【完結】Pandora   作:扇架

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炎のゴブレット
十一話


 

 鉄錆の香と、雷鳴のような泣き声に包まれて、彼女は指一本動かせなかった。

 ようやく終わったという充実感を覚えるどころか、全身が泥になったかのようだった。なにかをした、できた、という感覚は薄かった。

 思えば出来損ないと呼ばれ、ひたすらに家のことばかりさせられてきた彼女にとって、初めての大仕事だった……のかもしれない。

 生まれ損なった彼女。ろくに魔法も使えない醜女は、自分が思ったよりもたくさんのことができるのだと自覚した。十代後半、成人してからようやっと、隠された力が芽吹き、花開いた。

 たとえば妙薬のつくりかた。家にはたくさん本があったから。

 彼女は魔女であった。ぴかぴかの杖はもらえず、継ぎをあてた衣を与えられ、這い蹲るように生きていても。

 彼女は、まぎれもなく魔女であり――愛の妙薬をつくることができた。

 ホグワーツに行けなくても、彼女にはできたのだ。薄汚い荒屋から飛び出して、黒髪の美しい人と手を取り合って、逃げることができたのだ。

 毎日毎日薬をあげて、そうしたらあの人はにっこりと笑ってくれた。

 幸せだった。双子を授かったときもあの人は喜んでくれたのに。

――あっけなく

 すべてが終わった。

 ぼう、と眼を見開いたまま、彼女はくすんだ天井を見上げる。大きいお腹を抱えて、野良犬のようにさまよって、ここに転がり込んだ。

 メローピーはものを知らなかった。ダイアゴン横丁はわかる。ノクターン横丁もわかる。だけれども、細い細い身体に、二つの命を宿してしまった時、どこを頼ればいいか知らなかった。癒者や役人を家族は嫌っていた……。

 魔法省に頼ればよかったのか。でも、メローピーはどうやってそこに行けばいいか知らない。出来損ないどもの巣だと父は言っていた……。メローピーにとってそこは怖い場所だった。

 メローピーの家は、ゴーントは嫌われている。それくらいはわかっていた。邪悪で、時代遅れで、みっともない家。

 父はよく吼えていた。ゴーントなのだぞ俺たちはと。あのゴーント、サラザール・スリザリンの直系なのだと。

 どいつもこいつも、ああ、忌々しい。ノクチュア伯母も……。

 捨てていく。ここを捨てていく。置き去りにしていく。

――そう

 わたしも、捨てられた。

 幻の中の父に語りかける。わたしも捨てられた。魔女め、と。いらない、と。

 だって。だって……子どもができたら、愛してくれると思ったのだもの。

 なんでなのだろう。薬をあげるのをやめたら、とたんに魔法が解けてしまった。

 瞬く。涙がぽろりとこぼれる。赤ん坊の泣き声が何重にも木霊する。

「どうか、父親に」

 夫に似ますように……。

 ぽつ、と呟く。自分に似ませんように。みっともない出来損ないのメローピーには似ませんように。蛇の言葉を話しませんように。

 名前は、と訊かれる。ああ、とメローピーは笑った。名前……名前はどうしよう。男の子が二人……。

「トム・マールヴォロ・リドル」

 囁く。それだけで、息が切れる。命が指先から流れていく。ちゃんとしたご飯を食べていない。たぶん、双子を堕ろしたらよかったのだろうけど、メローピーはやり方を知らなかった。

 濃い血を残せと言われ、どうやったら子どもができるのかは知っていたが、それだけだった。

「トム……リドルが、夫の名……マールヴォロが父の、名」

 吐息がこぼれる。どうしてマールヴォロと付けたのか。メローピーにもよくわからなかった。家を棄てて出て行った罪悪感からか。それとも穢れた血との混血にその名を付ければ、もし仮に父や兄に見つかっても見逃してもらえると思ったからか。

