【人月心話】あのー、剣と魔法の異世界の案件なんですが、元ITコンサルの賢者様なら解決できますか? 作:Kimoto Hiroshi (KH)
「このコースはいろいろ変化があって、面白いんですけど、毎日走ってると、ちょっと飽きちゃうんですよね」
「今日は秘策があるんです」
その日は、ラミーシャはいたずらっぽく、そんなことを言いながら走り始めた。
学園でもトップレベルのアスリートである彼女の一日は早朝のロードワークで始まる。
起きて朝食を済ませ、動きやすい服装に着替えたら寮からいつものコースへと出る。
ブリヤ魔法学園の校舎はなだらかな丘の上に建てられており、その周辺を回るように道が作られ、メインの街道へと続く。周回コースの1周は7キロほどで、学園から下る道と戻る道も合わせると約10キロのロードワークになる。
道はペイブメントプラントと呼ばれる植物の根で舗装されていて走りやすい。
地震に強く、破壊されても自然に修復がなされる優れものだ。
朝一緒に走る学生も多いが、ラミーシャのハイペースについてこれる学生はほとんどいない。
マリトが学生時代に行っていたランニングの数倍のスピードである。
シノハは数少ない例外だったが、彼女は三大魔導書盗難事件以来、実家での早朝訓練を続けている。
ラミーシャは身体を動かすのが好きで、毎朝、機嫌良く走る。
彼女は走っている間もしゃべるのを止めない。
「お父さんと話ができるので、朝のランニングがますます楽しいです」
「ひとりで走ると話相手がいなくて、つまらないんですよね」
マリトにとっては朝の拷問の時間である。
長距離が得意な選手は苦しくないのかと思っていたが、普通にものすごく苦しい。
しかも、追い込むような走り方をするので、なおさらきつい。
◇
コースは起伏に富んだものになっている。
頻繁に生じる空隙震による地滑りの結果、道に亀裂のできている箇所もあれば、湧き水のために水浸しになっているところもある。
亀裂の部分はジャンプして渡り、湧き水の箇所は滑らないように摩擦係数をコントロールしながら走る。
この日も、いつものようにロードワークをはじめたが、コースの終盤、走る速度を落として周りを見回し始めた。
「ここら辺りに……、あ、いたいた……」
茶トラ柄の猫が岩の上に寝そべっているのを見つけた。
何をするのかと思っていると、短パンのポケットからひものような何かを取り出す。
ひもの一方の端に、小魚の固い干物がぶら下がっている。
――そうだった。これは朝食の残りだ。
何をしているのか聞いたら『秘密です。後のお楽しみです』と答えていた。
猫は近づいてくるラミーシャを警戒しつつ、好奇心に満ちた目を向けてくる。
その目の前、少し離れたところに、小魚を置くと、ゆっくりと動かす。
猫が手を伸ばした瞬間、魚を素早く引き寄せる。
猫の手が空を切ってから、猫が再び勢いをつけて飛びついてきた瞬間、ラミーシャはダッシュして走り始めた。
追いつかれないように全力で走る。
――嘘だろ!?猫より速いのか?
猫は時速40キロ以上で走ることができる。
オリンピック選手でもかなわないと聞いたことがある……
ラミーシャはときどき後ろを振り返る。
なんと、猫が二匹に増えた。
しばらくすると、三匹、四匹、五匹目も加わった。
猫たちの必死の形相を見て、マリトはおかしくてたまらなくなってきた。
身体の中心から笑いがこみ上げてきた。
ラミーシャも同じようだ。
猫を引き連れたラミーシャは、小高くなって崖のようになっているところで、少し速度を落とした。
そして、魚を結びつけたひもを頭の上でくるくると回し、勢いをつけて遠くに投げた。
追いかけてきた猫たちは、一斉にコースを離れて走り降りていった。
ラミーシャは声を立てて笑い始めた。
「くっくっく、なんかホルモン出てきちゃいました――あはははは」
「あははは、ミーシャ、ちがうって、ホルモンじゃないって」
――この娘、身体に効果を及ぼす物質は、すべてホルモンってことでざっくり理解しているのか……
そのざっくり理解の単純さも面白く、ますます可笑しくなってくる……
「あははは、カンナビなんとかっていう脳内物質だよ」
そういうマリトも詳しいことがわかっているわけではないのだった――
「あははは、やっぱりお父さんすごいです……」
