仮面ライダー隠牙   作:モタボチ

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終わりに見えたもの〈下〉後編

それからの純弥は目に余る様相を呈していった。

暴力は最早、感情の発露や衝動ではなく、純弥にとっての快感、そして自己認識の一部と化していた。不良グループの溜まり場で味わったあの圧倒的な勝利の感覚、そして相手が苦痛に歪む様がもたらす「可笑しさ」。それは、内側に巣食っていた「異変」が、ついにその本性を現し、純弥の「新しい自分」として定着した瞬間だった。

そうして純弥は不良・犯罪者専門の通り魔と化していった。

当然警察はそんな彼を野放しにしておく訳もなく、彼の逮捕を試みたが、純弥の驚異的な身体能力で逃げられるを繰り返していた。

これが天野純弥、中学二年生としての日常となっていた。

 

そんなある日のこと、純弥がいつも通りに不良達を狩ると、声を掛けてきたやつがいた。純弥が通り掛かるまで、五人がかりで殴られていた奴だった。

しかしその髪型は金染めの刈り上げで、そいつ自身も不良と分かる格好だった。

――コイツもヤるか?

そう考えかけた純弥だったが、次の瞬間だった。

「いやあ! お兄さん強いですね⁉️ あの華麗な拳裁きって言えばいいのかな? とにかく最高でしたよ‼️」

めちゃくちゃ褒めちぎられた。

一気にアホらしくなり、その場を後にしようとするが、そいつはしつこかった。

「ちょ、ちょ、待ってくださいよ、お兄さん!」

金髪の刈り上げの男は、純弥の前に回り込むと、両手を胸の前で合わせて熱烈なファンさながらの態度を見せた。ボコボコにされていたはずなのに、その動きは妙に機敏だった。

「俺、感動したんスよマジで!あの連中、この界隈じゃ結構イキってる厄介な奴らで、誰も手を出せなかった。それをアンタは、たった一人で、しかもあんな『楽しそう』に!」

男は、純弥が不良たちを狩る理由を正確に捉えていたかのように“楽しそうに”という言葉を強調した。

純弥は思わず立ち止まった。自分の「悪」の核となる感情を、この男に簡単に見透かされたことに、少しの驚きと、そして抑えきれない不快感を覚えた。

「何の用だ。絡むなら、お前も同じ目に遭うぞ」

純弥の声は低く、威嚇を含んでいた。

金髪の男は、その威嚇にもひるむことなく、満面の笑みを浮かべた。

「いやいや、ご心配なく!俺、アンタと敵対するつもりなんて毛頭ないっすよ!むしろ…」

男は目を輝かせながら言った。

「俺、アンタの『お供』がしたいんス。アンタの強さに惚れたんス!」

あ、自己紹介忘れてた!と言うと、そいつは名乗った。

「多貴悠樹、榎本中学二年! よろしくお願いします!」

 

「ほらどうぞ! 俺の奢りですから! じゃんじゃん頼んじゃってください!」

純弥は、多貴悠樹――「タキ」という男の、底抜けの明るさと、その強烈な扇情に、完全にペースを乱されていた。

タキは純弥の暴力を、本物だのエンターテインメントだとやたら褒めそやした。挙句――

「まずは情報提供っすよ!純弥さんが狩りやすい、イキってる連中や、厄介な組織の情報なら、このタキにお任せください!俺、そういう嗅覚だけは異常に良いんス!」

彼は、どこまでも純弥の「狩り」を肯定し、その手助けをしようとしていた。

「却下だ」

だが純弥の言葉は、熱に浮かされたような多貴悠樹の期待を、冷たい刃で切り裂いた。

「えっ…?」

タキの、どんぶりを前にした輝かしい目が、一瞬にして曇った。口の端についた背脂もそのままに、彼は戸惑いを露わにした。

「大体な、俺がいつ何時『よろしく頼む』なんて言った?そして何度も言うように、俺のやっていることは、お前がさっき言ったように、警察に追われる犯罪だ。お前を巻き込む理由もない。俺が『楽しい』からやっている行為に、お前の時間や労力を割く義理も、必要もない」