 たとえ半分が穢れた血でも、もう半分はゴーントなのだと。

 朦朧しつつも、メローピーは笑う。父も兄もアズカバンだ。きっと朽ちてしまうだろう。なにを心配しているのか。

 わたしだって、もうすぐ死ぬのに。

「もう一人の、名前は」

 呟いて、ふと思い出す。

 夫はよく誉めてくれた。君の眼はまるで石榴のような紅だと。美しい色だと……。

 最後の最後は、悪魔め、邪悪な赤い眼の女め、と叫んでいた……。

 綺麗と言ってくれたその唇で、メローピーを罵った。

 胸の底に、しんとした悲しみが広がる。愛してくれていたのに。

「ロディア」

 思い出を抱いたまま、口にする。古い古い言葉。石榴を意味するそれを。眼を瞑り、過った名を紡いだ。

「……オミニス」

 父が呼んでいた。なぜ出て行ったオミニス……と。父の弟。どこかへ行ってしまった人。ゴーントを捨てた人……。

 わたしも、早く出て行けばよかったんだ。

 きらきらした美しいものを手に入れれば、自由になれる気がした。できなかった。

 子どもができればずっとずっと幸せでいられると思った。

 そうじゃなかった。

 メローピーは、なんにも知らなかった。

 きっといつだって出ていけたのに、なにも知らなくて。やりかたもわからなかった。

「トム・マールヴォロ・リドルとロディア・オミニス・リドル」

 わたしの坊やたち。

 あげられるのは、命と名前だけ。

 たった、それだけ。

 

 そうして、マグルの男に焦がれ、魔法によって絡め取った女は。

 メローピー・ゴーントはひっそりと死んだ。

 己が何をしてしまったかを知りもせず。

 後の大悪たる兄と、大悪に殺される弟を産み落としてしまったのだとも知らず。

 

 

 どこか遠くで、ふくろうの鳴き声がする。

 聡いことだ、と彼は眼を瞑る。一帯には虫の音や鳥の気配が戻ってきていた。言葉を持たぬ者どもは、本能で察知したのだろう。

 忌まわしい祝祭が終わったと。

 ぎしぎしと床板を鳴らし、杖を一振りして、隠し戸を露わにする。

 以前、汚らしい荒屋を訪れた際、見つけてあったのだ。とある館を掃除して、ついでに寄った。

「……幸運だったな?」

 館の近くに穢れた血を嫌う者がいて?

 囁き、彼は小さく呟いた。

開け

 零れ落ちるのは蛇の言葉。ぽっかりと空いたそこには石段があった。一歩踏み出せば、ふわりと埃が舞う。

 なんと哀れなことだろう。サラザール・スリザリンの末裔の住まいがこんな有様とは。

 背後に語りかけながら、彼は闇へと下っていく。一歩、二歩と進みながら過去を振り返る。

 収集と清算の過程は、なんと面倒だったことか。できることならばさっさと清算だけは済ませたかったのだが……彼への監視は厳しくなっていた。『秘密の部屋』事件以降、ダンブルドア、あの老いぼれの眼がそこかしこで光っていた。ひとつ胞の弟までも彼を責めるように見て……彼のことを見張っていた。もう二度と『秘密の部屋』を開かせまいと。

 館を訪ね、清算もとい掃除ができたのはホグワーツを卒業してから。ホグワーツを出てしまえば、老いぼれの眼は届かない。それに、弟はドラゴン使い一族の養子となって久しく、彼を恐れてか諸島に引き籠もっていた。

 ふふ、と笑いが落ちる。実に可愛らしいことだ。同じ顔をした、同じ血を分けたひとつ胞の弟。諸島に籠もりさえすれば、彼が手を出さないと思っていたのか。逃れられると信じていたのか。そんなわけがないと分かっていただろうに? 自分は善人だという面をして、彼を責めて、逃げようとした弟。彼を討とうともせず、告発もせず、なにもしなかった弟。

 なにもさせるわけがないのだが。弟はそれをよく知っていた。賢くて馬鹿な弟であった。

 馬鹿な弟が震えているうちに、彼は悠々と仕事をした。館を掃除し、ちょうどよいので荒屋に住む伯父に罪を着せた。穢れた血一家殺しで投獄されたのだから、サラザール・スリザリンの末裔らしいではないか。どうせ頭がおかしかったのだ。朽ちるのがふさわしい……。

