【完結】Pandora   作:扇架

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十四話

「――きな臭いことになった」

 フェン、と呼びかけられても返事をする余裕がなかった。おい、フェン? シリウスの声が近づいてくる。やがて、洗面所に踏み込んでくる気配がした。

「……俺がいない間に」

 なにがあった? そう言いつつ、シリウスはフェンネルの背をさすった。洗面所に屈み込み、盛大に嘔吐している名付け子の、ほっそりとした背を。

 少し待て、とフェンネルは片手を上げる。どうにも吐き気がおさまらない。頭の中も、腹のなかもかき回されているかのようだった。追われる影。鹿のようにすばしこく跳ねた彼女と、それを狩ろうとする獣たち。欲にまみれた眼。顔かたちも、どのような年頃だったかも覚えていない。よくよく見る前に始末したから。ただ、月の光が暴いた、あの眼だけは。獣欲をしたたらせた双眸に、嫌悪と恐怖を掻き立てられた。

――あの子のためじゃない

 獣どもを殺したのは、フェンネルがそうしたかったからだ。あれは抹殺せねばならなかった。ほとんど、衝動的な行いだった。突き動かされるように肉塊を生産したに過ぎない……。

 あの子は、フラーは感謝してくれたけれど。そんな誉められたものじゃない。感謝なんていらないのだ。どうにか冷静に見えるように振る舞っていただけで、背には汗が滲んでいた。フラー……フラー・デラクールというその娘を怖がらせないように接したのは、フェンネルの――ロディアのためだったのだ。

 襲われたかけた娘の痛みは、ロディアの痛みであった。誰かがあんな目に遭うのは耐え難かった。あんなもの、味わうべきではない。知るべきではない。できれば、一生。

 ようやく吐くものがなくなって、震える手で口を濯ぐ。

「またなにか起こったのか」

 問いかけた声はひび割れている。喉が灼けるようだ。浴びるように酒を飲んだ翌日の、最悪な目覚めを思い出した。さほど酒が好きなわけではなかったが、飲まざるを得ないときがあったのだ。招かれた先で「男の社交」に合わせるしかない時が。

――酒豪と誉められようが

 ちっとも楽しくなかった、と気分がささくれ立つ。シリウスに導かれるようにして居間に戻り、白湯を出されても治まらなかった。むしろ悪化した。

「……闇の印だと?」

 椅子に腰掛けた――だらしなくもたれているといったほうが正しい――フェンネルは、低く唸る。眉間に皺を立て、緩慢に杖を振った。

闇来たれ(モースモードル)

 ブラック家の天幕に、小さな印が現れる。色は禍々しい緑。髑髏と蛇の紋だ。幼稚な子どもの落書き。少し趣味が悪いが、子どものすることであるし、で終わるはずだったそれ。髑髏や蛇や蜥蜴や蜘蛛なんかがカッコイイと思う子どもなど、どこにでもいるはずだった……ただの落書きが恐怖の象徴になるなど、誰が思うだろうか。

「これが出たと?」

 フェンネルが問えば、シリウスは頷く。あまり見ていたくもないだろう、とフェンネルは印を消した。そうして、シリウスから事情を聞いた。騒動が起こり、シリウスは助太刀をするために天幕を出た。弟と合流しようとしたフェンネルと別れたわけだが――避難民に競技場へ、と呼びかけながらマグル一家のもとへ駆けつけようとした。闇の印が打ち上がり、即座に現場に向かった……。

「犯人は不明」

 しかし、妖精が一人倒れていた。ハリーの杖を握りしめて。

「は? なんでうちの弟の杖が?」

「わからん。そこは本題じゃない」

 シリウスはさっさと話を進めた。妖精はクラウチ家に仕えていた。無実を訴えたものの、洋服刑に処された、と締めくくった。

「クラウチは怒り狂っていたよ」

「洋服刑に処しても意味がないだろうが」

「命令に背いた。怪しげな場所にいた。洋服刑、だ」

 おまけに杖を持っていた。そりゃあクラウチは怒るだろう。まるでかつての再現だ。

 くつくつとシリウスは笑う。フェンネルは眉間の皺を揉みほぐした。バーテミウス・クラウチ・シニア。彼の息子はアズカバン行きとなり、そこで死んだという。十数年後、悪夢の再来というわけだ。前は息子、今度は妖精。

