!」
八首は、最後に純弥を見据えた。
「純弥君。君の怒りは理解する。だが、その怒りを私憤で終わらせるな。彼女を助け出す。そして、この国を、この世界を、真流源忍党の魔の手から守り切る。それが、君の使命だ。化忍として、心と力を制御しろ。それができぬのなら、君はただの兵器でしかない」
純弥は、目を閉じて深く息を吐き出し、目を開いた時には、私情の炎ではなく、確固たる決意の光が宿っていた。
「······了解しました」
作戦会議が終わり、本部地下の整備ドックへと向かう通路。純弥は維心と並んで歩き、その後ろをタキとキラが続いた。明日香や陸のいる執務室とは違い、この通路は人払いされ、重い沈黙が流れている。
純弥の背中からは、まだ消えない怒りと焦燥のオーラが立ち上っていた。
先に口を開いたのは、タキだった。
「おい、キラ」
「なにさ」鬱陶しさを隠そうともせずキラは返事を返した。
「純弥のこと······頼む」
そういってタキはなんとキラに向けて頭を下げた。普段から〝一般人くん〟と馬鹿にしてくる相手に対してだ。それだけ純弥の、かつてほとんど同じ状況から自分と小泉ほのかを救い出してくれた恩人であり、そしてなにより親友の受けた心の傷を案じ、無事自分達と同じ結末を迎えられるよう、その手助けをして欲しい一心の証拠だ。
「はいはい。〝一般人〟くんに言われるまでもないっての。それが仕事なんだから」
それに対してキラはいつもと変わらず飄々と答えるだけだ。タキにはそれがもどかしい。
「なあおい!こっちは本気で頼んで――」
「――分かってるよ」
キラの声色が唐突に変わった。青龍族・旡良として、そして隠牙の精霊従としての威厳を感じさせる「本気モード」としての声だ。
「こっちだって相坊やの女に手ぇ出されて頭に来てんだ。メッタメタにしてきてやんよ」
「······ったく、なんだよ。それならそうと早く言ってくれよ」
「素直な僕ってどう思う?」
「キモいな」「だろ? 」
言葉のやり取りはそこまでで十分とばかり、二人は腕タッチを交わすのだった。
そして純弥には。
「お前、今日のデートでやらかした分、全部取り返してこいよ」
「······言われるまでもないさ」
それだけ言うと、再び歩き出す純弥。
それに続くキラを見送ると、医務室に向かうため反対の道を行くタキ。
そうして男達はそれぞれの戦場に向かうのだった。
整備ドックで、純弥と維心と御影は戦闘服に着替え、出撃の時を待っていた。
「純弥君。君の怒り、私達に預けてくれませんか?」
御影は純弥を案じて言う。
「人質の救出と、儀式の阻止。感情に流されれば、どちらも失敗する。冷静な判断に徹しろ」
それに対し、維心はあくまでも冷徹に言い放つだけだ。
「分かっています。それと御影さん。それは聞けない相談ですよ。でも、ありがとうございます」
純弥は、冷静さを装いつつも、心臓が鉛のように重い。
八首の声が、ドック内の通信機に響いた。
「全隊、最終確認。ターゲット、鏑木グループ旧第三湾岸倉庫。潜入経路は、維心君と御影君、そして純弥君が海からの霊子結界の薄い部分を、三人の精霊従による「龍走破」で突破。午前 零時、敵が儀式を開始する前に、すべての決着をつける」
「では、影理、切宇、隠牙。幸運を祈る」
三人は顔を見合わせ、深く頷いた。
「「「――変身!」」」
一瞬の霊子の奔流。純弥は真醒者・隠牙となり、その全身を黒い装甲が覆う。維心と御影もまた、化忍装束に身を包む。三人の化忍は、ドックに待機していた高速潜入艇に乗り込んだ。艇は自動操縦で海へと向かい、静かに水面下へと潜航していく。
『純弥君、維心さん、御影さん。倉庫の霊子結界の最薄ポイントまで誘導します。発進準備はいいですか?』陸の声。
