眼の日記/ヨレンタ探偵事務所事件録   作:すう

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眼の日記/後日譚 拍手をあなたに3 報告書に無い少女たちの冒険

 逃げ足が、速い。

 黒服の男は、通信機を指で押さえながら舌打ちした。

「対象、モニュメント周辺へ逃走。確保未遂」

『了解。捜索を続けろ』

 声は落ち着いている。

 焦る必要はない。——ここは、狩場だ。

 人目を欺くための装置は問題なく作動している。

 一見、警備、運営補助、関係者のように振る舞っているが、実態は長年続く組織の一部だ。

 人身売買。

 ただの人攫いなら三流である。

 彼らが扱うのは商品価値の高い人間だけ。

 頭脳。技術。

 あるいは――部品。

「十五歳で最優秀賞」

 対象はまだ子供だ。

 言うことも聞かせやすい。

 

 …………………………

 

 不安を悟らせないよう、ドゥラカは隣で身を縮こませるヨレンタに、目が合うたび小さく笑ってみせた。

 黒服達の正体は、何者なのか。

 ノヴァクが追っている、国際指名手配の犯罪グループの存在が脳裏を掠める。全国規模で動いている人身売買組織だ。

 ここに潜んでいたとしても、おかしくはない。

 思考の海に沈むと、周囲の気配が遠のく。それがドゥラカの悪い癖だった。

「あ、ねえ」

 突如、背後から声をかけられ、二人は飛び上がる。

 見つかったか。

 血の気が引く。

 しかし、思いもよらぬ人物の登場に、肩から力が抜けた。

「……なんだ、アルベルトさんか」

「なんだって…そんな…」

 そこには、少し傷ついた表情のアルベルトが立っていた。

 半年ほど前から首都の大学に通う彼は、今回オクジーにスーツを貸してくれたのだ。

 分野違いとは言え、せっかくの機会だからとコンペの見学に来たらしい。

 知り合いに会えて少し安堵する。

 ヨレンタの手前、平静を装ってはいたが、足先は小刻みに震えていた。

 アルベルトの姿を見て、ふと思いつく。

「これなら……奴らを出し抜けるかも」

 

 ドゥラカ達は展示パネルの背後に身を寄せ、短く情報を整理した。

「いいですか。奴らは私たちを人目のない場所へ誘導しようとしていた。つまり、騒ぎは避けたい」

 アルベルトの合流は、心細いドゥラカとヨレンタにわずかながらの勇気を与えた。

 とはいえ、生まれてこの方ケンカとは無縁の男だ。戦力は期待できない。

 だが、奴らの強みを逆手に取る可能性を秘めている。

「脱いでください。アルベルトさん」

「えっえぇ!」

 動揺を隠せないアルベルトから、半ば剥ぎ取るようにえんじ色のジャケットを脱がせる。黒のサマーセーター一枚の姿となる。

「彼らの使っている肩書きを借りるんですね」

 ヨレンタが気づいて手を叩く。

「そ。これで目撃者の誤認を誘う。

 ……あとは、お二人の演技力次第です」

 ドゥラカが胸に刺したサングラスをアルベルトに差し出した。

 

 ロビー中央。

 人の流れは滞留し、適度な人目があることを確認すると、黒服に扮したアルベルトは、一度だけ戸惑い、意を決してヨレンタの腕を掴んだ。

「さあ、来るんだ!」

 硬くなりすぎて、声が裏返っている。

「何するんですか!離してください!!」

 ヨレンタの大声が会場の空気を引き裂く。衆目が一斉に二人に集まる。

 なかなかの演技派だった。

 本物の警備員が駆けつけてくるのを確認すると、アルベルトは身を翻す。

「あれ?黒い服の人って警備員じゃないの?」

 そばで事件を目撃した一人が疑問を口にする。この一言から、次第に騒ぎが広まっていく。

 なら、会場に大勢いる黒服は――何者なんだ?

