【完結】Pandora   作:扇架

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十二話

 生きていれば、様々な危機に見舞われるものだ。

 例えば、兄がろくでなしで、人生をぶち壊されるとか。

 例えば、生け贄にされた挙げ句に亡骸まで利用されるとか。

 例えば、銀行強……慈善活動をして疲れ果てるとか。

――それに比べれば

 これくらい、なんでもない。なんでもないですとも。

「遠縁に」

 切手を寄付するのが趣味と言ったら。

「……こういう気遣いをしてくださったようで」

 サレー州リトル・ウィンジングプリベット通り四番地――のささやかな庭、綺麗に掃き清められた石段の上で、フェンネル・ポッターは小さく笑った。まったくしょうがないなおじさんは、とでも言うように。

 親切な配達員は――おそらく二十代で仕事を始めたばかりだとみえる――眼を瞬かせた。

 あまりにも奇妙な郵便物に困惑し「噂の」ダーズリー家の前……石段を上ったり下りたりしているところに、颯爽と現れたのがフェンネルであった。背負ったリュックにはグレープフルーツとオレンジが詰め込まれ、鞄その二には図書館で借りた本が詰め込まれ、自転車はオンボロで、という垢抜けなさであったが。

 フェンネル・ポッターの実態など知る由もなく、それはよい親戚だね、と配達員はもごもごと返した。マグルの青年は思うまい。目の前にいる少年が魔法使いだなんて。図書館に行って、おつかいに行って、は本当だけれども――肩にかけてもよし、背負ってもよしの鞄その二が、実は魔法界産だなんてこともわかるまい。

 もう一つの世界、裏側の領域を知らぬただの配達員は「じゃあ、まとめて渡しておこう」と妙な配達物のほかにあれこれと押しつけた。フェンネルは「ちょっと待って」と言い、片腕に郵便物を抱え、残った手を背後に回し、ファスナーを開け、オレンジを一つ取り出して「もらっていってよ」と配達員に押しつける。ついでに「あのダーズリー家のどら息子」が小さな鯨並みに育っていること、よって菜食主義者風の生活を送らざるを得ないこと、小鯨の抵抗などをおもしろおかしく話した。

「……これでよし」

 配達員を見送って、ため息を吐く。配達員の頭の中はもらったオレンジ、虐待されているらしき双子、たしか不良が入れられるような学校だか厚生施設に行っている割に礼儀正しい子じゃあないか、等々で占められているはずだ。妙な――びっしりと切手が貼られた封筒のことなど忘れているだろう。

 淡い菫色の封筒を鞄に仕舞い、ダーズリー家に入る。台所――食堂へ行き、卓の上にグレープフルーツとオレンジを載せた。レシートと郵便物も置き、花柄の「おつかい用」の財布をペチュニア叔母に渡す。

「特売だったから、なるべく詰めれるだけ詰めてきたよ」

 ちらと卓を見ながら言えば、ペチュニア叔母は「大儀であった」と言う――ことはなく、鼻を鳴らした。

「話し込んでいたようだけど?」

「配達の人と会ったから――」

 ぴく、と叔母の瞼が痙攣する。青い眼に険が宿った。赤毛の母と違って金髪、緑の眼の母と違って青い眼、美人だったらしい母と違って……いささか顔が長い叔母は、残念なことに神経質な性質であり、さらに残念なことにポッター家の双子を厄介者だと思っていた。加えて言えば、ご近所からの評判に敏感であった。

 例えば、ダーズリー家に引き取られた双子はなんだか妙だ、と言われようものなら泡を吹いて倒れかねない。

「定期購読している『月刊お料理』と『月刊ビジネス』と『月刊ボクシング』を受け取って」

 あと『図書館だより』もと付け加える。要は、卓に載っている茶封筒は叔母、叔父、いとこが愛読している雑誌なのだ。『図書館だより』はその名の通り、図書館のおたよりなのだけど。オンボロとはいえ自転車でいける距離に図書館があって幸いだった。ペチュニア・ダーズリーは遠くの図書館に行く電車賃は出し渋ったが、自転車で移動する分には文句を言わなかった。マグルの学校の図書館は使えないので――卒業したから当然だ――公共の図書館に行くしかないのである。

