荘厳な、朝の気配。
礼拝堂の鐘が沈黙の時間の終わりを告げる。
いつも静かな寄宿舎が、休暇初日の朝だけは一気に色めき立つ。少女たちは私服に着替え、帰省の支度に浮き立っていた。
手に持つのは最低限の荷物だか、久しぶりの家族や地元の友人との再会に、胸をいっぱいに膨らませている。
学院の門の外では、初めてのクリスマス休暇を迎える少女たちが、迎えに来た家族の温かい歓迎を受けている。嬉しさのあまり、泣き出す子もいた。
ヨレンタにとってクリスマス休暇はあまり嬉しいものではない。
ネットも碌に繋がらない田舎、母はとうに亡く、父は多忙でいつも仕事。
初めての帰省の日、父は急な仕事で迎えに来られなかった。家族に抱きしめられる同級生の横を、泣きそうになりながら通り過ぎ、誰もいない家で一人きりのクリスマスを過ごした。
翌日、帰ってきた父に泣きながら不満をぶつけたことを思い出すたび、今も胸が痛む。
上級生になると、家族が迎えに来る子も少なくなるし、もう慣れてしまった。けれど、毎年この日になると、あの時の困った父の顔を思い出しては猛省する。
お父様だって、どうしても外せないお仕事があったのだ。男手ひとつで、愛情をたくさんかけて育ててもらった。無理を言って困らせてはいけない。
昨夜の青年たち――バデーニとオクジーと名乗っていた――二人からは、コルベへの制裁の後、夜に少女がひとりで出歩く危険性と、知らない大人に自分のことを軽々しく話してはいけないことを懇々と説教された。会って数時間も満たない人間に、親身になって叱られたのは初めてだった。
兄がいたらあんな感じなのかもしれない。
昨日の出来事を思い出して、思わず笑みがこぼれた。
「ふふ。」
「珍しいね、ヨレンタ。何かいいことあった?」
いつも休暇前は憂鬱そうな友人が、今日は晴れやかな顔をしているので、同級生が顔を覗き込む。
「ううん。なんでもないよ。行こう。」
扉を開くと、冷たい空気が肩越しに三つ編みを揺らす。
冬枯れの澄んだ空気を吸い込んだ。
友人と門へ向かうと、迎えの家族の列に、場違いなほど背の高い二人組が立っていた。
「え。バデーニさんと、オクジーさん?」
黒髪の大男と、金髪の男。二人とも背が高いので、遠目からでもよく目立つ。ヨレンタが顔見知りに駆け寄り、声をかける。
「すみません、連日。どうしてもヨレンタさんに伝えておかなきゃってことがあって。でも連絡手段ないし、ここなら会えるかなって。」
オクジーが大きな体を縮こませ、周りからの奇異の視線に冷や汗をかいていた。
「電車の時間もあるでしょうから、歩きながら話しましょう。」
バデーニが促す。
友人たちに別れを告げ、向けられる好奇心に溢れた視線を苦笑いで返す。これは年明け、二人との関係を聞かれるだろうなと、今から言い訳を考え始める。
オクジーがヨレンタの荷物を持ってくれた。見た目よりずっしりと重いのは、休みの間に読みたい本をたくさん借りてきたからだ。
「まず一つ。コルベは今日付で辞職した。元々、君の論文を武器にどこかへ売り込みに行くつもりだったんだろう。
二つ目。例の論文は今朝、きれいに取り下げられていた。」
「そうですか……。全て、解決したんですね。お二人のおかげです。ありがとうございました。」
「もう安心ですね。」
「はい……。あの、依頼料のことなんですけど。私、余りお金を持っていなくて……。」
オクジーが慌てて手を振る。
「あ、心配しないでください。お代はいただきません。」
「ええ、でも。」
「では、困り事があったら、次のご依頼もヨレンタ探偵事務所に。」
「困り事なんて無い方がいいですけどね。」
「やァ、ヨレンタ。」
不意にかけられた言葉に、ヨレンタが振り返る。
「え。なんでここに!?」
「ハハハ、近くで仕事があってね。せっかくだから驚かせようと思って来たんだよ。」
「そうだったんですね。いやー驚いた。」
ヨレンタと親しげに話すのは、明るい栗色の髭面の男。公安のノヴァクだった。
「「!?」」
「どうも、ヨレンタの父、ノヴァクと申します。いつぞやは、どうも。」
娘の前だからか、以前会った時より態度はかなり柔らかい。しかし、目は猛禽類のそれだった。
「え!?父とお知り合いだったんですか?」
「え、ええまぁ。ヨレンタさんのお父さんって…。」
「父は警察関係者なんです。」
「まあまあ。せっかく家族といる時は仕事の話は忘れたいものだよ。」
ヨレンタの紹介に、ノヴァクが被せ気味に話の腰を折る。誤魔化したように聞こえたが、もしかして、娘には本当の職業を明かしていないのか。
「ところで、お二人は娘とどういった関係で?」
ノヴァクの目が完全に座っている。
ほのぼのとした親子の再会の裏で、緊迫の心理戦が繰り広げられる。
「私は本校で臨時講師をしています。彼には、私の補佐をしてもらっています。」
バデーニの発言に、オクジーはギョッとする。
臨時講師というのは昨日、コルベを騙すために使った役割ではなかったのか。
この男に対して言葉選びを誤ると、余計な詮索を招く。
「えぇ〜先生なの?」
「ええ、正式な勤務は年明けからですが。本校に非常に優秀なお子さんがいると聞いて、ぜひお話ししてみたく、こうして声をかけさせてもらったのです。
話してみて、聡明さに驚きました。齢十四という若さで総合物理学の知識が卓越していらっしゃる。」
「ありがとうございますっ!!」
ノヴァクがこれ以上ないほどに頭を下げる。
「正直そう言われるのが生きてて一番嬉しいです。」
「ちょっと大げさですよ、恥ずかしい!」
ヨレンタが慌てて父親をたしなめる。近くを通り過ぎる人々の視線が自分たちに集まっている。
「では、年明けにまた学校で。」
「はい、バデーニ先生。オクジー先生。ごきげんよう。」
ヨレンタが女学院式の挨拶をして、片目をパチンと瞑った。どうやら話を合わせてくれるらしかった。
「ああ、良いクリスマスを。」
並んで歩く親子を見送りながら、オクジーがやっと人心地ついたように深呼吸をした。
「バデーニさん、なんであんな嘘を。」
「臨時講師の件か?嘘じゃない。」
「え。」
「正式決定はまだの段階だったがな。校内の地層調査の協力を打診したら、代わりに考古学の授業をしてくれないかと頼まれてな。断るつもりだったが、そうもいかなくなった。」
まさに嘘から出た誠だったわけだ。これならノヴァクに調べられても問題ないだろう。
「バデーニさんて、すごい人だったんですね。」
「なんだ、今頃気づいたのか。」
二人は並んで、探偵事務所への帰路につく。
明日はクリスマスイブだ。