【完結】Pandora   作:扇架

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十五話

 円形の室の中央には簡素な丸椅子。組分け帽子のための座は、青白い炎を宿す、選定の杯に譲られている。

 古い古い魔法具――三校対抗試合の始まりに立ち会い、数多の代表選手を送り出し、結果として流血をもたらしたそれ――長い眠りから覚めた炎のゴブレットを守るように、黄金の魔法の環(サークル・オブ・マジック)が描かれていた。

 校長室に置かれたそれと、黄金の環を一瞥し、フェンネルはそっと息を吐いた。隅に控える室の主を見やり、彼の隣にいる旧友に小さく頷く。

 あまり時間もないことだし、と片手に杖を持ち、散歩するような気軽さで魔法の環へ近寄った。ひょいと跨ごうとして――ばちり、と何かが弾けるような音。見えざる巨人の腕に薙ぎ払われ、吹き飛ぶかに思えたが、フェンネルはくるりと杖を回し、衝撃を相殺した。それでも数歩よろめく。靴底が固い音を立てた。

「……先生」

 魔法の環の外で、フェンネルはこきりと首を鳴らした。

「下手したら大怪我ですよ」

 悪戯好きな、好奇心旺盛な「子どもたち」ならね。

「私だったからよかったものの」

 壁に人型の穴でも空けるおつもりで、とフェンネルは苦言を呈する。

 大魔法使いアルバス・ダンブルドアが試しに引いた魔法の環――年齢線は確かな効力を発揮した。十七歳未満の者は踏み入るべからず、という禁の通りに法則は動いたのだ。前世があろうが関係なし。完璧に作用した。

「では、この設定で問題はないの」

 生徒の苦言をさらりと受け流し、ダンブルドアは頷いた。別に聞いていないわけではない。大魔法使い殿は仮にも校長であるからして、生徒の安全には配慮するであろう。不用意に踏み入った者への罰則を調整するはずである。

「少々の抜け道があるかと思いますが」

 ミネルバが首を傾げた。興味深そうに炎のゴブレットと年齢線を眺めやる。

「抜け道を突くならそれでも構わない、と」

 そういうことなんでしょう。フェンネルはダンブルドアをちらりと見やった。ダンブルドアは知らぬふりで髭をしごいていた。おおっぴらにイエスとは言えないだろう。

使い魔(ペット)を使ってぽいっと入れれるだろうし」

「投げ入れるのも可でしょうね」

「もちろん誰かに頼んで入れるのも」

「なにせゴブレットには細かな制限がないはずです」

「そうそう、昔は十五歳以上が参加推奨だったとか?」

「ええ、フェン。私も調べましたとも」

 そして選ばれた者たちが死んでしまったのです。夥しい犠牲と言ってもいいほどに。

 レイブンクローの秀才と、グリフィンドールの才媛――旧友同士で頷きあう。ダンブルドアはぼそっと「仲がよいのお」と呟いた。そして付け加えた。

「フェン、君の名前は入れられないようにこっそり設定しておいたからのお」

「私が入れると思いますか?」

「ほれ、誰かが入れるかもしれないじゃろ。面白がって」

「そりゃあ……投じられた候補を吟味するのがゴブレットでしょうが」

「君が代表選手になったら優勝するじゃろ」

「買いかぶりですよ。ゴブレットの設定をいじってまで制限をかけるって」

 そんなもの。純血の大名門で、戦好き、それこそ創設者の末裔で、没落もせず千年生き延びたトンデモとかじゃないと、確実に勝利するなんて無理でしょうよ、とフェンネルは笑う。

 勝負事には番狂わせが付き物で、たとえ前世がヴォルデモートの弟であろうと、優勝するとは限らない。なにせ十四歳で、正直に言えば身体がついていかない時があるのだ。

「私は穏和しく学生をしていますとも」

 だから先生ご心配なくと言って、ひらひらと手を振った。三校対抗試合の開催が宣言されて約三十分が経過した。いい加減、玄関ホールに炎のゴブレットを設置しなければ格好がつかないだろう。言うまでもなくダンブルドアは分かっていた。「お茶でも飲んでから帰りなさい、ロディ」と片眼を瞑って、彼は出て行った。

 ミネルバがさっとお茶の用意をしてくれる。礼を言って出されたクッキーに手を伸ばした。夕食は口にしたものの、食べ盛りの年頃だ。急遽呼び出され、年齢線の試験係にされたこともあり、胃が空腹を訴えていた。