 約三年前。マグルの学校を卒業した後……ホグワーツ入学前の夏休み、図書館に入り浸ろうと思った。しかしまあできなかった。入学許可証騒動でそれどころではなかった。

 約二年前。今度こそ入り浸ろうと思ったし、利用登録しようと思った。が、一度か二度図書館に行っただけで終わった。端的に言うとドビーのせいである。それに、叔母が利用登録を渋ったせいもある。ふらりと行って帰るだけならまあいいけれど、お前のような妙な子が、図書館に登録ですって等々。

 ダーズリー家は公的機関に「ポッター家の兄弟」を認知されるのを嫌がったのだろう、と解釈している。一応とはいえ引き取って、マグルの学校を卒業させておいて今更だけれども。

 少なくとも、ダーズリー夫妻がポッター家の兄弟を引き取った、という記録はマグル側にあるだろうに……と思ったが、フェンネルは退いた。図書館禁止を言い渡されるよりはいいと考えたから。

 そんなわけで、利用登録できたのは昨年のことだった。たしか「まとめて借りてまとめて返したほうが結果として「妙な子ども」が図書館で目撃される危険は減るじゃないか叔母さん」と言いくるめたのだ。

 悲しいかな、マージョリー・ダーズリー事件のごたごたで図書館で本を借りるどころではなくなったが……。

 さて今年、フェンネルはなにも制限されることなく、図書館に行っている。叔母はなにも言わなかった。買い物リストを渡しはするが、それだけだった。

「リュックから香るフルーティーなそれについて少々説明を」

 ダーズリー家は菜食生活にはまっているってね、と軽く言う。本当はどら息子が小さな鯨並みにという話もしたが、言わなくてもいいだろう。ダドちゃんは肉食生活との別れを惜しみ、スーパーファミコン略してスーファミを窓から投げ捨てるくらい激怒したのは懐かしい。

 叔母さんが心配するような「余計なこと」は何も言いませんでしたよ、世界は今日も平和です、と暗に告げフェンネルは食堂を後にした。

 二階に上がり、弟の室の扉を軽く叩く。現れた緑の眼に「ウィーズリー家から」と告げて菫色の封筒を渡した。忘れずに「読んだら封筒だけこっちに寄越して。切手を回収する」と続ける。隣の室――フェンネルの室に引っ込んだ。

 机に図書館から借りた本を積み上げ、寝台に転がる。

「名付け親様々だ」

 深く息を吐いた。昨年まで、ポッター家の双子、似ていない兄弟は一室に押し込まれていた。そろそろ十四歳になる身の上、是非とも個室が欲しいと思っていたのだ。日常の細々したこと――買い物、家事、それと「穏和しいほう」であるフェンネルに関してはどちらかといえば叔母の領分だが、室の割り当て、つまりダーズリー家をどうするか、それと「生意気なほう」である弟に関しては叔父の領分であった。

 叔父を攻略する見込みはあった。お古の服を着て、そこらの公園を徘徊し、虐待されているとわめいてやる、マージョリー・ダーズリーが僕らのママを雌犬って言ったんだ! も叫んでやると脅せばいいだけだ。だって全部本当のことだ。フェンネルの良心は痛まない。孤児院でだって新品の服をもらったことはなかったし、食事の量だってたいしたものじゃなかったが……なにせあそこにはそれなりの数の孤児がいたので仕方がない。少なくとも職員は孤児たちを「保護すべきもの」として扱っていた。このうちリドルの双子は除外であったが。保護どころか恐れられていたのが双子であった。誓って言うが兄のせいである。ロディアは悪くない。どうしようもなかったのだ。

 リドルの双子を恐れていた職員たちでさえ、窓に鉄格子をはめ、扉を封じ「餌差し入れ口」を空けるような真似はしなかった。監禁もしなかったし、飢え死にを頭に過ぎらせるようなこともしなかった。単にリドルの双子に寄るな触るな、だったのだろうが……とにかく、虐待じみた真似を彼女たちはしなかったのだ。孤児院には(兄が)迷惑をかけたと思っていたし、少々のすまなさもあったし、養子になったから出て行きますと言った時の悲愴な顔も覚えている。彼女たちはリドルの弟はまだマシなほうで、おそらくきっと兄の歯止めになっているのだと承知していたのだ。

――なにかあったら

 帰ってらっしゃい、と言ってもくれた。それが兄の歯止めになってね、なのか純粋に養子先で困ったことがあれば戻ってこいだったのかは知らないが。打算だろうとなんだろうと、彼女たちはロディアの存在までは否定しなかった。昔々の、些細な一場面。投じられた小石はフェンネルの――孤児だったロディアの、深いところに落ちている。

