【完結】Pandora   作:扇架

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十八話

「お前の宝物になったほうがよかったのかもしれない」

 第二の課題の翌日――午後。フェンネルは寝台の上に身を起こし、ため息を吐いた。

「なってくれてもよかったんだよ?」

 もうちょっといるよね、と弟が呟いた。フェンネルと寝台の背もたれの間にクッションを差し入れる。いくつものクッションがフェンネルを柔らかく受け止めた。

「大げさだろう。まるで病人じゃないか。迷わなかったわけじゃないぞ」

「好き好んで二度も湖に沈んだ挙げ句、体調を崩した病人だろう。迷ったんだ?」

 弟を眺めやる。寝台の傍らに椅子を引っ張ってきて、勝手に座っている。緑の眼は興味津々とばかりに光っていた。湖底という外部から手出しし難い空間にいた危険性をちっともわかっていない。ただの十四歳、稲妻を印されたばかりに事件に巻き込まれているだけの少年。

――死の影は、ない

 なぜ弟にだけ影がないのか。三校対抗試合は危険を孕む――たとえ十重二十重に安全策を巡らせていようと、危険が皆無というわけにはいかない。弟は望んで代表選手となったわけではない。罠のなかに引きずり込まれたのだ。最も危険なはずなのである。

 競技中に何事か起こって、死が降りかかるわけではないのか。単にフェンネルの眼が節穴で、弟に影なんて見たくないだけなのか。

 先視はなにもかも読めるわけではない。間違えることも多々ある。未来が変わることもある。すべてを完璧に見通すことができたとしても気が狂うだろう。先を読む者は狂気に囚われやすい。意味の分からぬ空言を喚き、聖マンゴに入れられたならばまだ幸せだ。あまりに正確に先を当てるものだから、叩き殺された例もある。確定した未来など、本当は誰も知りたくないのかもしれない。

「ロンは無駄に背が高いだろう?」

 謎の影のことは棚上げにして、弟の問いに答えた。

「好きで伸びたんじゃないと思うけどな……つまり?」

 弟が首を傾げる。もう少し察しがよくならないかな、と顔をしかめつつ、返した。

「僕のほうが軽いだろう」

 ロンを担いで泳ぐよりは楽だったはずだよ。溺れかけていたしな、お前。

「それこそ愛しのフラーに有利になるようにすればよかったのに」

 弟がにやりとする。ぐずぐずしてダンスパーティのパートナーを見つけ損ねるところだったくせに。ぐずぐずと湖底に残っていたくせに。お兄ちゃんが迎えに行かなけりゃ、お前とロンは溺れていたぞ、等々の反論を押し殺した。

「だから迷ったって言っただろう」

 セドリックにはチョウ、クラムにはハーマイオニーだ。どちらも男女の組み合わせで「運搬」は楽であったろう。フラーは優れた魔女だけれども、男ではないわけで。たとえ未成年とはいえ、男のフェンネルを運ぶのは不利である。