 そうして指輪を手に入れた。ゴーントが受け継いできたという、家宝だと伯父は言っていた。

 指輪、ロケットにカップ、髪飾り……。

 小さく歌う。彼の収集品。もはや創設者の末裔は彼一人。ならばよかろう。カップも髪飾りも俺様のものだ……。

 ほら、と見せてやったとき弟は眉をひそめていたけれど。彼がこつこつ集めたものに、なんの感銘も受けていないらしかった。盗んだんじゃないだろうな、と緑の眼は言っていた。

「お前がいたところで」

 止められはしなかったろう。つまらない諸島に籠もり、大きな蜥蜴どもとたわむれていたのだから。

 清算を終え、収集も終え、彼は弟を迎えに行ったのだ。たしか二十歳かそこら。親愛なる友人たちとともに赴き、連れて帰った。

――そして

 およそ十年が経った。

「長かったのか」

 短かったのか。

 足が地の底を踏む。奥に進み、手を振った。魔法灯がつき、火影がゆらゆらと躍った。

 重い音とともに柩が鎮座する。闇色のそれには白銀の蛇を装飾した。眼は紅。スリザリン寮の象徴、サラザール・スリザリンの徴であった。

 指を鳴らせば蓋がずれる。ごとり、と石床に落ちた。

「口うるさかったお前が」

 だんまりとは。

「なかなか……」

 奇妙な気持ちだよ。

 呼びかけても、返ってくるのは沈黙だけ。柩の主は眠り続けている。

 覗き込み、手を伸ばす。頬にそっと触れた。ひやりとした感触。

 綺麗にし、髪をくしけずり、血にまみれ、襤褸と成り果てた衣は捨てた。彼が穢しきったその身を清め、新しい衣を着せてやった。

 裂かれた喉も、四肢に穿たれた穴も、あちこちにある痕も、失せている。

 見開かれた瞼を閉じてやり、きちんと手を組んでやれば、ただ眠っているだけのように見えた。

「ロディ」

 囁く。じっくりとひとつ胞の弟を見る。彼よりもドラゴンといることを選んだ男。抜け駆けし、マクファスティー家の養子となった男。

 彼と同じ景色を見ることを拒んだ男。同じように生まれ育ったというのに、髪と眼の色以外は鏡に映したかのようにそっくりだというのに。

 彼に理解を示すどころか、嫌悪を露わにした。優れた男であったが、非情になりきれなかった。己のためにではなく、他者のために屈した。

――殺してやるという脅しでは

 意味がなかった。お前のせいで人が死ぬ、一族が滅びるという脅しでなければならなかった。

 仮に殺してやると言ったところで、どうぞ、と弟は言っただろう。やればいい。そうしたいのなら。

 そうすれば満足するのだろう? と。

 手元に置いてからも変わらなかった。友人たち――死喰い人を気まぐれに痛めつければ割って入った。恐怖で従わせたところで、後々災禍となるだろう、と懇々と諭してきた。生意気な弟よと磔刑の呪文をかけたところで、緑の眼は揺らがなかった。苦痛に歪もうが、彼の行いに否を唱えることを止めなかった。

 やるのならグリンデルバルド路線。なるべく流血が少ない方法で、等々まあ、本当にうるさかったが。

 びくびく震える愚か者どもより、よほど気骨があった。それでこそひとつ胞の弟であり、同じ血を分けた者であった。

 少々気に障ることがあれど、煩わしいと思えど。

 彼の眼を真っ直ぐに見やり、意見を叩きつける者は、弟だけだった。

 欠かしてはならない存在であった。

 だから。

「……これで」

 俺様は完璧になれる。

 なあロディ?