純弥は立ち上がり、暖簾の方へ向かった。

「お前のラーメンはうまかった。それだけだ。もう俺に声を掛けるな」

「ちょ、純弥さん!」

タキは慌てて立ち上がった。彼の表情は、一瞬の落胆の後、すぐさま固い決意に変わった。

「俺は、それでもアンタの『お供』がしたいんス!」

タキは純弥の背中に向かって、切実な声を上げた。

(…厄介な奴だ)

自分が「犯罪者」であることを突きつけても、彼にとっては全てが『肯定』の材料となる。自分の「悪の愉悦」を否定されないことに覚えたかすかな安堵が、タキを完全に拒絶することを躊躇させていることを、純弥自身が理解していた。

「純弥さん!」

やはり、しつこかった。タキは、純弥の背中を追いかけるように、少し離れた位置についてきた。

「俺、別にアンタの『狩り』を手伝おうなんて思ってないっす!さっき言った通り、勝手にアンタの行動の邪魔しないように、離れた場所から見てるだけっすよ!ただの、『観客』っす!」

タキは、純弥との距離を一定に保ち、それ以上近づいてこなかった。まるで、純弥という猛獣の縄張りを理解しているかのように、慎重な距離感だった。

彼は、自分が暴力を振るう理由を初めて『正しい』と断言されたのだ。それも、恐怖や憎悪ではなく、純粋な憧れと狂信的なまでの肯定をもって。

純弥は、深く息を吐いた。そして、前を向き、再び夜の街へと歩き出した。

「…勝手にしろ。ただし、俺の邪魔をしたら、次はお前が『獲物』になると思え」

その言葉は、明確な許可だった。

タキは、その場で跳び上がりたいのを必死に堪え、声を潜めた。

「マジっすか!やったー!純弥さん、ありがとうございます!」

純弥はタキを振り返らなかったが、彼の後ろからついてくる、熱狂的な「観客」の気配を感じながら、夜の闇に溶け込んでいった。

その夜も、純弥は、路地裏で三人のチンピラを相手にしていた。

純弥の拳は、最早、ただの暴力ではなかった。それは、彼の内なる「異変」を昇華させるための、最も効率的で、最も快感をもたらす芸術だった。一人が倒れ、二人が苦痛に呻き、三人が顔を歪ませて恐怖に震える。その一連の光景が、純弥の核心に巣食う闇を、心地よく満たしていく。

 

だが、次に聞こえて来た声が、純弥の心に冷水を浴びせた。

「······純弥?」

明日香の声。まるで数年ぶりに聞いたような郷愁が、純弥の心を満たした。

今すぐにでも縋り付きたい、怖い思いをさせてごめんと謝りたい。そんな感情の津波に支配される。

だがすぐにそれを振り切り、純弥は振り返ることなく、全速力でその場を去った。

「待って‼️ 純弥!」

叫びも虚しく、夜の闇にあっという間に消えていく純弥の背中。

それに途方に暮れる間もなく、残されたタキが不用心にも声を掛ける。

「おねーさん、純弥さんの知り合いっすか?」

「誰?アンタ?」

「ひっ、」

馴れ馴れしく純弥の名を呼ぶ推定不良に、明日香は思わず殺気を叩き付けた。純弥と修羅場を潜り抜けてきた明日香の殺気は、一般人のものとはもはや一線を画していた。この前の返り討ちは本当に相手が悪かったのだ。

