あのー、剣と魔法の異世界の案件なんですが、元ITコンサルの賢者様なら解決できますか? 作:Ningets
ITの存在しない剣と魔法の世界に召喚され、少女ラミーシャの第二人格として転生した、IT企業のコンサルタントのマリトが、世界を危機から救い、元の世界への帰還を目指す物語――
転生先の少女ラミーシャからの問に答える形で、マリトは、転生前の世界での出来事を、最初のきっかけから振り返り、二つの世界の関係と転生の謎を探る――
マリトは、オフィスの一番奥にある後輩のコリーンの部屋に入ると、先ほどまで質問者が座っていた椅子に腰掛けた。
彼女は、若干22歳にして会社の主席アーキテクトを務める天才エンジニアだ。
黒髪のボブカットに鼻筋の通った細面と、切れ長の涼しげな目が聡明さを漂わせている。
どこか面白がっているような目元が、年相応の柔らかさを感じさせる。
紺のテーパードパンツに白いカットソーという、機能重視の服装だ。
部屋のドアを閉め、棚から黒い細長い形のショルダーバッグを引き出すと、テーブルの上に置いて切り出した。
「先輩には、これからダンジョンに行って、このバッグで『右腕』を回収してきてほしいんです」
――そう。『右腕』だ。おそらく今回の異世界転生に何らかの関係がある。
『ダンジョン』というのは、マリトたちの所属していた大学の研究棟のことである。
右腕というのは、実験で使っていた研究用の義手『エーテルアーム』のプロトタイプ――試作機のことだ。
実験開始時にこの義手との接続確認をするコマンドが『PING』。
接続が確認できるとLEDが虹色に光るようになっている。
同じコマンドでチョーカーが虹色に光ったことと、何か関係があるはずだ。
非日常のはじまりは、さらに3時間前のコリーンからメッセージを受け取ったときにまで遡る。
◇
その日、マリトは北海道は旭川にある客先での打ち合わせを終えた後、オフィスに寄らずに札幌にある自分の部屋に直帰しようとしていた。
途中、スマートフォンにコリーンからのメッセージが着信した。
『明日の17時にオフィスに来てもらえますか?』
『お願いしたいことがあります』
マリトは前職時代に、彼女に返しきれないほどの大きな借りがある。
彼女の助けになることならできる限り引き受けたい。
しかし、客先での障害の原因調査中で、明日もそのための打合せが入っていることを伝えた。
『先輩のその予定ですが、障害は解決しておきました』
『午後の打合せはなくなってます』
――なぜだ。つい二時間前まで『原因不明で調査継続』だったはずだ。
『Phytonの最新のバージョン9の仮想マシンのバグ』
『現場調査では見つけるのは難しかったはずです』
まったく、基礎のレイヤのバグが枯れてないのは本当に困る。
『そのPythonのパクリ言語、バージョン更新頻度が高すぎだろ』
『パクリ言語ではないです!』
『独自開発のボタニカル指向言語!』
怒りのスタンプ付きでメッセージが送られてきた。
『明日の件は了解。17時にオフィスで』
◇
翌日の午後、外出先での作業を終えるとマリトはオフィスに向かった。
彼の務める会社、パーセプモーションは、札幌の中心部である大通に面したビルの7階に入っている。
オフィスはワンフロアで、50名ほどの社員が働いている。
手前が営業とコンサル、奥がテクニカル部門だ。
手前側はオープンスペースでスーツを着ている社員が多い。
共有ディスプレイの画面を見ながら議論をしているチームもあれば、その周囲でノートPCを使って個別作業をしている社員もいる。
ふたつのエリアのちょうど中間、窓側に配置されたやや広めのデスクが社長の席だ。
パーセプモーション・テクノロジー社長の友田真路(ともだまこと)は、40代後半の精悍な男性だ。
この会社はコリーンの父親である古楠教授が研究成果をビジネス化するために作られた。
友田社長がその二代目だ。
もともとは大学の准教授で、今でも週の半分は大学にいる。
友田社長は、マリトの大学時代の指導教官であり、前職で挫折した自分に新しい機会を与えてくれた恩人でもある。
ビジネスカジュアルを身につけ、机の上に足を載せた姿勢のまま、何やらブツブツつぶやきながら、両肘をついて指先を動かしている。
スマートグラスに移し出されている画面を見ながら操作をしているようだ。