「ロディ」

「なんだい、ミネルバ」

 ミネルバは優雅に茶器を傾けている。昔からきちんとした魔女であった。たしか母親が良家の出で、父親がマグルの牧師だったと聞いていた。行儀作法をきちんと仕込まれたのだ。

 孤児院の出で、てんで作法が分からなかったので、こっそりと彼女の真似をしていたことを思い出す。

 レイブンクロー生は出自のわからない「リドル」をマグル生まれだと思っていた。兄がスリザリンに組分けされたので、疑いは黒に近い灰色であったけれど。それでも、出自が知れないのは確かだった。あの時代、マグルを嫌っていたのはスリザリン生だけではなかったのだ。うっすらと、潜在的に、毒のように「マグルと魔法族は違うもの」という認識があった。

 入学して一ヶ月ほどはレイブンクローの長テーブルの隅にいたのだ。フィリウスも一緒だった。彼は小柄で、小鬼混じりと揶揄されていた……。

 ロディアもフィリウスも頭角を現して、隅に追いやられることはなくなった。秀でた者に敬意を払うのがレイブンクローであった。

「あなた、穏和しい学生ぶっているけれど」

 苦笑の滲む声に、眼を上げる。

「相当目立ったのではなくて?」

 クッキーを飲み込む。きちんとつくられたもののはずが、やたらと焦げ臭いではないか。

「ハリー・ポッターの双子の兄だからね」

「ボーバトンのお嬢さんに付き添い、外套(ローブ)まで貸して」

 ミネルバの眼が光っている。まるで猫のように。爛々と。楽しんでいらっしゃる。

「戸外は寒く、令嬢……というか、ボーバトン生は震えていた。しかも知り合いで、駆け寄られて……選択の余地なんてあるか?」

 仕方がないだろうボーバトンの制服は薄かったんだから、とぶつぶつ言う。ああ、考えたくない。野郎どもの嫉妬の眼よ。ロジャーなんてフラーを見て胸をときめかせ、いやむしろ溶かされていた。そしてフェンネルに射殺さんばかりの眼を向けていた。そこら中から向けられる視線を無視するしかなかった。少し浮かれた十四歳、それか女の子を景品のようにしか思わない馬鹿ならば、にやにやしていたのかもしれない。そんな真似は断じて嫌であった。フラーとフェンネルは奇妙な縁で知り合ったに過ぎず、未遂に終わった災禍と獣殺しの秘密を共有する仲なだけだ。

 ひとまず、フラーが対人恐怖症とか、男性嫌いとか……無理もないが……人間不信とか……になっていないようでよかった。もし悪夢にうなされているようであれば、忘却呪文かなにかを使って処理も検討しよう。自身に忘却呪文をかける、あるいは悪夢除けを施すのは難しいが、他人への処置は可能だ。悪夢や魂の疵について、フェンネルは詳しいのである。

「あなたは昔から紳士だったものね」

 ミネルバがくすくすと笑う。フェンネルは鼻で笑った。

「紳士がすなわち善とは限らないけれどね」

 容姿端麗などこかのトム・マールヴォロ・リドルがいい例さ。

 

 ボーバトンの麗しの君との再会、それに伴う嫉妬問題などどこかに吹き飛んだ。ミネルバとのお茶会からおよそ二十四時間後。十月三十一日、大広間脇の室に飛び込んだフェンネルは、卓に手を突いて吼えた。

「年齢線は作動していたし、仮に弟の名前が入れられていたとして」

 選ばれるのは無理があるでしょう!

「それこそ代表選手候補を全員片づけるか――」

「フェン」

 落ち着きなさい、とダンブルドアが言うのを無視する。ミネルバは「物騒なことを言うのはおやめなさい!」と小さく叫んだ。それでもフェンネル・ポッターは止まらなかった。そう、弟が四人目の代表選手になってしまい、周囲の制止も聞かずに室に討ち入るくらいには箍が外れていた。