「ガブリエルが宝物になったほうが……」

 お前の言うとおり、フラーの負担は軽くなったはずだ。

 そっと息を吐く。ちらりと弟を見た。

「八歳の女の子を湖に沈めるってどうかな? という良心はあるだろう弟よ」

「……やめてよ。怖そうな水中人にぐるっと囲まれ、意識不明の人質が……だったんだよ。しかもフェンまでいるしって僕は」

 弟がぶるりと震えた。よほど怖かったらしい。心配せずともセドリックもクラムもフラーもほぼ恐慌状態だったようだから、弟だけが神経が細いわけではない。

「大切なものって言われて人質だと思わないだろ」

 ぶつぶつ。弟は今更苦情を申し立てている。心配せずともセドリックも――中略――人質なんて思ってなかったろう。

「ハーマイオニーはクラムに取られたし」

 というかお前とハーマイオニーの組み合わせはややこしくなりそうだし、ロンが人質にふさわしいと思ったんだよ。

「まさか調子に乗って脚色しているとは思わなかった」

 誤算である。弟曰く、ロンは水中人に襲われて拉致された、という風に話を盛っているようだ。馬鹿めが。

「拉致されたのは本当だろ?」

 弟が指を振った。フェンネルは眉間に皺を寄せた。拉致しましたけどね。さっさと話をまとめたかったし、気が立ってもいたのだ。

 図書館にロンを呼びに行き、連れ立って廊下を歩いている途中で「まだハリーは第二の課題の準備が」とごね始めたので面倒になった。美しい友情である。そんな友情があるなら人質になりたまえ、と失神呪文。ミネルバの室に放り込んだ。チョウは「いくら眠りに落ちるだけとはいえ、説明は必要じゃないの?」とフェンネルに苦言を呈した。無視した。ハーマイオニーは「ねえ、ロンを呼んでくるって言ってこれ? 人質が人質を拉致してどうするのよ」と苦言を呈した。無視した。ダンブルドアはどこかよそを見て、ミネルバは額に手を当てていた。ガブリエルだけが大興奮であった。失神呪文を使えるなんてすごい! そう、誉めてくれたのは小さな魔女だけだった。お兄ちゃんは悲しい。

「僕は水中人五十人に匹敵するわけか」

 せめて十人にしろよ、と言ってみれば「そこじゃない」と返された。

「フェン、君のせいで色々と霞んでいるからロンはちょっと脚色しちゃったんだよ」

「僕のせいかよ」

「そうだよ姫」

 言うや否や、弟は噴き出した。まさしく抱腹絶倒。鬱陶しいので沈黙呪文をかけて差し上げた。

「誰が姫だ」

 くそっ、と毒を吐く。麗しの妖精に救出された姫扱いである。泣いていいかな。途中まではフェンネルがいいところを持っていったのに。横抱きにしたのに。あれは運搬の都合上だ。それはいいのだ。つまり、観客たちは妖精に気絶させられ、ヒッポグリフに乗せられた一事を以て、フェンネル・ポッターを攫われた姫君扱いしておられると。

「いいか。僕は彼女を天幕までお連れ申し上げて、なかなかいい感じだったんだぞ。お前のことだって迎えに行ってやったのに」

 抗議したが、弟に鼻で笑われた。フェンネルは眼を細め、愚弟の額を指で弾いた。

 

 

――少なくとも不仲ではない

 ポッター家の兄弟仲には、特筆すべき点はない。

 たとえば、シリウス・ブラックとレギュラス・ブラックのように断絶していた……というわけではない。ブラック家はいわゆる純血家。しかも王族を自称するような家だ。歴史を積み重ねた名家ゆえ、しがらみも多い。

 シリウスから聞いた話だと、レギュラスはシリウスに対して思うところがあったようだ。成長するにつれて溝は深まっていった。最終的にシリウスは家を出て、レギュラスは『名前を言ってはいけない例のあの人』の下に馳せ参じてしまい、二人の道は分かたれた。そうして、レギュラスは湖底に沈み――あちらへ行ってしまったのだ。

 シリウスは血も涙もないどこかの卿とは違って、弟の亡骸を回収するだけの情はあった。いくら不仲であろうとも、弟を弔った。

 兄弟、あるいは姉妹にも色々いるということだ。弟を殺害する兄もいれば、弟を弔う兄もいる。姉が魔女だと忌避する妹もいれば、妹を可愛がる姉もいる。

 そしてポッター家の兄弟は、べたべたに仲が良いわけではないが、不仲でもない。それなりにやりとりをするし、相談事だって持ちかけられる。

「……なんでこうなる?」

 無事退院し数日が経った。三月の最初の金曜日、朝食の席でフェンネルは嘆いた。

「密やかな胸の痛み?」

 フラーが瞬く。長テーブルに置かれたゴシップ誌とフェンネルを交互に見た。

「いや、僕の心臓はどうでもよくてね」

 素早く言い、少し離れたところにいるロジャーをちらと見た。「読んでおけ」と寮で渡されたのだ。彼は新聞も――日刊予言者も、ホグワーツの新聞も――読むし、雑誌もあれこれ読む類であった。情報通の彼が渡してきたのだからなにかある、と思えばこれだ。ご丁寧に「フラーも読んでおいたほうがいいかも」と告げられ、疑問ばかりだったがこの瞬間に氷解した。

「あー……我が国の下劣な雑誌は」

 弟とその友人を標的にしたみたいで。どうしても歯切れが悪くなる。ましてや、隣にいる人物はボーバトンの才女であり、現在交際中の魔女なのだ。言いにくいったらない。腰あたりまであった、流れる銀糸をお切り遊ばされた魔女は、青い眼を瞬かせた。第二の課題で水魔に引き抜かれたり切られたりしたせいで、うんざりしたようだ。たまにはいいでしょう、と短くなった髪にご満悦なご様子。ちなみに不届きな水魔は、弟を迎えに行くついでにフェンネルが仕置きをしておいた。