社長室は別にあるのだが、社員との一体感を持ちたいという理由で、二週間ほど前にこちらに移ってきた。
社員はやりにくくて仕方がない。
マリトと目が合うと、社長は手を軽く上げて軽く合図を送ってきた。
小さく会釈を返し、そのまま奥へ進む。
◇参考挿絵:パーセプモーションのオフィスの様子
奥へ進むと雰囲気は少し変わり、ジーンズとTシャツといったラフな私服姿が増える。
ローパーティションで区切られ、社員ごとの個性が見える。
仕切りの上にガンプラが何体も並んでいる席もある。
コリーンの席は一番奥にある。
彼女は機密性の高いプロジェクトに関わることが多いため、ドア付きで鍵がかかる部屋で仕事をしている。
普段はドアは開いており、部屋の中の丸テーブルで技術的な相談に乗っていることが多い。
今も、部屋の前のデスクには順番待ち社員が座っている。
相手にしているのは10歳以上も年上で、しかも実績も折り紙付きの社員ばかりなのだが、彼女の前では格下に見えてしまう。
マリトにとって大学時代から見慣れた光景だ。
◇
マリトはコリーンはいずれも、今の会社は二社目だが、前職も、大学の研究室も同じで、いわば腐れ縁の関係だ。
二人が通っていた大学は都内にある某私立大学の理工学部AIイノベーション学科だ。
マリトはコリーンより4歳年上で、大学院を修了してから就職している。
コリーンのほうは飛び級で早期卒業し、同じタイミングで社会人になった。
大学はいわゆる「一流」とまではいかず、数ランク下の評価を受けている。
しかし、コリーンだけはその場にまったくそぐわない、別格の天才だった。
父親がその大学のAIイノベーション学科で学部長をしていたことに関係があると言われていたが、詳しい事情はわからなかった。
彼女は、大学入学当時、まだ17歳だったが、一年生の頃から研究室に入り浸っていた。
そこで、理論面でも実践面でも、ドクターの学生や他の教員にも追随できない圧倒的な実力差を示した。
しかも、空気を読まずに誤りを指摘するので、プライドの高い彼らには、彼女の存在は面白いものではなかったようだ。
マリトは、コリーン達が大学に入学した初日の学科オリエンテーションのときのことを覚えている。
学科長である准教授が最新の研究についての紹介をしていたとき、説明内容の誤りを指摘して、教室の空気が凍り付いてしまった。
彼は、そのときは大学院の一年生で、TA――ティーチングアシスタントとして参加していた。
そのとき、マリトはコリーンが自分を見ているのに気付いた。
目が合って、こちらが気付いたことがわかると、唇がゆっくり動いた。
『ショーモナ』――
コリーンとは大学に入る前、ちょっとした出来事で知り合いになっていて、ときおり、他の学生にはわからないように、メッセージを送ってくることがあった。
普通は標準語を話すが、彼と話すときだけ、関西弁が混ざる。
◇
質問コーナーが終わるのを待っていたときに、後輩のコンサルタントが声を掛けてきた。
たまたま、テーブルにいるのを見かけたらしい。
提案資料についての相談を受ける。
彼が悩んでいたのは、AIの動作についてどう説明すればクライアントに伝わるかという点だった。
「そこは脳のイラストを貼り付けて、その上に『AI』って書いておいておけば十分ですよ」
「技術的な話はどう書いても理解されないので、ブラックボックスで良いんです」
マリトが後輩に伝えたのは、前職のコンサルティング会社で、上司に手厳しく言われた内容だ。
――あの頃は『そんな説明でいいわけがない』そう反発したものだったが……
マリトがメンタルに出社できなくなった原因であるその上司のことを思い出すと、いまだに心臓が締め付けられる思いがする。
頭をよぎった昔の記憶を振り払いながら、コリーンの方を見ると、相談者への対応を終え、装着していたスマートグラスと手首のベルトを片付けている。
こちらの方に顔を向けると、唇を動かした。
『センパイモヤナ』――
マリトは、にやりとした。
後輩へのアドバイスが聞こえていたらしい。
『自分だって大して理解していないだろう?』そう言いたいようだ。
まあ、否定はしない。
「先輩、お待たせしました」
◇
「回収したい『右腕』というのは、大学の研究室の研究の実験で使っていたプロトタイプのこと?」
二人が在籍していた大学での研究室では、人間の知覚・判断過程のモデル化とその応用に関する研究を中心に扱ってきた。