「我が『分霊箱』よ」

 最初に捧げ、器とするのはお前だと決めていたのだ。

「僕に並び立てるとしたら」

 それはお前しかいないのだから。

 彼は柔らかく言い、ほんの少し目元を和ませた。

「おやすみ」

 ロディ。また会おう。

 音もなく、滑らかに。

 柩が閉じられた。

 

 

 

 生気に満ちた夏の空の下、褪せた色の草が乾いた音を立てる。樹は枯れ、生け垣は崩壊し、家屋も似たようなものだった。屋根が潰れ、大きな獣がうずくまっているような有様であった。

「……先生はここでお待ちください」

 荒廃そのものの景色から眼を引き剥がす。振り返りもせず「先生」に呼びかけた。そうして「行こう」と隣に呼びかける。黒髪に灰色の眼の名付け親――今や共犯者――は肩を叩く。

「俺が行ってもいいんだぞ?」

「これは私の仕事だよ」

 片手に『天高く』を顕現させれば、前世からの相棒は陽光を鋭く弾いた。

 荒屋に踏み込み――と言いたいところだが、家屋の周囲には守りが敷かれていた。紙を裂くように突破。地下へ通じる戸を蛇語で開ける。やれ、我が親愛なるろくでなしの兄は、詰めが甘いところがある。荒屋に踏み入れないように守りを固め、地下への入口は『秘密の部屋』よろしく蛇語でしか開かないようにすればよし、とお考えだったらしい。

 サラザール・スリザリンの末裔は己一人。つまり蛇語を話せるのは自分だけ。誰も突破できないと踏んでいたのだ。

 おおまかには間違いではない。確かに、英国におけるサラザール・スリザリンの末裔は兄だけであった。兄はそれをよく知っていた。

 なぜならば、もう一人のスリザリンの末裔を――ひとつ胞の弟を片づけたのだから。ひょんなことから隠し血筋が現れる可能性などそうはないと思っていたのだろう。ゴーントは濃すぎる交わりのせいで異常者を輩出し、徐々に没落していった。もはやゴーントの姓を持つ者は英国にいない。ヴォルデモートと名乗る男とその弟こそ最後の、確かな末裔である……。

――さすがの兄も

 まさか死んだはずの弟が、自らが殺した弟が、なんの奇跡か運命の悪戯か蘇ったなどと思うまい。前世だのなんだの、蘇り――転生だのまで計算に入れていたらそれこそ化け物だ。

 たまに「前世はマーリンだった」とか「ゴドリック・グリフィンドールの生まれ変わり」とか言う輩は出るけれど、相手にされないか、狂ったと見なされて聖マンゴに放り込まれる。

 魔法界においても転生はおとぎ話の類で、ただの寝言だ。ちらほらとそういった伝承はあるが……ほぼ与太話であろう。本物の転生者がみだりに身元を明かすとは思えない。フェンネル・エムリス・ポッター、前世の名をロディア・オミニス・マクファスティーのように。

 フェンネルは静かに階段を下りていく。シリウスが魔法灯を浮かべてくれたので、ざらついた石段がよく見えた。にもかかわらず闇は深く、底は知れない。

「あなたも酔狂だよ」

 のし掛かるような闇を祓うように、出し抜けに言った。

「俺は昔から爪弾き者なんでな」

 シリウスが鼻を鳴らす。恥入るどころか誇るよう、どこか子どもっぽい響きを帯びていた。闇深いこの場所には似合わない明るさだ。彼があえてそう振る舞っているのだと、フェンネルは知っている。直情型、激情型と見せかけて、頭は回るし、それなりに繊細な気遣いができるのである。

「……普通」

 信じないだろう。

 そっと石段を下りながら、返す。声に苦いものが滲んだ。本当なら、生まれ変わりなんて与太話、頭のおかしい戯言など信じられるわけがなかったのだ。ロディア・オミニス・マクファスティーとシリウス・ブラックに面識はないのだから。ロディアがなんらかの思い出を語って説得することもできない。

 ただ、うっかりしたことにフェンネルはシリウスをただの賢い親愛なる犬と思いこんでいた。つまり……かなり色々と隙だらけで、十三歳らしい振る舞いをしていなかった。無言呪文も好き放題に使い、言動も子どものものではなかった。

――動物もどきだと

 思わないではないか。あまりにも痩せていたので世話を焼いたら情が移ってしまい――フェンネルは動物に弱かった――できればホグワーツで飼えないか、プリベット通りに連れて帰れたらなあと思っていたのだ……。