 逃走したアルベルトは、素早く物陰に身を隠すと、あらかじめ用意していたジャケットを羽織る。

 サングラスを外し、何食わぬ顔で人の流れに紛れ込んだ。

 涼しい顔をしているが、心臓が暴れていた。

 ドゥラカは素早くヨレンタに駆け寄り、肩を抱く。

 黒服達が一斉に撤退して行くのが見えた。

 二人は目を合わせ、同時に頷くと、走り出した。

 

 …………………………

 

 黒服の一人が、わずかに顎を引いた。

 気づかれたか。

 

 それまで空気に溶けていた存在が、傍観者の視線によって、次々と輪郭を持ちはじめる。

 

 無線が短く鳴った。

「撤退」

 

 …………………………

 

 ノヴァクが会場に降り立つ。

 空気が、目に見えない圧で押し潰される。怒声でも足音でもない。ただ一人の男が現れた瞬間に生じた、存在感。

 皺ひとつないスーツ、緩めていないネクタイ。

 周囲の警備員が、反射的に背筋を伸ばす。

 獲物を探す猛禽の目でオクジーとバデーニを捉えると、一言だけ疑問を呈す。

「何、コレ?」

 声は低く、静かだった。

「……ナニ、コレ?」

 繰り返される問いに、空気が一段と冷え込む。

「ヨレンタは、どこ?」

 オクジーは言葉を失った。

「会場内で、騒ぎがあったと聞いたんだけど」

 視線が二人を射抜く。

 完全な低音。

 怒鳴っていないのに、胃の奥が掴まれる。

 ノヴァクは一歩、踏み出した。

「死ぬ気で探して」

 間。

「見つからなかったら、本当にそうなるよ」

 脅しだった。

 比喩でも冗談でもない、事実の提示。

 オクジーは、喉が鳴るのを自覚した。

 バデーニも、珍しく言葉を挟まない。

「……はい」

 二人は、ほぼ同時に動き出す。

 その時だった。

「待ってください!」

 突如、男の声が二人の背後から飛び込んでくる。

 振り返ると、アルベルトが息を切らして駆けてくる。

 顔色が悪い。だが、目は冴えている。

「……さっきの騒ぎ、僕達が起こしました」

 一瞬、ノヴァクの視線が彼に向く。

 アルベルトの背筋が凍る。

「説明して」

 短い命令。

 アルベルトは、早口で要点だけを話した。

 黒服の男。

 強引な誘導。

 追われたこと。

 そして。

「会場内にいる黒服、彼らは警備やスタッフではない。……人攫いです。」

 ノヴァクの目が、細くなる。

「……数が多すぎて、逆にノーマークだった、ね」

 独り言のように呟き、即座に無線を取る。

「各班、指示を出す。黒服を分散追跡。逃走経路を特定、封鎖しろ」

 指示は短く、的確だった。

 無線の向こうから、次々と応答が返る。

 ノヴァクは最後に、オクジーとバデーニを見る。

「……奴らを――ブチ殺す」

 

 ドゥラカは息を殺し、柱の影からそっと身を乗り出した。

 会場裏手。

 搬入口の脇に黒塗りのワゴンが二台。

 エンジンをかけたまま停車している。

 黒服の男たちが、周囲を警戒しながら次々と乗り込んでいくのが見えた。

「ヨレンタさん、ナンバー見える?」

「……うーん」

 囁き声で確認し合い、距離を取って観察する。

 ドゥラカは頭の中にヨレンタの読み上げるナンバーを刻んでいった。

 その、矢先。

 ――グッ。

 突然、喉元を潰すような圧。

「……っ!」

 苦しい。声が出せない。

 反射的に肘を引くが、びくともしない。

 背後で、短い息音。

 背後で小さい悲鳴。

 ヨレンタも捕まったのか。

「目標確保」

 低い声が、耳元で囁かれる。

「……こっちの移民の娘は?」

「連れていけ。若い娘は高く売れる」

 男の声に、ゾッと血の気が引く。

 抵抗しようともがくも、指先は何も掴まない。

 その時だった。

 

