眼の日記/ヨレンタ探偵事務所事件録   作:すう

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第三十六話:託されたもの

 差し出された鍵を、オクジーとバデーニはポカンとした顔で見つめた。

「バンの鍵だ。倉庫の裏に停めてある。この一週間の、君達へのバイト代だ。」

 グラスの言葉を理解するまで数秒の空白があった。意味が飲み込めた瞬間、怒涛のように言葉が溢れる。

「いやいやいや、そんな見合ってない報酬受け取れませんって!ただでさえ匿ってもらって、迷惑をかけたのに!」

 グラスは落ち着けというように、手のひらを向けた。

「まあ、聞け。外はどこも検問がかかり、警官がそこら中を巡回している。車はあったほうがいい。」

「「!!」」

 知らぬ間に外は大事になっているらしかった。一刻も早くここを出なければ。オクジーはバデーニと顔を見合わせた。

 グラスははにかんだ。

「迷惑なんてこれっぽっちも思っちゃいない。

 君らのおかげで仕事もはかどった。うちが賑やかになって楽しかったよ。君らが出ていくのは、正直寂しい。」

 オクジーは差し出された手を握り返し、口を引き締めた。グラスがその肩をひとつ叩く。

 その時、外出していたアイーダが戻り、バデーニに紙袋を押し付ける。

「はいこれ、餞別。」

「何から何まで、お世話になりました。」

「やめてよ、湿っぽい。ちゃんと帰ってきなさいよ。」

「大通りを避ければ検問は手薄になってる。急げ。」

 グラスがオクジーに鍵を押し付ける。

 時間は深夜。出るなら人目のない今だ。

 鍵を握り締め、グラスとアイーダに頭を下げたオクジーは、倉庫へと向かった。

 

 紺色のバンが、人通りの絶えた夜の街を滑る。

 古い車体だが、エンジンは軽快だ。

 ラジオからノイズ混じりのニュースが流れている。

「スマホが無いのは痛いな。これが我々の唯一の情報源だ。」

 バデーニがラジオの音量を上げた。

 指名手配犯がこの街に潜伏中で、警備が強化されているらしい。物々しい検問はそのためか。

 自分達を探していた訳では無いことに少し安堵するも、念のため検問は避けようということになった。

 遠くに赤色灯が見え、オクジーは迂回路へとハンドルを切った。

「あれ、バデーニさん。それ眼帯ですか?」

「アイーダさんからだ。彼らには本当に世話になった。」

 布製の黒い眼帯がバデーニの右目を覆っている。紙袋の中には他にも、食料や当面の資金などが入っているらしかった。

「…フベルトを追うことで、ラファウに、それに所長に繋がるでしょうか?」

「繋がっている。」

 バデーニの横顔には確信を持った笑みが浮かんでいた。

 オクジーは、彼が国の機密データベースの中で何を見たのか知らされていない。危険を犯してやっと手に入れた情報を、自分なんかが易々と聞いていいものかとも思う。

「その、やっぱり俺、足手纏いでしょうか。」

「はぁ?」

 考えあぐねた末に出てきたオクジーの言葉に、バデーニが珍しく素で声を漏らした。

「えと。バデーニさん、情報のことあんまり話さないので。」

「情報を話さないのは、まだ解析中だからだ。曖昧なまま提供したくない。」

「そ、そうなんですね。」

「君、まさか。私が君を信用してないから話さないとか思ってたのか?」

 オクジーが図星を突かれて言葉に詰まる。

「私たちは、バディなんだろう。」

「……ッ!!」

 ふっ、とバデーニが笑う。

 オクジーは耳が熱くなるのを感じた。

「データベースでラファウと検索すると、数年ごとに論文がヒットした。最も古いもので九十年前。」

「九十年…。」

「その次は七十年前、五十年前、二十年前、そして最新が数年前。

 年代は離れているのに、テーマは一貫して、人間の前世の記憶について。」

 理屈では説明できない不気味さが滲む。オクジーは汗ばんだ手でハンドルを握り直す。

「もし仮説を立てるなら…同じ思想を持った集団が、ラファウの名義で研究を続けて…。」

 

「その考察は、不正解だ。」

 

「!?」

 背後から男の声。わずかな衣擦れ。

 二人は同時に振り返った。

 フードを脱ぎながら、男がゆっくりと起き上がる。

 光を失った右目。拷問の痕が残る、縫い付けられたような顔。

「フベルト……!?」

 ラファウの実験の被害者であり、まさに探そうとしていた人物。

 いきなりの当人出現に、オクジーが思わず急ブレーキを踏む。バデーニは紙袋を握りしめて衝撃に耐える。

「グラス達から何も聞かなかったのか。」

「まさか、グラスさんが仕組んだこと、なのか…?」

 後部座席にどっかりと腰掛け、フベルトはゆっくり頷いた。

 暗がりでは彼の表情は読めない。というより、拷問の後遺症により、ほとんど顔の筋肉が動かせないのであろう。話す時も、最小限の動きしかしなかった。

「あの軍人たちも、なかなかしたたかだ。一筋縄ではいかないぞ。」

「うっ。」

 オクジーの喉元に、冷たい感触が当たる。光を反射してぬらりと光ったそれは、鋭利なナイフだった。

「さて。私はやり残したことがある。

 拒否すれば殺す。拒絶すれば殺す。とにかくいうことを聞かなきゃ殺す。」

「……オクジー君を離せ。何のつもりだ。」

「脅迫している。私の言うところに連れて行ってもらう。」

「ならば、こちらにも考えがある。」

 バデーニの手に握られた銃が、フベルトの額に突きつけられた。

 ナイフに力が込められる。声をあげそうになるのをぐっと堪え、目線だけフベルトに向ける。

「先ほど、私の仮説に不正解と言ったな。なら、お前は正解を持っているのだろうな。」

「もちろん。お前達もラファウを追っているのだろう。」

「なら、私たちの道は同じというわけだ。」

 バデーニがフベルトの額に向けていた銃口を外す。まだ引き金に指をかけたままなのを見つめながら、フベルトはナイフを下ろした。

 オクジーは忘れていた呼吸を取り戻すように、息を吐いた。思わずハンドルに沈み込む。

「……はあ。」

 フベルトの拷問を担当していた隊員は、最後には正気を失ったと聞いた。

 そんな地獄の中で、この男は本当に正気を保ってここまで来られたのだろうか。そんな疑念が頭をよぎる。

 彼の持つ情報と、彼の正気を天秤にかけた時、果たしてそれは、信用に足るのだろうか。

 ハンドルを握る自分の手を見つめ、オクジーはグラスが託したものの意味を考えた。

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