「浮かれ者どもが」
次々と閃く光が、森の樹々を黒々と切り取る。フェンネルは杖を片手にあてもなく歩いた。楽しいお祭り騒ぎのあとの、夜の散歩? いや、突発的に起こった「後夜祭」の煽りを食って、一時退避するはめになったのだ。真っ暗闇ではないので、妙な汗をかかなくて済むのが救いだ。
――しくじった
先視とて予測できないことはある。例えば、勝負事については強いて視ないようにしているのでアイルランドが勝つ、ただしブルガリアのビクトール・クラムがスニッチを獲るという結果には驚いた。双子のウィーズリーは先視か? とも疑った。彼らはルード・バグマンとの賭けに勝ったのだ。恐ろしい双子である。勝負運があるという一言で済ませていいものか。有り金すべてを投入して勝つなど、尋常ではない。
賭けの行方もさることながら、クィディッチワールドカップという祭りの空気に触発され、浮かれる連中が出てくるなど、予測もしていなかった。
仕方がないさ、と十回唱える。なんてことないさ、と。そうでないとキャンプ場で暴れている連中――闇の帝王、ヴォルデモート、あるいは『名前を言ってはいけない例のあの人』と呼ばれた男に賭け、まんまと敗れた者たち――を締め上げに行きかねないから。
アブラクサスはどういう躾をしたんだ馬鹿者が、ときりきりと歯を食いしばる。後夜祭をお楽しみの紳士淑女の中に、マルフォイ家のルシウスがいないわけがない。
貴賓席で会ったときは大変「いい子」にして、ファッジの後ろ盾のような面をしていたが。レディ・マルフォイことナルシッサとブラック家当主シリウスは和やかに――互いをけなしていたが。あら、そうしてフェンと並んでいると親子に見えなくもないわよ、ははは冗談が巧いなナルシッサ。子どもをつくっている暇なんてなかったが。忙しかったし……監獄に入れられたしな。ほんと、馬鹿な人。鼠にやられるなんて情けない。『双狼』紋が泣いているのでは? なに『双狼』はお優しいさ。はぐれが当主になっても文句も言わず。番がいないのはかわいそうなことね。心配ご無用。なんて心優しいんだナルシッサ。一番上のお姉さまとは大違いだな。番がおらずとも――とフェンネルをちらりと見て――等々。
貴族お得意、軽口を叩きながらの、腹のさぐり合い。隣で聞いていて大変疲れたと言っておこう。なにをぺらぺらしゃべっている、とシリウスを軽く睨んでも涼しい顔で流されたものだ。
――貴族の
家名遊戯に巻き込まれるのは必至だ、とフェンネルは顔をしかめた。シリウスはフェンネルを養子にするつもりのようだ。ようだもなにも、打診されたのだけど。
グリモールド・プレイス十二番地――ブラック本邸なんて灰に変えてもいいのだけど、古い邸だから下手につついたらなにが出てくるか分かったもんじゃない。それに首尾良くぺんぺん草の一本も残らないようにできたところで、妖精はついてくるとかなんとか。
つまりまあ、シリウスにとっては負債もとい爆弾処理の押しつけ、実態を知らぬものどもにとってはこの上ない名誉。純血名門ブラック家、もはや本家の人間は一人しか残っていない有様だが――それでも、腐ってもブラック家なのである。
構わないけれど、とフェンネルは答えた。ブラック邸の、虫食いだらけのソファに転がりながら。床には煙を上げているロケットの残骸。すっくと立つシリウス。その片手には槍ではなく――ブラック家の宝剣『
寄り道を終え、レギュラス・ブラックの亡骸を生家である邸に連れて帰っておよそ一時間後の出来事であった。
諸々端折ると、本物の『分霊箱』はブラック家の妖精が持っていた。正確にはレギュラス・ブラックに託されたそうだ。年若い死喰い人だった彼は――ベラトリックスのほかに兄に転んだ者がいたとは、とフェンネルは頭を抱えた――兄ことヴォルデモートに愛想を尽かした。海中洞窟に乗り込んで『分霊箱』を奪取。偽のロケットを水盆に入れて……脱出は叶わなかったのだという。
