少数で動いたことが功を奏したのか、それとも病院の外の騒ぎに意識を取られていたのか。
数度の小競り合いはあったものの、一行は想定よりも早く目的地に辿り着いた。
軍人たちの遺体は、発見を遅らせるために物陰へと引きずり込まれている。
銃を構え、合図と同時に扉を蹴破った。
一瞬、部屋の主が目を見開く。
机に向かっていた少年は、ゆっくりと立ち上がる。その背後の窓から、高みに昇った満月が覗いていた。
「君が、ラファウなのか?」
問いかけに、少年は一拍置いて頷く。
月光に照らされた金髪と、澄んだ青い瞳。
「そうですよ。」
声は高く、落ち着いていた。
「悪いが、俺たちと来てもらう。」
隊員が銃口を向け、低い声で告げる。
だがラファウは、肩をすくめるようにして言った。
「困るなあ。今、資料をまとめている途中なんです。
アントニさんに叱られてしまう。」
場違いなほど、のんびりした口調だった。
「……やっぱり、アントニと繋がってる。」
ドゥラカが密かに喉を鳴らす。
ラファウは一瞬だけ顔を歪め、すぐに不機嫌そうに眉を寄せた。
「神に認められた、僕の崇高な研究です。
それを理解できない者が、僕の時間を奪う権利はありません。」
その言葉に、部屋の空気が変わる。
傲慢。
彼の言葉には揺るぎがない。
背筋を撫でる寒気は、武器を持たない少年のものではなかった。
「……傲慢さや、過度な欲望は――。」
静かな声が、背後から割って入る。
「――イカロスのような破滅を招くわ。」
バデーニの背後で、ヨレンタが目を覚ましていた。彼の背から降りると、ヨレンタはラファウをまっすぐな視線で射抜いた。
先ほどまで瀕死だったとは思えないほど、彼女の足取りは確かだった。
その姿を見た瞬間、バデーニは悟る。これが、彼女の最後の時間なのかと。
「あなたは……僕と同じ、ですね?」
ラファウの問いに、ヨレンタは一瞬だけ目を伏せたあと、静かに頷いた。
「やっぱり!」
ラファウは、心から嬉しそうに笑った。それは歓迎の笑みであり、確信の笑みだった。
「やっと会えた。特別な存在に。」
その言い方に、バデーニの眉がわずかに動く。
「……違うわ。」
ヨレンタの声は、掠れていた。
「私は、罰を受けているだけ。」
ラファウはきょとんと目を瞬かせる。
「罰?どうして?」
「間違えたからよ。だから…あなたをここから降ろしにきたの。」
一歩、踏み出す。
「あなたが利用している既得権益者達は多くの不幸を生んでる。もう、終わらせましょう。」
一瞬、ラファウの笑みが消えた。
「……おかしなことを言いますね。」
冷えた声で、ラファウが返す。
「惑星が美しい軌道を描くように、太陽が宇宙の中心であるように、神の御技はとても美しい。」
ラファウの演説に、ぞわり、とその場の空気が軋んだ。
「神が意味なく別の肉体に同じ記憶を与えるはずがない。僕は、だから知りたいんだ。」
ラファウは目の前の何かを強く握りしめる。
「それが、何を指しているのかを。」
ドゥラカが、一歩前に出た。
「あなたのお父さん…ポトツキさんを殺したのも、神ってやつの思し召しな訳?」
「……?」
「あなたに繋がる痕跡を消すために消されたの。あなたが利用してる奴は、手段を選ばないらしい。」
初めて、ラファウの呼吸が乱れた。情報としては理解できるはずなのに、思考が先へ進まない。
「……ポトツキさん……嘘、だ。」
「…知らなかったの?」
ドゥラカの言葉が、ラファウに刺さる。
ラファウは何かを言い出そうとして――できないでいた。
「久しぶりだな。ラファウ。」
不意にかけられた言葉に、ラファウは視線を上げた。扉の向こうから現れた男の姿を見た瞬間、息を詰まらせる。
「……フベルトさん……?」
ラファウの胸に、永い時間が一気に押し寄せた。
泣き笑いのような表情で、ラファウは一歩、前に出る。
「もしかして、記憶が戻ったんですか?」
縋るような声だった。
フベルトは答えない。
ただ、静かにラファウを見つめている。
「そのために来たんでしょう?僕と同じ場所に立つために……。」
その言葉を遮るように、フベルトが口を開いた。
「違う。」
短く、はっきりと言い放つ。
「記憶は戻っていない。お前の実験は失敗だ。」
「……じゃあ、なぜ戻って来たんです。」
「君の、知への暴走を、止めるためだ。」
ラファウの胸の奥で、何かが崩れ落ちた。
理解者足り得る、唯一の存在だと思っていたのに。フベルトの言葉は、ラファウにとって拒絶だった。
守るつもりでいた養父の死。
それらが同時に重なって、のしかかる。
「……じゃあ、僕は……」
声が、かすれる。
神に選ばれた特別な存在。
そう信じていなければ、六百年の孤独に耐えられなかった。
自分の存在には意味があるのだと、自分に言い聞かせ続けてきた。
もしそれが――ヨレンタの言うように、罰なのだと認めてしまえば。
「――僕は、何者なんだ?」
ヨレンタが静かに口を開いた。
「六百年前…私は自らの命を絶った。仲間と、感動を守るため。後悔はしていない。」
ラファウが、ゆっくりと彼女を見る。
「……でも、後に生を受けて、自分に今とは違う記憶があると気づいた時。……神は私の行いをお許しにならなかったのだと思った。私は多くの命を死地に向かわせ、自分で生を終わらせたのだから。」
死んだら魂は神の御許に行くはずでは。
なのに、私は何度もこの世界に引き戻された。
これは贖罪だ。
なら、私のすべきことは何なのか。
「あなたの存在を知った時、これが私に課せられた使命なのだと思った。」
ラファウの視線が揺れる。
六百年前のあの日。
僕は自ら毒をあおった。
ラファウの中で、世界の前提が、音を立てて軋み始めていた。
フベルトはその姿を見届け、くるりと踵を返した。
「……私の目的は果たした。」