「俺にすがりついてああだこうだ泣いてたし」

「……犬相手にな」

 穴があったら入りたい。だって犬だと思っていたのだ。疲れていたのだ。大きな犬がいたらすがりつく。

「お前、赤ん坊の時から妙だったし」

 異能持ちかもなあ、と特にジェーが心配していた、とシリウスは続ける。フェンネルは沈黙を守った。からかいを甘んじて受け入れた。

 シリウスにはほぼすべて露見している。フェンネルが闇を嫌うことも知られている……。彼は強いてフェンネルの意識を逸らそうとしているのだ。

「だからまあ、生まれ変わりと言われたら」

 そうか、と。

 ほら、ブラック家なんてマグルを使って色々実験をしていたくちだし? 魂を呼び戻して空の器の中に入れるとか。生まれ変わりの古いおとぎ話もあるっちゃあるし。

「ありえるかな、と」

「だが――」

 私はヴォルデモートの弟だぞ、と返す。背後から声が降ってきた。

「今は俺の名付け子の一人だ」

 そう言える者がどれだけいるか。ヴォルデモートの被害者は数多いる。そのひとつ胞の弟など憎悪の対象だろう。大悪の血族は憎まれるものだ。その証が『グリンデルバルドの夜』だった。

「お前は俺を見込んだからこそ」

 ダンブルドアのもとへ連れて行ったんだろう?

「私が「奇妙」だという証人が必要だったから」

 ワームテールを無事に闇祓い局へ引き渡した数日後、フェンネルはシリウスを伴い、校長室を訪ねた。元々裁判もなしに投獄されていたシリウス・ブラックは、これまた裁判なしで無罪となった。セブルス・スネイプの証言が役に立った。ピーター・ペティグリューとかいう鼠は、闇の帝王に脅されていた、従うしかなかった、仕方がなかった、怖かった等々を口にした、と。

 実のところ「自分は秘密の守り人だった」とワームテールは口にしなかった。そういった主旨のことを口走ったのはおよそ十二年前、確実に逃亡できると踏んで、勝ち誇ってシリウスに宣言した一度のみ。

 だが、シリウスが証言や状況証拠で「裏切り者」だとされ、裁判なしで監獄に直行したのだ。ワームテールがお優しい裁きの手に委ねられなくとも、誰も文句を言うまい。フェンネルはそのやりとりを寝台の上で聞いていたのだが、スネイプの怒りは相当なものだった。シリウスと張るくらい、ワームテールを始末したいようだった。なにがなんでもやつは葬る、という強い意志が滲んでいた。

 どの道、叫びの屋敷の一件を証言できる者はスネイプくらいのものだった。シリウスは別室に隔離されていたのだから。そして、人狼の証言も未成年の証言も信頼性に欠けるのだから。

 一報を受けて駆けつけてきた闇祓いに――なんと局長御自らのお出ましだった――スネイプは淡々と告げた。吹き飛ばされた道。一本だけ残された指。鼠となって十余年にわたる潜伏……。無実の者がこのように偽装し、姿を隠すものか。派手に、わざわざ、昼日中に、衆目のあるなかで、混乱を生み出した。十と一人を始末してまで逃げ出した。

『仮に、万が一無実だとして』

『純血過激派の闇の帝王に対抗していた者の振る舞いとして』

 あまりにお粗末。

 血を流し、肉片をまき散らし、地獄絵図を生み出すなどと?