「って、んなことより!」

明日香は携帯を取り出すと、作晃へ電話を掛けた。

「おじさん⁉️ 純弥見つけた! うん、並木通りのとこ! おじさん先回り出来るんじゃない? うん、お願い!」

明日香は手早く報告すると、そのまま純弥が消えて行った先へ向けて走り出そうとする。

「あ、待った! お姉さん!」

突然焦ったように明日香の腕を掴んで引き止めるタキ。

当然、明日香は激昂する。

「だから誰よアンタ⁉️ 今忙しいの! ナンパだってんなら······!」

タキは再びひ、と怯えるが、それ以上に不味い展開になっている事をなんとか伝えた。

「じ、実はこの先、かなりヤバい奴らの溜まり場なんすよ! 純弥さんなら大丈夫だと思うけど······万が一、ってレベルでもあるくらいで······」

「は⁉️ それ早く言いなさいよ!」

明日香は再び作晃に電話を掛けるが、運転中らしく繋がらない。

「不味い······ちょっとアンタ! そのヤバい奴らの溜まり場知ってるんでしょ?」

「え? ええ、まあ」

「案内して」

「ええ⁉️ 危険っすよ! お姉さんに何かあったら······」

「案内しろ」

「はいぃぃ‼️」

〝後の関係〟が既に完成されていた二人であった。

 

(俺のせいだ······!)

作晃は車内で自責の念に囚われながら、明日香が教えてくれた地点へ車を走らせていた。

戦わせたくないと思った。その一心で純弥を〝真実〟から遠ざける真似をした。

その結果が〝これ〟だ。

もっとアイツの強さを信じて訓練を施してやればこんなことには······

だから今は純弥を止める。どんなことをしてでも。それが親として出来る唯一の償いだ。

そう心に決めていると、乱闘している一団が目に入った。その中で大立ち回りを演じているのは······

「純弥⁉️」

 

――ああ、やっぱりこの感覚だ。この感覚に浸っている瞬間こそ俺の真実だ。

純弥は明日香に遭遇して乱れた心を、喧嘩の混沌で描き消そうとしていた。

それは上手く行っているような感覚だったが、裏腹にその動きはいつもより精彩を欠いていた。

そして今の相手は、先程タキが「ヤバい奴ら」と称した一団だ。その〝隙〟を見い出せるほどに喧嘩慣れしていている。

一人がナイフを取り出し、純弥目掛けて突進していった。

ドン!

「⁉️ ってえ!」

純弥は突然予想外の方向からの衝動を受け、無様に転がった。

そこでようやく自分が集中出来ていなかったことに気付き、自分の慢心を反省すると、すぐに立ち上がって再び相手に向かって行こうとした。

そこでようやく、乱入者の存在に気が付いた。

「·········親父?」

純弥を突き飛ばし、彼の前に立ちはだかっていたのは、作晃だった。その背中には、先程の男が振り下ろしたナイフが深々と突き刺さっていた。服の黒が、急速に滲み出る血の赤黒い色に染まっていく。

純弥の脳内が一瞬で真っ白になった。喧嘩の熱は一瞬にして冷め、心臓が凍りつく。目の前の光景は、過去のどの戦闘よりも生々しく、現実を叩きつけてきた。

「おやじ······父さん······」

周りの不良達が「おい······! やべえよ、ずらかるぞ」と言って去って行くのも聞こえず、ただ純弥は父の背中の〝真ん中〟に突き刺ささったナイフを、呆然と眺めているしか出来なかった。

 

