エントランスからつながる階段を登る。探偵事務所はテナントの二階にあるらしい。
あと三段というところで、床板が軋んでギイと鳴った。たどり着いた扉には「ヨレンタ探偵事務所」の表札が掲げられている。
扉を前に、ふと自分の格好に目がいく。
ジップアップパーカーにダボっとしたジーンズ。長い髪は後ろで無造作にまとめてある。愛用しているバックパックは長年の相棒だ。
面接に来る服装じゃなかった。
それでも、扉の向こうへの期待感が勝ってしまう。
今更仕方ないと首を振り、ジーンズで手汗を拭いた。
ノックしようと手を挙げた時。
「どうぞ。」
よく通る男の声がした。
監視カメラでもついているのだろうか。ノックし損ねた扉のドアノブをひねる。カチャリと小気味の良い音を響かせて、扉が開く。
「し、失礼します…。」
事務所の中は、思いの外広い。
正面の大きな窓から光が差し込んでいる。中央に接客用のソファとテーブル。左右の壁に並んだ古い木棚には、分厚い本が並んでいる。部屋の奥には、年季の入った木製のデスクとスチールデスクが並んでいる。
木製のデスクに座っていた女性が立ち上がって、オクジーを迎えた。
「オクジーさん、ですね。」
電話で聞いた声だ。オレンジがかった金髪を後ろで三つ編みにしてまとめ、微笑むと浮かぶ目尻の皺が優しげだった。てっきり事務の人かと思っていたが、もしかして、この人が事務所の長だろうか。
女性は目を細めて、眩しそうにオクジーを見る。まるで、長年会えていなかった古い知り合いにでも逢えたかのような仕草だ。
「は、はい。今日はええとその、バイトの面接に。」
視線から逃れるように、つい早口で用件を伝える。
「あ、ええ…ごめんなさい。私はヨレンタ。この探偵事務所で所長をしています」
差し出された手をおずおずと握り返し、「よろしくお願いします。」と頭を下げる。
「バイトの面接に来たにしては、ずいぶん小汚い格好じゃないか?君。」
よく通る男の声がした。
スチールデスクの上に、薄型のパソコンを置き、何やら先ほどからダカダカと耳につくキーボード音をさせている。
片付いた事務所の一角で、そこだけが異様にとっ散らかっている。煩雑に積まれた本たち。ファイルからは書類がはみ出ている。
その一角を支配する主は、淡い金髪の、自分といくつも歳の変わらないであろう青年であった。右目に医療用アイパッチを着けている。
男は、メガネを外しながら立ち上がりもせず足を組み、オクジーを値踏みする。とても上から目線だ。座っているのに。
「へへ…すみません。」
場にそぐわない格好をしている自覚はあったので、頭をかきながら愛想笑いを浮かべる。
「バデーニさん、意地悪を言ってはいけませんよ。」
所長にたしなめられている。青年はバデーニというらしい。
「ふん。薄汚れた格好で君のような凡俗に周辺を彷徨かれるとこの探偵事務所の品位が落ちる。そうしたら私の格も堕ちるではないか。
初対面の印象というのは、これからの人間関係の形成に大いに影響する。肝に銘じたまえ。」
自己紹介だろうか。
べらべらと喋ったかと思うと、こちらに興味を失ったかのように、またキーボードをダカダカとやり始めた。
なんなんだ、この人。
「お気を悪くされないでね。ああ見えて、バデーニさんは優しいところもあるんですよ。」
ほんとかなぁ。愛想笑いを浮かべたままパソコンに向かうバデーニをそっとうかがい見る。
「うちは万年人手不足でね。あなたが働きに来てくれると、とても助かるわ。」
所長の言葉に、もう心が決まっているオクジーはとまどうことなく承諾する。
「よろしくお願いします。て言っても、正直探偵ってどんな仕事をするのか全然分かんないので、お役に立てるか…。」
所長がにこ、と微笑んだ。ふと、彼女の前歯が一本抜けていることに気づく。なんだか意外な感じがした。
「ここは、私が一応探偵をやっています。バデーニさんは主に事務の仕事を。あと、時々手伝ってくれる女の子がひとり。でも、最近は掛け持ちのバイトが忙しいみたいであまり顔を見せてくれないの。」
掲示板に求人を貼りにきたという女性だろうか。若い女性が働いているらしい。危ないことはないのだろうか。
見ず知らずの女性の身を案じつつ、所長の話を静かに聞く。
「オクジーさんには、依頼の業務がスムーズに進むよう、サポートをお願いしたいの。」
それ、雑用ということでいいのだろうか。
探偵といえば守秘義務とかあるだろうし、いきなり調査に関わることはないのかもしれない。ちょっとだけ、拍子抜けする。
「ふふ。雑用のような仕事ばかりになってしまうかもしれないけれど、案件によっては、お給金のほかに、手当がつきますからね。」
所長はふんわり笑って、付け加えた。
心の中を見透かされたような気がして、どきりとした。顔に出ていたのだろうかと頬に手を当てる。
「不規則な勤務になったり、重い荷物を運んでもらうこともあるのだけれど、体力はある方かしら。」
求人広告にあった、唯一の文言だ。
「はい。地下通路、頑張って掘ります。」
所長が口元を押さえて笑う。
「頼もしいね。でもあれはジョークだから、気にしないで。」
「はは…。」
所長はそう言ったが、目が笑っていない。
探偵として数々の事件を経験してきた風格なのだろうか、ヨレンタという女性は奥底の見えない何かを感じさせる。バデーニという人もかなりクセが強そうだ。
この仕事、自分にやれるのだろうか。今更ながらに自信が無くなってきた。
「採用おめでとう。オクジー君。」
バデーニがにこりともせず祝福の声をかける。
「所長も私も忙しく、些末なことに時間を割けない。早速だが、初仕事だ。」
いつの間に淹れたのか、ひとりでコーヒーを啜っている。相変わらず視線はパソコンを睨みながら、ひらりと2枚の紙を差し出した。
「は、はい。どんな…。」
「行方不明者の捜索だよ。」
毎日一話ずつ、更新予定です。
明日の更新は21時頃です。
良いお年を!