「カーナビっていう脳内ホルモンですね!覚えました――」
「あははは。そうそう、少しずつ違ってるけど、だいたいそんな感じだよ……」
こうして、異世界から召喚された賢者によって、ボルディアに新しい知識がもたらされたのであった。
◇参考挿絵:猫を引き連れて走る
◇◇
ラミーシャは運動神経は抜群に良いのだが、他の教科、特に物理と数学がかなり不得意だ。
物事を理解する力はそれほど低いわけでもないのだが、理屈で緻密に考えるより、感覚で大まかに捉えるのが得意なのだ。
目下、困っているのは物理の滑車問題だ。
試験が近いので教えてほしいと言われて、付き合っているのだが、なかなかはかどらない。
シノハが『手強いですよー』と言っていた意味がわかってきた。
図を描いて矢印を書き込むのだが、いろいろ違っている。
「この矢印は反対だよ」
「ええ―?この糸、引っ張ってるから上に矢印じゃないんですか?」
「ちがうって、張力は糸の両方を同じ力で引っ張るんだよ」
「だれも力を入れていないのに両方引っ張ってるっておかしいですよ」
「誰もひっぱってなくても、動いていないってことは釣り合っている力が働いてるってことだよ」
少し黙って考えてから、何かを思いついたように、滑車に二つの点を描きはじめた。
「何してるの?」
「ここに目をかいたら、なんだかお月さんみたいだって思いませんか?」
口のぎざぎざまで描き始めた。
――いかん。現実逃避だ……
そう思いつつもマリトも面白いのでつい乗ってしまう。
「ちょっと可愛すぎないか?」
「本物はもっと不気味な感じだろう……」
「不気味なんて、ひどい……」
「いつも、やさしく微笑んでるじゃないですか!」
――冗談なのか?認識の違い?
「私の名前だって『月の微笑み』っていう言葉から来てるんです」
「不気味とか言ったら、私本当に怒りますよ!」
「わるかった。これから気をつけるよ……」
こうして、物理の勉強は何ら成果を上げないまま試験日を迎えるのだった。
◇
試験日当日の朝、ラミーシャが何か言いたそうにしている。
「あのー、ちょっと思いついたんですけど……」
「今日の試験なんですが……」
「お父さんが代わりに受けるのは、どうかなって……」
「いやいやいや、それはダメだろう」
「それは不正行為だよ」
「でも、絶対、ばれないと思うんです」
「いやいや、そういう問題じゃないよ」
「それに、シノハには絶対バレて怒られる」
「そうですよね……」
「でも試験中アドバイスはほしいです……」
「うん。それならいいよ」
――それも不正行為なんだけどな……
甘い気もするのだが、間違っているのを黙って見ていることも自分にはできないと思ったのだった。
◇
そして、今、二人は試験問題を目にしている。
先日来、復習してきた滑車の問題だ。
ラミーシャは相変わらず同じ間違いをしている。
「いや、その矢印は反対だって」
「これも逆だよ」
「何度もやったじゃない」
――しまった、これは言っちゃいけなかった……
そう思ったが遅かった。
「だって、わからないんだからしょうがないじゃないですか」
「何度やってもわからないバカな娘でごめんなさい!」
「私だって、わかりたくなくて、わからない、わけじゃないんです!」
「復習だってしてるのに、他の子がわかるのに、どうして?って」
「この悔しい気持ち、お父さんにはわからないんです!」
目頭が熱くなって、涙で前がにじんでくる。
――ここで泣き出すのはさすがに変すぎるだろ……
「わかった。わるかった。落ち着いて」
悔しさで手が震えている。
「泣くのはまずいよ」
「この場をなんとか納めるので、替わって」
ラミーシャは軽くうなずくと主人格を交代し、マリトは問題を解き始めた。
――いきなり満点は不自然すぎるから、8割くらいにとどめないとな……
◇
試験の翌週の授業で、試験の結果が返却された。
――100点満点中、84点。狙いどおりだ。
ラミーシャが目を丸くしている。
「お、お父さん、この点数すごすぎ……」
「私史上、最高点です……前回からトリプルスコア……」
「もう、うれしくてどうしたらいいかわからない!」
興奮冷めやらないラミーシャだったが、マリトは内心焦っていた。
――トリプルって……そんなに点数低かったの!?
