道路を滑るように走る路面電車――トラムに乗ったオクジーは、年甲斐もなく浮き立つ気持ちを隠せずにいた。
首都の街並みは、オクジーの住む街とは比べものにならない。建物も、人の数も、桁が違う。
中心部に近づくにつれ、近代的な建物や電光掲示板が目に入る。
何もかも新鮮で、無意識に口を開けたまま見入っていると、肩を小突かれた。無意識に感嘆の声が出ていたらしい。
「落ち着きたまえ」
バデーニが顔をしかめてささやく。
「すみません。こんな都会に来るの初めてで」
ふふ。と軽やかな笑い声が隣から漏れた。
「私も初めてです。一度でいいからトラムに乗ってみたかったんです」
ヨレンタが頬を薔薇色に染めて言った。今日の彼女は学校の制服に、胸にはオレンジ色の花のコサージュをつけている。
父から贈られたものだと、少し照れくさそうに教えてくれた。
「緊張と興奮で、昨日は眠れませんでした」
天才少女は年相応のはしゃぎ振りで、窓の外を眺めている。
自分よりかなり年下の少女にフォローされたことに気づき、オクジーがへへへと照れ笑いする。
オクジーは焦茶色のスーツに身を包み、普段より念入りに髪を整えてきた。
もっとも、このスーツは借り物だ。
首都の大学に通うアルベルトに連絡を取って急遽貸してもらったのだ。
オクジーとアルベルトは体型が似ており、今のスーツもピッタリだった。
とは言え、着慣れないスーツ姿は肩が凝る。衣装に着られている感覚も相まって、何となく気恥ずかしい。
チラリと両隣を覗き見る。
バデーニはオーダーメイドで作られたスーツを着こなしている。グレーと薄いブラウンのグレンチェックは、知的さと気品があってバデーニによく似合う。
ドゥラカは以前ヨレンタ所長に買ってもらったと言うピッタリとしたダークグリーンのパンツスーツ姿。薄桃色のブラウスを合わせて着こなしている。
オクジーの視線に気がついたドゥラカは、胸に刺したサングラスをかけると、気取って立つ。
「護衛と言えばこれでしょ」
サングラス越しに見える笑みは、明らかに楽しんでいる。
確かに、ドラマか映画で見る護衛のように見えなくもない。ドゥラカは意外と形から入るタイプらしい。
「すみません、みなさん。父が護衛だなんて大袈裟なこと…」
ヨレンタが恐縮する。
「いや、いい。私もこのコンペには興味があったことを思い出した」
「そうそう。人のお金で…じゃなくて、仕事で来てるとは言え、私も初めて首都に来れたので嬉しいです♪」
何だ、人をお上りさん扱いしておいて。
二人も結局は浮かれているのだと分かり、オクジーは自分だけではないことに、ようやく肩の力が抜ける。
トラムの車窓から、式の行われるコンベンションセンターの特徴的な外観が現れた。
ガラスと金属を組み合わせた建物は低層で、横に広がる近未来的建築。川沿いの光を受けて静かに輝いている。川と建物の間には遊歩道が整備され、子連れや学生達が訪れる様子は、知識が限られたものの特権ではなく、誰に対しても平等であることの象徴でもあるようだった。
エントランスはガラス張りで、外と中の境界が曖昧だ。
天井の高いロビーには、既に人の気配が満ちていた。
金属オブジェを眺めているオクジーとバデーニに向かって、ドゥラカが声をかける。
「私達、先に受付を済ませて来ます」
「分かった」
「頼む」
ドゥラカとヨレンタは和気藹々と話しながら受付へ向かっていく。今日が初対面であったはずだが、もうお互い気を許している気がする。歳の近い同姓同士、話が合うのだろうか。
「…良かったです。ドゥラカさん、ヨレンタさんを見て動揺するんじゃないかと思ってました」
そんな心配をしてしまうほどに、ヨレンタは所長に似ている。
ドゥラカにとって所長は、家族同然の存在だった。
事務所に残された彼女の私物を前に、物思いに耽る彼女の背中を、オクジーは何度か目にしていた。
「別人を見て引きずるほど彼女はヤワじゃないさ」
微笑ましく二人の後ろ姿を眺めていると、背後から声がかかった。
「……もしや、バデーニさん?」
控えめな声。男がバデーニを見つめて驚いた顔を見せている。
「……クラボフスキさん?」
「ああ、やっぱり」
人違いでなかったと分かると、クラボフスキと名乗った男は目を細めた。
「オクジー君、こちらクラボフスキさん。私の以前の職場の上司だ」
清潔に切り揃えられた黒髪と、丁寧に整えられた髭。人好きしそうな男は、にこりと笑った。
「こちらは、オクジー君。私が手伝っている探偵事務所で、これでも所長をやっている」
これでもって何だ。
「初めまして、オクジーです」
初めて会う気がしない気もしながら、お互い握手を交わす。
「あの、以前どこかで……」
言いかけたオクジーはギョッとする。
クラボフスキは目に涙を溜め、鼻を啜っている。
「失礼。…あのバデーニさんがっ、尖ったナイフのようだった貴方がっ…こんなに穏やかに、職場に馴染んで……。喜ばしいことでずっ」
「クラボフスキさん。余計なお世話です」
バデーニの扱いにかなり手を焼いていたらしいクラボフスキは、滂沱の涙を流す。
お互い、何か通ずるものを感じる。