「印を作ったか否かは、どうでもよかったんだろう」

 シリウスは紅茶を飲む。目配せされ、フェンネルは彼の意を察した。

「腹心――印を刻まれた者しか、知らないはずだ。それともちろん」

 ご主人様も知っている、とフェンネルは口端をひきつらせる。ああなんと最悪なご主人様か。下僕に印を刻む、お優しい方。ひとつ胞の弟を――。

 こみ上げてくるものをどうにか飲み下す。獣の双眸と高笑い、屈辱の記憶を押し込めた。乱れた呼吸を整えようとする。

「無理はするな」

 声をかけられても無視した。どうしようもないことだ。魂に刻まれた疵はあまりに深く、マシにはなっても癒えることはない……。

「ご主人様と、私、ルシウス……というか、初期の死喰い人の子どもの世代……と、ワームテールは監獄だし」

 指を折っていく。誰が死喰い人なのか把握しているのはご主人様ことヴォルデモートとかいう兄である。加えて、死喰い人といっても色々いる。印を刻まれた腹心、いわゆる選良。服従の呪文にて屈服させられた者。脅しによって従うしかなかった者――ロディアはどちらかというと脅され組である。ついでに下僕の印を刻まれた羊である。最悪だな――その他、下っ端、協力者。

 あとは勝手に死喰い人を名乗り、けちな真似をした連中。これは僭称組とでもしておこうか。過去の記事を読む限り、それなりの数の僭称者が現れたようだ。そうして、処分され、見せしめにされたという。ロディアの時代は僭称者は現れていなかったが――悪名が轟くにつれ、おこぼれに与ろうという馬鹿が増えたのだろう。秤の片方に心臓を載せるような真似だとも知らず。愚か者めが。

「ベラトリックスとレストレンジ兄弟も監獄の闇に沈み……か」

「妖精が杖を振って、ひょいと作り出せるものじゃない」

 それに、妖精の魔法と杖の魔法は相性が悪い。彼らは杖なしで魔法が使えるのだし。

「もちろん、弟が作ったわけがない」

 鼻を鳴らす。弟は危うく引っ張られるところだったという。シリウスよりも先に到着していた、アーサー小父のお陰で難を逃れたようだ。そもそも、クラウチは狂ったようになっていた、という。駆けつけた一同は「生き残った男の子」がまさか、という態度であった……。クラウチだけが激昂していた……。

「檻の外にいる連中は、浮かれはしゃぎたかっただけで――」

「闇の印を打ち上げる度胸なんてない」

 シリウスがフェンネルの言を引き取った。

「容疑者不明だ。ルシウスたちは、今頃いい子にして寝台で丸くなっているだろうよ」

 喉を震わせる。馬鹿な子どもたちだ。ちょっとした火遊びをしたら、本物の花火が上がって大わらわ。怖くて怖くてしょうがない、と。

――本当に

 馬鹿。

 だいたいやつらが「後夜祭」なんかやるから、狩りをしようとする下衆が発生したのだ。まあ、下衆はどこにいても下衆であるが。隙あらばそういうことをするのだ。あんなやつらと同じ性別なのは恥だ。

 デラクール家のフラー、宮廷の花殿に対して、どういう態度をとったらよいのかと途方に暮れた。間違ってもか弱い令嬢ではないが――男四人に追われてどうにか逃げ切ったのだから――下手に触れるわけにもいかないし、慰めを口にしてもしょうがないし、で距離をはかりかねた。

 未遂で済んだとはいえ、事件の衝撃は相当なものだったろう。どこかが麻痺してしまったのか、フェンネルを嫌悪したり、急に笑い出したり、黙ったりということはなかった。彼女は妹を捜すことに頭がいっぱいだったのだ。彼女曰く「私の可愛い妹」心配していたのもあったろうが、逃避行動でもあっただろう。