「僕らも標的というか、なんというかで」

 唸りながらフラーに雑誌を渡す。彼女の母語はフランス語であるが、読み書きに不自由はない。ただ会話となると少し苦手なだけだ。苦手とはいえ、この数ヶ月で劇的な成長を遂げている。おそらく、早口の会話もできるだろう。

 彼女は記事を読み始め……段々と顔をしかめ、ついには眉間に皺を立てた。怒った顔も素敵、と馬鹿な野郎どもが胸を押さえているのが見えた。フェンネルは野郎どもを軽く睨みつけた。

「弟より目立つ兄とその恋人」

「フェンネル・ポッターは弟に代表選手の座を奪われたのがお気に召さなかったのか」

「ボーバトンの魔女を手に入れた……」

 二人はとにかく目立ちたがり屋。フェンネル・ポッターが弟の密やかな胸の痛みを……ハーマイオニー・グレンジャーとのことを応援するかは謎である。第二の課題では相思相愛な風で……。

「事実少々、誇張がたくさん」

 さすがゴシップ誌ね、とフラーは唇を舐めた。ほんのりと赤いその色から眼を逸らし、フェンネルは雑誌を閉じた。

「君と付き合っているのも、手に入れ……もさておき」

「唇は奪ったわよ」

 堂々と言われ、フェンネルは眼を瞑った。奪い奪われである。

「目立ったのは確かなんだが」

 弟の踊りがいささか拙かったから、フェンネルが的になったのだ。ダンスパーティの時はそうだった。第二の課題の時は、フェンネルが暴走した形になる。フラーも似たようなもので「姫」を、ヒッポグリフに乗せて攫ったのだから、そりゃあ目立つ。

 ゴシップ誌のおかげで、フェンネルを姫呼びする者は減るだろう。チョウなんて面白がって「やあ姫!」と手を振ってくる。セドリックはフェンネルをかわいそうなものを見るような眼を向けてくる。端的に言うと、フェンネルはみんなの玩具になっていた。

「仕方がないわね」

 私はどうしたって目立つもの。フラーは喉を鳴らす。まったく堪えていない。不愉快よ、と言うかと思っていたのだが。

 なあに、泣いてほしかったの? と問われ、フェンネルは首を振った。

「こんな雑誌ごときで、お嬢様が真珠の涙をこぼす筋合いはないからね」

「真珠にはならないけど」

 惚れ薬の材料にはなるわよ、とフラーが言う。フェンネルはくすくすと笑った。

「僕には必要ないね」

 雑誌に追い払い呪文をかけて飛ばした。行き先はグリフィンドールの長テーブルだ。

 誰かから聞かされるくらいなら、早いこと知っておいたほうがよいだろう。

 弟は見事に雑誌を掴み、首を傾げてフェンネルを窺い、数分後にはげんなりした顔をしていた。これも試練だ弟よ。どうせすぐに鎮火するさ……とフェンネルは思っていた。

「我が国の大人とかいう生き物の馬鹿さを」

 僕は過小評価していたらしい。

 ゴシップ誌に書き立てられた数日後の大広間で、事件が起きた。ホグワーツでは事件が起きる。フェンネル調べでは大広間は特に起きやすい。あとは玄関ホールとか、寮……は事件というよりも色々なもつれが起こりやすい。『秘密の部屋』は例外である。

 くだらないことを考えて意識を逸らす。片腕が灼けるように痛い。腫れ草の膿のせいだ。誰だ原液を送ってきたやつは。しかも噴射するようにしたなんて。

 無事か、と片腕を押さえながら言う。馬鹿なことをした。もう片方の手まで腫れてきた。ローブを溶かすような威力なのだから当然だ。

「医務室に」

 肩を掴まれる。フェンネルは安堵の息を吐いた。くだらない記事に踊らされた愚か者の狙いはフラーであった。腫れ草の膿は彼女の花顔を直撃しそうになったのだ……とっさに片腕を突き出し、フェンネルは攻撃を受け止めたのである。

「あなたが怪我をすることはなかったのよ」

 フラーが鋭く言い、フェンネルの無事なほうの腕を優しく掴み、促す。二人で席を立った。グリフィンドール方面が騒がしい。まさか、と思えばハーマイオニーも席を立った。遠目にみる限り――フェンネルは眼がよかった――腫れ草攻撃を受けたようだ。

 パドマとアンソニーに「すまないけど、手紙を回収しておいて。弟の分も」と頼みごとをして生徒たちの間を抜ける。

「ねえ、フェン」

 フラーが唸った。

「英国なんて捨てて」

 私と来ない?