その後、駆け付けて来たタキと明日香が救急車を呼んでくれ、作晃は無事病院へ搬送された。

だが、診断の結果が純弥をさらに絶望に追い込んだ。

脊椎損傷。

「障害が出ることを覚悟しておいてください」

そう冷たく宣告し、医師が去っていくと、純弥はトボトボとした足取りで、しかし確実に〝屋上〟に向かっていった。

フェンスの金網に手を掛け、〝何をしてもツケが大切な人へ行く〟という現実を再確認し、そのままフェンスを登り――

「ちょっと何やってんの純弥⁉️」

「駄目っすよ! それだけは⁉️」

かけたところで明日香とタキに羽交い締めにされる。

「もうほっといてくれよ‼️ 辛いんだよ⁉️」

純弥が悲鳴にも似た叫びを上げるが、明日香がそれを遮る。

「そうかもね⁉️ でも今一番辛いのはもうまともに歩けなくなる作晃おじさんでしょうが‼️ アンタにはそんな権利無いの‼️」

明日香は容赦ない言葉を叩き付けるが、その矛先は自分自身にも向いていた。

自分があの日、怯えて遠ざけたから、純弥がこんなに苦しむ羽目になった。だから純弥に嫌われようとも、彼を生かす為ならどんな手も使うのだと。

「ええと、ほら! 俺が言えた義理じゃないスけど、ともかく身を呈してまで守ってくれた良い親父さんじゃないすか! そんな人を置いていっちゃ駄目っス!」

二人に説得され、ようやくフェンスから手を離す純弥。

その時、見計らったように、看護師が作晃の意識が戻ったと報告に来た。

 

純弥は、ふらつく足で個室へと向かった。明日香とタキも言葉を交わすことなく、ただ静かに彼の後ろを歩く。

個室のドアを開ける。中は白く清潔で、静謐な空気に満たされていた。

ベッドの上で、父・作晃が、疲労の色は濃いものの、微かな笑みを浮かべていた。脇には各種の医療機器が繋がれているが、その瞳には確かに生きた光が宿っている。

「……父さん」

純弥は、震える声でその名を呼ぶのが精一杯だった。

「よう、純弥」

二人の間に、数年ぶりの再会であるかのような気まずい沈黙が流れた。

やがて口火を切ったのは、作晃からだった。

「······ごめんな、純弥······俺の臆病さで、お前から逃げて。その結果、お前をここまで――」

「謝んなよ‼️」

純弥は遮るように言う。この後に及んでまだ謝ってくる父に対してか、謝らせている自分に対してか。どちらにも腹が立っているのかもう分からなくなっていた。

「どうしてあんたは······いつも、いつ、も·········」

言葉に出来たのはそこまでで、純弥はベッドサイドにしがみつき、瞳から堰を切ったように涙が溢れ出した。自分への怒りと、安堵と、そして今まで抑圧してきた「見捨てられた」という幼い悲しみ。それは勘違いだった、そのせいで父が歩けなくなる、という絶望が、一気に噴き出したのだ。

「ごめんなさい!ごめんなさい! ご、めん、なさい······!」

やがてそれは、身勝手な、しかし混じり気の無い、懺悔へと変わっていった。

懺悔は純弥の声が枯れるまで止まることはなかった。

 

「なんだ。分かってたんじゃない。自分が〝要らない〟存在だって」

飛び降りようとした純弥を指し、女郎蜘蛛夜叉が言う。

「それをお涙頂戴の友情ごっこ、親子ごっこで邪魔されて。その結果、私のお父さんを殺すことになった。そこは同情するわよ?」

でもね······と女郎蜘蛛夜叉は続ける。

「あなたは、その『要らない』自分を、『正義の味方』という綺麗事の甲冑で覆った。そして、その甲冑を脱ぐ勇気もないまま、私たちを――自分の復讐のために利用しようとした人々の家族を、結果的に傷つけ、殺した。あなたにとって作晃さんの復讐なんて、ただの『自己満足』よ。私と、私の父の死は、あなたの『孤独な復讐』という名の物語を完成させるために必要だった、都合の良い小道具でしかないんでしかなかったんでしょう?」

 

「ぐっ、······うぐあああ!」

純弥の容態が回復しない。臓器の腐食はタキの術によって食い止められた。

しかし心電図は相変わらず不規則な線を描くだけ。

タキは疲労困憊で椅子に座り込んでいるが、純弥から目を逸らさない。

「······頼むよ。俺はここまで根性出したんだから、いい加減戻って来いよ······」

「純弥······」

そして明日香は相変わらずガラス越しに名前を呼ぶしか出来ない。

 

