眼の日記/ヨレンタ探偵事務所事件録   作:すう

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第五話:ステラ

第五話 ステラ

 石畳でできた古い道を、二つの影が連なって進んでいる。

 バデーニの後ろを、猫の入ったクレートを抱えたオクジーがついて歩く。

 猫は一度も暴れず、すっとクレートに身を沈めた。まるで飼い主の元へ向かう事が分かっているかのようだ。

 飼い主との待ち合わせ場所は、探偵事務所から徒歩で数分、といったところらしい。その数分数秒でさえ惜しいかのように、バデーニは早足で道を進む。

 襟のないシャツもパンツも、余計な装飾はないのに妙に様になっている。きっと高い服なのだろうと、古着慣れした自分でも分かった。

 右目には、今日も清潔なアイパッチが貼られている。見えていない側を補うように首を僅かに左に傾けて歩く。片目では奥行きが掴みにくいのだろう、時折道の凸凹に足を取られている。

「あの。」

「何だ。」

 始終無言で進むバデーニの後ろ姿に声をかける。

「バデーニさんって、どうしてあの探偵事務所で働いているんですか?」

「……私の人生を特別なものにするためだ。」

 無視されると思っていただけに、彼からの返答は意外だった。思わず立ち止まる。

「なにをそんな意外そうな顔をしている。」

「……いや、答えてもらえると思っていなかったので。」

 バデーニはくるりと振り返り、「君は私を何だと思っているんだ。」と言って腕を組んだ。

「まあいい、探偵事務所で働くに至った経緯だったな。

 私は幼少期から優秀でね。三つの時に聖書をそらんじ、神童と呼ばれた。六つの時に、貴族の家に養子に出された。

 そこで質の高い教育を受けた私は、さらなる知識を求めて、中央の大学に飛び級で進学した。」

「……へー、スゲー。」

 ちょくちょく挟んでくる自信に溢れた単語に呆れつつも、始まった演説に耳を傾けるより他にオクジーに選択肢はない。

 クレートの中で、猫が呑気なあくびをした。

「大学で私は他の追随を許さなかった。まあ凡俗どもが私と並び立つはずもなかったが。

 圧倒的な研究成果を出し続け、修士課程修了後は考古学の道に進み…聞いているのかオクジー君。」

 クレートの中の猫を覗いていると、咎められた。居住まいを正してバデーニの高説を傾聴する。

「国立の科学アカデミーで働きながら世界の真理を解き明かさんと研究を進める毎日。しかし、こう言った研究機関というのはどこも資金難や官僚的体質に苦しめられている。

 雑務や政治的な駆け引きに嫌気が差していた私は、知識を得ることに渇望するあまり。」

 バデーニの講演は山場を迎えたようで、語りに一層熱がこもる。

「国家データベースに侵入して、夜な夜な研究資料を読み漁った。」

「それ、犯罪では?」

「知識への渇望は時に法律を超える。結果、私はあらゆる研究会、学術会から除籍され、さらに養家からも勘当された。凡俗には理解できまい。」

バデーニは肩をすくめ、何事でもないように語る。

「一度は知への道が完全に閉ざされてしまったかに思われた。その折に出会ったのが、ヨレンタさんだった。

 彼女の口利きで、既に引退したものの今なお学術会に影響力の強い人物を紹介してもらった。その人物に私の論文が認められれば、研究職への復帰もまた叶うかもしれない。

 再挑戦の可能性を作ってくれた彼女には、とても感謝している。」

「それは…所長に頭が上がりませんね。」

「研究論文を書く傍ら、探偵事務所を手伝うよう言われ、今に至る。何か質問は。」

 なんでそんなに偉そうなんですか…とは聞かないでおく。

 学術会にまで顔がきく人脈の広さとは。一体、所長は何者なんだろう。

「その人物というのが、ピャスト教授というのだが、病気がちで近頃伏せっているそうだ。引退してもなお自らの研究を続けているらしいが……そう長くないだろう。

 だから、私には時間がないのだ。こんなところで毛玉の世話をしている暇などあったら、情報解析の一つでもして論文を完成させねば。私が歴史に名を残すか否かが、この研究にかかっているのだ。」