すべては伝聞だ。レギュラスのともだちである妖精、ブラック家に仕えてきたクリーチャーは泣きながら語ったのである。シリウス曰く、ろくでもない妖精らしいが、彼は素直であった。レギュラスを連れ帰ったことにより、重い口を開いたのである。
「レギュラス坊ちゃま」を連れ帰ったことや坊ちゃまから託された仕事が果たせなかった懊悩がついに晴れたこともあるが――。
――妖精はフェンネルを見て呟いたのだ
銀月の君、と。
誰が呼んだか闇の大君とかいう恥ずかしい異名のほかに、かつてのロディアには名があった。それが銀月のなんとかである。いやほんと……である。
クリーチャーはブラック家に仕えて長く、邸に招かれた客、謎めいた双子のことも知っていた。つまり生前のロディアのことも知っている。白銀の髪に、緑の眼の男を。
妖精の能力は未知数だ。魔法族は強いて知ろうともしてこなかったし、関心を持たなかった。杖振る者どもとは異なる力を持っていることは確かで、フェンネルに重なる「誰か」の影を見てもなんら不思議はない、ということだ。
御髪を短くされたのですね、と妖精に言われたことを思い出す。まあね、昔は長いほうだったけれど。兄と被るのが嫌で、肩より長く伸ばして、結っていたんだよな……と今世の黒髪をかきまわす。伸ばす理由がないので短髪にしている。そもそも、伸ばそうものならペチュニア叔母がうるさいだろう。長い髪は不良の証、とか。ウィーズリー家の長男、ビルの髪型を見せてやりたいものである。だらしないどころかとても似合っていた。だいたいあの人はなんにでもけちをつけるのだ。弟の髪だって、一度刈り上げようとしたくらいだし。
むっと唇を引き結び、それどころではないと思い出す。そうだ、弟である。フェンネルはくしゃくしゃの黒髪の弟を捜しているのだ。
こんなことになるなら、ウィーズリー家の天幕にお邪魔するのだった、と臍を噛む。フェンネルはシリウスの天幕に転がり込んでいたのだ。実は弟の知らないうちに会っているのだが、そんなことはおくびも出さず、シリウス小父さんのところに泊まるよ! と吐き気がするような演技をした。まさか数日前に会いました。図書館に行くと言って出かけたけれど、海中洞窟に遠足、レギュラス・ブラックを回収し『分霊箱』を破壊……なんて言えるわけがない。
話し合うことが多少あったのだ。リトル・ハングルトンで起きた事件について、とか。ミネルバが記事を送ってくれたのだ。彼女は『変身現代』や日刊予言者新聞のほかにも、マグルの新聞を読んでいて、小さな小さなその記事を見つけた。リトル・ハングルトン村の教会墓地にて、フランク・ブライスという老人が保護された。彼は通称リドルの館と呼ばれる――管理人で――教会墓地の清掃も担っており――倒れているところを、墓参りに来た■■夫妻に発見された。
夏の日差しのせいか、保護された老人は前後の記憶を失っていた。適度な水分補給と休憩は――うんぬん、うんぬん。
手紙にはもう一枚、記事が同封されていた。およそ五十年前に起こった不可解な事件についてだ。リドルの館の惨劇。突如として死んだリドル夫妻とその息子。
刺殺絞殺、扼殺、撲殺、あらゆる痕跡がなかった。当初犯人はフランク・ブライスとされたが釈放された……。こちらはあまりの奇妙さに、それなりに騒ぎになり、大きく取り上げられたようだ。
約五十年前の事件は兄が起こしたのだろうし、今回の事件ともいえない「夏の注意喚起」のきっかけも兄によるものだろう、とフェンネルは結論づけた。
『さっさと始末すればよかっただろう』
できたはずだ、と言ったシリウスに、フェンネルは返した。
ナギニに片づけさせるにしろ、セクタムセンプラその他を使うにしろ、リドルの館に痕跡が残っただろう。誰も近づきたがらない場所とはいえ、兄はなるべくなにも残したくなかったし、痕跡を始末する手間を厭った。アルバニアの森から英国に渡ったことにより消耗している。杖は墓荒らしでもして手に入れたのだろうが――余計な労力を割きたくなかった。それに、注目を集めたくなかった。