――一頻り大泣きした後、面会時間が過ぎ、病室から連れ出された後、純弥は廊下のソファに座りぼうっと蛍光灯を眺めていた。

その時、頬に突如触れた冷たい感触。

純弥は驚いて、頬に触れた冷たい缶ジュースに手をやった。見上げると、明日香が少し困ったような、しかし優しい目で立っている。

「······お前、俺が怖かったんじゃないのか?」

純弥は掠れた声で尋ねた。

「······うん。正直すごいビビった」

「そりゃね、あんな文字通りの血祭り見たら誰だってビビるっての」

明日香はこれまでと変わらない気安さで、純弥に接してくれた。

自分の幸福さを、今一度噛み締める。

純弥は喉の奥の痛みを堪えながら、俯いたまま絞り出した。

「ごめん、ビビらせて······。ていうか、本当にごめん。……情けないとこ、見せた」

「いいよ、もう。純弥がそれだけ必死だったって、わかってるから」

明日香は、そっと自分のジュースの缶を純弥の隣のソファに置いた。

「でもさ、純弥。声、ガラガラだよ。ちゃんと水分補給しなきゃ。ね?」

純弥は言われるがままに、缶に口をつけた。炭酸の刺激と冷たい液体が、枯れた喉に少しずつ染みていく。

「……お前は、怒ってないのか?俺が、あんなに……」

「怒ってるわい。これから警察にも行かなきゃならないし、どんだけ世話掛けさせんのよ。ばか純弥」

明日香は純弥を睨め付けるが、やがてふわりと笑った。その笑いには、怒りよりも、呆れと、深く安堵した色が混じっていた。

「でも、純弥がちゃんと全部吐き出せてよかった。お父さんとも、ちゃんと話せて。正直、私の方が心臓止まりそうだったんだからね」

「ごめん……。迷惑かけた」

「分かってるなら、もう二度とあんな無茶しないで」

明日香はそう言って、隣に座る純弥の肩を、軽く、しかし力強く叩いた。その手の温もりが、純弥の震える体にじんわりと染み入った。

「でも良かったー、今日、純弥が全部話せて、私にちゃんと謝ってくれたこと。それが、私にとって、一番大事なことだよ」

彼女はそう言って、純弥の空いた方の手に、自分の冷たい指先をそっと重ねた。

「だから、もういいよ。全部、終わり。……私たち、これから、また普通の友達でいよう」

その瞬間、純弥の胸の奥で、何かが音を立てて弾けた。

「友達」という言葉。それは、純粋な救いであり、彼が最も欲しかった「赦し」の形だった。自分の最も醜い部分を見せ、罪を告白した後でも、彼女は変わらない温もりを与えてくれる。

その無償の優しさが、純弥の心の闇を一掃した。そして、その後に残った感情は、あまりにも強く、眩しかった。

純弥は、彼女の重ねられた手のひらから、目が離せなかった。

(ああ、なんていうか、この人は……)

今まで、自分の不幸を呪い、周囲に攻撃的になることしか知らなかった純弥の心に、初めて「誰かを守りたい」という衝動が生まれた。彼女の柔らかな笑顔が、世界の全てに思えた。彼女が傍にいるというだけで、自分が生きていられるような気がした。

それは、感謝でも、友情でも、償いでもない。

胸が締め付けられるような、熱くて、切ない、特別な感情。

好きだ。

純弥は、悟った。この、彼女の全てを受け止めたい、彼女の光の中で生きていきたいと願う衝動こそが、恋なのだと。

彼女の瞳の色、少し枯れた自分の喉の痛み、廊下の蛍光灯の音。その全てが、彼女への恋心の背景として、鮮明な色を帯びた。

「……おう。こちらこそ、よろしく頼む、明日香」

その後、明日香の言葉通り、警察に自首した。

別室での事情聴取は、夜通し続いた。純弥は、自ら起こした傷害事件の詳細、彼が味わっていた過去の孤独や、父への勘違いからくる歪んだ感情、覚えている限りのことを全て語った。彼はもう、何も隠す必要も、守るべきプライドも持っていなかった。