 それがどうだ。「まともな」ダーズリー家、余裕があるはずのご一家のほうが情がないではないか。なくていいしほしくもないが。フェンネルはマージョリー・ダーズリーの一連の発言をけして赦していないし、いさめもしなかった連中に対しても同じくである。

 バーノン・ダーズリーは社長である。社員を抱えている身で、その身辺は身綺麗であることが求められる。間違っても、公衆の面前で虐待だの飢え死にだの、社長のご令息のいじめ、いいや暴力行為だの、ご令妹の雌犬発言だの叫ばれたくないだろう。脅しは覿面に効くと踏んでいた。フェンネルは弱腰な学校関係者ではなかったし、ダーズリー家を遠巻きにしているご近所さんでもなかった。

――ご近所一帯では

 ダーズリー家の評判はよろしくないが。いるかいないかわからない黒髪の似ていない双子より、どら息子とそれを放置しているご両親のほうが眉をひそめられていた。

 かわいそうに、双子の兄のほうは暑いのにおつかいに行かされて、弟のほうは庭掃除やらをやらされている……服はお古で、といった具合だ。フェンネルが大騒ぎすれば「やっぱりね」となるはずだし、そんなことをしている社長の会社ってどうなのか……である。

 神経質に体面を気にする叔父を脅す必要はなくなったのだが。シリウスの名を拝借したのだ。フェンネルは都合よく「シリウス・ブラックは無実だ」と言うのを忘れた。ただ「後見人である」と言えば、叔父は絶句した。快くフェンネルに一室くださったし、叔母もフェンネルの図書館通いに文句を言わないのである。

 マグルでなくとも、凶悪な魔法使いが押し入ってくるかもしれないなんて、怖くて仕方がないだろう?

 居候の身として、それなりに気を遣っているのだから許していただきたい。ちゃんと小鯨の「ダドちゃん」が人間に戻れるように協力しているのだ。グレープフルーツだけじゃ飽きるだろうと叔母に言って、林檎やらパイナップルやらオレンジやらも追加したし。ダドリーの学校の養護の先生作のメニュー表に従って、サラダやらを作っている。調理が楽になった。ありがとう先生。

 夏休みに入って数週間、七月下旬現在、調理担当は八がフェンネルで二が叔母になった。フェンネルが台所を掌握する日は近いだろう。そろそろジャガイモを追加しても構わないだろうか。願わくば、掌握する前にダーズリー家を出て行きたいものなのだけど。

 唸りながら、手の中で指輪を転がす。黄金の指輪だ。はめられた黒い石は割れてしまっている。

 お前が持っておけ、と名付け親殿――共犯者に押しつけられたのだ。今やただのガラクタである。ロディア・オミニス・マクファスティー……『分霊箱』が灰となった時、その指にはめられていた指輪も損傷し『分霊箱』ではなくなったのだ。

 ゴーント家はペベレルの末裔でもあったらしい。調べたところ黒い石は蘇りの石だ。もっとも、シリウスに押しつけられた時はそれどころではなかったが。フェンネルは前世の己を処理したことで箍が外れたらしく、異常な興奮状態に陥って、けらけらと笑う愚物になっていた。シリウスには面倒をかけてしまった。使い物にならないフェンネルの代わりにロディアだったものの灰を回収、ついでに指輪も回収。フェンネルを引きずるようにして地下を脱したようだから。

「いやあ……」

 親愛なるお兄様も思うまい。『分霊箱』は次々と壊された、と。我ながら偉業である。ロディアの身体とペベレルの指輪を破壊。かわいそうな兄は、指輪が死の秘宝だとお気づき遊ばれなかったようだ。蘇りの石を改造すれば、『分霊箱』を使わずとも死を回避できたかもしれないのに。一説には門の向こうから浮かれゆく魂を呼び戻す、と言われている代物なのに。まったく、小説やおとぎ話を読まないから蘇りの石に気づかないのだ。

 兄が知らぬ間に、ハッフルパフのカップも、レイブンクローの髪飾りも破壊した。具体的な行程は、ゴーントの荒屋にて「ロディア」と指輪、フェンネルの興奮状態が治まった後にダイアゴン横丁。シリウスから譲渡された金庫へ向かうついでに――どうやら彼は脱獄した後に叔父の館へ寄って、グリンゴッツの金庫の鍵を回収していたらしい――レストレンジ家の金庫へ向かった。