『死体を処理できたとしても、行方不明というものは耳目を集める』
シリウスが苦々しげに言うのに、軽く頷いた。ヴォルデモートとかいうろくでなしは、気に入らないものは殺し、数多の「行方不明」を出したと言われる。あいにくロディアはヴォルデモートが本格的に暴れ出す前に殺されたので、伝え聞くのみであるが。マッキノンやボーンズ、プルウェットに手を出したようだ、あの馬鹿は。よくやるよ。もちろんポッター一家のことも忘れてはいけない。クズ野郎め。
『忘却呪文と服従の呪文で仕舞い、だろうな』
記憶にかかった暈を破れなくはないが……とフェンネルは言葉を濁した。
強引なやり方は拷問して過度な苦痛を与え、引き裂く方法。単純だが、かけられた者を廃人にする恐れがある。通常のやり方は絡まった糸を解くような繊細な工程が求められる。時間はかかるが安全だ。フェンネルは闇の陣営において治療師の真似事をしていたので、後者の、一般的なやり方はできなくもない。フランク・ブライスという男を損なうことなく、情報を引き出すことができるかもしれない。そのためにはリトル・ハングルトンに乗り込む必要がある。兄が潜んでいるであろうリドルの館に。
『保留だ』
生きているか死んでいるかわからない幽霊未満に接触していかにする。器となっているであろう、ほどよく熟成された死体を燃やしたところでしょうがなし。靄になって逃亡されるくらいなら現状維持である。兄はフランク・ブライスを処分するつもりはないようだし。
――フランク・ブライスといい
バーサ・ジョーキンズといい、不穏なことが多い、と軽く舌打ちする。魔法ゲームスポーツ部の魔女が行方不明なようだ、とアーサー小父やバーテミウス・クラウチ・シニアが口にしていた。アーサー小父は心配を滲ませ、バーテミウス・クラウチ……長いなもう、シニアでよいだろう……はルード・バグマンの態度を非難しつつ、どこか安堵を滲ませていたように思う。どことなく、偽りの匂いを感じた。まさか開心術を使うわけにもいかないので、単なる印象でしかないが。
そして弟である。夜の森を密やかに駆け、眉間に皺を刻む。ひとまず避難するならば、森に身を潜めるのが妥当だろう。弟もそうしているだろうし、側にはロンやハーマイオニーがいるはず。たとえば混乱に乗じて金品強奪をもくろむ輩がいようと、対処できると思いたい。
額の稲妻形の傷に気づかれたら厄介だけれど。ならず者が「後夜祭」で浮かれている連中への手土産にしようともくろみかねない。ヴォルデモートが去って十数年。稲妻形の傷跡の価値は下落する様子がない。
浮かれ者どもが手土産を受け取るかは五分五分だけれども。彼らは「ご主人様」の帰還を本気で望んでいないし、生存を信じてもいないだろう。だからこそ遊びにふけるのだ。マグル一家虐めとか、器物損壊とか、打ち上げ花火とか。
怖いのは、集団の混乱だ。夜。暗く、見通しがきかない。一斉に森に逃げ込んだ。響く悲鳴や泣き声は、不安を煽る。多種多様な言語が入り交じり、さらに混乱は深まる。
はぐれた子を拐おうとする者が出ても不思議はない――今はどうだか知らないが、子ができずに悩んだご婦人が、思いあまって子どもを「買う」ことがあった。たいてい夫に責められて思い詰めた末に……だ。
あるいは子を盗んで、英才教育を施す……とか。兄がその案を出してきたとき、ロディアは却下した。誰が育てるんだよ私か? と言った。そんなもの、ホグワーツ産のマグル生まれを勧誘したほうが早いだろうよと言った。言いました。けっこうマグル生まれは不遇な目に遭っていて、魔法に理解を示さない親に恨みを募らせている場合が多かったのだ。物心つかない幼児や、揺りかごの赤ん坊を盗むよりマシだろう。
