それはある日、ネット上の匿名掲示板に投稿された短い文章だった。
誰かの独り言のようで、記録の断片のようでもあった。
短い文が並ぶ。
数人の目に留まったが、反応は残されなかった。
閲覧数は伸びない。
意味を見出すには材料が少なすぎた。
数日後。
別の掲示板によく似た文体の文章が投稿された。
さらに別の場所でも。
文章が、さまざまな場所で現れ始めた。
「これ、同じ人物の文章じゃないか?」
「誰かの日記みたいだな。」
しかし。
騒ぐには弱く、話題性に乏しい。
そのつぶやきも押し寄せる情報の波に飲まれ、瞬く間に見えなくなっていった。
さらに数日の沈黙の後、変化が起きた。
かつてラジオ局でジャーナリストをしていたという配信者が、私的な配信動画の中で、ふと口にした。
「最近、気になる文章を見かけますね。……意味は、よく分からないんですけど。気になるっていうか。」
たったそれだけ。
ただの雑談。
だが、何気ないその一言が、リスナーの好奇心を呼び起こした。
多くの者が自分の目で確かめ始めた。
文章を探し出し、読んだ者が引用して再投稿する。
次第に多くの者の目に触れられるようになる。
それの持つ不思議な魅力に、取り憑かれていく。
文章は瑞々しく、視点は飾らない。
けれど読まずにはいられない。
読むものの心に訴えかける何かがある。
それが、静かな熱を生んだ。
誰かが断片を集め、
誰かが順序を仮定し、
誰かが時系列を組み立てる。
点は線になり、線は形を持ち始める。
最初の投稿者のアカウント名が「眼」を意味していたことから、それらは、いつしかこう呼ばれるようになった。
『眼の日記』
誰が書いたのか。
暗号ではないか。
記録か。
予言か。
推測が飛び交い始めた、その頃。
当局が動いた。
あっという間に投稿は削除され、関連する語句が検索結果から消えた。
理由は、虚偽。
危険思想。
社会不安を煽るため。
だが、その対応が裏目に出る。
人が持つ、知りたいという欲求に火をつけた。
かえって注目される結果となったのだ。
削除された文章のスクリーンショットが出回っては消されることを繰り返す、イタチごっこが始まった。
テレビや新聞は沈黙し、触れなかった。
その沈黙が、さらなる燃料となった。
拡散、拡散、拡散……。
もはや、感染。
疑問は増殖する。
規制は証明となり、否定は注目を集めていく。
文章の中に「権力者の影」を見つけ出す者が現れ、実際の事件や事故が取り上げられて、事実と照らし合わされていく。
候補は、自然と、絞られていった。
読者たちは証拠を粗探しし、まとめを作り、配信し、皮肉とパロディで扱い始める。
誰が制御しているのか、もはや分からない。
眼の日記は、いつの間にか――誰の手にも負えない怪獣へと変貌していった。
名を挙げられた既得権益者たちは、怯えた。
距離を取り、縁を切り、保身に走る。
権力に寄り添うことで得ていた利益は、静かに、しかし確実に破綻していった。
もう、眼は開かれてしまった。