眼の日記/ヨレンタ探偵事務所事件録   作:すう

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第三十五話:継承

 少女の目は挑戦的で、野生動物を思わせた。

 ドゥラカが示す道順を、シュミットは手元の地図と照らし合わせながら確認していく。

 ドゥラカが提案したのは、街の外周を走って目的地まで辿り着く方法だった。かなり遠回りではあるが、ワゴンでも通れる広さの道で、かつ車通りは少ない。

「…行けるかもしれん。」

 シュミットが唸る。運転席に座るボルコに目配せすると、彼は無言で頷き、アクセルを踏み込んだ。

 

 道行きは呆気ないほど順調であった。

「抜け穴ってあるもんだなぁ。」

 レヴァンドロフスキが呟いて肩の力を抜く。

 しかし、目的の目抜通りまであと一息というところで、それは起こった。

 

 コンコン。

 

 窓ガラスを叩く音。

「検問です。ご協力願います。」

 乗車している全員の顔から血の気が引いたのが分かった。

 警備隊の服を着た男が窓を覗き込み、声を掛けてくる。

「すんませんね。

 凶悪犯が逃走したとかで、車ん中見させてもらってるんですわ。」

 癖のあるイントネーションに聞き覚えがあった。

「アダムさん?」

「ありゃ、ドゥラカちゃん!」

 男が帽子のツバを持ち上げ、ニカっと笑った。

 ツイてる。ドゥラカがニヤと笑ってワゴンの窓を開ける。

「新しいバイト始めたん?」

「そうなんだ。割りのいいバイト見つけちゃって。」

「相変わらずだねぇ。最近顔見せないから、アイーダさんが寂しがってたよ。」

「はは、だよね。また顔出すって言っといて。」

「あいよ。…ほんじゃ、車の中見せてもらうよ。」

 背後の男達が不穏な空気を醸し出す。シュミットが静かな動きで懐に手を入れたのを、ドゥラカが視界の端で捉えた。

 笑顔を崩さずアダムに耳打ちする。

「…ホントは内緒なんだけど。実は、映画撮影のセット運んでるんだよね。ネタバレになっちゃうけど…どうする?」

「…なんと!」

 アダムはドゥラカにあわせて小声で答えると、そわそわと視線を逸らす。

 ドゥラカが片目を閉じて、人差し指を口の前に立てる。

「じゃ、今度アイーダさんのお店で。」

「ああ、楽しみにしてるよ!」

 アダムはニコニコして手を振り、発進許可を出す。検問が開かれた。

 ワゴンが再発進し、ライトが遠ざかっていく。

 車内には沈黙が落ち、視線はドゥラカに注がれる。

「……あのおじさんはバイト先の常連で、映画を観るのが何よりの趣味なんです。」

 ドゥラカは背もたれに沈み込むと、ふー、と長く息を吐いた。

「映画のセットとは、うまく言ったもんだな。」

 レヴァンドロフスキが膝を打って賞賛した。彼の手には、鈍く光る小銃が握られたままであった。

「ああ言っておけば、荷物を見られても映画の小道具だって言い訳が立つでしょう?」

 ワゴンは目的の倉庫に辿り着く。ワゴンの到着とともに倉庫のシャッターが開いた。

 一同はどっと疲れ、乾いた笑いだけが漏れた。それでもひとつ仕事をやり遂げたことに安堵する。

 シュミットは、バックミラー越しにドゥラカの手が小さく震えているのを見て、目を閉じた。

 

……………………

 

 三年前。

「会ったばかりの素性のわからない娘を、どうするつもりですか。」

 ヨレンタが書類にサインする手を止め、シュミットに視線を向けた。

 デスクに広げられているのは、ドゥラカのための未成年後見人制度の必要書類だ。

 ヨレンタがペンをデスクに置く。静かな部屋の中で、カタリと軽い音が響く。

 手を組んで向き直り、口を開く。

 耳馴染みの良い、優しい声だ。神話のセイレーンは、きっとこんな声だろう、と思ったことがある。

「危険に巻き込むかもしれない、って?」

 シュミットは頷く。

 慈善事業とは程遠い行いをやっている自分たちが、いきなり見ず知らずの少女の身元を引き受けるなど。

 困惑と憤りの交じった感情が胸中で渦巻いている。

「信念があるって言ってたから。

 そういう子には、機会をあげたくなる。協力されづらいだろうから。」

 ヨレンタが遠い過去を見るように語る。

 彼女は、あの娘と自分を重ねているのだろうか。

 今、ヨレンタの最も近くにいるのは自分だという自覚がある。敬慕の情がないと言えば嘘になるが、大局のためなら私情などいくらでも見ないふりができる。

 だが、ヨレンタが見ているのは、自分の知らない、さらに深いところのようだ。自分では決して踏み込めない領域があることも弁えているつもりだ。

 シュミットは全てを飲み込み、了承する。

「そうですか。」

「…それと、組織の今後のことだけど。」

「お任せください。…しかし、本当にこれが組織のためになるのですか?」

「未来への仕掛けの一つと考えて欲しい。思ったように作動するか分からないけどね。」

 ヨレンタが柔らかな笑みをたたえ、再びペンを持ち上げた。

 

 …………………………

 

 積み荷を搬入し終え、シュミットが向かったのはドゥラカのところだった。

 木箱の上に腰掛けて片足を抱え込み、持ち場で動き回る男達の作業を眺めている。

「先ほどは助かった。感謝する。」

「いや。私が提案した道で最後にヘマしたんじゃ格好つかないでしょ。」

 へら、と笑うドゥラカの顔は年相応に幼い。

「あの交渉がなければ、騒ぎになるところだった。」

「交渉の基本は相手が決めたように見せかける事。って、ヨレンタさんに教わったから。」

 シュミットの呼吸が止まる。

「あと、要らぬおせっかいだと思うけど。指示系統が乱れてるならすぐ見直した方がいいよ。情報はナマモノだから、鮮度をなくした情報は命取りになる。」

「ああ、すぐに取り掛かろう。」

 きな臭い状況に巻き込まれながら、冷静に周囲を見ていたらしい。

 情報を重んじる姿勢。冷静な観察眼。言葉の選び方と、引き際の判断。

 あの人を彷彿とさせる。

 確信する。

 この娘は、ヨレンタが残した仕掛けだ。

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