もっと最悪な案もあった、とフェンネルはげんなりする。死喰い人の誰かが言ったのだったか……盗むのがあれならつくればよくないか、という。ロディアは反射的にそいつを血塗れにした、とだけ言っておこう。兄がなにかを言おうとしたので「陣営には女もいるでしょう」と切って捨てた。兄は黙った。ささやかな勝利であった。ロディアが生まれてから死ぬまでの約三十年を考えると、勝利どころか敗北したのだが。
時代は進んだし、そんな獣のような真似する輩は出ないだろう。出ないと言ってほしい。いくら混乱していても、と祈るように思う。
が、叫びと怒号、荒々しい足音に祈りは引き裂かれた。
杖を構える。さっと音のほうを向き――樹々の間から、ほっそりとした影が飛び出してきた。鹿のように跳躍するそれは、白月を返し、銀色に輝く。
青い青い眼が、フェンネルの緑とかち合った。殺意の滾りを認め、咄嗟に盾の呪文を展開。紅の光線が当たって砕ける。
無言呪文の応酬。一、二、三、と次々に光が現れ、中空でぶつかり、儚く消える。月夜に一対の影が躍る。踊る。
「――落ち着……」
追われ、錯乱しているらしい影に呼びかけようとする。わずかな隙をつき、影が消える。身をひねり、振り返ったところで足払いをかけられ、転がされ、馬乗りになられる。まったく嬉しくない状況だった。
「おい、お嬢さん」
僕は敵じゃない。見事な短距離姿くらましだった、と囁く。首に杖が突きつけられる。ふわりと甘い香りがした。
「僕がいたのはたまたまだ。あなたは追い込まれたわけじゃない」
囁く。荒ぶるドラゴンを宥めるように。どうも、通じていないようだ。杖を放り投げる。不戦の意を示し、影の呟きを聞き取って、言葉を切り替えた。
「手を結ぼう」
怯えきったその娘は、眼を見開いた。
「ポッター……?」
生き残った男の子…? と彼女は言う。そうだとも、と何度も頷けば、彼女が退いた。フェンネルは素早く立ち上がり『天高く』を顕現させた。
樹々を抜けてきた連中を――白鹿を狩ろうとする獣どもを睨む。
「うんざりだな」
浮かれ者はいる、こういうクソ野郎どもは出る。
「僕がこの世で二番目くらいに嫌いなのが」
無理矢理手籠めにしたがる獣なんだよ。
『天高く』を投げ放つ。
銀の槍は流星のごとく空を切り裂き、獣の心臓を貫いた。
掃除を終え、フェンネルは『天高く』を腕輪に変じ、己の杖を拾い上げた。枝でひっかいたのか、それとも暴漢どもに傷つけられたのか、へたり込む令嬢の花顔には、細かな傷がついていた。そっと杖を振り、傷を癒す。着衣の釦がいくつかとれているのを見て取って、泥を飲んだような気分になった。靴が片方脱げていて、酷く痛々しく思った。ひとまず、そこらの葉から布をつくる。令嬢に差し出せば、震える手が伸ばされた。さらに靴をつくってやる。興奮状態が覚め、歯を鳴らすばかりの彼女に断って、履かせてやる。
「……競技場のほうに行こう」
「妹が」
うん、と返す。浮かれ者どもが勢い余って森に火を放つかもしれない、それか彼女の香りに惹かれた獣がやってくるかも……という焦りを見せないようにする。
「はぐれて、」
襲われかけたんだぞ君は、と言いたいのをこらえた。見たところ年上で、たぶん魅了系統の力があって、優れた魔女なのだろうが――震え、怯えた様は哀れを誘った。
致命的なことにならずに済んだとはいえ、さぞ恐ろしかっただろう。ロディアには分かりすぎるほどに分かった。
ガブリエルが、と彼女は呟く。襲われかけて泣かなかったくせに、妹を案じて泣いていた。箍が外れたのだろう。
「わかった。わかったから」
僕は失せもの捜しが得意なんだ。君の妹がどこにいるか見つけるよ、と宥める。さっさとここから離脱すべきだと理性は囁いているが――いくら死体を四体処理して土に還したとはいえ、現場から離れたいに決まっている――本能が勝手に口を動かした。
羊皮紙を取り出して、彼女に血をつけるように言う。そうして尋ねた。
「妹の名前は」
ガブリエル・デラクール、と彼女が言い……思い出したように瞬いた。お礼もまだだった、と呆けたように呟いて、その名を告げた。
私の名前は、フラー・デラクール、と。