眼の日記/ヨレンタ探偵事務所事件録   作:すう

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第十話:手紙Ⅲ

 ベーカリーの店主から手紙の依頼を受けて、一週間が経とうとしていた。そろそろ何らかの成果を出せなければまずい時期に来ていた。

 大学では、オクジーがあまりにも思い詰めた顔をしているので、相当課題に行き詰まっているのだろうと皆が勝手に解釈し、遠巻きに様子を伺っていた。

 いい加減なことができないオクジーの性格上、手紙は一文字たりとも進んでいなかった。

 あれから、アルバイトにも顔を出せていない。連絡だけはしてあるが、そろそろ顔を出して状況を報告しなければならないだろう。

 重い足を引きずりながら、しばらくぶりに見慣れた道を歩く。

 何もしなくても、時間が経てば腹は減る。一旦腹ごしらえをしようと、手近なカフェに足を運んだ。

 

 カランコロン

 

 ドアベルが渇いた金属音を鳴らした。

 初めて入る店だ。通りの名前をそのまま店名にしてある。落ち着いたジャズレコードの音が流れ、壁には白黒写真が飾ってあった。

 「全く!彼の態度には困る…!」

 どうやら先客がいたらしい。

 突然の大きな声に、思わずびくりと肩が震えた。

 人の良さそうな男が、カフェのマスターを相手に管を巻いていた。カウンターに突っ伏して、大の大人がべそべそ泣いている。最初酔っ払っているのかと思ったが、彼の前にはコーヒーが一杯あるのみ。まさか、コーヒーで酔っているのか。

「あんな傲慢な姿勢、研究者としてどうなんだ!」

 男の言葉を聞いて頭に浮かんだのは、バデーニの不遜な顔だった。どこにでも傲慢な人間というのはいるらしい。

「まあまあ。クラボフスキさん、飲み過ぎですよ…。」

 マスターが顔をべしょべしょにしている男の肩を撫でながら、慰めている。

 取り込み中だったか、と思って退室しようとしたが、マスターに「まあちょっと騒がしいけど寄ってってよ。」と声を掛けられたので、出ていきにくくなってしまった。

「失礼します…。」

 邪魔にならないよう、出来るだけ離れたところに席を取り、メニューを広げる。

 焙煎されたコーヒーのいい香りが店中に漂っている。狭い店内に客席はカウンターの五席のみ。メニューもシンプルで、軽食はトーストのみだった。ミルクコーヒーとトーストを注文すると、マスターがコーヒーを淹れ始めた。

 クラボフスキの愚痴はまだ続いている。離れているとはいえ、狭い店内ゆえ聞こえてしまう。

「彼は知識に貪欲なゆえ純粋すぎるんですよぅ。才能が突出しているからまわりが下に見えてしまうんでしょう。もともと周りから浮いている人でしたけど、まさか、除籍になるなんて……。」

 どこかで聞いたことのある話である。研究者の除籍ってよくある話なのだろうか。

「ごめんねぇ。あのおじさん、自分が世話してた部下が辞めさせられちゃってからずっとあんな調子でさぁ。手を焼いてたみたいだけど、ほっとけなかったんだねぇ。」

「人望もなくて、不審な行動も多かったですが、本当に本当に、優秀な若者だったんですよぉ。」

「はあ…。」

 まるでバデーニさんのことみたいみたいだ。彼が働いていた研究所での姿を想像してみる。

 いくら優秀であろうとも、彼のあの性格と態度では、まわりから嫌厭されていただろう。好奇心を抑えられず、逸脱した行動であろうと躊躇しない。そういえば以前、国家機密のデータベースに不正アクセスをしたとか言っていたか。

 ふと。バデーニの姿と家庭教師の印象が重なり始めた。どこか浮世離れした立ち振る舞い。知識に貪欲な姿勢。人の心を理解できないのに言葉を選ぶセンスは鋭く、心を打つ言葉を紡ぐ…。

 何か掴めそうだ。

 オクジーは勢いよく立ち上がり、お代をカウンターに置いた。

「ありがとうございます!なんか、光が見えてきました!」

「???どうも???」

 オクジーはクラボフスキの手を取ってブンブン振り回し、そのまま店外へ出て行く。

 クラボフスキは突然嵐のように去っていった若者の奇行についていけず、目を白黒させている。

「レフさん、私何かしました?」

「さあ。トースト焼いちゃった。食べる?」

 マスターがクラボフスキの前に、こんがり焼かれた分厚いトーストを差し出した。

 

 オクジーは息をつぐ暇もなく、下宿先の扉を押し開けた。部屋の空気が揺れる。

 勢いのまま机に身を滑らせる。震える指先でバックパックを探り、ノートとペンを引きずり出した。

 ほどけた髪が顔周りにまとわりつく。ゴムを口にくわえたままギュッと結び直す。肺の中の空気を吐き切り、机に向かう。

 バデーニの姿と家庭教師の男の姿を重ね合わせながら、彼らの口が何を紡ぎ出すのかを心の中で問いかける。

ペン先が紙を走り出す。

 迷いはない。

 言葉が溢れ出す。

 

…………………………

 

 一週間前に遡る。

 オクジーは冷え切ったシャルロトカを机上に置き、探偵事務所の扉を大きな音で閉めて、出ていった。

 オクジーの背中を見送ったドゥラカと所長が顔を見合わせていた。

 いつも温厚なオクジーが見せた態度に、二人の視線は自然とバデーニへ注がれる。

「あんなオクジーさん、初めて見た。」

「バデーニさん、何やったんです。」

 所長とドゥラカが同時に発言した。ドゥラカが机に置かれたシャルロトカを持ち上げる。見た目よりずっしりしている。りんごのいい香りがした。

「特に、何も。」

 バデーニはこめかみを叩きながら、これまでの経緯を説明した。ベーカリーの店主が世話をしている青年を大学にやるために、家庭教師の男の手紙を捏造するよう提案したこと。そして、依頼人が来る前にオクジーのノートを無断で読み、彼を怒らせたことを付け加える。