――5割程度にしておくべきだった……すごくまずい気がする……
彼の悪い予感は的中した。
「フォートレンディルさん、聞きたいことがあるので、放課後、職員室に来てください」
そう先生に告げられた。
授業時間中気が気ではなかった。
「お父さん、どうしましょう?」
「きっと代わりに受けてもらったのがバレたんですよ!」
「落ち着いて。そんなはずはない」
「賢者召喚して、その賢者が代わりに物理の試験を受けたとか、普通考えないって」
――誰も考えないよ……そんなアホな話……
「カンニングとかの不正行為を疑ってるんじゃないか?」
「そうだとすれば、身に覚えがないというのを貫けばいい」
放課後、ラミーシャは職員室に向かった。
物理の教員が切り出した。
「フォートレンディルさん、今回は素晴らしい出来でしたね」
「よく勉強されたんですね」
「ところで、説明してほしいことがあります」
「これまでに、提出してくれたレポートがここにあります」
「比べてみてください。字が違いますよね」
――しまった!慌てていたので筆跡の違いを忘れていた……
「あなたが不正行為をしたとは思っていませんし、実際に解いているのも見ています」
「でも、この現象に納得できる説明はしてほしいと思っています」
ラミーシャは顔面蒼白になっている。
「ど、ど、ど、どうしましょう!お父さん」
――まずい。すでに挙動不審だ。
ここで下手なことを言うと、絶対秘密である賢者召喚がバレてしまう。
「なんとかするから、とりあえず、替わって」
マリトはラミーシャになりきって答えた。
「あの、私、気付いたんです」
「物理の問題を解く時に、細かい字で図や数式を描くと集中できて、正しい答えが出せるって」
――我ながらうそくさい説明だが、つきとおすしかない!
「へーっ。そうなんですか!?」
真に受けて驚いている。
「信じられないかもしれませんが、そうなんです」
「なんでしたら、ここで何か問題を解いてみましょうか」
「じゃあ、試しにこの問題を解いてみてください」
教員は近くにあった教科書を開くと例題を指差した。
マリトが目の前で問題を解いてみせると、教員は目を丸くして言った。
「へーっ。そんなことがあるんですねえ。驚きました」
職員室からの帰り道、ほっとした様子でラミーシャは言った。
「お父さん、ありがとうございました!」
「私もうどうなるかと思いました」
「まあ、なんとかごまかせて良かったよ」
「でも、これでこれからも物理の試験はお父さんに受けてもらわないといけなくなりましたね」
「えっ?そういうことになるの!?」
「はい。それで、できればですね……数学の方もお願いしたいんですが……」
「え……」
このあと、寮の部屋に帰って、二人して夜遅くまでシノハに説教をされたことは言うまでもない。
◇参考挿絵:試験結果の高得点に驚く
◇◇
ラミーシャの不得意科目は他にもあった。
魔法の座学だ。
膨大な魔力があるため実技は得意なのだが、発動速度が遅いというのだ。
マリトは魔法の授業を受けた日に、常々疑問に思っていることを聞いてみた。
「魔法陣はかなり複雑な図形ですけど、どうやって覚えてるんですか?」
「そうなんですよ。これを覚えるのが大変なんです」
「シノハなんかは、見た魔法陣を絵的に覚えているみたいなんです」
「私も簡単なものはそうやって覚えているんですけど、滅多に使わないものとかは覚えきれなくて……」
「なので、私は『猫合わせ』で覚えてるんです」
「『猫合わせ』?それは何?」
「お父さん、語呂合わせって、わかりますか?」
「その猫バージョンです」
――語呂合わせの猫バージョン、だと??
教科書を開いて説明を始めた。
「この魔法陣を例にして説明します」
「こう上から順に右回りに見ていきます」
「ここの図形ですが、猫が正面に向いているように見えませんか?」
「となりの図形は猫の口みたいですよね?」
「で、こっちが、右向き、こっちが左向き」
「ほかにもお日さまやお花みたいな記号があるので、これを並べて覚えるんです」
「ライトバルブを光らせる魔法陣が、『ねこ、ねこ、にゃん、にゃん、みぎみて、ひだりみて、おひさま、まぶしくて、にゃん、にゃん……』と言った具合です」
「そして摩擦係数をゼロにする魔法陣が、『ねこ、にゃん、ねこ、にゃん、みぎみて、みぎみて、いしにぶつかって、ねこ、にゃん……』になります」
マリトの頭の中が疑問符でいっぱいになる。
――なぜ、それで覚えられる?
「『猫合わせ』が何かはわかったよ」
「みんなこの方法で覚えてるの?」
「いえ。この方法は私が独自に考えたものです」
――だよね……
「でも、本当にこれで覚えられるの?」
「はい。100個くらいは覚えてます」
と胸を張る。
――それはそれで、ある意味、すごいと思うけど……
「でも、覚えたものを呼び出すのは大変そうだね」
「そうなんです。思い出すのに結構時間がかかって……」
彼女の魔法の発動速度が遅い理由に合点のいったマリトだった。
◇参考挿絵:猫合わせで覚える