「ゴブレットを騙すか……」

 と、言った時、軽い拍手が響いた。マッド・アイが青い義眼を煌めかせ、乱入者であるフェンネルを見ていた。すっと熱が冷めていく。フェンネルは周囲を見回した。頭の痛そうな顔をしている弟、渋い顔をしているセドリックは壁際にいて、ビクトール・クラムは扉の近くに陣取っている。フラーは暖炉の側にいた。そうして中央付近――つまりフェンネルがいる卓のあたりは人口密度が高かった。マッド・アイに、クラウチ・シニア……いささか顔色が悪く、無礼な乱入者に侮蔑の眼を向けている。ルード・バグマンは対照的で、わくわくしている様子を隠さない。ミネルバとダンブルドア、ボーバトンの校長とダームストラングの校長は眉間に皺を刻んでいた。

「騙した者がいるとして――どういった手段をとると思う?」

 ムーディ、とクラウチ・シニアが舌打ちする。余計なお遊びをするな、ということだろう。たかが学生、しかも許しもなく室にやってきた者の意見なぞ、と。

「レイブンクローは叡智を尊ぶ」

 そして好奇心旺盛、向上心に富む……とマッド・アイは囁く。炎のゴブレットについて、代表選手の選抜について考えなかったとは言わせないぞ、と彼の眼は語っていた。生来の眼も、義眼も。

「投じるだけなら、理屈の上では可能でしょう」

 問題は「確実に選ばれる」方法だ、とフェンネルは呟く。

「候補を始……行動不能にするのは、手間がかかる」

 ダームストラングの校長が「あの子は本当にポッターか?」と言うのを黙殺した。ポッターです。前世はマクファスティーです。兄はお前のご主人様だよイゴール・カルカロフ。

「十七歳以上の間に十四歳が割って入っても、選ばれる可能性は無きに等しい」

 ゴブレットに異常を引き起こし……三校対抗試合を四校対抗試合とでも思わせて、四校目の候補を一人にすればいい。

「あくまでも、理屈の話ですが」

 と、締めくくった。

「レイブンクローに十五点やろう、ポッター」

「……正解だったと?」

「素晴らしい頭脳だ」

 マッド・アイに誉められて、感激するどころか複雑な気分であった。なにせこいつは死喰い人をぼろぼろにした男である。おっかないと評判であったし、腕やら足やらを切り落とされた者も多かった。ロディアはせっせと治療し、銀の義手やら義足やらをつくってやった。兄が聖マンゴから癒者を攫おうともくろんでいたので、ならば私が、と手を挙げたのである。用済みになったら癒者を殺し、また攫い……するのが目に見えていた。兄はよく育った野菜こと成果物、つまり使える人材がそこらの畑に植わっているとお思いだったのだ。そんな都合よくいるものかよ。引っこ抜いて捨ててでは、そのうち行き詰まるに決まっているのに。

 どこかで育てなければいけないし、それには手間がかかるものだ、と兄に言った。犯罪組織で常識を説けるのは私くらいしかいなかったのだ……と意識が逸れかける。どうにか、喫緊の課題に向き合うことにした。

「素晴らしい頭脳を持っている僕から提案なのですけど」

 過去のあれこれを胸の奥底に封じ込め、フェンネルは弟を見やった。そうしてクラウチ・シニアのほうに視線をやった。

「双子なら同一人物みたいなものでしょう。ゴブレットの制約にも引っかからないのでは? 生き残った男の子を危険にさらすのなら」

 兄のほうを放り込んだほうがよろしいでしょう?

 さらりと言った。場が静まりかえった。ルード・バグマンが腹を抱えて笑い始め、混沌が満ちた。

「はははは! 自分で売り込み始めたよ! そのぺらぺらとよく回る口、ジェームズ・ポッターにそっくりだ!」

 バグマン、とクラウチ・シニアがたしなめるように手を振った。そうしてため息を吐き、フェンネルをまじまじと見た。

「フェンネル・ポッター。残念ながら無理だ」

 双子は双子でも、君たちは二卵性だろう?