 それなりに利用者の多い昼日中、ドラゴンが暴れた、と翌日の日刊予言者には載った。大混乱のなか、まんまとハッフルパフのカップを回収したのである。

 大魔法使い。前世は大悪の弟、今世は生き残った男の子の兄、しかし未成年。アズカバンを脱獄した男にかかれば、厄介な滝もドラゴンもどうとでもなった。滝は逆流させたし、ドラゴンの鎖はさっさと切ったし、小鬼は服従の呪文、忘却呪文を添えて……で操った。兄がグリンゴッツに侵入できたのだから、フェンネルにできないわけがないのだ。

 盗んだドラゴンで空を飛んだ。大変楽しかった。グリンゴッツはそれどころじゃなかったろうが。ドラゴンに三人の客が乗っていたことにも気づかなかったくらいだ。

 夜にこっそりとホグワーツに帰還。禁断の森にドラゴンを隠し、城に戻った。レイブンクローの髪飾りはミネルバが回収していて、彼らの帰りを待っていた。カップと髪飾りは仲良く壊れた……。

 強行軍と前世の己を「殺した」疲労により、フェンネルは倒れた。残りを探すのは後、ということになり、学期の残りを盗んだドラゴンの世話に費やしたのだ。

 濃密な課外活動であった。

「……あと一つなんだよなあ」

 残る『分霊箱』はスリザリンのロケットである。フェンネルは失せもの捜しが得意であるが、いつでも望む結果が得られるとは限らない。髪飾りもカップも、見つけるまでそれなりに手間がかかったものだ。ロケットに関しても地道に占うしかないだろう。

 「ロディア」と指輪は楽に絞り込めたけれど。ロディアは大叔父のオミニスから「忌々しいゴーント」がどこに住んでいたか聞いていた。そう、お前の父である「リドル」の館がある村の近辺だと。俺が出て行く前も「リドル」の館はあった。村の名が変わっていなければ、リトル・ハングルトンと言ったはずだ。

 前世で得た「とっかかり」を思い出せば後は早かった。ゴーントの荒屋に『分霊箱』はあるか、と問いかけてみれば、水盆は答えを示した。

 ぱらぱらぱら、と。寂れた墓地を映し――村を映し……フェンネルは奇妙な動悸に胸を押さえた……やがてゴーントの荒屋に入る、己とシリウスの姿を見たのだ。

 乱れた水面に見えたもの、寂れた墓場を脳裏から追い出した。今はロケットの探索だと気持ちを切り替える。あとで適当な器を台所から拝借しよう。

 フェンネルが寝台から下りた時、なおざりに扉を叩き、弟が飛び込んできた。

「ねえ、ロンがさ」

 クィディッチワールドカップを観に行こうって!

 声を弾ませる弟に「あいつにマグルの郵便の出し方を教えておけよ」と返したフェンネルは、墓場のことを忘れた。

 月のない夜に、かつての己が殺された場所だとも知らず。ゴーントの荒屋とリドルの館――リトル・ハングルトン村――との距離を考慮すれば思いついてもよかったはずだ。しかし、喜ぶ弟をどう落ち着かせるか、ロケットの「失せもの捜し」をせねばに気を取られていた。

 まします神の御手が、失せもののついでに墓場を映してくださったことなどわかるはずもない。

 いずれ、お前が再び行くことになる場所だと。

 

 

「傷跡が痛んだって?」

 曇り空の下、鋭い声が響く。夏だというのに吹く風は冷たく、波は荒々しい。南国の海とはほど遠い、灰色が広がっている。

 突き出た岩の上に立ち、フェンネルは頷いた。降りかかる飛沫を拭いもせず、隣を見た。

「詳しくは、道々」

 岩を蹴る。度胸試しのように次の岩に飛び移り、時に宙を蹴り、目的の場所へと向かう。聳える崖の近くへと。

「――こんなところに連れてこられたのか?」

 遠足とやらで、と名付け親兼共犯者、相棒と言ってもいい男が呟いた。非難が滲む声に、フェンネルは声を立てて笑う。そりゃあ、純血名門の御曹司、当代の当主殿にとったら「こんなところ」だろうが。

