あのー、剣と魔法の異世界の案件なんですが、元ITコンサルの賢者様なら解決できますか? 作:Ningets
ITの存在しない剣と魔法の世界に、賢者として召喚されてしまったIT企業のコンサルタントが、転生先の少女ともに世界を危機から救い、元の世への帰還を目指す物語――
異世界の少女ラミーシャの第二人格として転生した主人公のマリトは、ラミーシャに秘密を守ることの重要性と、そのために不注意な言動を避けることが大切になることを確認します。しかし、時すでに遅く、近くまで忍び寄っている謎の敵対勢力が牙をむきます。
揺れは十分近く続いた。
マリトは小さいころに大震災を経験している。
震源地からは離れていたが大きな揺れに襲われた。
確かそのときの揺れがこのくらいだったと思う。
そのときも食事中だった。
母親が大声でテーブルの下に潜れと怒鳴り、マリトは慌てて従った。
テーブルの下から、部屋中の全てのものが揺れてぶちまけられるのを見た。
テーブルの上にあった食器、食べ物、飲み物が周りに飛び散った。
重たい冷蔵庫が滑るように動いた。
食器棚は倒れ、中の食器が宙を飛び、音を立てて砕けた……しかし――
ここの学生達は持ち上げたトレイから食べ物が落ちないように器用にバランスを取りながら、何事もなかったように会話を続けた。
揺れが収まるとトレイを下に置き、食事に戻った。
まわりに散乱しているものはなく、地震が起きる前とまったく変わらない。
――慣れているのか?
――地震を事前に察知したようにも見えたが……
マリトは頭の中で話しかけた。
「今のは地震だよね?」
「はい。空隙震です」
――『クウゲキシン?』地震の種類だろうか。
「来ることが予知できるの?」
「はい。魔法学園の訓練で予知の方法を覚えます」
「いまいるみんなは、全員できます」
「予知できない人は、さっきの鐘の音『空隙震警報』を聞いて避難します」
「こんなに大きいのがよく来るの?」
「はい。今回のも大きめですが、レベル6くらいのもっと大きいのも来ます」
「今の感じだと、今日中にもう一回来るかも知れません」
そう言うと、何事もなかったように再び会話へと戻っていった。
――テーブルが固定されているのはそのためか。
マリトがそれまでに感じていた違和感のいくつかが解消した。
固定されたり、ひもで吊るされていたものが多いのには気がついていたのだ。
◇
久々に友達と話ができたラミーシャはご機嫌だ。
友達と分かれて病室に戻っても、楽しさの余韻が残っていた。
秘密が漏れかけたことは、まるで気にしていない様子である。
マリトも楽しい気持ちを共有していて、その良い雰囲気を壊すのは野暮な気もした。
それでも、今ここで振り返りをしておかないと禍根を残すと思った。
「ミーシャ、お話があります」
「はい」
「理事長も言っていたよね」
「私が君の中にいることは、絶対に漏らしてはいけないと」
「でも、さっきの会話の中で、何度も口を滑らせそうになっていたね」
「もっと注意して話さないと、秘密は守れない」
ラミーシャの楽しい気分は消え失せ、悲しい気持ちで一杯になった。
「絶対に秘密を守らないといけないって、私、わかっています」
「私なりに気をつけていました」
「でも、友達がお見舞いに来てくれて、うれしくて」
「いろいろな話をしているうちに楽しくなって、気がついたらうっかり話してしまいそうになるんです」
目に涙が浮かんできた。
「自覚はあるんだね。楽しくなってきた時ほど、注意して話すようにしてください」
「ただ、『お父さんが』と言ってしまったのはさすがにまずい」
「それなんですけど、あのときは、お父さんにも原因があると思うんです」
やや不満そうに抗議した。
――確かにそうだった。彼女だけを責めることはできないな。
「私が騒いだのも悪かった」
「でも、私にとって、この世界は驚くことだらけだ」
「この先も、どんなことで慌てないとも限らない」
「ここは、二人で協力して克服していこう」
ラミーシャはこくりと頷いた。
「誰かと話をしているときには、その内容に集中すること、というのを大原則にしよう」
「私の反応よりも、相手の話のほうを優先して欲しい」
「話の途中で黙ったり、笑ったりすると、疑われてしまう」
「私が騒いでも、そちらに意識を向けるとぼろが出やすい。だから、あえて気にしないようにしてください」
しかし、この判断が、この後に起きる深刻な事態の遠因となる。
◇
ドアをノックする音が聞こえた。
この世界について、気の向くままに話していたラミーシャが顔を上げると、ナースが入ってくるのが見えた。
「シーツを取り替えに来ました」
そう言って、ラミーシャを椅子に移動させると、シーツの交換を始めた。
――さっき友達と話しているときにすればよかったのに……まあ、都合があるんだろう。
シーツを交換しながらナースが話しかけてきた。
「ずいぶん、血行も良くなって、具合はもう大丈夫そうですね」
「お友達とは話ができました?」
「はい。久しぶりなので、たくさん話しちゃいました」
「それは良かったですね」
「皆さんに、倒れた原因を聞かれたりしませんでしたか?」
「はい。みんな心配してくれて」
「どう答えたんですか?」
「魔法アレルギーのせいらしいという話をしました」
ナースの手が止まり、驚いた顔で振り向いた。
「えっ、その話をしてしまったんですか?」
――それも秘密だったのか!?