 正論にぐうの音も出なかった。そうなのだ、フェンネル・エムリス・ポッターとハリー・ジェームズ・ポッターは二卵性の双子。つまり、同じ日に生まれた兄弟。

 一卵性と違って、鏡写しの存在ではないのだ。

 

 

「……ちっさい男だな」

 四人目の代表選手が選ばれるという椿事から二日後。湖畔の側にある樹にもたれ、フェンネルは鼻を鳴らした。昼食――サンドイッチが不味かったわけではない。

「じゃあ僕はどうなるんだって話だが?」

 なあ弟。ちろりと隣を見れば弟ことハリー・ポッターは苦々しい顔をしていた。具体的に述べると眉間に皺を立て、今にも舌打ちせんばかりであった。

「あのねえ、フェン。僕は好きで生き残った男の子になった覚えはない」

 知っているさと返し、口端を吊り上げる。

「一年生の時に賢者の石を守り、二年生では継承者騒ぎ。三年生だとアズカバンの囚人とご対面……」

 なんだったかな。お前、一般人です平凡ですという顔をしている割に、禁じられた廊下へ行ったり、真夜中に寮を出て大減点を食らったり、ポリジュース薬を作ったり、と好き放題しているよな。いやあ、お兄ちゃんはびっくりだなあ。

「……ふ、不可抗力だし」

「何割かはね」

 軽く言い、フェンネルは続けた。

「今更お前が代表選手になったからといって、臍を曲げるほうがどうかと思うね」

 お前が目立ちまくるのなんて分かり切っている。仮にも三年、今年で四年目に入っておいて、ハリー・ポッターがどういう人間か分からないほど馬鹿かね。

「僕が抜け駆けしたと思っているんだよ」

 ロンは、と弟が吐き捨てる。処置なし、とフェンネルは眼を瞑った。

「あの室で言ったように、名前を入れることができても選ばれるとは限らないわけで、小細工でもしないと無理なわけで、まあなんだ、ロニー坊ちゃんは劣等生ではないと記憶していたんだが?」

「理屈がどうでも、僕が選ばれたことがお気に召さないらしいよ」

「いっそのこと、僕が選ばれていれば丸くおさまったのにな」

 どうしようもないな、と軽く流した。嫉妬というものは厄介なものだ。下手にため込んで、ここぞというときに爆発されるよりはマシかもしれない。

 たとえば、ワームテールのように。優秀で華やかな三人と、地味な一人。

 始まりは友情で、強固な絆を育んだのは本当だとして。後に破綻してしまった。ワームテールは彼らになにか思うところがあり、膨れ上がり、どうしようもなくなったのかもしれない。裏切った理由の一つに、拗らせた劣等感、あるいは嫉妬がないとは言い切れない。どうせ監獄にいるワームテールに訊いたところで頷かないだろう。羨ましかった妬ましかったと認めるよりか、ご主人様が怖かったんです仕方なかったんですと言うほうを選びそうである。底まで堕ちたからこそ、くだらない自尊心を守りたいと思う輩はいるものだ。もうそれしかないから。

 ワームテールの動機など、あってないようなものかもしれない。すべてはフェンネルの推測でしかないのだ。ただ結果のみが残った。ポッター夫妻は死に、シリウスは陥れられた。十二年後、彼は無罪となり、ワームテールは監獄の闇に沈んだ。

「……フェンには代表選手の座を譲らないんだから」

 低い低い声に、我に返った。弟の眼の鋭いことと言ったら。

「いや、そんなに欲しくないし」

 ゆるく首を振る。弟は面白くなさそうな顔をしていた。不本意ながら、台所の汚れを見つけたペチュニア叔母を思い出した。あの人は綺麗好きなのである。そしてこれまた不本意なことに、フェンネルの綺麗好きも叔母の影響であろう。家事を押しつけられているうちになるべく綺麗に台所を使うほうが、結果的に楽だと知ってしまったのだ……。

「フェンは僕がなんにもできないと思ってる」

 勝てっこないと思ってるし、途中で脱落すると思ってるんだろう。だから。

「自分が代わりに出るってクラウチさんに言ったんだ!」

 勢いよくまくし立てられ、フェンネルは口を開け閉めした。ええ……?

「だって明らかに罠だろう」

「誰が賢者の石を守ったんだ。『秘密の部屋』に乗り込んだんだ」

 ホグワーツに来る前はダドリーたちに追いかけ回され、来てみたら真夜中の決闘騒動とか、思い出し玉とか、箒から落とされそうになったりとか、禁断の森に行かされたりとか、賢者の石とか。

