人魚姫を失ったギャングは、組織としての統制を失い、静かに瓦解していった。
大元である警察の上層部は事の発覚を恐れて沈黙を貫く。
これまで手足のように操ってきたというのに、最初から関係なかったかのように連絡を断ち、断絶する。切り捨てられたギャングの末路は、路頭に迷うことだった。
ギャングたちは繁華街に流れ込み、至る所でたむろし始める。
新しい仕事にありつく者もいたが、小さな町の繁華街に多くの求人があるはずもなく、殆どの者はやることを無くして昼間から酒に浸り、諍いを起こした。
そんな頃、彼らの中に噂話が立ち上がり始めた。
グラジナの店に出入りしている女のところへ行けば、この最悪な状況を何とかしてくれるらしい、というのだ。
末端だった連中が、今はその女の元で働いているのを見た――そんな話を、誰かが持ち出した。
ひとり、またひとりと、人がグラジナの店に集まりだした。
「……なんかこの店、変わった?」
暫くぶりに店に顔を出したヨレンタとシュミットが、視線を巡らす。
建具や物の置き場所が変わったとかではない。なんとなく、店が明るいのだ。
「……」
店内ではいつもの定位置、カウンターに女主人。そばかすの女給の他、レヴァンドロフスキの姿があった。
手には薄汚れた布を持っている。
「よう」
レヴァンドロフスキが汗の浮いた額を拭う。
以前は埃の積もっていた酒瓶やグラスはぴかぴかにされ、ヤニの染みついた壁は磨かれている。部屋の隅には埃ひとつない。
「……意外な特技があったんだな。お前」
シュミットは感心しながらレヴァンドロフスキに話しかけた。
「ほれ、アンタに用があるっていう連中の連絡先だよ」
「ありがとう」
グラジナの手から束になったメモを受け取り、ヨレンタが一枚一枚確認していく。
ここまでで、かなりの人数が集まってきている。
「ヨレンタという女がいるのは、ここか」
カラン、とベルを鳴らして男が入って来る。
「ああ、そこに――」
レヴァンドロフスキがヨレンタを示しかけた手をピタと止める。
見覚えのある顔に硬直する。
「お前、ヤ」
言いかけた言葉より速く、男が包帯の巻かれた右手をまっすぐにヨレンタに向ける。
「お前のせいでお前のせいでお前のせいで!!」
血走った目と不自然に引き攣った口角で、涎を撒き散らす。
巻かれた包帯の隙間から、鈍い金属の色が覗いた。
ヤンの視線は、真っ直ぐにヨレンタを射抜いている。
——間に合わない。
ズン。
銃声が遅れて、耳に届いた。
倒れたのは、ヤンだった。
額にめり込んだ銃弾が、全てを終わらせたことを悟らせた。
シュミットの猟銃から、白煙が立ち上っている。
殺すと決めて、引き金を引いた。
後悔はなかった。
「……」
ヨレンタは、倒れた男を見ていた。それから、猟銃を下ろしたシュミットを見る。
何も言わない。
視線を逸らさなかった。
数日後。
グラジナの店に、かつてのギャングたちが集っていた。
照明の下に、ヨレンタは立つ。
数歩引いたところで、シュミットは彼女を見守っていた。
ヨレンタは、自分の言葉が彼らをどこへ連れていくのかを思い、わずかに唇を噛んだ。
けれど、もう、進まないといけない。
一度、小さく息を吸う。
「……私は、貴方たちのことを同志だと思ってる」
権力に翻弄され、奪われた経験をした者たちがここに集っている。全ての目が、ヨレンタを見ていた。
「声を失った者のための、組織を作ろう。奪われた自由と人生を取り戻すための」
ヨレンタの声は店内によく響き、聞く者の心を魅了した。
「おぅ!」
レヴァンドロフスキのひと声をきっかけに、かつてギャングだった人々が頷きあう。
ヨレンタが表情を緩ませ、張り詰めていた息を吐く姿を、シュミットだけが見ていた。
彼女の隣に立ち続けたいと思った。
同志であることを選んだ以上、自分には許されないと分かっていても。
カウンターではグラジナと女給がその姿を眺めていた。
「……アンタ、変わったわね」
ずっとひとりでいた女の周りには、今やこんなにも人が増えた。
この日、ヨレンタを長とするレジスタンスが立ち上がったのだ。
…………………………
十三年後。
記憶の沼に浸っていたシュミットは、ヨレンタの声に意識を浮かび上がらせた。
「ねぇ、また、あれやってくれない?」
ヨレンタが両手を広げてシュミットを促している。
「――は?……あれ、とは」
シュミットの胸が、熱くなる。
はるか昔に抱きしめた時の体温が思い出された。
「あれ。ほら、昔のように呼び捨てで呼んで欲しいな。喋り口調も前みたいに」
レジスタンスを立ち上げた後。
シュミットは組織長としての格を落とすわけにはいかないと、ヨレンタへの喋り口調を改めた。今やすっかり定着した話し方だったが、当時はなかなか慣れず、こそばゆく感じたものだ。
「戯れはやめていただきたい」
辞退する。
残念がるヨレンタに、シュミットは彼女をまっすぐに見つめる。
少しだけ、熱を込めて。
「……あの時。
レジスタンスという籠があれば、貴方がどこにも行かず、俺はそばにいられると思った」
いつになく真剣なシュミットの視線に、ヨレンタは微笑みで返す。
「私はいつもそばにいるでしょう。だって、私たちは……」
「同志、ですからな」
シュミットは目を閉じて、静かに頷いた。
探偵事務所の中で過ごす彼女の姿を見て、シュミットは、それが続けばいいと思った。
おしまい
これで眼の日記/ヨレンタ探偵事務所事件録シリーズはおしまいです。
初めて書いた長編の小説でした。
チ。と言う素晴らしい作品に会えた事をきっかけに、人生初めての二次創作をはじめました。
読みづらいところや間違っているところもあるかもしれませんが、これが自分の今持てる力です。
今後は短編や中編を書いていく予定ですので、よろしければ今後ともお付き合いよろしくお願いします。
では!