眼の日記/ヨレンタ探偵事務所事件録   作:すう

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第二十三話:ポトツキ

 門柱の小さなランプが風に揺れている。

 オクジーは昨日と同じ道のりでポトツキの家に辿り着いた。

 ベルを鳴らすと、扉がわずかに開いた。

「……また君か。しつこいと警察を呼ぶぞ。」

「呼んでもらっても構いません。でも、少しだけ話を聞かせてください。」

「本当にやめてくれ。君のためでもある。」

 ポトツキの声は昨日より低く震えていた。

 オクジーは静かに続けた。

「息子さん、博識だったんですね。コハンスキ君が、猫に名前をつけてもらったと教えてくれました。」

 扉がふと止まり、そのまま閉まる。

「ポトツキさん。あなたは何に怯えているんですか。」

 返事はなく、オクジーは「明日も来ます。」とだけ告げた。 

 ポトツキ家を後にする。街灯の頼りない光源の中、事務所への道をひとり辿っていると、こちらに向かって来る人影があった。

「ほらな、門前払いだ。」

「あれ?バデーニさん、来てくれたんですか。」

「はあ、別に。用があったことを思い出しただけ、おっと。」

「失礼。」

 バデーニが通行人と肩をぶつけ、よろめいた。

「こちらこそ失礼。お怪我は?」

 ぶつかったのは、フードを被った長身の男だった。バデーニが声をかけるも、男は首を振った。

「いや、大丈夫だ。先を急ぐので、これで。」

 男は右半身を庇いながら、オクジーが来た道を杖をついて歩いていく。オクジーの横を通り過ぎる時、ちらりと視線を送られた気がした。

「……?バデーニさん、大丈夫ですか?」

「夜道はよく見えん。早く帰るぞオクジー君。」

 悪態をつきながらバデーニが帰路を急ぐ。バデーニの右側を歩きながら、オクジーは振り返って先ほどの男の行く先を見つめた。男の向かう先は、ポトツキ家の方角だった。

 

 …………………………

 

 

 シモンからの連絡が入ったのは、オクジーが凍結した水道管の修理の依頼をこなしている最中だった。

 冷え込む日が増えると、外壁に近い部分の管が凍ることがある。大抵凍結部分に電気ヒーターやぬるま湯を当てていれば解決するが、今回は水漏れも起こしていたので、修理には少しコツが必要だった。管のひび割れにテフロンテープを巻き、補強する。

「ありがとうね、オクジー君。水道、ちゃんと出てきたよ。」

 依頼人のお爺さんが喜んでくれた。すぐに業者を呼ぶまでも無いが、放置すると厄介なトラブルだ。早めに修理ができてよかった。

「実はね、わし、ヨレンタさんが探偵事務所を始めて、最初の依頼者なんじゃよ。」

 工具を片付けるオクジーの横で、お爺さんがニコニコしながら、世間話を始めた。

「あの時来た兄ちゃん、元気かい?背が高くて、髭がピンと伸びてカッコいい、あの人。」

 今の探偵事務所に思い当たる人物はいない。

 ふと、以前街外れの用水路側で見た男の姿がよぎった。あの時、所長と話をしていた男の容姿と似ている。

「自分は最近入ったんで、以前居た人かもしれないですね。」

 所長からは聞いたことがなかった。あの男は、以前探偵事務所にいた人物だったのか。所長に聞けば、何か教えてくれるだろうか。

「面白い兄ちゃんだったよ。自然主義がどうとか話してたね。以前はボイラーの配管修理に来てくれたんだけど、人の作ったものは醜い模造品だとかぶつぶつ言ってたな。ちゃんと修理してくれたけど。元気にしてるかな。」

 ちょっと変わった人物のようだ。

「今度、所長に聞いときますね。」

 オクジーはそう言うと、礼をしてお爺さんの家を後にした。

 依頼が終わると、すぐシモンに折り返しの連絡を入れる。

 昨日のドゥラカからの依頼で、陶器人形の制作を依頼した夫婦について、エミルから聞き取ってくれたのだった。夫婦の名前や特徴、依頼があった時に住んでいた場所など、朧げだが思い出せた情報をいくつか教えてくれた。

 情報をドゥラカに伝えると、すぐに調査してくれると言う。陶器ギルドの名簿は残念ながら焼失してしまっているらしかった。これで、エミルの前世だった人物の行方は追えなくなってしまった。

 オクジーはふと考える。

 人の痕跡は、こんなにも簡単に消えてしまうのか。

 戦争や災害ひとつで、記録も名前もあっけなく埋もれる。歴史に残るのはほんの一握りで、ほとんどは誰にも気づかれないまま消えていく。

 自分は、生きているうちに何を残せるのだろう。

 ぼんやりそんなことを考えていると、スマホに着信が入った。バデーニからであった。

『今どこにいる。』

 バデーニのいつもより低い声に、違和感を感じる。

 水道管を修理した住宅周辺の住所を伝える。事務所から歩いて二十分くらいだろうか。

『オクジー君。すぐ戻れ。…ポトツキが死んだらしい。』

「は?」

 思考が一瞬停止し、それから昨日、一昨日の出来事が頭の中を駆け巡った。

「な、なぜ…。」

『今朝職場に現れず、不審に思った同僚が家の中で倒れているポトツキを発見したらしい。死因は不明だが、事件性が高いらしい。』

「誰かに、殺されたってことですか?」

『発見者の話によると、頭部を殴打され、血溜まりの中に倒れていたと。』

「……!!」

 オクジーは居ても立っても居られず、自然と足はポトツキの家へ向かっていた。

『おい、まさか、ポトツキの家に向かってるんじゃ無いだろうな。』

「でも俺。」

『行って何になる。いいか、ポトツキが死亡したのは昨夜から今朝にかけてだ。君は彼が死亡する直前に会っている。余計な疑いをかけられる行動をするんじゃ無い。』

 その通りかも知れない。

 自分にやましいところがないのなら、警察に任せておいた方がいい。でも、これは理屈では無い。ポトツキは明らかに何かに怯えていた。もし、自分が彼に会いに行ったことにより、「何か」の琴線に触れてしまったのだとしたら。

「俺のせいで、あの人は殺されてしまったのかも…。」

 ポトツキの家の周囲には、近所の人だろうか、数人が集まり遠巻きに見守っていた。出入り口には黄色と黒のテープが巻かれ、現場は閉鎖されている。昨日までとは別の場所のようだ。

 野次馬達が数人で固まってひそひそと話しているのとは別に、たったひとり、事件の場所を見つめている人物がいた。昨日、ポトツキの家の近くで見た、杖をついたフードの男だった。

「あなたは、昨日の。」

 オクジーに声をかけられ、男が振り向いた。男がゆっくりした動作でフードを外すと、オクジーは息を呑んだ。

 右目は白濁し、右頬には粗い縫合の跡。左頬は火傷でただれ、皮膚が盛り上がっている。

 まるで、拷問を受けたかのような。そして、命を無理やり繋ぎ止められたかのような痕跡。

「……あなたは、ポトツキさんについて何か知っているのでは?」

 半ば確信を持って男に聞いた。

 男はオクジーを見据え、言った。

「悪い事は言わない。これ以上深入りするな。戻れなくなるぞ。」

 それだけ言って、男は踵を返した。右半身を庇うように杖をつきながらポトツキの家を後にする。

 あの動き、もしかしたら、服の下にも何らかの後遺症があるのかも知れない。あの男は一体何者なのだろう。

 男の忠告は、ポトツキの二の舞いになるぞと言う脅しにも聞こえた。

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