「――彼女たちを、離してください」

 

 低く、落ち着いた声。

 あまりに静かで、逆に異様だった。

「でないと」

 たっぷりと貯められた間を待って、もう一人が言う。

「命はない。……私たちの」

 黒服の男たちが、一斉に振り返った。

「!?」

 そこに立っていた二人――黒髪と金髪の大男。

 オクジーと、バデーニ。

「何だ、こいつら」

 次の瞬間。

 ――ばきっ。

 オクジーの動きは、速かった。

 ドゥラカの首を掴んでいた腕をひねり、体重を乗せ、関節を固定する。

 男は悲鳴を上げる間もなく、床に沈んだ。

「右斜め後ろから来るぞ!」

 バデーニが、仁王立ちのまま腕を組んで吠える。

 眼帯。

 頬の傷。

 微動だにしない視線――妙に手を出しづらい。

 その一瞬の躊躇を、オクジーは逃さない。

 二人、三人。

 倒れる音が、乾いた空気に連続する。

「……ちっ」

 残った男が、ヨレンタを盾に後退しようとする、その時。

 ――バチチッ!

 甲高い音。

「念には念を。ってね!」

 ドゥラカの持つスタンガンに電流が走り、男の体が跳ねる。

 黒服の力が抜けた瞬間――オクジーが踏み込んだ。

 拳が、正確に顎を捉える。

 男は、そのまま崩れ落ちた。

 ヨレンタが解放され、ドゥラカの腕に飛び込んだ。

 直後。

 遠くでサイレンが鳴り響いた。

 黒塗りのワゴンは、すでに警察車両に包囲されていた。

 逃げ場はない。

 黒服たちは次々と拘束され、地面に伏せさせられていった。

 すべて、終わったようだった。

「……無事で、よかった」

 オクジーの声は、震えていた。

 ドゥラカは、ようやく息を吐く。

「ほんと!心臓止まるかと思った」

「私もです!」

 ヨレンタが小さく頷いた。その目にはまだ怯えが残っている。

 潤んだ視界の先に、ひとりの男が立ち尽くしていた。

「……お父様!」

 娘の姿を確認した瞬間、張り詰めていた全身から力が抜ける。

「無事かい?」

 娘の無事を確認すると、ノヴァクは笑顔のまま、オクジー達に向き直った。

「……君たち」

 低い声。

「後で、話あるから」

「……はい」

 誰も、反論しなかった。

 

…………………………

 

 会場の警備に不備はあったものの、予定通り、表彰式は執り行われた。

 会場の最前列。

 背筋を正して座るノヴァクの姿があった。

 後処理はすべて、部下に押し付けた。

 本来、自身の管轄分の仕事は終わっていたのだ。しかし、犯人の一人が表彰式の受賞者を狙っているという情報を漏らしたことで、一転。現場に駆けつけた。

 ――今は、父親の仕事がある。

 

「最後に、最優秀賞の発表です」

 

 司会の声が、ヨレンタの名を読み上げる。

 照明が集まり、会場が静まり返る。

 壇上に姿を現した少女の姿に、大きな拍手が集まった。

「……っ」

 ノヴァクは、思わず息を呑んだ。

 少し緊張した面持ちで、それでも迷いなく歩く姿。

 その背中を見つめながら――ノヴァクの目から、大粒の涙が零れ落ちた。

「……ブラボー……」

 声が震える。

「ブラボー!!ヨレンタ!!」

 会場が、ざわつく。

「ヨレンタ!!お前は最高の娘だ!!」

 もう、止まらない。

 壇上のヨレンタは、ぴたりと足を止めた。

 一瞬、何が起きたのか分からない顔で、目を見開く。客席の父の姿を確認して――顔を真っ赤に染めた。

 だが。

 ヨレンタは、深呼吸ひとつ。

 何事もなかったかのように歩き直し、トロフィーを受け取った。

 そして。会場に向かって、堂々とした、誇らしい笑顔を向ける。

 史上最年少での受賞に一言を、と求められると、ひとつ呼吸をしてから、マイクを受け取った。

 