「まさかこんなところで求婚されるなんて」

 扉の前で立ち止まる。

 違うのよ求婚なんて。だってあなたの国があまりにも酷いから! と大慌てであれこれ言うフラーを見ていれば、痛みが少しマシになった気がした。

 そうして、手を腫らしたハーマイオニーと合流し、医務室へ。

「ねえ、フェン」

 悪い顔をしていない? と彼女に問われ、フェンネルはにっこりした。

「どういう仕置きをしようかな」

 そんなことを考えていたんだよ。

 ひゅう、と口笛を吹いた。

 恋人に手を出されて黙っているほど、フェンネルは穏和しい性格をしていないのだ。

 愚か者どもには、きっちりと代償を支払っていただこうではないか。

 

 

 

 西風の神(ゼピュロス)が勢い盛んに舞い踊り、森の樹々が揺れていた。

 ざぁあ、という潮騒を思わせる葉擦れに耳を傾ける。魔法の環は西風と森の饗宴を遮断し、焚き火は心地良さげに揺れるのみ。

 フェンネルは小さく欠伸をしながら、串に手を伸ばす。いい具合に焼けたじゃがいもに一欠片のバターを落とした。そうして隣へと差し出した。

 ありがとう、ときつい訛りで青年――ビクトール・クラムは言い、すっと串を手に取った。熱々だというのにあっという間に平らげる。皿に載せた何本もの串に眼をやった。

「僕がやろう」

 君は手が不器用だ、とクラムは言う。たぶん不自由と言おうとしたんだろうなと推測したが、フェンネルは指摘しなかった。親切に水を差すことはない。

「じゃあお願い」

 あっさりと言って、フェンネルは作業に取りかかる。腫れ草の膿によって片腕が使用不能、片手にも包帯が巻いてある。別に厨房からもらい受けたじゃがいもを串に刺して焚き火に突っ込むくらいわけないのだが、クラムがやりたいと言うのだから、任せてもいいだろう。

 気難しい類だと思っていたクラムは、単に心の扉を堅く閉ざしていただけらしい。クリスマスダンスパーティにハーマイオニーを誘ったことからして賢明なのは明らか。純血主義ではなく、闇の魔術を教えると噂されるダームストラング生らしからぬ男であった。

 ホグワーツ生で、ハリー・ポッターの双子の兄であるフェンネルと、ダームストラング生でイゴール・カルカロフのお気に入りらしいクラムがどうして仲良く地べたに座り――椅子を出すかつくるかするのが面倒だった――焚き火に当たっているのか。フェンネルが誘ったからだ。

 腫れ草の膿事件の後、授業を一コマ蹴って治療を受け、魔法薬学を受け終わった。片腕使用不能、片手には包帯であろうとも、フェンネルは魔法族である。材料は切断呪文で切り刻み、あるいは粉々呪文で処理し、かきまぜる工程も魔法でどうにかした。さすがのスネイプも提出した薬に優をつけた。彼は「ポッター弟」に当たりが強く「ポッター兄」のほうは極力無視しているのである。

 レイブンクロー生とハッフルパフ生から労られ、賞賛され授業を終え、フェンネルは仕事を一つ片づけることにした。楽しい呪詛返しの時間である。できる仕事はさっさと片づけたほうが後が楽である。それに、腫れ草の膿のせいで腕と手が灼けるように痛んでいる今こそ、返しはしておくべきであった。

 昼食の時間を使えばよし、地下牢の男子トイレの鏡を割って破片を手に入れ、厨房に行ってじゃがいもをもらい受け、銀紙に包んだバターももらい、串ももらい、諸々を借りて便利な鞄に放り込んだ。意気揚々と玄関ホールに戻れば、クラムがいたのである。おそらくきっと昼食を大広間でとるつもりだったろう彼を、フェンネルは誘ったのだ。