「――悪くはなかったよ」

 都会の濁った空気ではなく鄙の澄んだそれを……と考えていたのだろうさ、とフェンネルは言う。勘違いされては困るので「遠足はここの近所の村だった。浜辺で遊ぶというやつだ」と付け加える。確かに悪くはなかったのだ。いつもフェンネル――ロディアを遠巻きにしていた連中は、警戒心を緩めたのか、遊びに誘ってくれた。ちょうどよい流木があったので、ちゃんちゃんばらばら、とちゃんばらをして遊んだものである。

 まさかロディアが遊んでいるうちに、兄が大変性質の悪いお遊びに興じていたとは露知らず。

 遠足が終わってみれば、ロディアは元の通り避けられるようになった。正確には兄の余波である。

「あれにとっても」

 楽しかったことだろうね、とフェンネルは海面――揺らめく怪物の口を捉えた。兄は孤児たちをここに連れてきたのだろう。崖の裂け目へと。ぐるりと崖を回り込むのを手間だと考え――力を見せつける機会を逃さず、おそらくは崖登りをした。そして下った。ホグワーツ就学前の子どものくせに、少なくとも兄は浮遊呪文を使いこなしていたのだろう。その他諸々、制御の系統……たとえば梁にロープをかけて、兎を吊り下げるなんて……もできたはずだ。

 それを言ってしまえば、ロディアとて就学前に魔法を使っていたわけだけれども。ロープを解いて兎を下ろしてやった。必要に迫られてのことだった。つまりなんだ、兄がいなければロディアの才らしきものは埋もれていたのか? 最悪である。

 首を振り、兄が起こしたであろう事件、孤児連れ去りと洞窟へご案内……ただし推測――を口にすれば、シリウスは顔をしかめた。

「幼い日の記念すべき思い出の地に」

 『分霊箱』を隠した……と。

 フェンネルは黙した。下手をすればこの遠足は寄り道でしかない、と言えば怒られそうだったので。たぶん、おそらく三十歳くらいで死んだが、身体は十四歳である――フェンネル・ポッターの誕生日は七月末。現在八月上旬であった――器に引きずられているのか、怒られる、叱られるのは嫌だなあ……と咄嗟に思ってしまうのだ。

 せっせと占ってみたところ、水盆に映った場所は二つあった。覚えのある村と海岸、そして崖……と怪物の口が一つ。もう一つはこれまた覚えのある邸。指先を何度か切って、何度も占った結果なのだから大外れではあるまい。海中洞窟が先のほうがよい、と直感し、シリウスに連絡をとった。

 弟には内緒なので、ヘドウィグを借りることはできなかった。守護霊を使っての伝言なぞしようものなら、魔法不正使用取締局から警告文が飛んでくるのは必至。未成年って面倒だな。なんでマグルだらけのマグル地区なんだプリベット通り一帯は、と嘆きながら使ったのは手紙であった。ミネルバがその昔、魔法省では紙飛行機がよく飛んでいる、と手紙に書いていたのを思い出したのだ。誰もが守護霊を使えるわけではない。かといって、いちいち別の階に行って、それか使いをやるのは手間だから、と。

 用件を書いたメモを飛ばすだけなら簡単だもの。理にかなっているわ、と。

 そういえば闇の陣営でも紙飛行機を飛ばしていたな……そうそう、闇の印は主に召集命令、その他単純な指令――たとえばハリー・ポッターを殺してこいだとか――を伝えるためのもので、細かい伝達には向いていなかった、とも思い出した。

 悲しいかな、陣営には「どちらの杖が長いか」を張り合うような頭の悪い連中もいるくらいなので、守護霊の呪文なんて高度なものを習得しているほうが珍しかった。悪しき魔法使いは守護霊の呪文を使えないという俗説まであったので、悪ぶりたい連中が守護霊の呪文を覚えようとするはずもなかったのだが。

 闇の印は腹心の証であり、奴隷の烙印であった。本質は束縛し、好きに痛苦を与えるものであった。兄がロディアの心臓の真上に印を刻んだのはそのためだ。印を通じて呪詛を叩き込み殺すまではできなくとも、触れて痛みを与えることはできた。印は「主」の動静を伝えた。喜びも、悲しみも怒りも、印を脈打たせたものである。