「……真理は、いつも最初は孤独です。

 アリスタルコスの説がそうであったように、新しい知識は、理解されないことを恐れる声に囲まれます。

 それでも彼は、空を見上げることをやめなかった。

 私は思います。

 知識を求めることは、勇気を持つことと同じだと。

 問い続けること、疑うこと、学び続けること……それ自体が、未来を切り拓く行為なのだと。

 私も、恐れずに学び続けます。そしてこの一歩が、誰かの知的好奇心を照らす光になることを願っています。

 最後に…このトロフィーを、私を支えてくれたすべての人と、父に捧げます」

 

 嵐のような拍手が巻き起こる。

 客席の後方で、それを見守っていたオクジー達は、感嘆の声を漏らす。

「……すげえ」

 ぽつりと呟く。

「いや、あれは父親がすごい」

 バデーニが手で口元を覆って苦笑した。

 ドゥラカは、肩を震わせて笑っている。

 

 式の後。

「お父様っ!!」

 ノヴァクの姿を見つけたヨレンタが、駆け寄る。

 ノヴァクは腕を広げて娘を迎える。

「あれ、恥ずかしいので、やめてください!!」

 飛び込んでくれるものと思っていた腕が宙を掴んだまま空振りする。

「え。いや……すまない……」

 ハンカチを握りしめたまま、まだ目が赤いノヴァクは、しどろもどろになって娘の剣幕に押されていた。

「誇らしくて……つい……」

「ついの域を超えています!」

 ぷい、と顔を背けるヨレンタ。ショボンと落ち込むノヴァク。

 オクジーは、こらえきれずに吹き出した。

 バデーニも、小さく息を吐く。

 ドゥラカは、両手を上げて言った。

「いやー、無事でよかったですね。ほんと」

「いや、ドゥラカ君。私達は君に話があるぞ」

「そうですよ!何て無謀なことを」

 二人の険しい顔つきを受け流し、ドゥラカは頭の上で腕を組む。

「いいじゃないですか、無事だったんだし。終わりよければハッピーエンドってね!」

 ヨレンタが笑う。

 つられて笑い声が広がっていく。

 夏の青空は、広く高く、どこまでも透き通っていた。

 

 …………………………

 

 授賞式から数日経ったある日。

 古い木製机の上で書き物をしていたオクジーは手を止めた。

 バデーニが来客を告げると、常連のおじいさんが顔を出した。手には新聞が握られている。

「記事見たよ」

 ニコニコしながら客用ソファに腰掛ける。

「オクジー君、大活躍だったんだって?」

「いえいえ」

 オクジーが慌てて手を振る。

「大活躍したのは、ドゥラカさんです」

「へえ!ドゥラちゃん、やるねぇ」

 ドゥラカは、照れ隠しに肩をすくめた。

「えへへ。あの時はもう必死で」

 その奥で、バデーニがコーヒーを啜りながら本棚に飾られた先日の写真に視線を移す。

 写る者の顔は皆、祝福に溢れ――笑顔に包まれた父娘の姿がそこにはある。

 誰かの幸せを願う、その瞬間も悪くないと思うのだった。

 

 おしまい




眼の日記後日譚。
読んでくださり、ありがとうございました。

ヨレンタさんが表彰を受けた会場は、ポーランドにあるコペルニクス科学センターをモデルにしています。
実際の写真などを参考にしてもらえれば、より楽しんでいただけるやも。

明日からは、眼の日記前日譚。
若き日のシュミット目線で、いかにしてレジスタンスが結成されたかの物語をお送りします。
よろしければ、お付き合いください。
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