ラミーシャの驚きと焦りが伝わってくる。
「え……だめだったでしょうか?」
「先生から『絶対に話をしないように』と聞きませんでしたか?」
「いえ。そういう説明になっていると言われました」
ナースが怪訝そうに首をひねった。
「……わかりました。先生に報告しておきます」
そして、深刻そうな口調で付け加えた。
「まさかとは思いますが、それ以上の話はしていませんよね」
ラミーシャの焦りはさらに深まる。
「それ以上の話と言いますと……?」
ナースは声をひそめた。
「賢者様が来られていると気付かれるような話は、してませんよね」
ラミーシャは、大きく首を横に振って答えた。
「いえ、それは大丈夫です。絶対」
「ちょっとヒヤッとするところはありましたが、シノハにも助けてもらって……気づかれてはいません」
ナースは微笑んだ。
「そうですか。十分に注意してくださいね」
「彼女の力を必要としている人たちは、たくさんいますからね」
「はい。彼女は本当に頼りになる親友なんです」
ナースは一瞬、不思議そうな表情を浮かべた。
――何かがおかしい。話が噛み合っていないのか?
マリトは『彼女』がシノハではない、別の誰かを指している可能性に気付いた。
『彼女』というのは召喚された賢者――自分のことを指しているのではないか?
だとすると、このナースは召喚された賢者を女性だと思っているということになる。
マリトは理事長が賢者召喚は、病院関係者にも秘密だと言っていたことを思い出す。
――やられた!
――『ギルト・インダクション』……たしか心理学の授業で習った。
――相手に罪悪感を抱かせて、その穴埋めに情報を出させるやり方だ。
ナースは、話しても構わないはずの『魔法アレルギー』の話に罪悪感を持たせて、その補填として『賢者様のことは話していない』と主張したくなるように仕向けてきたのだった。
もし、心当たりがないなら『それって何のことですか?』と聞き返したはずだ。
――まずい!
――ラミーシャに賢者が召喚されていることがバレた!
ナースは何事もなかったように続けた。
「今日一晩寝たら明日からは学校の寮に戻れますよ」
「今晩はしっかり眠れるように、お薬を出しておきますね」
「腕を出してください」
そう言いながら、バッグから透明な筒状の器具を取り出した。
「お薬って、注射なんですか?」
戸惑いながらも、ラミーシャは言われるままに腕を差し出す。
針は付いていないが、透明な筒の中には薬液らしきものが見える。
ナースが腕を、意外なほど強い力でがっしりとつかんだ。
――これは――やばい!!
マリトの心の中のアラームが鳴り響く。
ナースは筒を腕に近づける。
「逃げなきゃだめだ」
「逃げなきゃだめだ」
「逃げなきゃだめだ」
「逃げなきゃだめだ」
ラミーシャに気づいてほしいと念じながら、マリトは必死に繰り返す。
しかし、ラミーシャは目の前の会話の方に集中している。
――しまった……
――オレが騒いでも気にしない、あのルールを守っている……
ナースが腕に注射器を押し当てた。
プシュッ。
短い破裂音と同時に、ラミーシャの気配がふっと消える。
身体は前のめりに力なく倒れ込み、ナースに抱きとめられた。
◇参考挿絵:ナースに偽装した工作員に注射される
目は開いたままだが、焦点は外れている。
即効性の麻酔薬のようなものなのだろうか。
だが、どういうわけか、マリト自身の意識は途切れていない。
偽ナースがしばらくこちらを凝視する。
先ほどまでの看護師の柔和な表情は軍人のような厳しいものに変わっていた。
手のひらを顔の前でひらひらと振る。
反応がないことを確認すると「入ってきていいぞ」と言った。
口調も軍人のものに変わっていた。
ドアが開いてにナース服を無理やり着せられたような大男が入ってくる。
理事長が使っていたような車椅子を押している。
偽ナースはもう一度ラミーシャを見た。
「おやすみなさい。雲の上で、また、会いましょう」
再びナースの口調に戻してそう告げると、
彼女のまぶたをそっと閉じた。
マリトに暗闇が訪れた。
身動きはできない。
「最終の馬車の時間まで時間がない」
「急ぐぞ」
ラミーシャをベッドの上に寝かせ、制服の上から大急ぎで擬装用の衣類を着せていく。
着替えをさせた身体を持ち上げて、車椅子に座らせると理事長が使っていたのと同様の高齢者の外出スタイルが完成した。
誰が乗っているのかはわからない。
「上出来だ。どこから見ても金持ちのばあさんだ」
そう言うと、車椅子を押して廊下に出た。
マリトはまぶただけでも開こうと試みるが、動かない。
――落ち着け。
余計な力を抜いて、外を見たいという目的に集中すると、まぶたの緊張がほぐれて目が開いた。
視界の前に広がるのは、白いベールの裏側だった。
しかし、その内側からは意外なくらい外の様子がはっきりと確認できた。
◇
車椅子はしばらく廊下を進んだ後、何度か方向を変えながらスロープを使って下に降りた。
一階まで下りると、もわっとした暖かい空気に包まれる。
――蒸し暑い……
堆肥が混ざった独特の土の匂い――家畜のいる場所に特有の匂いが、マリトの鼻をついた。
病院の玄関のところに馬車が待っていた。
幌の付いた二頭立ての大型馬車だ。
偽ナースが車椅子の先を歩いて、御者のほうに近づいた。
「こちらは、ブリヤ経由、ヴォリナ行きの送迎馬車です」
御者の声が告げる。
◇参考挿絵:車椅子に乗せて外に連れ出される
【次回予告】
工作員の罠によって、ラミーシャが意識を失い、マリトは意識を保ちつつも身動きできない状態で拉致されてしまいました。次回、舞台は病室から街道を走る馬車へ。偶然同乗した友人たちに状況を伝える方法を模索します。