 愛しのハーマイオニーの意趣返しをしない? と。

 地面に鏡の破片を置く。杖を当て歌うように呟けば、耳障りな音とともに呪文が刻まれた。いびつな四角形を縁取るように。主の下へ帰れ、というような意味である。痛みを、怒りを言の葉に込める。綴る者(エクリチュール)ならばもっと美しい文字を刻むのだろうし、送られた呪詛を何倍にも増幅するのだろうが、他愛もない呪詛相手には十分であろう。

 腫れ草の膿は「他愛もない」分類に入る。頼んで回収してもらった手紙を調べてみたが、今回のふくろう便の中で最も悪質だったのが腫れ草の膿であった。他はハーマイオニーを中傷する内容であったり、フェンネルとフラーを目立ちたがり屋と非難するものだった。

 両手を広げたくらいの鏡に、呪文を刻み終わる。革袋をひっくり返し、手紙を落とす。クラムからじゃがいもを受け取り、小さくかじった。アルミホイルに包んでトースターもありだし、ラップに包んで電子レンジもありだが、たまには焚き火もいいものである。なかなかおいしい。

「こんないい加減な呪詛返しがあってもいいのか?」

 クラムがぼそぼそと言う。焚き火に当たり、じゃがバターを食べながら呪詛返し。彼の言うこともわからないではない。フェンネルだって本気でやろうと思えばできる。手紙に染み込む悪意を十倍、二十倍に膨らませ、返してしまってもいいのだ。そうしようとすると手間がかかる。適当な小動物を惨たらしく殺し……とか、頭蓋骨を……とか、血を使って……とか、趣味の悪い闇の魔法使いじみたことをするはめになる。

「じゃあ、セクタムセンプラでもくっつけて返すか?」

 できるよね、と言ってみればクラムは眼を逸らした。さすが闇の魔法学校出身者。できるらしい。ダームストラングは黒に近い灰色の学校である。もちろん、創立当初は闇の魔術なんて教えていなかった。創設者は確か魔女だ。賢明なる魔女がつくった学校は転換を余儀なくされた、とされる。最も有力な説は、創設者は側近によって暗殺された。まんまと後釜に座った某氏こと暗殺者により、ダームストラングは武に特化した魔法学校に変貌した。よほど創設者が目障りだったのか、それまで純血の男女の入学を許可していたのを、純血の男子のみの入学に制度を改めたのである。

「あまり乱暴なのはいけないと思う」

「ウロンスキー・フェイントをやっておいてよく言うよ」

 試合を観たけれど、言葉が出ないほど見事だったよと言う。すると、クラムの眼が輝いた。

「君の弟もすごかった」

 ドラゴン相手に、あんなに巧みに『炎の雷』を操るなんて。あれは速さに身体をついていかせるのにコツがいるんだ。もちろん均整が取れた作りだけれど、それでも軽々と乗りこなせるものじゃない。

 クラムは熱心に言う。ダームストラングなんていう闇の魔法学校にはふさわしくない男である。驚くほど素直で、年下の競争相手だろうがきちんと誉める。俺様は世界一のシーカーなんだぞ、と偉ぶってもいいのに。そう、どこかの闇の魔法使いならばそうする。あれはクィディッチなんぞに興味を持たなかったが。俺様は一番だとばかりに闇の道をひた走り、史上最高に馬鹿な真似をし、己の魂を切り裂いたのである。

 ダームストラングがゲラート・グリンデルバルドを輩出した闇の魔法学校ならば、ホグワーツだってヴォルデモートとかいうクソを輩出した学校なのだよな……と遠い眼になった。

「……それで、ちょっといじって返すだけなんだろう」

 はっとしたようにクラムが言う。フェンネルは瞬き、暗い想像を頭から追い出した。

「なんなら悪霊の火でもなんでもくっつけてくれて結構」

 軽く言い、手紙を睨めつける。ハーマイオニー、フェンネル、フラーを狙ったものを合わせてみると、ざっと三十通あった。困ったことに等分して十通ずつではない。ハーマイオニーが二十、フェンネルが三、フラーが七という具合だ。つまり、ハリー・ポッターの双子の兄に「苦言を呈する」のは怖くても「マグル生まれの悪女」と「フランスのふしだら女」への嫌がらせは喜んで、ということだ。性根が腐っている。