「色々あったけど」

 僕はこの通り生きてるよ。

「これは僕に仕掛けられた罠で、僕に対する挑戦なんだよ。それをなんだ、兄ぶってさ」

 弟にいくら理を説いたところで無駄だ、とため息を吐いた。なるほど? 兄には坊や扱いされて腹が立つわ、親友に嫉妬からの八つ当たりをされて参っているわ、と。

「そろそろ授業だから」

 昼食の時間が終わろうとしている。校庭を突っ切って、城に駆け込んでもぎりぎり授業に間に合うかどうか。

 さっと立ち上がり、サンドイッチの残りを湖に投げた。大イカの脚が恵みを掴み取り、水中に没した。

 弟を振り返りもせず、フェンネルは足早にその場を去った。

「……グリフィンドール気質をここぞとばかりに爆発させなくても」

 校庭を小走りで駆けながらぼやく。弟は、こうと思いこんだら一直線なところがある。たとえば、賢者の石を盗もうとしているのはスネイプだ、とか。スリザリンの継承者はマルフォイに違いない、とか。なんというか、わかりやすい答えに飛びつく傾向があるのだ。思いこみが激しく、頑固。強情。よく言えば意志が堅い。シリウスがいい例だろう。友のためなら命も懸ける。そして十二年もの間、監獄の闇を耐え抜いた。

 よく考えれば両親はグリフィンドール、名付け親もグリフィンドール。フェンネルだけがレイブンクローなのか……といささかうんざりした。寮による、あてにならない性格診断なんて考慮するべきではないとわかっている。それでも、弟の思いこみには参った。

 なんにもできないと思っているわけではない。弟は「生き残った男の子」と呼ばれ持ち上げられてもいい気にならないし、過激な純血主義でもないし、家庭環境で――これはウィーズリー家のことだが――友達を選ばなかった。いつの間にあんなに没落したのだウィーズリー家は。ロディアの時代では、血を裏切る者と囁かれはしたが、いわゆる……嫌な言い方になるが……貧乏人の子沢山のようなことにはなっていなかった。

 ウィーズリー家から話を戻そう。つまり、弟はダーズリー家で育ったにしてはまっすぐな性根であるし、なにもできない坊やだとは思っていない。根性なしとも思っていない。一年生の時にどこかのヴォルデモートを阻止しようとしたくらいなのだ。単に、無知ゆえの無謀ともとれる。だが弟が自ら動こうとしたのは確かだ。まさしく勇猛果敢なグリフィンドールではないか。

――フェンネルは

 かつてのロディアは、兄に従った。逃げ道を塞がれていたといえばそれまでだが……マクファスティー一族を盾にされ、闇の印を刻まれ、ついでに朧な記憶によると……自裁禁止まで組み込まれていたはずだ。ひとつ胞の兄弟ゆえに巻き込まれるのは必至。お先真っ暗とはいえ、碌な魔法も使えない十一歳の子が、胸に勇気を、眸に決意を宿らせてヴォルデモートと対決しに行ったことを思い返せば――身の内を噛まれるような痛みがはしろうというものだ。

「お兄ちゃんはもう知らないぞ」

 虚空に向かって囁く。お前は僕のことをお節介だと言い、余計なことをするなと言ったんだから。

 やれるだけやってみろ。

 あれの狙いがなんであれ、最悪の事態だけは防いでやる。

 

「こっちにもいいお店があるじゃない」

 それはよかった、と返す。フランス語ではなく、英語で。お嬢様は英語が上手になりたいそうだ。

 隅の席に通され、腰を落ち着ける。ホグズミード、いかにも女性が好きそうな喫茶店は満員御礼である。なぜならばボーバトンのお嬢様たちで埋まっているから。発端は単純である。ボーバトンのご一行はレイブンクローの長テーブルで食事をとる。よって接触が増える。なし崩しに城の案内もする。フェンネルとフラーは「劇的な再会」をした仲と噂になっている。そして数日前、フェンネルはフラーに相談された。せっかく英国に来たんだもの、どこかお出かけできるところはないの? と。

 相談場所が大広間じゃなくてよかった。野郎どもに拘束され、湖にドボンでもおかしくなかった。幸いなことに校庭――ボーバトンの馬車の側で会ったのだ。フェンネルは森の奥深く、とある洞窟でドラゴンの世話をした帰りであった。グリンゴッツから盗んだドラゴンはあまりに傷だらけで怯えていたので、治療してゆっくりと休ませる必要があったのだ。ダンブルドアの許可はとっている。きちんと隠しておくように、との仰せだ。