 ああ、まさに闇の陣営らしい振る舞いと言えましょうなあ。

『マグルをなんとも思っていない、と』

 生き延びるためなら踏みつけにする。殺しても構わない、と。

 なぜならば――。

『劣った、穢れた者どもだから』

 そう思ったのでしょう。

 スネイプの舌鋒は鋭かった。その場にいないワームテールの逃げ道を次々と潰していった。不信を煽り立て「真実薬ならば持っておりますぞ」と笑い、証言を終えルーファス・スクリムジョールと連れ立ってワームテールが軟禁されている室へ赴いた。幹部らしい男は医務室に留まった。フェンネルが起きていると察し「シリウス・ブラックは解放されるだろう」と囁いてきた。

 後に聞いたことであるが、ワームテールはダンブルドア立ち会いのもと真実薬を投与された。そうして、ルーファス・スクリムジョール手ずから闇の印を暴いた。

 真実を暴かれようが、ワームテールは仕方がなかった、私は悪くない、と訴えていたようだが。命乞いをするばかりで、ジェームズ・ポッターにもリリー・ポッターにも謝罪しなかった。もちろんポッター家の双子に対しても、シリウスに対しても。

 謝ったところで、罪が減じられるわけではないが。口だけならなんとでも言えるのだ。

 今頃楽しい監獄生活を送っている鼠はどうでもいいのだ。五月に捕縛され、現在六月――試験が終わって、学期最後のホグズミード行きの日だから……狂っているか息絶えていてもなんらおかしくない。もはや死んだも同然で、考えるだけ無駄である。

 時計の針を捕縛と引き渡しから進め、あるいは現在から戻そう。

 フェンネルは無実となり、ホグワーツに逗留していたシリウスとともに、ダンブルドアを訪ねた。

 そして、ぶちまけたのだ。自分はロディアだった者だ。あなたの生徒で、ヴォルデモートの弟だった者だと。

 シリウスを伴ったのは保険であった。ポッター家の双子の兄が虚言癖だと思われるわけにはいかなかった。年相応ではない、妙だという補強が必要だった。いかなダンブルドアでも生まれ変わりを信じるかどうか怪しいと思ったのだが……。

 『憂いの篩』と銀の魔法具――本質を煙にして現すらしい――を念のため使い、ダンブルドアは頷いた。ちなみに煙の形は竜であった。蛇ではなくて。

 ダンブルドアがわざわざ道具を使ったのは、どのように殺されたのか、どんな目に遭ったかを口にしようとして、フェンネルが吐いたせいもある。とにかく、ダンブルドアは信じてくれた。

――まあ

 ミネルバに絶句していたし、シリウスは天を仰いでいたが。そう、校長室にはダンブルドアだけでなく、ミネルバもいたのだ。よって、恩師とかつての友人と現在の名付け親に見られるはめになった。切れ切れとはいえ、強烈な……あまりに強烈な衝撃を受けると、人間の記憶は多少欠けるらしい――死に際を。あまりの苦痛と恥辱に、ほとんど狂ってしまっていただろう男の記憶を。

 忌まわしい記憶を『憂いの篩』に写し取って、フェンネルはその場に座り込んだ……恥辱の具体的な内容については言うまい。人を貶めるやり方などいくらでもある、という話だ。

『あの外道』

 ミネルバは吼えた。フェンネルを抱き寄せて、泣きながら。

『なんてことを……』

 こんな惨いことがありますか。赦されていいのですか!

 フェンネルは、されるがままだった。たとえダンブルドアに、シリウスに糾弾されてもよかろうと思った。ミネルバがロディアが受けた仕打ちに泣いてくれたから。

 闇のなか、屈辱を受け、痛めつけられ、魂に疵を負い。

 ひっそりと死んだ男へ与えられるには、十分すぎる報酬だろう。

 ロディア・オミニス・マクファスティーは、誰に悼まれることなく死んだのだから。

――それでも、信じない可能性はあった

 狂った男だとして聖マンゴへ入れられてもおかしくなかった。いくら見せられようが、突きつけられようが、信じがたいことというものはあるのだ。

 ダンブルドアが、ミネルバが、シリウスが聡明でよかった。

「……感謝するよ」

 背後に告げ、フェンネルは最後の一段を下りた。

 壁に蛇の装飾が施された、円形の室だった。灯を、と蛇語で唱えれば青白い輝きが満ちた。

 趣味が悪いな、とシリウスが呟く。趣味がよければマグル生まれの追放どころか排斥、殺害までしないだろうとフェンネルは返す。まったくもって楽しくない会話だ。

 罠らしい罠がないことを確かめる。二人並んで、中央まで――設えられた壇まで近づいた。きっとゴーントの荒屋、その地下室を改造したのだろうが蛇の装飾や壇は後付けだろう。なんてお上品なことだろうか。