「デリカシーなさすぎ。」

 ドゥラカがジト目でバデーニを睨む。

「…バデーニさん、そのノートはオクジーさんの大切なものだったんじゃないでしょうか。

 自身の内面部分を勝手に覗かれて、ショックだったんだと思いますよ。」

 所長は客用の椅子に座りながら、バデーニと目線を合わせた。女性二人に責められて、バデーニが母親に叱られる子供のような顔になっている。ドゥラカがつい奇異の目を向けると、所長がそれを目だけで制す。

「バデーニさんを信頼していたから、余計に。」

「信頼?私を?ただの同僚だろう。」

「一緒に仕事をして、一緒にご飯を囲んで、同じ時間を過ごしたら、誰だって思い入れが湧くものです。

 ベーカリーの店主の依頼、オクジーさんの意見を聞かずに受けてしまったんでしょう?人の心って、蔑ろにされるととても悲しいんですよ。」

 そういうものなのか。

 今まで他人に興味なんて湧かなかった。でも、熱心にノートに書き込む様子を見ていて、彼が何を書いているのかが知りたくなったのだ。純粋な好奇心で覗いたが、その行動は彼を傷つけるものだったらしい。

「……そうか、私は彼に随分失礼なことをしてしまったらしい。」

 

…………………………

 

 時を戻す。

 オクジーがカフェの客に天啓を受けた日の、夕方。

 オクジーが探偵事務所に足を運ばなくなって、今日で一週間だ。正確には七日間と八時間二十七分。

 バデーニは何の意味も持たないと分かっていながら、顔を合わせていない時刻のカウントをしていた。

 探偵事務所の一角。

 散らかった資料を雑に退けると、先に置かれていた別の資料が押されてバサリと落ちた。

 バデーニの思考から、先週のオクジーとのやりとりが顔を出しては消えてを繰り返す。なぜ研究に一ミリも役に立たない情報がこんなにも出てくるのか。

 イライラと困惑で情報処理が思うように進まない。コーヒーでも淹れて気分を入れ替えようかと立ち上がりかけ、口をつけてすらいない冷えたコーヒーが三杯も机上を占領していることに気がついた。

「クソッ。なんなんだ。」

 悪態をついた瞬間、控えめに事務所の扉が開いた。いつもは入室前に気がつくものを、今日はよそごとに気を取られて気づかなかった。

「あの、お久しぶりです。」

 へへ、と締まりのない表情で、ずいぶん見ていなかった顔が現れた。目の下の隈が濃い。

「……オクジー君。手紙は書けたのか?」

「ええ、まあ…。」

 オクジーは薄汚れたバックパックから折り畳まれた白い用紙を取り出した。

「俺、この一週間、ずっと手紙の事考えてて。

 アルベルトの心にどうやったら言葉が届くんだろうって考えてました。時々、この依頼を勝手に受けたバデーニさんを恨んだりして。」

「…………。」

「でもある瞬間、家庭教師の男と、バデーニさんの知識に対する考えや姿勢がすごく似てるって事に気付かされて。

 ……不快に思ったらすみません。でも、バデーニさんならこう書くかなってイメージしながら書き出したら、これだと思う文書ができたんです。」

 オクジーの視線は、手に握られた白い用紙に向けられている。

「正直、これが正解だとは到底思えないし、ただ俺の精一杯ってだけなんですけど。モデルにさせてもらったバデーニさんに最初に読んでもらおうと思いました。」

 バデーニが差し出された用紙を受け取る。二枚の紙に収まる短い手紙だった。

「私に機敏な人の心なんぞわからん。先週君が怒って出て行った理由もよく分からなかった。感想は期待するなよ。

 だが、確かに君が言うように、彼のなりふり構わず知を探求する姿勢は分からないではない。共通点はあるのだろう。」

 バデーニは受け取った手紙に目を落とし、文章をなぞっていく。柔らかく丸い文字は、オクジーらしい字形だと思った。

 

「う。」

 

 突然襲う嘔吐感。

 オロロロと吐瀉物をゴミ箱で受け止める。

「バデーニさん!?」

 オクジーが駆け寄り、大丈夫ですかと、背中をさする。

 手紙を読み終えた途端急に吐いたので、自分の文章がますがったのだろうかとオロオロするしかなかった。

 バデーニは肩でハアハアと息をしながら、大丈夫だと手で制す。

「今吐き出したのは、過去のいらぬ自尊心だ。」

「ええ…。」

 確かに、この手紙の中にはバデーニ自身の影が投影されていた。

「君の文章は、人を動かす力がある。」

 バデーニは断言する。

「君自身が経験したこと、目にしたものが言葉として表現される。そしてその言葉選びはとても素直で美しい、そう言うのを人を動かす言葉って言うんじゃないのか。……少なくとも、私は君のノートを読んだ時そう感じた。」

「……!」

 オクジーが息を呑んだ。自分が欲しいと思っていた言葉を、まさかバデーニからかけてもらうとは思っていなかった。

「だが、勝手にノートを見たことは、君の大切なものを踏み躙る行為だったらしい。申し訳ない。」

「…いえ、俺こそよくない態度とってすいませんでした。……それで、手紙の方はどうでしたか。」

「ああ、完璧だ。……と言いたいところだが、この私をモデルにしているのだろう。ここに欠けている知性を補ってやろう。」

 珍しくしおらしい姿を見せたかと思えば、いつも通りの態度である。

 オクジーは苦笑して「頼みます。」と手を差し伸べた。

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