 ドラゴンの件などおくびにも出さず、ホグズミードくらいだねと返した……ら連れて行くことになったのだ。ボーバトンのお嬢様方を。

 目立って仕方がなかった。ただの観光案内で通せるか不明。なにせフェンネルの隣を歩いているのがフラーなのだから。いつ何時呪いが飛んできてもいいように、身構えるはめになった。あいつ、フラー・デラクールとお近づきになった上に、お嬢様方にきゃあきゃあ言われているぜ、とおどろおどろしい声がした。だから観光案内だよ。

「そちらほど洗練されていないかもしれないけれど」

 声を落とした。片や無骨な城、片や宮殿。片や島国、片や大陸。片やローブ、片や青絹の衣だ。文化的な差異がある。どうやらお嬢様方はホグワーツが寒い石造りのお城、洒落てないとお思いなのは知っている。

「ダンブルドアが偉大な魔法使いで」

 ホグワーツが古くて由緒があるのはわかっているのよ、とフラーは瞬く。青い眼はたいそう気まずそうにしていた。なんだか虐めている気分になってきた。腹の中でなにを思っていようが、口に出さなければよいのだ、とフェンネルは考えている。慣れない異国の生活で苛立ちが溜まっているだろうし、極力態度に出さないようにしているのはわかっている。確かに石造りのお城は寒い。地下牢なんてうんと寒い。

 店主(マダム)が注文をとりにやってきたので、フラーに断ってまとめて注文した。紅茶とスコーンとケーキである。

 お嬢様方の囁きも、なにやら「きゃあきゃあ」言っていることも、フェンネルとフラーが逢い引き客用区画に案内されたことも無視した。ここは皆で仲良くお茶会じゃないのか店主よ。野郎がフェンネルだけだが。わかっていますよという面で二人だけ逢い引き客区画に通すって。階が分かれているわけではない。単なる区分けだ。「お友達」たちがひらひらと手を振ってくる。ああ……見せ物を楽しんでいるな、と思いながら手を振り返す。くすくす笑われようが、フラーと一緒にお友達区画がよかった。みんなでお茶が無難なのに。

「到着した日は寒かったけれど」

 あなたがローブを貸してくれたから、あたたかったわ。

 フラーがテーブル掛けを熱心に見ながら言う。フェンネルは瞬き「たかがローブだよ」とぼんやりした返事をした。

 ここで気障な男ならば、いつでも貸すよと言うだろう。しかしフラーとお嬢様方はボーバトンの制服の上にきちんとローブを着ていた。ホグワーツの真っ黒いローブである。購買部は忙しかったらしい。

「……まだ寒いんじゃないか?」

 と、いうよりもフェンネルが見ていて寒いのだ。青の制服は美しいが……冬向きではない。

「私たち、常春の園からやってきたもの」

「羨ましいね」

 当たり障りのない情報開示だ。魔法学校は所在地を秘匿するものだ。ホグワーツとてあらゆる魔法で守られ、隠されている。フラーとてそれは心得ている。だからこそ「どこそこにある」とは言わず、宮殿がある、常春の園――おそらく見事な庭園があって、ボーバトン一帯が魔法によって春の国となっているのだろう。羨ましい。ホグワーツは寒すぎる。ボロい石造りのお城だから。

「お気に召すかわからないけれど」

 洋装店が確かあったと思うよ、僕は寄るつもりなんだけどと言ってみる。フラーが小さく笑んだ。

「あなた、押しつけがましくないからいいのよね」

 貸してあげるよ、じゃなくてよかったら、だし。今だってそうだし。

 普通のことだろう、と肩をすくめかけた。銀の妖精殿だって、謙虚なものである。その気になれば男どもをひれ伏せさせて、好き放題できるというのに。傾国の魔女の誕生である。

「……助けてやったんだから」

 よこせ、しろ、とか言わないし。

 滑らかに、さりげなくフラーは言う。彼女なりに苦労してきているのだろう。獣どもに襲われかける以外にも、たくさん。

「僕はそういうつもりで……」

 一般的な、まともな行動だ。特別じゃない。

 返しながら切ない気持ちになる。気の毒なことに「ヴィーラ混じり」だ。しかも容姿が優れている。どれほどの災禍を呼び寄せ、かわしてきたことだろう? 誇り高く――あるいは傲慢に振る舞っているのは鎧の一種だ。下手な獣を近づけないための。