「主の下へ帰るべし。使者はお前を見つけ出す」

 柔らかく囁く。紡がれた言葉は、黒い輝きとなってたゆたう。ふっと息を吹きかければ、するすると手紙に吸い込まれ、闇の色に染めた。

 クラムもフェンネルに倣った。手紙から、鉄錆の香が立ち上る。

 暇なやつら、と呟く。フェンネルたちが呼び起こしたのは、手紙に染み着いた念――呪詛だ。

 なんでマグル生まれの魔女が、おもしろくない、兄のくせに弟を支えない、男をたぶらかす魔性の女め……そういった念を揺り起こしたのだ。少し中傷してみただけ、少し腫れ草の膿を送っただけ。別に死んでいない。単なるお仕置きだ。わからせなければならない。本気ではないと言いつつ、呪いを送っていないと言いつつ、性質の悪い所業。大人のふるまいなんて忘れた、我が儘勝手な連中の悪意。

「報いを」

 受けるべし。最後の一音を紡ぎ終えれば、鏡が闇色の炎を噴き出し、手紙を包んだ。影が次々と飛び出し、虚空へと消えていく。

 矢のように、まっしぐらに。

 主の下へ飛んでいった。

 

 

 それから一週間ほど、手紙がやってくるたびにフェンネルは処理した。せっせと呪詛返しをしたのである。たいていの場合、クラムが一緒であった。

「手紙を証拠にして」

 抗議したほうがいいのでは、と彼は言った。実にまっとうな意見だったが、フェンネルは却下した。呪詛返しのあと、手紙をさっさと燃やすのが恒例行事と化していた。

「フラーが事を荒立てたくないって」

 臆したわけではない。フラー・デラクールという女は、鼻っ柱が強い。どこぞの阿呆どもから手紙を送りつけられ、激怒していた。が、怪我人であるフェンネルが平然として、淡々と処理しているものだからなにも言えなくなってしまったのだ。片腕も片手もすっかり元通りだというのに、未だに様子を窺ってくる。

「君が攻撃されるのが嫌なんだろう」

 クラムが息を吐いた。串に刺した肉――こんがり焼けている――に食らいつく。ダームストラングは魔法を使う時以外は、基本的に火を使わないらしい。戸外での焚き火など論外。きっと学校の中に暖炉もないのかもしれない。それとも煙突飛行用に一つ二つくらい、暖炉があるのだろうか、と考えを巡らせつつ、クラムの横顔を眺めやる。肩から力が抜け、どこにでもいる青年に見えた。

「僕らは客人で」

 夏になれば帰らなければならない。

 クラムの眼は実に切なそうであった。よほどハーマイオニーのことが気に入ったようだ。有名なクィディッチ選手で、女の子なんてそこらから根こそぎ攫っていけるだろうに。見た目に惑わされず、賢いハーマイオニーを選んだのだ。もちろん、ハーマイオニーはけして不細工ではないし、性格がひねくれているわけでもない。フェンネルは他者の容姿にそこまで拘らないし、ロンのように女の子の見た目を鼻が真ん中からずれているどうこう、と評したりはしない。どうせ人間の顔なんて、左右差があるのである。鼻が多少ずれていたって不思議はない。

 ロディアはあの兄と同じ顔をしていて、整ったなにかを見たいなら鏡を使うか兄を見るかで済んだ。今世のフェンネルとて、端正な顔立ちと言える。容姿なんてほぼ遺伝子で決まるようなもので、あまりぐちゃぐちゃと言及するものではないだろう。

 でも、自分だってフラーの恋人になってしまったわけで、彼女は下手をしたら傾国の美女になりかねない女であって、やはり自分はかなり面食いなのでは? と悩みながら返した。

「客人に手を出したのは英国だぞ?」

「それでも、僕もフラーも少々波を被ったところで問題ない」

「荒立てまくって国際問題にしてもいいんだぞ」

 フラーにした問いを、クラムにもしてみる。

「僕もフラーと同じだ。ハームオウンニニーに悪いことが降りかかるのは困る」

 めんどくさいな、ゴシップ誌の編集部だか、リータ・スキーターを滅ぼせばいいかな、とヴォルデモートの弟だった者は思った。

 三校対抗試合を開催しながらお粗末なのだ。選ばれるはずのない四人目の代表選手。兄の介入によるものだろうがなんだろうが、華々しく伝統の復活を宣言しておいて、出鼻をくじかれた。なにが公明正大な炎のゴブレットか。ホグワーツひいては英国魔法省はそれほどに優勝者を出して各国に印象づけたいのか。落ちぶれた英国は見事に復活し、闇の影などない、と。