 ともかく、フェンネルは彼女から数歩離れ、前を歩いた。紙と血と名前を使った失せもの捜しの旅に出たのだ。敵意はないし、害意はないことを示すために杖は彼女に託し、なるべく身体接触を避けた。いくらフェンネルが十四歳で、ブラック家の血の恩恵のお陰でそれなりに見られる容姿で、彼女より少し背が低く、獣四匹のようにむくつけき大男でなかったとしても、彼女が怖い思いをしたのは確かで、なるべく刺激したくなかった。

 できればあんなことは忘れてほしかったし、絶望してほしくなかった。手を引くわけにもいかず、彼女が持っていたスカーフを紐代わりにした。フェンネルは己の手首にそれを巻き付け、端を彼女に持たせた。手錠もどきだ。フェンネルが万が一襲いかかろうとしても、彼女が身を守れるように。身を守ることができるのだ、と安心させるために。

 奇妙な動悸と「過去」の記憶に翻弄されながらも、ひらひらと舞う羊皮紙を――それは燐光を放つ蝶となった――追って、クィディッチ競技場にたどり着いた。

 フラーの妹は両親が見つけて保護していたのだ。ガブリエル・デラクール。七、八歳で、フラーと同じくヴィーラの血が色濃く現れていた……。

『お友達よ』

 フラーは歌うように言った。妹を抱きしめ、家族にフェンネルを紹介した。ポッター家のポの字も出さず、通りすがりの一般人ですという面をした。フラーに名乗ったのはいきがかり上仕方なくだ。生き残った男の子の知名度を利用した形になる。ぺらぺら吹聴するものでもない。

 森でお嬢さんが迷っていたのでお送りしたんです、とさらりと言った。狩りやら獣やら未遂やら、欲望やらの話をすれば吐きそうだったのだ。

 なんて親切な人だ、とデラクール氏には熱烈に抱きしめられ、夫人はフェンネルの頬に感謝のくちづけを落とした。耐性がない野郎ならば失神していたであろう。デラクール夫人こそ、ヴィーラを母に持つ魔女であった――デラクール一家の周囲だけ、光り輝くようだった、と言っておこう。

 困っている人がいたから助けただけです。せっかく英国に来てくださったのに、こんなことになって申し訳ない……と述べ、フェンネルは逃げようとした。余計なことを言う前に。娘さんは獣に……されかけたんですと言う前に。

 避難してきた者たちの間を縫うようにして、フェンネルは出口に向かった。そうしたら、背後から手を掴まれた。

『待って』

 私、ちゃんとお礼も言えてない。

 振り返れば青い眼があった。張りつめて、痛みの滲む眼であった。

『いいんだよ』

 惨い目に遭わなくてよかった。

『どうか、君が悪夢を見ませんように』

 瞬く彼女の手を振り払った。余計なことを言ってしまった、と歯噛みする背に言葉がかけられた。

『ホグワーツで会いましょう』

 そう、彼女は言ったのだ。

 今夜は調子が狂いまくりだ、とため息を吐く。フラーのことを脳裏から追い出して、現在起こっている問題に意識を戻した。

「私も、あなたもダンブルドアも把握していない」

 隠れがいるんだろう、と囁いた。

「――全容を知るのはヴォルデモートのみ……」

 呟きながら、シリウスが顎をこする。

 十二年の監獄生活でやせ細り、脱獄後はホグワーツに潜伏し、で髪はぱさつき、ざんばらで、髭は伸び、肌は荒れ……だったが、無罪となりまともな生活を送るようになって健康を取り戻した。その眸には力強い意志と、疑念が宿っていた。

