眼の日記/ヨレンタ探偵事務所事件録   作:すう

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第二十五話:シモン

 その違和感に気づいたのは、ほんの些細なことがきっかけだった。

 商店のガラスに、自分の背後を歩く男の顔がちらりと映った。昨日、事務所ビルのドアノブにも反射して見えた同じ男だ。背筋が冷える。振り返らず、事務所への階段を駆け上る。扉を押し開けた。

 そこには、いつも通りの光景、すなわち、バデーニが定位置で留守を預かっていた。

「あの、バデーニさん。」

 先ほどの違和感の話をしかけた瞬間、バデーニは険しい目でオクジーを制し、一枚の紙を手渡してきた。

「…?」

 紙には、走り書きで「盗聴されている。話を合わせろ」と書かれていた。

 オクジーはごくりと喉を鳴らす。了承の意味で、黙って首を縦に振った。

「やあオクジー君。今日、再度女学院に計測と授業に行ってきた。またあのおしゃべりが待っているのかと思うと、正直槍の雨の中を走ったほうがマシだと考えていたんだが。」

 バデーニは話しをながら器用にメモ帳に次々と文字を書いてオクジーに手渡した。

 

「届いた郵便物に開封の跡。ここまで尾行されてきた。君もか?」

 

 メモの内容に、オクジーはこくこくと大きく頷いた。声を出してしまうとついボロが出てしまいそうだったので、口をぎゅっとつぐんだ。無意識に、息まで止めてしまっていた。

「だが今回は借りてきた猫のような静けさでね。前回のバカ騒ぎを問題視した教師陣が生徒にきつく灸をすえたらしい。おかげで調査が捗ったよ。」

 

 「なんか喋れ。あと、息をしろ」

 

「ええ、と。調査が順調だったようで、何よりです…。」

「ああ。それと、ミコワイ先生という高齢の男性教師がいて、考古学についても博識でね、私の研究にも理解を示してくださった。今日は実りある1日だった。」

 

 「所長と連絡が取れない」

 

「!?」

 バデーニが口調とは裏腹に、厳しい目つきで口の前に人差し指を立てた。

「……っ。」

「ミコワイ先生は神学を教えられているそうだ。たまには異なる学問の話を聞くことも、刺激になって良い。」

 

 「連絡が取れないのは初めてだ。通信系統の傍受を考え、ドゥラカ君には連絡していない」

 

「…同志がいて良かったですね。それで、俺の今日の仕事はありますか。」

「急ぎの仕事は入っていない。たまにはゆっくりするといい。」

 

「奴らの正体が分かるまでは、気付いていないふりで過ごす。所長の行方は、私なりに探る」

 

「了解です。バデーニさんの仕事で、俺が手伝えることってありますか?」

「今のところ無いな。ああ、熱いコーヒーを入れてくれ。」

 

 「メモは燃やせ」

 

「わかりました。」

 オクジーはキッチンに向かうと、ガスコンロのつまみを回した。火は大きく燃え上がり、メモを一瞬で黒く燃やし尽くす。

 所長と連絡が取れないとは、どういうことだろう。今どこにいるのか、無事でいるのか。

 ポトツキの件から、身の回りで不穏なことが起こり始めた。自分たちは一体何に手を出してしまったのだろう。

「オクジー君!」

 バデーニが鋭く叫んだ。慌ててバデーニの元へ向かう。

「どうしましたか?」

 バデーニの視線がパソコンに注がれていた。

 画面にはネットニュースの速報が表示されていた。大学生が病院の屋上から落下、重体。という見出しとともに、見覚えのある建物の写真が写った。

 記事には、シモンという学生ボランティアが階段の踊り場で倒れているのが発見されたとあった。

 

…………………………

 

「駄目です。繋がりません。」

 駄目元でかけた連絡は、すぐに留守電の自動音声に切り替わる。

 オクジーとバデーニは、シモンが落下したとされる病院の前に来ていた。

 見上げると、無機質な白壁がどんよりした曇り空を反射していた。

 現場となったのは、災害時の避難用に設置された外階段であるらしかった。

 シモンが発見された場所には黄色と黒色のテープが巻かれ、立ち入り禁止の規制がかけられている。

「…シモン君の容体が、死亡に変わったようだ。」

 ネットをチェックしていたバデーニが、スマホに表示された記事をオクジーに見せた。

「そんな…。」

 膝から力が抜けた。シモンが、死んだ?ついさっきまで電話をしようとしていた相手が、もういない?

「……事故死と断定されたようだ。落下したのは昨夜から未明にかけて。現場はあそこか。」

 屋上は高いフェンスに囲われ、外階段に出るには鍵のかかった扉を通るしかない。つまり、自分の意思で外へ出ることは、事実上不可能だった。

「なるほどな。これは事故死などではない。シモン君は何者かに殺された可能性がある。」

 ニュースでは、屋上から外階段の踊り場に誤って落下したとあるが、それは不可能だった。なぜなら、四方を高いフェンスに囲まれており、外に出るには扉を通るか、よじ登るしかない。

 先日小児病棟を訪問した際、屋上は立ち入りが禁止されているとシモンが言っていた。そもそも彼がなぜそんな場所にいたのか?

 次に、階段から落ちた場合だが、人間は二メートル以上の高さからの転落で死亡に至る可能性が高い。しかし、現場は螺旋階段の踊り場で、運悪く足を滑らせたとしても死亡するほどの衝撃を受けるとは考えにくい。

「……以上のことから、彼の死は不自然な点が多すぎる。事故死と断定されるまでの時間が速すぎるのも、何か作為的なものを感じる。」

「作為的…。」

「事故を偽装するにしてもあまりにもお粗末だ。この事件は計画されたものではなく、突発的なものだったのではないか。」

「……なぜ、シモンが殺されなければならなかったんでしょう。」

「わからん。が、偽装がここまで雑な理由が牽制だったとしたら説明がつく。

 急に始まった我々への尾行……シモン君の事件と無関係ではないと思う。これ以上この件に首を突っ込むなとな。」

 フードの男の声が頭の中で響いた。

 

 「これ以上深入りするな。戻れなくなるぞ。」

 

 オクジーは背筋が冷えるのを感じた。

「まさか、ポトツキさんの件とも関わっているのでは。」

 バデーニは指を口元に当て、考え込んでいる。

「全部繋がっていると考える方が自然だ。

 戸籍にまで手を入れられる連中だ。警察や報道にも影響力があるかもしれん。…オクジー君、我々はとてつもなく大きな相手に目をつけられたのかもしれない。」

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