その後、明日香と共に処分を待ったが、その裁定はなんと身柄拘束の見送りだった。

「自首は、君自身の強い更生と贖罪の意志によるものと判断する」とのことだった。

ただし、無罪放免ではなく、少年法に基づき、彼の行いは刑事裁判ではなく、より更生を目的とした審判に委ねられるということだった。

罪は消えないが、殆どハッピーエンド同然の結末に、それを導き出してくれた周囲の人々に、純弥は再び感謝の涙を流した。

そして最後に、オマケが付いて来た。

「あ!良かった!純弥さあああん!」

それは、病院で純弥の命を繋いだ少年、タキだった。彼は、純弥の姿を見るや否や、感極まったように小走りで駆け寄ってきた。

「無事でしたか!警察に連れて行かれたと聞いて、どうなることかと!私は徹夜で外で待機していました!」

「お前なあ······」

純弥は、冷めた目でタキを見下ろした。しかし、彼の声には、以前のような攻撃性はもうない。ただの、呆れだった。

「お前、俺がどれだけお前に迷惑かけられたか、分かってねえだろ。命を助けてくれたのは感謝してるが、正直、お前の存在は······」

鬱陶しい、という言葉が出て来ない。ある意味、こいつの輝かしいまでの憧憬の瞳が、本格的に道を踏み外さなかったストッパーだったと、理解してしまった。

純弥は、大きくため息をついた。この、どこまでも純粋で、どこまでも的外れな少年を、本気で拒絶する気力も、もう湧かなかった。むしろ、彼を見ていると、自分の抱えていた闇が、いかに滑稽で大袈裟だったかを思い知らされる気がした。

そこで純弥は、一つ提案をすることにした。

「いいか、タキ。俺はお前を舎弟にする気は微塵もない。お前も、俺の舎弟になんてなるな」

純弥は、タキの肩に、かつて明日香にされたように、軽く、しかし強い意志を込めて手を置いた。

「まず、命令だ」

純弥は、彼の舎兄(あにき)としての最初の命令を下した。

「一つ。俺に対して、今すぐ敬語を禁止する。俺のことは『純弥』と呼べ」

「えっ⁉️ そ、それは流石に、師匠の教えに反するのでは……」

タキが戸惑う。

「二つ。俺の舎弟じゃなく、友達になれ。いいな?」

「ええ⁉️ ちょ、ちょっとそれは恐れ多い······」

「なんだ? 憧れの純弥さんの命令が聞けないのか、うん?」

タキはしばし目線を純弥と明日香の間で彷徨わせたが、やがて輝かんばかりの笑顔を浮かべた。

「わ、わかった!じゅ、純弥!……そして、明日香!よろしくな!」

タキはそう宣言し、興奮のあまり、両手を勢いよく突き上げた。

明日香は、そのタキの勢いに、堪えきれずに吹き出した。そして、純弥の顔を見て、満面の笑顔で言った。

「タキが友達になってくれるなら、大歓迎よ!純弥、あなたの周りに、やっと普通の人間が増えたね」

純弥は、明日香の屈託のない笑顔と、タキの純粋な決意を目の当たりにし、心からの安堵を覚えた。

彼は小さく笑い、太陽の光を浴びた。三人の、歪だが確かなトリオは、今、ここに、罪の償いと、未来への希望を胸に、静かに結成されたのだった。

その後純弥は、作晃のリハビリを手伝いながら自らに潜んでいたP霊子という〝力〟

の制御を学び、情緒の安定を取り戻していった。

だが、暴力の悦楽を知ってしまった自分には警察など、相手を〝制圧〟する仕事は務めてはいけないと判断し、人を傷つけた分、治したいと思い、医者を目指した。

地頭が良くなかった為、彼は部活動などには入らず、ひたすら勉強に打ち込み、ついに合格を勝ち取った。

それはトリオの解散を意味していたが、二人は快く純弥を送り出し、そして二○一三年四月八日――

 