「都合よくクィディッチワールドカップの会場に。それも今夜いたのか……だろう?」

 フェンネルは彼の疑問を代弁してやる。白湯をもうひとくち飲んで、眉を寄せた。

「ワームテールが十二年潜伏できたんだ」

 どこに死喰い人がいてもおかしくないさ。

「……臆病者のあれと違って」

 隠れは怒っている。檻にも入れられず、悪夢も見ていない不忠者どもに。

 浮かれ騒ぐ痴れ者の騒ぎを見ていたのだろうな。衝動的に闇の印を打ち上げた、と結んでふと気がついた。

 英国に舞い戻ってきた兄。その手駒になりうる者が少なくとも一人、いることになるのかと。

 左腕に印を刻まれ、闇の印の作り方を教わった者が、存在しているのだと。

 

 どこともしれない、誰も知らない闇に潜んでいるのだと。

 

 

 「酔客」による騒ぎ、闇の印が打ち上がったこと以外は、クィディッチワールドカップは特筆すべきこともなく幕を閉じた。魔法省もとい現魔法大臣コーネリウス・ファッジの姿勢が影響しているのだろう。すなわち、なにもなかった。英国は平穏無事。ヴォルデモート? 死にましたが。闇の残党? そんなもの知りませんね、である。

 危機感を持てというほうが無理があるのかもしれない。九月一日のホグワーツ特急にて、フェンネルはため息をこらえた。レイブンクロー組の反応はまちまちだ。ロジャー・デイビースは「手紙に正装を持ってこいと書いてあったから慌てて用意した」と語り、パドマ・パチルは「パーバティとお揃いにしたの」と語り、アンソニー・ゴールドスタインは「親戚一同が闇の印事件でぴりぴりしていて落ち着かなかった」と語った。まとめてしまえば、詳細不明な闇の印事件よりも、教科書リストとともに同封されていた「正装を持ってこい」のほうが重要だそうだ。

――魔法省が隠蔽したい気持ちも分かる

 コンパートメント、窓際の席に腰掛けながら景色を眺める。三校対抗試合というものが開催されるようだ。クィディッチワールドカップ開催が決まったから三校対抗試合が催されることになったのか、三校対抗試合が開催されるから、クィディッチワールドカップが……なのか。不死鳥が先か炎が先か問題である。どちらが先にしろ、狙いは明らかだ。英国の復活を示すためだ。闇の脅威はない。安全である、と高らかに宣言したいがためのもの。何年のあたためてようやっと開催となったのに、闇の印事件なんて起こっては困るし、なるべく話題にもしてほしくない、と。日刊予言者は闇の印事件を大きく扱ったが、数日もすればくだらないスキャンダルに紛れてしまった。

 誰も思い出したくないのだ。恐怖の時代は過ぎたと思いたく、今が平和だと思いこみたい。そういうものだ。魔法省もといファッジがそういう態度なのだから、報道も控えめになる。数ヶ月前に「隠れ死喰い人」が捕縛された一件もたいした扱いではなかったし。むしろ、ブラック家のシリウスが無罪であった、という色が濃かったのだ。

 シリウスに注目が集まったことには思わぬ利点があったけれど。どうして忌々しいダーズリー家を出て、シリウスと暮らせないのかという説明が楽になった。しょげる弟にフェンネルはこう言った。これからシリウスは時の人になるのだし、なにかと周囲が騒がしくなるだろう。僕だってダーズリー家は出たいよ? でもシリウスは無罪になったばっかりで……子ども二人を抱える余裕はないだろう? まあシリウスの名前を使って少々ダーズリー家をつっついて、融通を利かせてもらおうじゃないか弟よ、等々。まったくの嘘ではないが本当のことではない。まあほぼ嘘を吹き込んだ。

 まさか母親の犠牲による守り――血の守りをダンブルドアが利用して、ダーズリー家を避難所にしているとか、お前は予言の子なんだよと言えないではないか。言ったところでどうしようもない。犠牲になったのはリリー・ポッター、旧姓エヴァンズであって、ジェームズ・ポッターではなかった。弟とフェンネルに流れている血の守りはリリーに由来するもの。つまりリリーの妹、ペチュニアのいるところが避難所なのである。仮にジェームズが犠牲の魔法を発動させていたら、シリウスがいわゆる血の守り手になれたかもしれないけれど。シリウスの祖母の姉妹がジェームズの母親なのである。実はシリウスとポッター家の兄弟は又いとこにあたる。ややこしいことである。少し遠いが、一応血の守りの適用範囲内だろう。