 過去の苦いあれこれと、兄によって闇の道に引きずり込まれる前の、ささやかな手紙のやりとりを思い出しつつ、フェンネルは仕事にとりかかった。ホグワーツを出発する前に何枚もの「手紙」をつくったのだ。用件と宛先を書いて息を吹きかければ、鴉となって飛んでいくように。プリベット通りで杖を振り回すわけにはいかなかった。たかが浮遊呪文で警告文が飛んできたのだ。子どものお遊びで紙飛行機をつくって飛ばしましたごめんなさい、は通じないだろうとわかっていた。

 連絡手段を用意していた自分は素晴らしい、と自画自賛する。とにかく行ってみよう、とシリウスに呼びかけた。泡頭呪文を行使し、さっさと海に飛び込んだ。

「……で、弟の傷跡が痛んだらしいんだが」

 かち、かちと歯が鳴る。夏だというのに水温が低すぎやしないか。ぽたぽたと滴を垂らし、フェンネルは杖を振ろうとする――が、シリウスのほうが早かった。蒸気が立ちこめ、ほっと息を吐く。

 出遅れた、と彼を見ると肩をすくめられた。

「中身はともかく外は子どもなんだ」

 体力の消耗度が違うだろうよと補足された。不便なことだよまったく。十六、七くらいなら多少震えるくらいで済んだかもしれないのに。

 礼を言って歩き始める。とつとつと話した。どこかの館。得体の知れない影、つんとした臭い……老人がいて――立ち聞きをしていた……。

「印の繋がりか?」

「だろうと思う」

 細い隧道を行く。湿り、てらてらと光っていた。魔法灯によって闇が祓われても、どこか暗く――寒い場所。

 穢れた水のにおいがする、と思いつつ話を続けた。

「はっきりと、明確に覚えているわけじゃないようだ。動揺もしていたようだし。ハリー・ポッターを手に入れる……」

 殺す、とか。

 禍言が幾重にも木霊する。殺す、殺す、殺す……。

「ナギニに語りかけていたようだ」

「つまり、あれは一人だった……?」

 そしてどこかに潜伏している。アルバニアから英国に戻ってきている……? とシリウスは呟く。

「乗っ取り、潰して、乗っ取り方式で行けば……ひとまず杖を握られれば用は足りるし、霞だか靄だかになっても諦めない我が兄上、さっさとくたばれ」

 本音を漏らし、フェンネルは手の平を切った。行き止まりの壁に押しつける。

「動くきっかけがなにかあったんだろう。戻ってきて、どこかに潜んでいる。ありえることだ」

 魔法省に目を付けられにくい場所、あまり注目を集めることなく、ゆっくりと休めるところ。

「ゴーントの荒屋なんぞ汚らしい場所には行かないだろうな。瀟洒な館なんてどうだろうか」

 シリウスが唸った。彼の動物もどき形態を思わせる声であった。

「そうさ、兄には身体がない。乗っ取りはできるが……生きているのか死んでいるのかわからない状態であることに変わりはない」

 壁が仄かな光を宿した。

「復活をもくろむ……己を取り戻す」

「本当なら「ロディア」の身体を使う手もあったろうが」

 愚かな兄は血を分けた弟――ひとつ胞の弟……鏡写しの存在を『分霊箱』なんぞにしてしまった。使えるはずもなく。

「もはやこの世に存在せず」

 歌うように言う。じわり、と銀の光が滲んだ。誰かが壁に線を引いているように。

「復活したいのならばさせてやるしかないだろうな」

 『分霊箱』が壊されているなんて知らずに。馬鹿なことだよ。

「フェン」

 シリウスが鋭く呼んだ。なにかな、と眼を向ける。

「単なる印の繋がりで」

 あれの動静を夢として見られるものか。静かに言う彼に、フェンネルは口笛を吹いた。ひゅう、と甲高い、悲鳴じみた音が隧道を抜けていく。

「ハリー・ポッターは印された者」

 比肩しうるとされた者。

 ただの赤ん坊が闇の帝王と肩を並べる? ありえない。赤ん坊なんぞ、一捻りにされるはず――であった。

 死の呪文が跳ね返されなければ。

 かろうじて死そのものを避けられたものの、闇の帝王、ヴォルデモートと名乗る者は深く傷ついた。魂は七つに裂かれていた。本体。記念すべき一つ目である「ロディア」、指輪……残る日記、ロケット、カップ、髪飾りの順番は不明だ。一つ目が成功した。器の収集は終えていた。あとは作るだけだったろうから。