――置かれた柩も

 趣味のよいことで。

 震える吐息をこぼす。『天高く』をきつく握った。今世も前世も失せ物捜しは得意である。大得意と言ってもいいが、的中してもまったくうれしくない事柄はあるものだ。

「……どこぞの湖に遺棄されるよりはマシ」

 呪文のように呟きながら、フェンネルは柩の蓋に手をかけ、叩きつけるように落とした。

 ふわり、と花の香りがする。禁術の悪臭も。

「俺がやろうか?」

 隣から、気遣わしげな声がする。フェンネルは首を振った。眼を見開き、歯を食いしばり「それ」を見る。

「死んだあとの己に会うなんて」

 そうそうできることじゃない。貴重な体験だ。

 乾いた笑いが漏れる。呼吸が速くなる。シリウスはただ、慰めるようにフェンネルの背をさすった。

 ひきつった笑いが木霊する。ああ、己が眠っている。清められている。死んだときはほとんど……生まれたときのままの姿だったのに……衣を着せられている。こびりついていただろう血も、刻まれていただろう傷もない。長い髪はくしけずられて、灯りを受けて仄かに光った。

 組まれた指の一本には黄金の指輪がはまっている。黒々とした石が印象的だった。

 ロディア・オミニス・マクファスティーの身体は、この上なく清められ、この上なく穢らわしいものと成り果てていた。

「……私は」

 こんなことのために生まれたきたわけではなかった。

 きっと無知で身勝手だったろう女が産み落とした身だ。父親はある意味……ロディアと似たような目に遭ったとも解釈できる。穢らわしい出生。生まれてしまった双子。兄と弟。トムとロディア。

 生まれてこなければよかったのだ。兄も、自分も。そうすればこんなことにはならなかった……。

「メローピーめ」

 私はお前を恨む。

「トム」

 我がひとつ胞の兄よ。私の生を縛り、私を穢し、贄にした挙げ句に『分霊箱』にした者よ。

 清めたくせに、闇の印だけは取り除かなかった。己の所有物だという証を残した……。

「私はお前を憎み」

 『天高く』を構える。穂先が狙うのは「ロディア」の心臓。闇の印が刻まれた場所。

「私はお前を赦さず」

 唱え――真っ直ぐに下ろした。稲妻のように、速く。

「私はお前を」

 滅ぼす者である。

 竜騎士の槍は過たず『分霊箱』を貫いた。

 白銀の炎は穢れを浄め――灰に帰した。





フェンネル・ポッター
ハリー・ポッターの双子の兄。二卵性ゆえにあまり似ていない。黒髪に緑の眼。容姿はブラック家寄りである。
レイブンクロー生。正式名はフェンネル・エムリス・ポッター。
前世はトム・マールヴォロ・リドルの双子の弟。
杖は柳と一角獣の毛。前世の己の杖である。
前世の兄がろくでなしだったので、今世では「よいお兄ちゃん」になろうと思っている。
ちなみに前世の兄はなんの参考にもならないので手探りである。

ロディア・マクファスティー
トム・マールヴォロ・リドルの双子の弟。ひとつ胞の弟。
正式名はロディア・オミニス・マクファスティー。
元の姓はリドル。ドラゴン使い一族の養子になり、マクファスティー姓となる。
黒髪に緑の眼だったが、銀髪に変じる。スリザリンの血が表に現れたが故の変化である。
優れたドラゴン使い。馴れぬと言われるドラゴンと触れ合えるもの。
竜の繰り手。竜騎士の称号を持つ。銀の槍『天高く』の主。
マクファスティー家の誉れ、諸島の主として歩むはずだったが、兄によって闇の道に引きずり込まれる。
そうして月のない夜、ひとつ胞の兄によって殺害された。
その命は贄として捧げられ、その身体は穢された。
ヴォルデモートの最初の、記念すべき『分霊箱』に貶められた。
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