 シリウスと暮らせないことに弟は落胆していたが、ウィーズリー家での逗留、クィディッチワールドカップで吹き飛んだようだ。それに、ワールドカップからウィーズリー家に帰還したあと、フェンネルはブラック邸に旅立ち、入れ替わるようにしてシリウスがウィーズリー家に逗留したのも大きい。弟はたっぷりと名付け親との時間をとれたことだろう。

 弟には「僕はブラック家の邸にある蔵書を読みたいんだ」と言っておいた。これもまあ、嘘ではない。ブラック家の保管庫――書庫も含む――には興味があった。ついでにブラック家の掃除に勤しんだり「保護者」であるリーマス・ルーピンのために『脱狼薬』を煎じていたのだ。お前は一応十四歳なんだから、保護者代わりは必要だろう、とシリウスがルーピンを引っ張り出したのだ。彼は闇の魔術に対する防衛術教授の職を辞して、シリウスと同居していた。ブラック家――本邸ではなくて、シリウスが叔父のアルファードから相続した館の一つに。

 せっせと二人……と妖精一人で本邸を掃除した。ちなみに、ルーピンはフェンネルの「事情」を把握していた。彼は多少驚いたようだが、フェンネルが赤ん坊の時の「奇妙な感じ」を知っている人物であったので、納得した。その年齢にしてはしっかりしていると思っていたよ、で終了。いいのかそれで。

 ブラック本邸はなかなかの広さがあり、部屋数もあり、で掃除はあまり進まなかった。フェンネルはとにかく身体を動かしたくて――クィディッチワールドカップでのあれこれ、想起される諸々から眼を逸らしたくてせっせと働いたにもかかわらず。やりすぎて寝込んだ。ルーピンには「頑張りすぎだ」と叱られた。クリーチャーがかいがいしく世話を焼いてくれたので問題なかった。レギュラスを連れ帰り、弔ったことでフェンネルは妖精の信を得た。「大奥様」の肖像画や、その他鬱陶しい肖像画を焼いても文句を言わないほどに。クリーチャーにとって、フェンネルはブラック家の次期当主なのである。

 養子になるとしてもまだ先のことだよ、とは言っておいた。シリウスは名付け子二人に不公平が生じないように考えているようだ。少なくとも資産――グリンゴッツの金庫や土地、邸はなるべく等分するつもりのようだった。十三年分の贈り物だといって『炎の雷』をぽんと贈ることができる男は、保有し、分配すべきものも多い。レギュラスの遺産を相続し、さらに増えてしまった。レギュラス・ブラックの金庫は行方不明となって七年経った頃に文字通り「凍結」されていたのだが、このたび正式に死亡とみなされ、凍結解除された。そうしてシリウスが相続したのだ。

 フェンネル・ポッターの資産総額はいくらになるのか、考えただけでおそろしい。なにも持たないのも怖いものだが、持ちすぎるのも怖いものだ。どこかのヴォルデモートにむしり取られるかもしれないし。出自不明のヴォルデモート、実態はただの孤児は、配下からあれこれとむしり取っていたものだ。

――今頃

 どんな策を巡らせているやら。闇の印事件が起ころうと、なんの動きもない。英国に戻ってきた理由も不明である。もし弟をなんらかの形で利用したいのならば、ホグワーツ特急での移動中を狙うかもしれない、と気を張っているのだけど。なんの異変もなく、兆候もない。ただ天気が悪いだけである。

 フェンネルが気を張っても仕方がないが。ダンブルドアは闇の魔術に対する防衛術教授として、マッド・アイを呼び寄せたらしい。ロディアの時代にはまだ名声は轟いていなかったが――死喰い人たちがぼろぼろにされたので記憶に残っている。ルーファス・スクリムジョールとともに要注意人物とされていた。在学期間は被っていないし、直接の面識はないが。スクリムジョールは闇祓いの局長となり、マッド・アイは現場一筋で伝説となり……やはり要注意人物判定は間違っていなかったようだ。出世したものである、二人とも。