「たぶん、君だけでも切り抜けられたよ」

 僕は馬乗りになられて、危うく殺されかけたわけだもの。

「だからまあ、感謝しなくていい。見返りがほしくてやったわけでもないし」

 唇に指を当てる。沈黙の仕草。秘密の共有。

「果実を求めるような馬鹿野郎なんて」

 腐ってしまえばいいんだよ。

 直接的な表現を避ける。洒落た喫茶店で、魅了の異能持ちゆえに面倒な目に遭ってきたであろう女の子相手に、あからさまなことは言いたくなかった。

「君は代表選手になった人だ」

 そこらの男じゃ釣り合わないだろうよ。

 

 フラー、そしてボーバトンのお嬢様方と店を出て、洋装店に行き――フェンネルは手袋を買った。なにも買わないわけにはいかなかったのだ――店主から感謝された。思わぬ来客と売り上げにほくほく顔であった。高貴なお嬢様方だから、くれぐれも、と冗談めかして言ったフェンネルの両手をぐっと握り、ぶんぶんと振るくらいには上機嫌であった。

 案内人は店主に見送られ、ボーバトンのお嬢様方を連れて城へ帰ろうとした。途中、ドラコ・マルフォイとダームストラングのお坊ちゃま方の一行とすれ違った。ああ、なるほどね。案内しているのね君も。

「……趣味の悪いこと」

 隣を歩くフラーが顔をしかめる。彼女はマルフォイのほうをちらと見た。

「温室育ちのお坊ちゃんだからね」

「ちらほらと付けている人がいたけれど?」

 応援しようバッジ、とフラーが言う。フェンネルは口笛を吹いた。

 セドリック・ディゴリーを応援しようバッジ。その実「汚いぞポッター」バッジ。なんだか知らないが、フェンネルがゴブレットを騙し、弟の名を入れたとお思いの馬鹿が発生しているのだ。お陰で弟はちょっと機嫌の悪いドラゴンになっている。マルフォイのやつめ。余計なことばかりする。

「ああいうのはよくないと思う」

 フラーはきつい声で言って、ねえ聞いてる? とばかりに肩に触れられる。

「お客さんが来ているのに恥ずかしいことだ」

 もう増えないから安心してほしい、とフェンネルは返した。ちらとフラーを見て、続けた。

「見つけ次第処理しているから」

 近づいてむしりとって握りこんで粉砕、という野蛮極まりない手法をとっているなどと、言うつもりはない。寒い石造りのボロ屋住まいかつ、野蛮人と思われるのは嫌である。

「第一の課題でぴかぴか光らせてるのはあいつだけ、なんてことになるかもしれない」

 お間抜けだね、と言って、フラーを促した。寒いお城に戻りましょう、と。

「……課題」

 もうすぐなのよね。

 フラーの横顔はいささか強ばっていた。フェンネルは長く息を吐いた。

「あの夜を乗り越えたんだ」

 怖いものなんてないだろう?

 慰めとも、励ましともつかない言に、フラーが頷く。年上のはずなのだけど――フェンネルの前世は考慮しないものとする――青い眸は心細そうであった。

 第一の課題は未知なるものとの対決だ。なにが出るかわからない……とされている。知らないものは怖いものだ。しかし、万全の状態で事に当たれるほうが珍しく、たいていの場合予期せぬときに「何か」が起こるものである。

 たとえば、異国の地、それも夜の森をさまよっていて襲われるとか。

 たとえば、兄によって組み敷かれた挙げ句に殺されて『分霊箱』にされるとか。

 フェンネルもフラーも、一番怖いものは同じだろう。

 人間こそが恐ろしい。

 ドラゴンとの対決なんてなんでもないだろう。そう、フェンネルは第一の課題が何か知っていた。

 ダンブルドアから散々釘を刺されたのだ。いいかロディ、弟が危ない目に遭っても、ちょっと焦げそうになっても、引っかかれそうになっても、竜騎士の出番はないからの、と。なにもするな見守るんじゃ。それからかわいそうなドラゴンはきっちり隠しておくこと! と。

 

 十一月某日。

 代表選手たちは第一の課題をやり遂げた。誰も重篤な怪我は負わなかった。

 だが、フェンネルは見てしまった。

 彼らに影が差していることを。セドリックにも、クラムにも、フラーにも。

 俗に死相、あるいは死の兆しと呼ばれるそれは。

 セドリック・ディゴリー……ホグワーツの真の代表選手に寄り添っていた。

 静かに、密やかに。

 今すぐ連れ去りたいと言わんばかりに。

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