その中でも、コリーンの父である古楠教授は、ブレイン・マシン・インターフェースによる義手開発の第一人者として知られていた。
米国では、彼の研究成果を基に、軍事作戦で負傷した兵士のための高性能な義手・義足を開発する企業の立ち上げに関わっていた。
パーセプモーションも、日本における非軍事技術の開発拠点として、教授が立ち上げた会社だ。
マリトやコリーンが在籍していた当時は、プロトタイプを使った実験が頻繁に行われていた。
「はい。エーテル・リム・プロジェクトで作られたエーテルアームのプロトタイプのことです」
「あれを、明日の16時までに届けてほしいんです」
「でも、あれは、ダンジョン――大学の研究棟にあるんだろう。明日、東京まで行ってその時間に戻るのは無理じゃないの?」
「まだ、千歳からの飛行機はあるので、今日のうちに東京に移動してください」
「チケットは手配済みです。ホテルは汐留にとってあります」
「回収には、こちらを使います」
コリーンが差し出したのは、外からの見た目はただの頑丈なバッグだが中身は違っている。
上部のジッパーを開けると、内部にある堅牢な金属製のケースが見える。
「では、時計を付けているほうの腕を出してください」
マリトは言われるまま左腕を出した。
コリーンは腕時計を外して、代わりに別のスマートウォッチをマリトの手にすばやく装着して、うなずいた。
「重要なのは一点です。腕の回収後は、このバッグをこのスマートウォッチから2メートル以上離さないでください」
「離れたら?」
「内部保護機構が作動します。格納物のデータは不可逆的に破壊されます」
――ちょっと待て。物騒な話になってるぞ……
「その時計は盗難防止用です。
「それが近くにないと、この格納ケースの開け閉めはできません」
「時計ごと盗むことは……」
「その時計は私が持っているキーがないと外せません」
「先輩の腕が盗まれなければ大丈夫です」
「うそ……」
――たしかに開け閉めできる機構がない……
コリーンは金属製の円筒形のケースを開いた。
そして、内部に黒いスプレー缶のような形状のものをセットした。
「この中に、回収したエーテルアームを入れて閉じてください。ロックがかかります」
「その後は、2メートル以上離れるとケース内にこちらの噴霧器のガスが放出されます」
「ガス?」
「はい。腐食性のガスで、格納されている腕の内部データを化学的に破壊します」
――腐食性だと!?
「安全なの?」
「理論上、ガスが噴霧されたときには、2メートル以上、離れていますから大丈夫です」
「でも、そうなったらこの回収は失敗なので、離さないようにしてください」
「飛行機に持ち込めるの?」
「問題ありません。機内持込できることは確認済みです」
「それとこのスマートグラスを使ってください」
「連絡用です。骨伝導で私と話ができます」
「基本的には私が常時モニタリングしますが、顎の下あたりで指をタップすれば、私に話をしたいという意図が伝わります」
「『モニタリング』って何をするの?」
「はい。周囲三メートルの状況を、光学的・電磁的にリアルタイムでセンシングします」
「ちょ、ちょっと……オレのプライバシーは……?」
「必要なところしか見ないので、心配いりません」
――心配しかないわ!
◇
マリトはカバンを持って、会社のビルの下まで降りて、タクシーを待った。
札幌駅に行き、そこからエアポートで新千歳に向かう。
待っていると、ちょうど反対側にあるマンションの前に黒いバンが停車した。
中から降りてきたのは、ギターケースを背負った長身の男だ。
振り向くと、パーセプモーションの入っているビルを見上げた。
ダウンジャケットにスキー帽を被り、サングラスと、口元まで覆っているネックゲイターで顔は隠れているが、ヨーロッパ系の顔立ちだということはわかる。
――今日はそこまで寒くないのに極寒仕様だな。
――有名なミュージシャンだから顔を隠しているのかも……
男は軽くうなずいた後、きびすを返し、銀色の大きなスーツケースを押して、マンションに入っていった。
◇参考挿絵:通りを挟んだ向かいに立つ怪しい人影
【次回予告】
マリトは天才エンジニアである後輩のコリーンに特殊装備を持たされ、ダンジョンと呼ばれる母校に赴くことになりました。途中、不審な人物とすれ違います。次回は、物語のキーとなる『右腕』と対面します。