 わかっていることは一つ。ハリー・ポッターに印を刻んだ夜の時点で、ヴォルデモートの魂はこの上なく脆弱であった。死の衝撃によって欠けてもおかしくないほどに。

「ジニー・ウィーズリーはスリザリンの継承者に憑依された。私は……フェンネルは、スリザリンの末裔であるロディア・オミニス・マクファスティーだった」

 その肉体は片やウィーズリー、片やポッターであった。スリザリン――ゴーントではなく。

「ハリーもまたポッターだ」

 シリウスの声は震えていた。この男が馬鹿であったらもう少し幸せだったかもしれない。フェンネルはブラック家の男を哀れんだ。気づきたくないだろう。悟りたくもないだろう。

 フェンネルは続けた。

「ポッター家にスリザリンの血が混じっていても、蛇語を発現するほど濃いとは思えない。つまり」

「ただの赤ん坊であろうと、ヴォルデモートの力の一部を……魂の欠片を与えられれば」

 比肩しうる、ということになる。

 正解、とフェンネルは返した。見えざる手は仕事を終え、壁に門を描いていた。銀の輝きに照らされ、呟いた。

「兄は無意識に混血を狙った。弟が選ばれたのは偶然だろうよ」

 自分と同じ混血で、自分と同じ孤児、それにサラザール・スリザリンの末裔の証とされる異能があれば。

 鏡写しの、もう一人の自分――比肩するもの、並ぶものと解釈できるだろう。

 我が人生最悪の時、という顔をしている名付け親の背を押して、共に銀色の門をくぐった。

 

 

「『分霊箱』はないと」

 わかっていたのか? 問いかける声はざらついていて、灰色の眼は青を帯びている。

 フェンネルは窪地――否、元湖の淵に腰掛けて、彼を見下ろした。片手に銀のロケットを持ちながら。細工は見事であったものの、スリザリンのSが翠玉で象られているわけでもない。すり替えられた品であった。

「なにせ私は最初の『分霊箱』だったものだから」

 同じ気配には敏感らしい、と少し笑ってみせる。ちらりちらりと忌まわしい夜の光景が過ぎったが、強いて無視した。今は己の悲劇に耽溺している場合ではない。

「趣味の悪い場所で、趣味の悪い仕掛けであったが」

 あなたの言うとおり。『分霊箱』はなかろうと……半ば予期していた。先視の勘で最初の『分霊箱』の勘。

「ただ、水盆で視たとき」

 必要だと思ったんだ。ここに来なければならない、と。

 あなたの弟がいるとは思わなかったが。

 吐息をこぼす。シリウスが抱き抱えている「彼」を見やった。幸いにもと言っていいのか、窪地を満たしていた水が、亡骸を腐らせなかったらしい。亡者を有効活用したいろくでなしは、朽ちることも赦さなかった、とも言える。サラザール・スリザリンの象徴は蛇。蛇は一説には水を司る。よって彼の血族は水の気と相性が良い……とされる。

 だからこそ兄は海中の洞窟に仕掛けを施したのだろう。水、陰の気が強く、穢れを留めやすい場所を『分霊箱』のために設えたのだ。

 窪地を湖に変え、小島を祭壇に見立て、毒を満たした水盆を設置した。船でしか「祭壇」へたどり着けないようにした。脱出を阻むように亡骸を――亡者を湖に放り込んだ。きっと己が殺し、あるいは殺させた者どもを活用したのだ。

 ロディアとてスリザリンの末裔で、水とも相性が良い。加えて竜騎士で、与えられた『天高く』は穢れを祓う。

 竜の炎――息吹にて鍛えられた銀の槍で水盆の水を浄化するなど造作もなく、湖の水も易々と解いた。

 ヴォルデモートが邪な神に愛された蛇ならば、フェンネル――ロディアは時の神に祝福されし竜騎士である。

 易々と、は言い過ぎか、と苦く笑う。フェンネル・ポッターは十四歳。実はかなりくたびれている。窪地の淵に座って、足をぶらぶらさせるくらいには。さっさと大人になりたいな。

「連れて帰ってやろうシリウス」

 闇の陣営に身を投じたんだろうが、こんな扱いはあんまりだ。

「……そうだな」

 馬鹿でも愚かでも。

「十数年も」

 湖底に沈められることはなかったろう。

 哀悼の籠もった声が、幾重にも響いて消えた。

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