「アンタの人殺しが始まったわけね」

女郎蜘蛛夜叉がそう締めくくり、記憶の再生――走馬灯は幕を降ろした。

「結局あんたは暴力から逃げられなかった。良かったわね?公的に相手を殺せる舞台に上がれて」

「違······」

違うと言えない。

確かに〝罪の無い〟一般人が変化させられた夜叉を殺すのは心が傷んだ。

しかし、完全に夜叉に乗っ取られていた小泉ほのかの兄、そして、自ら〝悪〟の道を選んだ真流源忍党の夜叉を葬る度、自分の心には罪悪感など無く、ただ、ヒーローごっこを達成出来た快楽だけがあった。

それに気付いた。

「その結果が――〝それ〟よ」

女郎蜘蛛夜叉が指差した方へ、従順に目を向けると、

〝鏑木おじさん〟をはじめとした夥しい苦悶の表情を浮かべた、赤黒い亡骸の山が足元に築かれていた。

「あ······ぁあ」

純弥は後ずさろうとした。瞬間、逃がさないとばかりに、何十もの手に足首を掴まれる。そしてそのまま、純弥を引き摺り込んで行く。

「来るな!離せ!」

純弥は絶叫したが、声は喉の奥で潰れた。彼の体は、無数の血濡れた手によって、赤黒い亡骸の山の中へ、ずるずると引きずり込まれていく。土嚢のように重く、生温かい亡骸の肉の感触が、純弥の全身に絡みついた。

亡骸の山は、彼の過去の罪そのものだった。

「嫌だ‼️ エミねぇ‼️」

もはや助かりたい一心で、純弥は女郎蜘蛛夜叉へと縋りつこうとする。

「触らないで」

にべもなく、その手を払い除ける女郎蜘蛛夜叉。

「私はまだ生きてる。貴方の地獄に付き合うなんてゴメンよ」

その、「生きてる」という言葉が、ふと、純弥に安息を齎した。

(ああ、そうだ······エミねぇを殺さずに済むんだ······これで、良いんだ)

そして抵抗を辞めた純弥は、死骸の山の最下層、血で出来た沼の中へ、大人しく引き摺り込まれていった。

 

ピーーーーーーーーー······

心停止を告げる無情な電子音が、集中治療室の冷たい空気を引き裂いた。一直線になった心電図の波形は、すべての終わりを突きつける。

「くそっ!心停止!コード・ブルー!看護師を呼べ!デフィブリレーター!」

疲労困憊で椅子に座り込んでいたタキの体が、瞬時に弾かれたように立ち上がった。彼の顔色は青ざめ、蘇生のための準備に取り掛かろうとするが、徹夜の施術で鈍った動きは、焦燥に追いつかない。

