夕暮れが沈みきった街は、どの角を曲がっても影が濃く、車の音だけが必要以上に響いた。
オクジーは指先が白くなるほどハンドルを握り、バックミラーを何度も何度も確認する。
「あの黒いセダン、さっきもいませんでした?」
「同じ車種だがナンバーが違う…が、念の為三番街を回っておこう。」
助手席のバデーニは地図を膝に置き、冷静に指示を出す。
車は何度も同じ通りを迂回し、渋滞に紛れ、わざと開けた通りを選んで背後を確認し続ける。
「迂回してアジトに向かう。念には念を入れて、公安の尾行が付いていないか確認する。」
シュミットの提案だった。知らぬ間に尾行されていた身としては、疑心暗鬼になるというものだ。
――フベルトは後部座席で船を漕いでいた。
日がとっぷりと落ち、ようやくシュミットが指示した地点に着いた頃には、別方向に疲労し尽くしていた。
オクジーは目の下に薄いクマを作り、バデーニは地図を握りつぶしている。
「……やっと着いたんですね。」
「いや、ここから歩く。念には念を、だ。」
四人は息をひそめ、暗い裏路地へと足を踏み入れた。
なんの変哲もない、配送倉庫。
裏手の扉をノックすると内側から開き、作業着の男が顔を出す。シュミットを確認し、無言で中へ招き入れた。
中は予想より生活感があり、荷物が煩雑に積み上がり、洗濯物が所狭しと吊るされている。
空気に混じるわずかな硝煙の匂いが、ここがレジスタンスのアジトであることを思い出させた。
視線を向けてくる隊員たち。
その隙間を縫うように、小柄な影が勢いよく駆け寄ってきた。
「ドゥラカさん!」
ドゥラカが二人に飛びつき、力いっぱい抱きしめた。
「無事だったんですね!」
「あなた達こそ!お二人とも鈍臭いから、絶対もうダメだと思ってました!」
あんまりな言い草だ。オクジーとバデーニは複雑な心境でドゥラカの抱擁を受け入れる。
「とりあえず、今日は休むといい。紹介は明日でいいだろう。」
シュミットが隊員に目配せし、部屋を用意させる。
グラスの工房からここまで、丸二日間。不眠不休であった。体力も気力ももう限界だったので、ありがたい申し出であった。
「フベルトさんには、まだお聞きしたいことがある。」
シュミットの言葉に、フベルトは静かに頷き別室に同行していった。
バンの中で、自分たちの知っている情報はあらかた話した。シュミットはラファウと言う存在がいることを知ると、「彼こそが我々の探していた人物だ。」と断言した。
オクジーとバデーニに与えられた部屋は簡素だったが、暖かい。
扉を閉めた瞬間に緊張の糸がぷつりと解け、オクジーは簡易ベッドに倒れ込んだ。お世辞にも柔らかいとは言えないが、清潔なシーツがありがたかった。
バデーニは向かいのベッドに腰を下ろし、顔を手で覆うようにして息をついた。
「…とんでもないことになりましたね、俺たち。」
「小説家志望の青年がレジスタンス。小説のネタとしてはアリなんじゃないか。」
オクジーが笑う。
「そう言うバデーニさんだって。貴族で研究者で、レジスタンスなんて、設定盛りすぎです。」
二人はしばし笑い続けた。
しばらくして落ち着くと、バデーニがぽつりと問いかける。
「……恨むか? 大学のこと。家族に申し訳ないと言っていたろう。」
オクジーは天井を見上げたまま、静かに首を振る。
「まさか。俺は自分で決めてここに来たんです。それに…バデーニさんだって同じでは?」
バデーニは一瞬黙ったあと苦笑した。
「研究はどこでだってできる……と、小さい方のヨレンタさんも言っていた。どこでだってやり直してやる。私は英傑だからな。」
オクジーも微笑む。
「……不思議ですね。こんな状況なのに、ちっとも怖くない。それどころか、落ち着いてます。」
二人の呼吸が重なり、ゆっくりと夜が落ちていく。
同じ頃。
倉庫の一角の小部屋で、ドゥラカはラジオの前で眉根を寄せていた。
彼女の周りには新聞や雑誌が並べられ、重要と思われる部分は切り抜いて用紙にまとめられていく。
「なんでだ…?」
深夜の爆発。
爆発の原因には、どの報道機関も不自然なほど言及していない。
しかし、唯一、監視カメラ映像を分析し、原因が爆弾である可能性に触れたラジオ局があった。
だが、その番組を担当したジャーナリストは翌日、突然の降板。
今や、どの報道機関も芸能スキャンダルで話題は持ちきり。
ドゥラカはペンを走らせながら、小さく呟いた。
「わざと、目を逸らさせている…?」