翌朝。
オクジーとバデーニは、ガソリンスタンド併設のミニショップで夜を明かした。空が白み始めてから調査を再開するために、雑木林へ向かう。
夜のうちに雪が降り、一面真っ白だ。
機械の無事が危ぶまれる。
ゴム製の靴が地面を踏み締めるたびにぎゅっぎゅっと鳴る。新雪が音を吸収し、聞こえるのは自分たちの足音とバデーニの小言だけだ。
最初に気づいたのは、目のいいオクジーであった。オクジーの指差す先に、雪の中で立つ人影があった。
「バデーニさん、なんか人が…。」
「あ゙ぁ?」
オクジーの言葉通り、昨日機材を置いていった場所に、人が立っていた。
明るい栗色の、髭面の男であった。頭をボリボリとかき、気だるげに機材の周りを彷徨いている。
「すみません、何か?」
「あ〜、これ君らの?」
最初、眠そうに見えた目元だったが、オクジーとバデーニの姿を捉えてからは、猛禽類を思わせる眼光に変わった。
「そうです。研究の調査に必要で。」
「そうなの。
実は通報があってね〜、怪しい二人組の男が変な機械持ってうろうろしてるとかなんとか。あ、私こう言った者です。」
厚手のダウンジャケットのポケットから、公安庁の身分証をチラリと見せた。
「ひっ。」
狼狽えるオクジーを肘で小突き、バデーニが一歩前に進み出る。
妙に存在感のある男だ。
公安庁といえば、テロやスパイと言った国家レベルの犯罪を取り扱う組織である。
「すみません、近隣の方を不安にさせてしまったようです。私は考古学を研究しており、昨日からここいらの地中の空洞を計測し、それが何世紀ごろ、自然にできたものか、それとも人工的に作られたものかを調査していました。」
「ふーん。ま、決まりだからね。身分証見せてもらえる?」
男は身分証をまじまじと見比べながら、二人の周りを歩き回る。バデーニの身分証を見ている時にふと立ち止まって、ジロジロと見定めるような視線を向ける。
「あれ、この名前って貴族の?」
「はい。」
「じゃあ貴族様が研究を?上流階級の考えることってのは分からないねぇ〜。おや、こっちの君は学生さん。」
「は、はい。三回生です…。」
「じゃあこんなとこで油売ってちゃダメだねぇ。勉強しないと。」
「はは……。スミマセン。」
身分証を掲示してから、表面上、二人への態度は幾分軟化したが、ベッタリと縫い付けるような視線は変わらない。
「ノヴァクさん、こんなところにいたんですか。」
ザクザクと雪を踏分け、男がもう一人やって来た。明るい茶髪に、生真面目そうな顔つき。ノヴァクと呼ばれた男よりも少し年若い。
「職務質問は地元の警察に任せてください。」
「ダミアン君。」
この男も、公安の人間だろうか。
ダミアンと呼ばれた男は二人をチラリと一瞥し、腕を組んだ。
「管轄が違うんですよ。ほら、行きますよ。君たちも、今後は謹んだ行動をしてくれ。」
「だあって、娘が通う学校のそばで通報があったんだもん。居ても立っても居られないでしょ。」
ノヴァクが引きずられながら連れて行かれる。
残された二人は、どちらともなく深い息を吐いた。
機材の無事を確認し、計測を終える頃には昼前になっていた。仕舞い込まれた機材を背負い、オクジーがスマホで時間を確認する。
「バデーニさん。俺、午後から授業なんでこれ置いたら失礼しますね。」
「疲れているだろうに、今日くらいサボればいいだろう。」
「それはダメです。両親から学費を出して大学に行かせてもらってるんで、サボったら申し訳ないです。」
「真面目なやつだな。…それなら夜通し付き合わせて悪かったな。」
珍しくしょげ込んだ態度を見せたバデーニに、オクジーが目を丸くした。
「なんだよ、その顔は。」
「いやぁ、バデーニさんに悪かったなんて言われると思ってなくてびっくりしてます。」
「なかなか言うようになったじゃないか。」
「へへ。」
バデーニがオクジーを小突く。重い機材を背負っているのに、びくともしない。
「にしても、昨日のあの子、びっくりしました…。」
オクジーが口に出したのは、昨晩出会った少女のことだ。年齢こそ違えど、容姿が所長によく似ていた。
「もしかして娘さんとか?」
「独身でご家族はいないと聞いているが。世の中には似た人物が三人いるらしいからな。」
「ドッペルゲンガーってやつですか?会うと、し、死んじゃうやつ。」
「……他人の空似は遺伝子研究で説明できる。
他人同士でも顔立ちが似ている場合、特定の遺伝子構造に共通点があることがわかっている。生物学では、似た環境に適応した結果、全く異なる起源を持つ生物が似た形質を獲得する例が報告されている。」
「そんなもんなんですかね……。」
「そんなこともあるのだろう。機材は私の家に運んでくれ。」
…………………………
旧市街を見下ろす三階の角部屋。
二十世紀初頭の石造り建築のアパートメント。高い天井にパーケットの床、装飾モールが残る部屋は、外観に反してモダンに改装されていた。窓を開ければ、教会の鐘と観光用馬車の車輪の音が混ざって聞こえる。
ここが現在のバデーニの住居である。
オクジーが荷物を運び込んだ時に「玄関だけで俺の住んでる部屋と同じくらいの大きさです!」と驚いていた。彼は一体どんなところに住んでいるのか。
別に、好んでこの場所に住んでいるのではない。
養子に出された貴族の家を勘当された身ではあるが、世間体や見栄といったものがあるらしい。住む場所も行動も細かく管理されている。家名を汚してくれるな、ということだ。
今日も、いつの間にか部屋の中の様子がすっかり変わっている。昨日家を出た時には床やソファに散らばっていた服はクリーニングをかけられ、荷物は整頓されている。
貴族というやつにプライバシーという概念はない。養父の指示か、時々こうして部屋の中を整理され、ついでに不正なことやよからぬ研究に手を出していないかが調べられていることだろう。
毎月の家賃の他、使いきれない生活費が銀行口座に振り込まれている。それらに一切手をつけないのはバデーニなりのプライドでもある。居心地の悪い我が家をうろうろと所在なさげにうろつく。
デスクの上に、数冊の雑誌が並べてあった。
養父の秘書が用意したものだろう。その中の一冊に目が留まる。理論物理学の権威と言える雑誌だ。期せずして、昨日図書館であの娘が読んでいたものと同じものだ。
手に取り、パラパラとめくる。この雑誌は学術論文の掲載基準が非常に厳しいことで有名だ。この雑誌に掲載されると、数多の論文からリファレンスとして引用される。科学研究の進展に貢献するとして、科学界における影響力が非常に強いとされている。
昨日の娘が、あの歳でこれらの学術論文を理解していたとなると、かなりの碩学である。
昨日、図書館の中でコルベという男に話していた内容も、専門の研究員が探求していても遜色のないレベルであった。
ふと、気になってタブレットを開き、検索画面をタップする。
「!!……これは。」
重大な事実を前に、スマホを取り出し、電話をかける。
「私だ。すぐに調べて欲しいことがある。」