 兄がなにをたくらんでいるか知らないが、ホグワーツに着いてしまえばひとまず安心だ。あそこは古からある、魔法の徒のための砦だ。堅固な守りを誇っている。さっと侵入して弟の首を獲る、なんてことはできない。

――暗殺者の線はないはずだ

 兄は予言にこだわったがゆえに、身を滅ぼした。忌々しい「生き残った男の子」を直接始末したいと思うだろう。

 銀色の滴が外を埋め尽くす。それを横目で見ながら、フェンネルは紅茶を口にした。苦い、苦い味がした。

 ただの予言を兄が笑い飛ばさなかった理由。無視できなかった理由。

 あれは知っていたのだ。先を視る者が存在するということを。

 ひとつ胞の弟の才を目の当たりにしたからこそ、ヴォルデモートは予言の子を殺そうとしたのだ。

 きっと、ロディア・オミニス・マクファスティーに先視の才がなければ、兄はポッター家を襲撃しなかったかもしれない。

 特別な才は幸福を約束するものではないのだ。

 

 

 なんの事件もなくホグワーツに到着し、たいした騒動もなく日々が過ぎた。三校対抗試合の開催が宣言されようが、マッド・アイが過激な授業を行おうが――わざと服従の呪文にかかったふりをするのは骨が折れたが。うっかりドラコ・マルフォイを助けてしまったが。いやだって、イタチに変えて床に打ち付けるってさすがにどうなのだ。とっさにイタチマルフォイを呼び寄せ呪文で引き寄せて庇ったフェンネルは悪くない。マッド・アイには「お優しいことだな」と侮蔑の眼を向けられた。ミネルバには誉められた。レイブンクローに十点ですよフェン、と言われ、こっそりと「さすがロディ」と付け加えられた。ミネルバはフェンネルもといロディアを買い被りすぎている。弟には「……フェンはマルフォイのことが嫌いじゃないわけ」と言われた。別に好きじゃないが見過ごせないことというのはあるのである。純粋な十四歳には難しい問題かもしれない。お兄ちゃんは頭が痛い。

――ものすごく、頭が痛い

 約二ヶ月の間に起こった諸々を思い返し、現実逃避するくらいには。

「また会えたわね」

 十月三十日夕刻、ホグワーツ正面玄関前、石段にてフェンネルは硬直した。星々の輝きにも負けない光彩を放つ魔女の眼に射抜かれて。

 きゅっと、両手を握られて。

「……元気そうでよかったよ」

 令嬢(マドモワゼル)と、かろうじて返した。

「私の名前、忘れてしまったの?」

 悲しげな――きっとわざとだ――顔をされる。周囲の視線が痛く、殺気が満ち満ちている。

 それはそうだろう。歓迎のために待機していたら、馬車からお姫様が降りてきて――ポッター家の双子の兄を認め、駆けてきたのだ。嫉妬というのは怖いものだ。フェンネル・ポッターあの野郎、と思われていることは必至である。

 後悔してももう遅い。時は巻き戻せず、起こったことは取り消せないのだ。フェンネルは彼女の「ホグワーツで会いましょう」という発言をよく考えるべきだったし、待機列の後方で隠れているべきだった。

 三校対抗試合はホグワーツ、ダームストラング、ボーバトンが競い合うものだ。そしてボーバトンは女子校である。

 つまり、麗しの宮廷の花殿、銀の妖精殿が代表選手の候補としてやってくることを予測してしかるべきであったのだ。

 厄介なことになった。目立ちたくなかったのに、と臍を噛む。去来した思いをおくびにも出さず、フェンネルは小さく笑んだ。

「ホグワーツにようこそ」

 フラー・デラクール。

 次の瞬間、彼女が完璧な笑みを浮かべ、耐性のない野郎どもが次々と倒れたのは『ホグワーツの歴史』には記されない一幕である。

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