 顔にひっかき傷をつけられてから、猫は毛玉に降格したらしい。顔の傷は消毒液のおかげか腫れは引いているが、しばらく残るだろう。一生残る傷ではなさそうなのは幸いだ。だから、素直に言った。

「顔の傷が大したことなくて良かったですね。しばらくは、しみるかもしれないですけど。」

「君、私の話を聞いていたのか?」

 そんなやりとりをしているうちに、目的の場所に着いたようだった。

 指定された場所は、町のシンボルである教会の裏手。箱庭のような広場だった。中央に聖人をかたどったブロンズ像が鎮座する。周囲を建物に囲まれており、人通りは少ないが小さな土産店が出店していた。

 

「ステラ――――――――〜!!」

 

 閑静な空気を引き裂く、大きな声。露店を覗いていた観光客が何事かと振り返る。

 続けて、すごい勢いで少年が走り寄ってきた。オクジーの抱えていたクレートに齧り付くように話しかけている。

「探したんだぞ、ステラ――!!」

 あまりの勢いに大の男二人が圧倒されてしまった。バデーニが場を仕切り直そうと咳払いをする。

「依頼人のコハンスキさんですね?」

「かわいそうに、心細かったろぉー!!」

「話を聞きたまえ。」

 猫はクレートの中でぐるぐる回って聞いたことがない変な声で鳴いた。困惑している。

「あ、すみません!探偵の人ですよね。ステラを探し出してくれて、ありがとうございます!ほんと神!もう毎日心配で心配で!」

 元気な男の子だ。猫の名前はステラというのか。

「では、依頼のあった猫で間違い無いですね。では、我々はこれで。」

 バデーニが随分とあっさり帰ろうとする。

「え!お代は?」

 コハンスキという少年が、用意していた謝礼を渡そうとくしゃくしゃになった紙幣を握りしめている。

「所長から、依頼人が笑顔で猫を迎えてくれたらお代はいらないと言付かっている。

 君のその態度でこの条件は満たしていると判断した。以上だ。では、次は逃すなよ。」

 一刻も早くこの場を立ち去ろうとするバデーニに、コハンスキも困惑顔でオクジーを見上げる。

「……バデーニさんもああ言ってることだし、いいんじゃ無いかな。そのお代で、ステラにおやつでも買ってあげたたらいいと思うよ。」

「ええ…でも。」

「この子、ステラっていうんだ。いい名前だね。」

「こいつの名前、俺の友達がつけてくれたんです。背中の模様が星みたいだから、ラテン語で星を意味するステラにしようって。」

「ほう、ラテン語に精通とは、なかなか物知りなお友達じゃないか。将来有望だな。」

 バデーニが一瞬、歩みを止めた。口を挟む。

「俺たちの中じゃ一番賢くて、絶対いつか有名になるって、みんな思ってました。

 でもある日、急にどこかに行っちゃって。連絡も、何も。ポトツキ先生……そいつの父さんも、何も教えてくれなくて。」

 最初引っ越したのかと思ったが、父親と離れて暮らしているとなると、何か複雑な事情があるのかもしれない。

 雲の切れ間から太陽が顔を覗かせ、また隠れた。広場のブロンズ像が冷たい光を反射した。

「……優秀な人物なら、どこかで名前を聞くこともあるかもしれない。その子の名は?」

「ラファウって言います。あの、もし何か分かったら、教えてくれませんか?元気にしてるかだけでも知りたい。」

「まあ、頭の片隅に置いといてやろう。では、我々は忙しい。これで。」

 バデーニはもう歩き出してしまった。慌てて後を追いかける。随分離れるまで、コハンスキはステラを抱えたまま手を振ってくれた。

「お二人とも、ありがとうございます!このご恩は一生忘れません!」

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