 現状はどうだ。英国の復活を喧伝するどころか、落ちぶれた様を晒している。三校対抗試合は親善試合。三つの学校の交流の場である。だというのに英国にいるどこかの善良で無知な愚か者どもが暴走しているのだ。

 一つ、マグル生まれの女の子を攻撃した

 一つ、ボーバトンの女の子を以下略

 一つ、ハリー・ポッターの双子の兄以下略

 うんざりである。英国は純血主義です、親善試合にやってきた他国の魔女も攻撃します、ハリー・ポッターの双子の兄も気に入りません。外から見たら最悪だろう。結局ヴォルデモートがいいように使った純血過激派思想がはびこっていて、気に入らないものはなんでも攻撃して、たいしてなにも考えていません、と言っているようなものだ。

「三校対抗試合、百年後でもよかったんじゃないかな」

 ぽつ、と呟けば肩を叩かれた。

「どこにでも、過激なやつはいる」

 実にまっとうな青年である。誰だ、クラムのことを地上じゃちょっとO脚気味とか言っていたのは。弟である。弟はたまに口が悪いのだ。どうせ人間、歩き方に癖が出るのだ。O脚でなにが悪い。

――カルカロフのお気に入りとは思えないな

 いや、カルカロフがクラムにすがりついてるようなものか。有名クィディッチ選手を抱えるダームストラング、その校長なのだぞと鼻高々。いくらでもクラムに便宜を図るし、贔屓もしましょう、だ。

 馬鹿なのではないか。ダームストラングはゲラート・グリンデルバルドを輩出した「闇の魔法学校」だ。あまり評判はよくない。そこの校長におさまったとて、名誉と言えるかどうか。いくらクラムのようなまともな生徒がいようとも、ダームストラングの悪評を払拭するのはまだまだ時間がかかることだろう。

 あまりよろしくない学校だからこそ、校長のなり手がカルカロフくらいしかいなかったのかもしれない。彼は死喰い人だ。仲間のことを吐いてアズカバン行きを逃れた不忠者。ヴォルデモートなんてどこかに消えました、とお思いだったからこそ、表舞台で目立つ地位に就いたのである。しかし、呑気なカルカロフ氏は最近泡を食ってスネイプを訪ねたとか。

 ちょうど手紙の第一便がやってきた頃……だいたい一週間前である。弟曰く、魔法薬学の授業に乗り込んできたカルカロフは、どうしようの大騒ぎだったらしい。

 フェンネルは寒い廊下の端で、弟からさっさと聞き取り調査をした。大騒ぎって、わめき立てたのかどうしたのか? 焦っているみたいで、ローブの袖を捲り上げて、スネイプなにか見せてた。はっきりしている。あれ以来……とか言っていたよ。

 好奇心旺盛な弟は、二人の会話を盗み聞きした。鰓昆布は盗まなかったくせに――ドビーの仕業らしい――人の会話をこそこそ聞くのが弟である。ちなみにスネイプに毒ツルヘビの皮の千切りの盗難容疑もかけられたとか。ねちねちといびられたようだ。だからこそスネイプのもとい、カルカロフの怪しげな行動が気になったのだろう。

 フェンネルは「カルカロフは元死喰い人だから気をつけろ」とだけ言って、弟と別れた。スネイプも元死喰い人だとは言わなかった。記録を漁ればわかる話だが、いちいち言う必要はない。ダンブルドアに首輪を付けられた元死喰い人。賢明にも兄を裏切り、ダンブルドアの下へ参じた理由は不明。親愛なる校長は教えてくれなかったし、フェンネルも興味がなかった。

 ダンブルドアは秘密主義だ。手札は慎重に切る類である。フェンネルの正体について、マッド・アイにもスネイプにも漏らしていない。

 マッド・アイはルーファス・スクリムジョールと並んで死喰い人に恐れられていた。年を重ね、疑り深くなり、自分の影すら信用しないとか。闇の陣営を憎む彼は、フェンネルの正体を知れば処分しかねない。過激、と責めることはできなかった。ヴォルデモートによって流された血は夥しいもので、英国は麻のように乱れてしまったのだから。

