ヨレンタ所長がレジスタンスを立ち上げるまでのお話。
シュミット視点です。
眼の日記本作より十三年前のお話。
全6話予定です。
※シュミット×ヨレンタ描写がほんのりあります。
「……ふふ」
小さな笑い声に、シュミットは顔を上げた。
向かいに座る女――ヨレンタが自分を見つめて微笑んでいる。
目尻の皺が目立ち始めても、目を伏せた時に作り出す、ふとした幼い表情は昔のままだ。
「……当ててみましょうか。最近雇った若者たちのことでしょう」
「すごいな。なんで分かったの?」
シュミットが言った言葉に、ヨレンタがわずかに目を見開いた。
何年一緒にいると思っているんだ、と言おうとして口をつぐんだ。
言うと必ず、彼女は若い頃の自分の話を持ち出すからだ。
表向きは探偵事務所。その実はレジスタンスの活動の隠れ蓑。
そこで雇っている作家志望の青年と、学者の青年。ヨレンタは、その二人の話をよくする。なんでも、昔の友人に似ているらしい。
けれどヨレンタは薄く首を振る。
「でも半分不正解。あの人たちを見ていて、昔のあなたの事を思い出してた」
「……」
シュミットが片方の眉をぴくりと動かした。
彼女の記憶力は凄まじく、些細な事でも昨日あった事のように覚えている。
未熟だった若い頃の話などシュミットにとっては耳に痛いだけなのに、ヨレンタは懐かしそうに昔の話を掘り返す。
まるで、母親が子供に昔話をするかのように。
ヨレンタとシュミットが出会ったのは、今から十三年程前になる――。
…………………………
「お前のことを誇りに思うよ――シュミット」
警察官として初めての仕事の日を迎えたシュミットに、父が眩しそうにかけてくれた言葉だ。
家族に囲まれ、祝福を受けた。
両親。
祖父母。
兄夫婦と――もうすぐ一歳になる甥っ子。
きっちりと着込んだ制服の背中をポンと叩き、兄が言った。
「こんなに立派になって、鼻が高い。この町の安全は保障されたようなものだな」
「大袈裟だ、兄さん。……では、立派に責務を果たしてみせます」
家族からの抱擁を済ませ、甥っ子の小さな手を握り返すと、シュミットは敬礼と共に家を出る。
正しくあろう。家族のために。
そう誓った自分に待っていたのは、悲劇というにはあまりにも残酷な現実だった。
「――なぜ……」
制服の帽子を握りしめる。
目の前には、七つの棺。
その中の一つ。あまりにも小さな棺の前で、シュミットは崩れ落ちた。
若いシュミットは正義に燃え、不正に横領を行っている議員に事実をつきつけた。もちろん証拠も揃えて。
その翌日――事故は起こった。
家族を乗せた車が、崖から転落。
運転手の居眠り運転、として処理された。
ありえない。
若い時はバスの運転手をしていた父だ。誰よりも運転技術には精通し、気を使っていた。
父の亡骸に不自然な痕跡を見つける。
首筋に……注射の跡?