「純弥っ!頼む、今だけは根性出せ!戻って来い!」

タキが慌てて機械を操作しようとする傍らで、ガラス越しに立ち尽くしていた明日香の理性は、完全に崩壊した。

彼女の瞳に映るのは、絶望的な電子音を吐き出すモニターと、青白い顔で横たわる純弥の姿だけ。彼が、今、約束した未来を置き去りにして、消えていこうとしている。

「嫌……イヤッ!純弥!」

純弥の胸にパドルが押し当てられ、体が激しく跳ねる。電気ショック。しかし、モニターの波形は回復しない。

「ダメだ!心室細動が止まらない!」

「もう一度!酸素投与量を上げて!」

一秒一秒が、永遠のように長い。明日香は、祈る手の指の骨が軋むのを感じながら、ただただ、純弥が再び息を吹き返すことを願った。

そして、その願いは、無情にも裏切られた。

ピーーーーーーーーー······

処置室全体に響き渡る、長く、単調で、途切れることのない電子音。それは、彼の心臓の活動が停止し、その命が尽きたことを告げる、最も残酷な音だった。

「…………」

担当のドクターが、純弥の胸元に耳を当てた後、静かにマスクを外し、重々しく告げた。

「時刻、午前五時三十二分。……ご臨終です」

その言葉は、冷たいガラスを通り抜け、明日香の耳に届いた瞬間、彼女の理性を完全に打ち砕いた。

彼女瞳から光が消え、そのままくずおれる。

「ッくっそぉ!」

ガラス越しに明日香の姿を見たタキが、再度P霊子の光を当て始めた。

「無駄よ。坊や」

しかし、青シタは無情に告げる。

「心臓が止まった。彼のP霊子の源が止まったの。外部からいくら照射しようと――」

「うるっせええええ‼️」

タキは敬語も忘れ、叫びを上げた。

「コイツがどれだけ頑張ってきたと思ってるんですか⁉️ どれだけ苦しんで来たと·········」

そこまでで体力を使い果たしたが如く、膝を着く。

「なあ、純弥ぁ」

今度は横たわる純弥自身に縋り付く。

「見てみろよ······あの明日香が〝あんな〟になってんだぞ? お前それで良いのかよ⁉️ また惚れた女泣かせるのか⁉️ なあ⁉️」

純弥は答えない。その現実が、とうとうタキの心も砕いた。

そんな若者達の嘆きを、八首はただ黙って見つめていた。

 

「············そうですか。分かりました」

御影はその訃報を粛々と受け止め······その場に座り込んだ。

夜獣達の掃討は済んだ。しかし、それに見合う朗報はやって来なかった。また、明日香を一人で大切な人の死に立ち会わせてしまった。その事実が、御影には堪えた。

「天野純弥は······死んだか?」

文字通り単刀直入に、維心が御影に問う。

「······ええ」

「そうか」

維心は無感情に、そう返答した〝ように見える〟。

「······お二人共お疲れでしょう。車に変化する準備をして参りますので、少々お待ち下さい」

そう言ってその場を離れると、迅頼は背後でガン!と金属質の物を蹴りつける音を聞いた。

 

――血の沼の中。

赤黒く悍ましい光景の中、純弥は却って安堵の念に支配されていた。自分の存在が清められていくようで、とても心地よい。が、意識に何かが引っ掛かって、最期を迎えるのを先延ばしにしている感覚。

「まだ抗うの?」

水面を覗き込んで女郎蜘蛛夜叉が問いかける。

「流石ヒーロー君。往生際が悪いのね。まさかこのまま蘇って、また殺戮を続けるつもり?」

最期を受け入れさせるように、段々と早口になっていく女郎蜘蛛夜叉。呪詛の言葉の重みが増していく。その圧力に、今度こそ屈しそうになった、

その時だった。

ポタリ。

一滴の、温かく透明な液体が零れ、水面に波紋が広がった。

「ゴボボボ‼️」

その瞬間、純弥の総身に力が宿り、血の沼を泳ぎ浮上しようとし始めた。

そうはさせないとばかりに、夜叉の死骸達は純弥の全身のあらゆるところを掴み、再び沼の底へ誘おうとする。肉に爪が食込み、左目に指を突っ込まれたが止まる気配は無い。

そして一体何時間経過したのか、夜叉達の肉塊を全身に纏わせながらも、ついに水面を突き破り、女郎蜘蛛夜叉の元に辿り着く純弥。

「まさか······本当に殺すつもりなの? 私を?」

「ああ······」

口内の血肉を吐き出すのも惜しいとばかりに、ゴボゴボと音を立てながら返答する純弥。

「俺にはまだ······やるべぎごどがある!」

女郎蜘蛛夜叉に対して、手を、餓鬼のごとく伸ばす純弥。

「エミねぇ······俺の手で、あんたをッ‼️」

「え?」

最初に異変を察知したのは、青シタだった。

その異変を確かめるため、胸と口に手を当てる。

「·········呼吸してる」

その言葉に、廊下で明日香の傍に居たタキと、自失となっていた明日香は即座に再起動し、病室へ駆け込む。

明日香はすぐにベッドサイドから手を握り、「純弥⁉️」と名を呼ぶ。

馬鹿な······瞳孔だって散大してたんだぞ? という周囲の疑念も耳に入らず、ただ純弥の手の温もりに涙を流す明日香。

しかし、それに純弥は、安堵も、喜びも表す事なく。冷徹なまでの覚悟を伴った瞳で、問う。

「······英美里は······何処だ······?」

 

 

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