「過激な愚か者はともかく」

 たかが呪詛付きの手紙なんて可愛いものだが、考えなしの愚か者なのは間違いない。

 フェンネルはいい焼き具合になった肉串をクラムに差し出す。自分も肉をかじり、続けた。

「問題は、どこかにいるであろう人間。三校対抗試合に横槍を入れた誰かだ」

 鏡の上に手紙を落とす。呪文を唱えれば、吠えメールの赤もなにもかも闇の色に染めて、主の下へ返していった。

 がり、と串を噛む。こんなお遊びはそろそろ終わりになるだろう。

 不穏な影がちらついている。

 カルカロフが慌てていたのは闇の印が濃くなったせいに違いない。一方、マッド・アイは神経を尖らせすぎて、真夜中の散歩に興じ――弟から監督生用の風呂への冒険の話は聞いていた――なぜかクラウチ・シニアがホグワーツに侵入していた件について、興味を示した。

――本当にクラウチの名があったのか

 そう訊けば弟は「先学期ワームテールの名に気づかなかったことに対する当てつけか?」と生意気にも返してきた。いやだって、あの地図の中から特定の誰かを見つけるのはかなりの骨だし、似たような名前の誰かだった可能性もあるだろう、と言おうが無視された。

 妙なことが多すぎる、と顔をしかめる。クラムもまた眉間に皺を寄せていた。

「……君になら話してもいいか」

「いつの間に大親友に?」

 茶化しても、クラムは眉一つ動かさなかった。その声は、冷たく、厳しい。

「僕がこのところ、君と行動しているのは」

 視線が消えるからだ。

 フェンネルは瞬く。それは追っかけのせいでは、君は目立つから……と言おうとしたが、先んじてクラムは首を振った。

「監視されている気がするし……」

 妨害されている気もする。

「詳しく」

 淡々と問いかけた。クラムは一つ頷き、第二の課題の違和感を述べた。

 なあ、君のところの湖はあんな恐ろしい激流があるのか? 水魔だっていっぱいだった。単に底へ行けばいいはずなのに、迷ってしまった。セドリックだって、フラーだってそうだ……。

 フラー、と聞いて舌打ちを漏らしかけた。どれほどの水魔に群がられたのか傷だらけだった。振り切ることができないほど、数が多かったとい うことだ。素早く逃げようにも、水流に絡め取られていたとしたら?

 セドリックですら制限時間を超えていた。

 最初に着いたのは弟。他は、なぜか遅れをとった。成人した実力者たちが真の代表選手がそろいもそろって。

「気をつけることだね」

 おどけて言う。僕はハリー・ポッターの双子の兄で、もしかしたら君の敵かもしれないよ? と。

 クラムは鼻を鳴らした。

「その気になれば僕をしとめることもできるだろうに」

「君は大人。僕は未成年」

「食事のついでに呪詛返しをしておいて」

 なにを言う、と睨まれる。フェンネルは明後日の方を向いた。

「ダームストラングに来たら、最強の決闘者になれるだろう」

 すぐさま視線を戻した。

「すまないねクラム。僕、フラーから求婚されてるから」

 英国を捨てて一緒に来ない? って。柔らかく言ってやれば、クラムはぼうっとした。十中八九、英国なんか捨てて大陸に、ひいてはブルガリアに来ない? と愛しのハーマイオニーに告げている己の姿を思い浮かべたのだろう。

 考えを巡らせるクラムをよそに、フェンネルは小さく息を吐いた。よしよし誤魔化せた。

 たとえば、フェンネルの側にいるとなぜ監視の眼が無効化されるのか、とか。

 単純な話だ。森での呪詛返し会の時、周りを魔法の環で囲っている。あらゆる妨害を防ぐためのもの。実は風除けに使っていただけのそれが、監視者の眼を弾いたのだろう。

――つまり

 監視者はフェンネルの守りを破れなかった。フェンネルのほうが上位、ということだ。

 謎の監視者、隠れの目的は未だ不明なれど。

 フェンネルは代表選手の誰も欠けさせるつもりはない。

 死相なんてくだらない。きっと祓ってみせよう。

 かつてのロディア、前世も今世も神に愛でられし者は。

 運命も、不吉な兆しも、稲妻形の傷跡も大嫌いである。そして神に感謝すれど、内心は複雑であった。

 ロディアもフェンネルも、神様の手のひらの上でころころと転がされているようなものだから。

 せいぜい、人間らしくあがいて、見えざる神に照覧いただこう。

 今世の生き様を。

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