「大変でしょう」
「ええまあ、かなりエキセントリックと言うか…」
「……」
バデーニは一瞬だけ視線を走らせ、次の瞬間オクジーの腕を掴んだ。
「!!行くぞ、オクジー君!」
「……は!?」
クラボフスキは突然の奇行に目を丸くしている。
あっという間に目の前から姿を消し、一人取り残されたクラボフスキは頭をかく。
「…相変わらずだなぁ。
でも、いいお友達ができたみたいで良かったですね……」
そう、一人ごちで、鼻水をかんだ。
……ほんの小さな違和感。
受付を済ませるヨレンタの背後でドゥラカが感じたそれは、誰かからの視線。
「?」
周りを見渡しても、人の流れが煩雑で特定できない。
「…では時間になりましたら、受賞者の方は舞台の入り口にお越しください。
保護者の方の席は、客席前方に用意しています」
受付の男性が丁寧な物腰で説明している。
「では、時間まで自由にお過ごしください」
受付を済ませ、オクジー達のところへ戻ろうとするも、先ほどの場所に彼らの姿は見えない。
「あれ?どこ行った…?」
ドゥラカはヨレンタともはぐれないよう、手を繋ぐ。二人とも兄弟がいないので、ちょっとこそばゆい。
「どこいったんだあの大男達…」
照れ隠しに愚痴りながら、キョロキョロと辺りを見渡す。
「何かお困りですか?」
男が話しかけて来た。会場には、揃いの黒服にサングラスという出立ちの男達が各所に見られた。
警備員、だろうか。
「連れとはぐれてしまって」
ドゥラカの言葉に、男はインカムに向かって小さく呟くと、案内するというように手を挙げた。
「放送をかけてみましょう。
受賞者の方ですね?控室を用意していますので、こちらへどうぞ」
男は二人の背後に回り込み、先を促す。
「受付の人、さっき自由に過ごしとけって言ってなかった?」
「はい。控室があるなんて一言も言ってませんでした」
小声で話しながらも、黒服の言う先へ向かう。どんどん人気の少ない方へ誘導されているような気がした。
他の黒服の男が背後から数人、自分達の方へやって来るのに気づいて、ドゥラカはヨレンタに耳打ちする。
「……なんか変だ。
合図したらあのモニュメントの方へ走るよ。……さん、に、いち――走って!」
タイミングを測って逃げ出す。
少女達の急な行動に、黒服は慌てて追いかけて来る。
モニュメントが立ち並ぶ一角に身を隠すと、顔だけ出して辺りを伺い見る。
黒服の男達の動きは明らかに誰かを探している。
「あの人たち、どうして追いかけてくるんでしょう?」
ヨレンタの疑問に頷くも、頭に浮かぶ予想は口に出さないでおく。
狙いは、おそらくヨレンタだ。
でも、なぜ――?
ドゥラカは頭をフル回転させて考える。
「……ていうか、あの二人はどこに行ったんだ!」
同時刻。
バデーニが、目標に向かって走る。
訳もわからず、その後ろをオクジーが追う。
「バデーニさん、一体…」
「コルベだ」
「はい?」
「奴がこの会場内にいる」
「えぇっ!?」
コルベ。
かつてヨレンタの書いた論文を盗用した男だ。
バデーニとオクジーで一芝居打ち、改心させたはずだったが、何かまた、良からぬことを企んでいるのではあるまいな。
オクジーが会場内に視線を走らせる。着飾った人と、その保護者やパートナー達が各々自由に過ごしている。周りにちらほらいる黒服の人は警備員だろうか。
人混みの中に見知った癖毛の男を見つけて、バデーニに合図を送る。
コルベは壁面に展示されたパネルに目を通していたが、走り来るオクジーに気づいて、反射的に逃げ出した。
行手をバデーニが遮る。
「ひっ。な、何…??」
二人に挟まれ、ビビるコルベ。
「お、お前達は、あの時の!」
覚えていたらしい。あの時は女学校の教員を騙ってコルベを追い詰めた。
「久しぶりだな。ここに何の用だ」
バデーニが低い声で話しかける。黒い眼帯と顔の傷が威圧感を高めてコルベに迫る。
「何の用って…僕は純粋に知識を求めて…」
「ヨレンタさんを目当てに来たのではないのか」
思わぬ人物の名前が出たことに、コルベがきょとんとする。
「彼女が、ここに……?」
「知らないんですか?ヨレンタさんがここのコンペで受賞したこと」
コルベはゆっくりと首を横に振る。
そして、がっくりと肩を落とす。
「そうか…やはり彼女は優秀だな…」
どうやら、本当にヨレンタの受賞を知らないらしい。
また、越えられない差を突きつけられてしまったコルベ。
「……僕が来たことは言わないでほしい。あまりいい気もしないだろうし」
そう言い残し、項垂れたまま去っていく。
小さな背中を見送りながら、バデーニは呟いた。
「……好奇心の芽を潰さなければ、彼もまた同じ土台に上がって来る」
コルベの背中に、ふと思ったままの言葉を投げかける。
「バデーニさん、挫折とかしなさそうですもんね」
「そんなことない」
ふと、ドゥラカ達のことを思い出す。
バデーニは、ハッとして踵を返す。
慌てて元の場所に戻るも、受付に二人の姿は無い。
しまった。見失った。
自分たちはノヴァクに言われて少女の護衛をしていたというのに。
慌ててスマホを鳴らす。繋がらない。
彼女達は、どこへ。