……報復されたのだ。
俺の家族は、殺されたのだ。
周りは同情と憐れみの目をシュミットに向けた。……その目は、愚かで浅はかな男を見る目だった。
「見て見ぬ振りすれば、殺されることまではなかったろうに……」
同僚がそう話しているのを聞いて、落胆した。
同じ警察官でありながら、彼らは不正の事実を知りつつ黙殺していた。
悲しみより怒りに触れ、涙も出なかった。
与えられた職務すら全うできぬ場所に、用はない。
そのままシュミットは警察を辞めた。
誰も居なくなった家の中でシュミットが手にしたのは、祖父の猟銃だった。
木製の銃床は、長年の使用で手に馴染んでいく。
シュミットが幼い頃、祖父はこの銃で仕留めた鹿を見せてくれた。
撃たれた衝撃のまま時間の止まった生き物の目が、シュミットを見つめていたのを生々しく覚えている。
しかし。
人を撃つためのものじゃない――という理性は、引き金に手をかける自分を止めるものではなかった。
銃を肩掛けの布鞄の中に隠し、家を出る。
一度だけ振り返り、家の中を眺めた。
あの日の朝。
歩き始めたばかりの甥っ子がおぼつかない足で自分を追いかけて来た。
気分がすぐれないからと、母の作った朝食を食べずに出て来てしまった。
これまでの行動が、すべて間違っていたような気がして、眩暈がする。
間違いを押し留めようとする頭を殴りつけ、今度は振り返らずに家を後にした。
議員の邸宅は町の一等地に立つ。
高い塀と、過剰なほどの機械警備。
猟銃の重みを背中で感じながら、塀の向こうの明かりの点いた部屋を睨みつけた。
日暮れからしばらく経った周囲は影を落とし、全てを平等に暗く染めている。
邸宅の周囲を回り込んだ時、女とすれ違った。
反射的に、帽子を目深に被り直す。
女の視線がこちらに向いている。
「女がこんな時間にうろつくな!」
吐き捨てるように言って、足早にその場を離れる。視線がまだ張り付いているような気がして、議員の家から一旦離れる。
この時間はまだ人通りもある。
実行するなら、家人が寝静まった深夜――。
遠巻きに邸宅を見張っていたシュミットが、異変に気づく。
玄関前に人集りができ始めている。
灯りをつけることもなく、人影が静かに増えていく。
「……?」
次の瞬間。
「わぁあああ!!」
言葉にならない叫び声とともに、寝巻き姿の議員が玄関から転げ出た。
同時に、白いフラッシュが何度もたかれた。
「!?」
――カメラだ。
報道陣が男を取り囲む。
「やめろ!撮るな!」
議員は叫び、縋り、転び、そのすべてが記録されていく。
麻薬。
ギャング。
裏金。
報道陣からの断片的な言葉が、夜気に散っていた。
呆然と立ち尽くすシュミットの背後で、声がした。
「あの議員さん、裏で麻薬取引に手を出してたの」
振り向くと、さっきの女がいた。
コートのポケットに手を突っ込み、感情の抜け落ちた目で光景を眺めている。
「でも、大元から尻尾切りされたみたい」
何でもない話をするような口調だった。
「……で」
女の視線が、シュミットの肩に落ちる。
「その時代遅れの銃で、何するつもりだったの?」
心臓が跳ねた。
慌てて鞄を押さえ、女を睨みつける。
「何者だ」
「何者でも無い」
即答。
女は長い金髪を三つ編みにして束ね、背中に流している。髪が風に揺れる。
シュミットの無言の疑問に答えるように、女が口を動かす。
「知り合いに頼まれてね。
あれ以上放っておいたら、いらぬ仕事が増えるところだった」
控えめに笑うと、肩をすくめた。
「あの人、他にも余罪が沢山あるみたいだし、もう脅威はないんじゃないかな」
それだけ言うと、踵を返した。
もう見たいものは見終えた、と言わんばかりに歩き出す。
背中の猟銃が、思い出したように重みを増した。
引き金を引くよりも先に、別のやり方で人が終わらされていくのを見せつけられた。
「……それは、正義のやり方では無い」
シュミットの呟きに、ピタと足を止め、振り返る。
「……正義?」
「法に則り、正しく裁かれるべきで……」
「じゃあ、君のソレは何?」
ポケットから手を出し、シュミットの背に背負われたものを示す。
「法が正義なら、法を扱う人間が公平じゃなきゃいけない。なのに、この町はあまりに歪んでいる。司法も、政治も、……警察も」
そして、笑みを含んで、さらにシュミットに投げかけた。
「……君は若いね」
頭にカッと血が上るのがわかった。
しかし、その口から出てくる言葉は無かった。