夕日の中、街が静かに染まっていく。
赤茶の屋根も、教会の尖塔も、この街は幼い頃に読んだ絵本の1ページから飛び出してきたかのようだ。
そのくせ大学も病院も映画館も揃っている。観光地という肩書とは裏腹に、ここには人の生活の匂いがあふれている。
オクジーはこの景色が好きだった。
徒歩とバスで、街の外れに向かう。一時間ほどで街全体を一望できる丘の上にやって来ていた。
「行方不明者の捜索だよ。」
バデーニに告げられた初仕事。オクジーの背に緊張が走った。
「まあ、探すのは人じゃなくて猫なんだけどね。」
所長の言葉に、一気に脱力する。なんだ、猫かよ。
「猫だろうが人だろうが、立派な依頼だ。気を抜かずにやりたまえ。」
さっき、些末なこととか言ってなかったか。バデーニの手から渡された二枚の紙には、場所と、猫の特徴が記されていた。
「ここ…街の郊外じゃないですか。これは?」
「私が生態、および行動範囲と行動パターンから分析した猫の居場所だ。安心したまえ、その場所にターゲットは必ず現れる。」
メガネを光らせて自信満々に告げ、あとはしっしっと手のひらで追い払うような動作をする。今から行ってこいということか。
困惑したまま所長を見ると、にこりと微笑まれた。
「…行ってきます。」
初仕事は、猫を探すらしい。
まもなく日も沈もうという頃。
オクジーは丘の上で乾いた風を額に受けながら、腰を下ろす。
周囲を見渡しても何の気配もない。バデーニの話によると、ここで待っていれば猫は現れるらしい。
手持ち無沙汰になって、背負っていたバックパックの中からペンとノートを取り出す。日頃から、思いついたり感じたりしたことをノートに書いておくようにしている。
オクジーは作家志望である。
田舎の両親に無理を言い、街の大学に通い始めた。
はや三年目。
いつの間にか卒業や就職を考える時期になっていた。
「卒業」という言葉が、最近、胸に重い。
書くこと以外に自分には何もないのに、その執筆にすら手応えを見出せない。大学三年にもなってまだ道が見えないなんて、親に何て言えばいいのだろう。
オクジーにとって書くことは呼吸と同じだった。言葉にしなければ胸に滞って苦しくなる。書くことは、自分が自分であるための手段だった。
夢中で文字を綴っていると、手元が暗くなり不便さを感じる。もう日が完全に落ちたようだ。ここらで潮時かと執筆を諦め、ペンをノートに挟みバックパックにしまう。
再び周囲を見渡しても、猫どころか、生き物の気配すら感じない。
待てど暮らせど、猫はやって来ない。
バデーニの自信に満ち満ちた言い分が頭の中でリフレインするが、彼とて神ではない。
ましてや気分屋と言われる猫の行動など予測できるものなのか。
ここに着いた時には、街の明かりがつき始めた頃合いだったというのに、今やその明かりも少しずつ減り、人々を眠りの中へと誘っている。昼から何も食べていないこともあり、空腹と猜疑心から、尻ポケットのスマホに手を伸ばす。
きっちりスリーコールで、相手が電話口に出る。
『はい。』よく通る男の声。バデーニだ。
「バデーニさん、猫、来ないんですが。」
『猫とは気まぐれな生き物である。私に獣の考えなど分かるものか。』
そこで通話は切れた。
はーっとため息をついて、腹の音を誤魔化しながら夜空を見上げた。
今日は眩しいくらいの月明かりがある。見える星の数は少ないが、足元が見やすくていい。
夜空といえば、幼い頃は酷く恐ろしかった。視力の良い自分にとって、満点の星空は無数の目のように見えた。
草原にごろんと横になり、パーカーのジップを上まで上げて首周りに寄せた。秋口とはいえ、もう夜は肌寒い。
腕を枕にして、オクジーの知る数少ない星座を数えているうちに、うとうとと眠りの中へと吸い込まれていった。
ペタリ
目を覚ますと、そこは真っ暗な世界だった。否。何者かが目を覆って視界を遮っている。
「!?」
慌てて飛び起きると、同時に視界が戻った。
ニャァ。
鳴き声と共に、自分がこんなところで眠りこけていた目的を急速に思い出す。
(猫!)
視界が真っ暗だったのは猫の前脚で目隠しをされていたかららしかった。
目の前の猫を驚かせないように、慎重に観察する。赤毛の短毛。依頼の猫ではない。しかし、妙に人慣れしたその猫は、オクジーの膝の上に登り、丸まってしまった。
(か、かわいいもんだな)
喉を鳴らして体を預けてくる。こんなふうに、自分を信用してくれる存在が不思議だった。
身の周りにいくつかの気配を感じて視線を上げると、わらわらと猫たちが集まっていた。
「うわ、うわ。」
いつの間にか、数匹の猫に囲まれている。オクジーに興味を示して擦り寄ってくる個体もいれば、警戒して遠くから様子を窺う個体もいる。
猫の集会というやつか。
バデーニが言っていたのはこのことだったらしい。
あたりを見回して、依頼のあった猫を探す。
黒毛の長毛、背中に白い9芒星模様。
(いた!)
周りの猫たちを驚かさないように、そろりと近づく。タオルをポケットから引っ張り出し、猫の視界を遮るようにしてから手足を優しく掴む。
猫は暴れることなく、すんなりと腕の中におさまった。飼い猫だと言うし、人慣れしているのかもしれない。
スマホを握った指先が、わずかに震えていた。
リダイヤルを押す。
捕まえた猫の暖かさが伝わって、胸がジンとする。
「ターゲット、捕獲しました。」