「いつでもいける」切宇が答える。
潜入艇は、湾岸倉庫街の沖合の、波の音が響く水深十数メートルで停止した。
「ここが、敵の結界の僅かなノイズの隙間です。では、ご武運を」
御影が、静かに霊子波計測器のスイッチを押した。
「結界のノイズが、今、最大に広がりました。霊子結界の薄い部分を突く。『龍走破』の準備を」
三人の化忍が、潜入艇のハッチを霊子制御で開く。冷たい海水が艇内に流れ込み、瞬時に蒸発した。
「「「龍走破!」」」
三人の化忍が、ハッチよりバイクで発車。海上を「水蜘蛛の術」の掛けられたタイヤで疾走。やがてそれぞれのP霊子を極限まで高める。隠牙のオレンジの霊子、切宇の紺碧の霊子、御影の浅葱色の霊子が、螺旋状に融合し、巨大な霊子の竜巻を形成した。三台のバイクから放たれたその竜巻が、海水を切り裂き、湾岸倉庫街を囲む目に見えない霊子結界の「ノイズ」の隙間へ、音もなく突き刺さった。
霊子結界が、紙のように薄く引き裂かれる。
三人は結界を突破し、倉庫の地下にある排水口から、水と共に内部へと流れ込んだ。
三忍が着地した場所は、鏑木グループ旧第三湾岸倉庫の地下空間だった。水気と錆の匂いが充満する薄暗い通路は、霊子波を遮断する結界の内側に入ったことで、外部のノイズから完全に隔離されていた。
「結界突破に成功。予定通り、霊子装置の位置は西側二階。天野純弥、お前は中央へ」切宇が指示を出す。
「了解」
隠牙は、迷わず中央へと続く階段を駆け上がった。彼の背後で、切宇と影理は、霊子装置の破壊を最優先に、西側へと姿を消した。
純弥が辿り着いたのは、倉庫の中心部を改造した巨大な円形空間だった。廃墟の鉄骨と、錆びたドームの天井が剥き出しになっている。
「っ! 本っ当に嫌がらせが得意だな、源忍《お前ら》」
この空間こそ、純弥と恵美理達とで秘密基地ゴッコをした時の、その「司令室」として使っていた場所だ。
初恋の人だけでなく、その思い出の場所にすら土足で踏み込まれた。
それを認識するが、任務の優先を念頭に、そして今目の前にある光景を目に焼き付け、努めて冷静さを保った。
その区画の中央には、白色の椅子が一脚置かれていて、その上に、純白のドレスのような衣装を纏わされた恵美理が、拘束されて座らされていた。彼女の顔は青白く、意識を失っているようだ。
そして、椅子の横には、あの敵幹部が、黒い装甲を纏ったまま、冷酷な笑みを浮かべた般若の面を揺らしながら立っていた。
その場には、夜叉の姿はない。純粋な一対一の対決。敵の狙い通りだ。
「フフフ……お待ち申し上げていたよ、真醒者第四号くん。約束通りだ」
幹部が、冷たい声で純弥を迎えた。
「君の『私情』が、この〝イベント〟を最高のクライマックスへと導いてくれる」
隠牙は、椅子と幹部との距離を測りながら、一歩一歩踏み出した。彼の全身のP霊子は、恵美理の苦痛に満ちた姿を見て、限界まで高まり始めていた。
「エミねぇから離れろ」
静かに、しかしマグマのように煮え立つ怒りを湛えて、隠牙は唸りに聞こえるほどの低い声で幹部に通告する。
「離れるわけにはいかないね。君の裏切りを知った彼女の心が、私にとっては最高の燃料になる」
幹部は、純弥の変身ベルトを指さした。
「前回、君は己の未熟な正義によって、彼女を私に引き渡した。そして今、君は組織の論理を無視して、私情で突っ込んで来ようとしている。素晴らしい。君の全ての行動が、私にとって完璧なデータを提供してくれる」
幹部の精神攻撃は、純弥の最も抉られるべき心の傷を正確に突いた。純弥の装甲から、再び制御不能なオレンジの霊子がスパークし始める。
「黙れッ‼️」
隠牙は、咆哮と共に幹部に肉薄し、猛烈な連撃を繰り出す。その拳には、自己嫌悪と愛が混ざり合った